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ふくしまの復興を 原発関係は別ブログへ移行しました。

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ー現在400マイクロ
ー400マイクロ問題無し
ーその真ん中より左側にマンホール、ぽっかり穴があります。
ーマンホール?左側?
ー真ん中より左側
ーストップ!ホースがこちらで束ねてあるから
ーいま70ミリシーベルトパーアワー。
ー100ミリシーベルト!

カマナカオサミ:
あ、いい水が出ているとの無線が入りまして、「やった」と。これで、任務は完了出来たのかと、
後はいち早くその場所から逃げ出したいと、マイクロバスにみんな走るように。

カマナカオサミ:
(いえに)帰ってきて怒られましたけれど、「どこに行ったの?」という話で、「電話一本欲しかったよ」ていうような話しですね。

9日目
日本の将来を背負って、そこで戦わなくてはいけない。
つまり、日の丸を背負ってこれから先あの発電所で戦わなくてはいけないと思ったわけです。
線量計は3月の時点では付けていないですね。
どこが高いとか、そういう線量が高いという話は、東電の方からは直接話がされていないですね。
その時はやっぱり、急いでいる作業、緊急作業だったので、
全員文句は言わないで、みんな分かっているんで,その辺はしちゃいけない作業でも黙々と。

ムラカミユキオ:
割に表情もにこやかになってきたし、怒り口調の人間がいなくなってきた。上に立つ立場の人間は落ち着けるような言い方もしてたし。

菅:
それまではですね、どんどん見えない敵に押されてですね。そこからやっと体制が整って、反転が始まった。世界中がですね、1000機、2000機、3000機という原発を持った時に、世界にとって本当に安心な世界だと言えるだろうかと。
それ以上にならなかったのは、神のおぼしめしというのか、ということだったと。
本当に紙一重の場面が最初の1週間だったと思います。

キムラノリオさんは父と妻と下の娘を津波で亡くした。
4カ月後福島に帰ってきた。

あなたたちが突然いなくなって4カ月が過ぎ、
どうしてこんなことになったのか、色々と考えてきました。
いつかまた、ここに戻って、あなた達を奪った海を眺めながら、生活したいものです。
次が何時になるかは全く分かりませんが、必ず戻ってきます。
遺族代表きむらのりお

 小森氏の分析は、当然です。津波が来て、何もかも持ち去れた時点でどうにもならないことは、現場を知っている人間にとっては
当然の分析にすぎません。それを東電は、政府に黙っていたわけです。次の新聞記事からもそれは類推されます。
http://onodekita.sakura.ne.jp/sblo_files/onodekita/image/2012032506-thumbnail2.jpg
 午後9時14分の電話で、東北電力からの電源車の1台目がついたと。庶務の女の人が「よかった!」って歓声を上げた。ホッとしました。これでなんとかなると思ったんだけど・・・
 この一文で、官邸側に東電が本当のことを言っていなかったことがわかります。本来電源車がきちんと来ても、どうにもならない状態だったのは、火を見るよりも明らかです。東電の職員に本当のことを話してもらうには、一体どうしたらいいのでしょうか。

◆関連ブログ
311−フクシマ を振り返る2012年03月11日
【西ドイツ放送】死の地域に生きる−フクシマの真実2011年10月24日
フクシマの今−韓国テレビと投稿から2012年03月12日
福島はまるで別世界・・グリーンピース2011年08月09日
BBCドキュメンタリー「津波の子供たち」3月1日放送から・・フィルムバッジをつける子どもたち2012年03月08日
キムラノリオ:
明るくなってきて、その間ずーっと住宅周辺と部落周辺を探して歩いて、うちの部落の区長さんがきてくれて、「もう原発がダメだから、離れなきゃダメだ」って説得されて、残っている人の方が・・・・・・・うん・・・・大事だからって言われて、そこで、もう…なんていうんですかね、気持ちが切り替わったですね。
あの、むすめ、残った娘(姉のほう)をね、守んなきゃならないっていう事で、うん・・・・

ムラカミユキオ:
被ばくするのを覚悟で、覚悟でいった人間がいるんですよ。その環境というのは、普通の人間が作業するような環境では全く無いという事は。現場はそうです。
温度は40何度あるし、で、周りは真っ暗で、水蒸気が溜まっているような状態で、どうせ線量も高いじゃないですか。私だったらなかなか行けないですね。相当の勇気と覚悟で、彼らは(ベントに)行ったんだろうなというふうに想定します。自分の命もかかっている事だし、

pm2時 二日目
ベント成功

タカハシ:
ホッとしましたし、早く原子炉の方が安定をして、早く、早く出して下さいという、事だけだったですかね。

ムラカミユキオ:
ケツが30センチぐらいドンッ!て浮いたんですよ。誰も分からなかったです。なんなんだ?地震かな?余震かな?

タカハシ:
余震のような感じでいたんですが、地響きのような大きな音がドドドドッ!ってきたので、ドーンッ!っていきましたから、

ムラカミユキオ:
吉田所長が「これって、1号機爆発したんじゃねぇか?」で、それからみんな大慌てになって、逃げようかって、多分思った人はいっぱい居たと思います。ただし、逃げる手段がなかったんです、もう。足がないし、走って逃げたら被ばくするし。


吉田:
どういう状況で爆発したのかが、この免震棟では分かりませんから、現場からいろいろと、怪我した人間が返ってくるという状況の中で、最悪で格納器が爆発しているという事になりますと、色々と放射能が出てくるという事になって、そこに、コントロールが不能になってという事がありまして、これで終わりかなという感じがしました。

枝野:
爆発前からの放射性物質の外部からの出方、状況には大きな変化はない。是非冷静に対応をしていただきたい。
格納容器自体の損傷が認められないという事でございます。そういうことであります。

菅:
そこに至るまでに於いて、どこまでこの事故が拡大するのかという事を考えたり、いろんな、その人に一種のシュミレーションをしてもらっていました。で、最悪のケースはですね、200キロ、250キロという範囲で、300キロという範囲まで逃げなければならない。
そうなると首都圏が全部機能マヒする。
という事は事実上日本がですね機能マヒしかねないと、

キムラノリオ:
自分の中には、ここにいちゃきっとまずいなという気持ちもあって、その間に、最近ちょっと話が出ていましたけどヨウ素剤を村の方で配ってくれて、で、娘に飲ませて、上の娘を安全なところまで運ばなければならない、それだけだったですね、もう、その時には。出来るだけ原発から離れたかった。

ヒグチノゾミ:
危ないって、もし仮にそれを発表してくれていたら、絶対別の方向に逃げていたと思うので、小さい子どもを持つ親としては、やっぱり凄く怒りを感じます。
私はその当時妊娠していたので、上の子二人ももちろんですし、お腹の子も心配だったので、とにかく安全なところに行きたいというのが、それが一番で、もう、必死でしたね。

菅:
わたくしとか、あるいは官房長官に、保安院から「SPEEDI によればこういう結果が出ているから、逃げる避難の事についてはこれを参考にこうしたほうがいいです」と言うような説明は一切ありませんでした。

生まれた時は本当に感動しましたね
「おお!やったぞ」って
とりあえず手の数数えて、足の指の数も数えて「ああ、5本5本で10本。両方10本ちゃんとあるなって」

am8時 4日目
イワクマシンジ
どうすればその仕事が早くできて、早く帰れるかという事をその時は一生懸命判断していました。
緊張はいたしました。
大変、やっぱり緊張を、我々は放射線が漏れている汚染地域に入るのは、じつは、想定した訓練はしているんですけれども、実際に入るのは初めてです。で、まさにこれからホースを接続するために車から降りようとした時に、爆発。

実は、ジープの上というのはキャビンの布で出来ているので、それを破るように大きなコンクリートの塊が落ちてきて、爆風で、接合部分からは中に放射性物質が入りましたね。
警報も付けていたんですが、それはもう、ずっと鳴りっぱなしという状況でした。
少しでも早く危険なところから離れるという事で、何十重にも運が良かった事が重なりましたね。
本当にラッキーでした。もう、ラッキー以外、何ものでもなかったと思います。

pm3時 4日目
タカハシ:
対策本部の中での、3号機が爆発した後は、社員の方でも、「もう終わりだな」というふうに、声は小さかったですけど、そう言われる方もいましたし、「早く逃げなきゃ」とか、「終わりだな」というのはありましたし、

東電 コモリアキオ:
ブラントの状況によっては、一部保安をしっかりと守るという人を除いて退避を検討するとそういう可能性が出てくるだろうと、そういうことで検討するという話を国の方にはお伝えしております、

菅:
私自身は撤退はあり得ないともともと思っておりました。つまり、撤退するという事は、6つの原子炉と7つの使用済み燃料のプールを、いわば、放棄すると。放棄したらどうなるかというと、全部がメルトダウンしてですね、まさにチェルノブイリの何十倍という放射性物質がまき散らされることになると、

ムラカミユキオ:
吉田所長は「これから避難を始めたいと思います」と。で、その時点で吉田さんは覚悟を決めていた。彼はそこで死ぬつもりだったんだろうけれども、とりあえず250人を殺すわけにはいかないんで、で、「帰ってくる」と。
「もう、ここまでやったんだからしょうがない」と。
「これ以上はもう、手段も何もないから」
「帰ってくれ」と。

タカハシ:
発言的にはちょっとあんまりよくないのかもしれないけれど、私はもう、ホッとしました。
早く出たい。

am5時半 5日目
吉田所長が東京に来た

菅:
大変な状況だけども、とにかくここは頑張ってくれととにかく放棄なんかできないんだと。
まさに日本の運命がかかっているんだと。60歳を超えた人達をね、場合によったらそういう人たちが先頭切ってでもね、多少危険なところにでもやるぐらいの事を作れという事をかなり強い調子で言いました。
あり得ないと。
いわば日本がですね、見えない敵に。なんていうか、日本の領土をですね、譲り渡すみたいなもので、もっといえば、それで、起きる影響は日本だけではなくて世界に影響を及ぼしますから。

ムラカミユキオ:
放射線量がべらぼうに高いですから、さぁどうしましょうか?無人君になっちゃう
無人君になっちゃいました。
さあ、どうしましょう。

am9時40分 7日目
ヤマオカヨシユキ
朝に、エンジンかける直前に、妻に電話して、妻がやはり、「誰かが行かなきゃならないんだったら、一生懸命頑張ってきてくれ」と「ご幸運を願います」ということで、妻も応援してくれました。
そのとき、妻も泣きながらで、・・・私も少し泣きそうになりましたけれども、その時はさすがにちょっと、「来たな―」と、「いよいよ来たぞ」という、こう、背筋がゾーッとするような感じにはなりましたけど、私は、線量計を持って、ずーっと飛行感はゼロだったですね。
原発につくまではほぼゼロでした。
ところが、直上に言った途端に、ワッ!っと線量計がワッ!と反応して、ドッと上がっていったという、絵は忘れられないです。骨組が、建物の骨組みが見えていて、壁があっちこっちに散らばっていて、・・・すごい・・・・

風に水が押し負けて行って、曲がっていってしまいまして、その状態で水を撒いた。

湯気が見えましたので、「入ってくれたんだな」というのは分かりました。
「やってやったぞ」と
「やったぞ」と
はい、みんなのためにやったんだという気持ちになれました。

pm11時 8日目
カマナカオサミ:
全隊員がさんしょうしてきまして、まず、40歳以上、放射能という事で40歳以上の、これから子どもを作るとか、そういう予定の無いものを選びました。
私は家族とは話はしていません。もう、何時でも、そういう時にはそういう現場に行くと、教育してありますんで。

トミオカトヨヒコ
ただしその放射線量ですか、それが高い低い、隊員がどういう活動をするか、精神的な面とかも色々と考えましたけれども、もう、隊員に託すしかなかったので、ですね、
もう本当に、祈るような思いで待っていました。

カマナカオサミ:
福島第一原発についた時には、すごく静かな状況で風もなく異様な静けさでありました。
まず、目に入ってきたのが、津波で流された色々な漂流物。
それから、道路が激しく歪んで、穴が開いているところもありました。
ここで自分たちがこれから1時間以内にミッションを成功させなきゃならないという、不安もありました。

2012年03月25日

英BBCドキュメンタリー「メルトダウンの内側」日本語字幕版

 東京茶とら猫さんからの転載です。
【必見!拡散希望!】英BBCドキュメンタリー「メルトダウンの内側」日本語字幕版作成しました









日本語書き下しは、みんな楽しくHappyがいい から

2011年、津波が日本を荒らしつくした7日後、消防隊員たちは危機的被害を受けた福島第一原発に向かった。原子炉3基がメルトダウンを起こしていた。彼らの任務は放射能に汚染された瓦礫の中を進み、致死的放射能を放つ核燃料に水をかけること。失敗したら日本の広大な地域で人が住めなくなると政府は恐れた。
このドキュメンタリーは、災害の最前線で撮影された貴重な映像と、原子炉を救うために戦った男たちとともにのちに我々が撮影した映像で構成されている。
実際に現場にいた者たちが語る福島メルトダウンの内側である。
これは放射能によって生活が一変した人々の物語であり……
人命を危険にさらしてでもさらなる大惨事を回避しようとした一国の首相の物語でもある。

「メルトダウンの内側」
2011年3月11日
1日目
日本 東北地方福島第一原子力発電所


作業員A
比較的仕事がスムーズに進んでいた日でした。
それまで1週間、2週間と大きな地震が続いていて、
我々はそのうち、非常に大きな地震が来るんじゃないかというような冗談を言っていました。
そしてその冗談は現実になってしまいました。


気象カメラ撮影
福島第一原発を揺さぶった地震は、記録にある限り日本で過去最大のものだった
原発を運転する東京電力は、作業員が人前で話をするのを禁じてきた
しかし事故から1年、自らの体験を語る者たちが現れている


壁に付けられていたパイプがずれて、
そしてそれを固定しているものから外れているのを見ました。

タカハシ:
ずーっと地震が長くなって、どんどん大きくなっていきますから
それでちょっと普通じゃないなと私は思いました。

ムラカミユキオ:
膝を突いたような状態で手すりにつかまっていた状態。
で、停電が始まって、


日本の発電所には耐震設計がなされており、原子炉は数秒で自動停止した。
しかし核燃料棒は高放射能であるため、停止したあとも猛烈な熱を生みだす。
そこで、燃料棒が溶けないように冷却する装置に電気を送るため、非常用発電機が作動した。
かつて福島第一原発で原子炉点検の仕事をしていたサトウ・タカシは、その日の詳細な記録を残している。


タカハシ:
私はプラントは心配していませんでした。
原子力は安全だと思っていましたから。
発電所は結果的にはそうですね、安全ではなかったですね。
pm3時15分

午後3時15分
原発近くの海で働く福島の漁師たちは、次に来るものを知っていた


ここの浜は地震が来ると津波が来ると昔から言われているものですから、港にある自分の船に行って、沖に船を出しにいきました。

ウチダ・ヨシオは自分の船を救うため、過去数百年で最大の津波めがけて猛スピードで向かっていった。津波の波頭が砕ける前に波頭に乗るためだ

我々は、まっすぐ東からきた波を3枚、通り抜けたけれど15メートル位あったなぁ
もう、こんな感じ(すごく高い)だった。
こんな感じで、それ(波)を結局3つやり過ごした。


最大の波は原発の防波堤の2倍以上の高さがあった

ただ、後ろの方にも変な波があったから、ちょっと、「何かがあったな」というのはあった。
何かが、悪さしたのかなと。


これは原発の作業員が、高台に逃げる同僚を写した映像である
午後3時35分、最大の波が原発を襲う
気象カメラ撮影
以前から東電は、津波への備えが甘いと科学者の指摘を受けていた。
だが何の対策もしていなかった。
この問題についてはいまだ検証中であると東電は語る。
ついに津波は防波堤を乗り越え、原発を水浸しにし始めた

ムラカミユキオ:
ここはびちゃびちゃに壊れていて、
すごい事だなという事だけはその時点で感じ取れました。


ムラカミ・ユキオ(仮名)は今も福島第一原発で働くベテラン原子力技術者だ。会社がインタビューを禁じているため、素性を明かさないことを希望している

その他、引いていった波に乗っていった車なり、物置き的な建物なり、後は5000キロリットルの重油タンクなりが海に持っていかれて、それが、どんどん沈んでいくのが光景に入っていました。

冷却装置に電気を送る非常用ディーゼル発電機は、ほとんどが地下にあった。もしもそれが使い物にならなければ、いずれ核燃料が溶け落ちて地面にめり込み、壊滅的な量の放射能が放出されてしまう

タカハシ:
非常用ディーゼル装置が、発電用の装置がやられたとか、そういったのを聞いた時には、ま「あり得ない」っていうか、ビックリしましたね。


これは制御室に残されていた当時の日誌。大惨事が近づく混乱の中で走り書きされたものだ
原子力緊急事態発令
水位計読み取り不能
非常用炉心冷却装置機能せず、注水無し
強い影響力をもつ日本最大級の企業である東電の幹部は、自身の原発が全電源を喪失する事態を想定していなかった
次の手を何も考えていなかった
小森明生東京電力原子力本部常務取締役

コモリアキオ 東京電力
今までの我々が考えていた部分を、かなり超えた領域に入っていますので、対応そのものが、あるいは対策を取るという事についてはかなり限定された手段になるだろうということは、かなり直感しました。

pm5時
菅元総理
大変深刻なことになって、非常に強い危機感を、その報告を受けた時に持ちました。
地震と津波それ自体も大変な被害でしたし、さらにそれに原発事故が重なりましたから、そのままにしておくとですね、水が無くなってメルトダウンすると、そういう事は分かっていましたので、非常に背筋が寒くなるような気がしました。

pm5時半
キムラノリオ:
沢山の大熊の町民が集まっていて、とにかくそこでの第一声が3人(父と妻と娘)がいないという事だったので、うーん、もう、寒くなるようなあれだったですね、すーっと血の気が引くっていうかね。津波でやられているっていう気持ちにはならないというか、なれないっていうか、
それから、こんどは瓦礫の中、うちの敷地の中だけじゃなくて、部落をずーっと見て回って、

pm11時半
菅:
点いたというニュースが入った時、これで当然つながってですね、
動き出すものだと思って、ちょっと、一瞬ホッとしました。

ムラカミユキオ:
電源装置が全然、水没状態になっていたんですよ。水の中に。誰もアクセスできないですよ。

タカハシ:
電源を復旧するにあたって、各自のマイカーですとか、公有車ですとか、そういった車で来られる方の「バッテリーの提供をしてもらえませんか」ということを事務所の中でもやっていました。

ムラカミユキオ:
圧力なんかどんどん、どんどん上がっていく訳ですよ。
そのころから、まわりは「やないんじゃないの?」「ヤバイんじゃない?これ」

am1時 二日目
菅:
そのまま放置すると格納容器が圧力で壊れてしまうと、万一壊れると大量の放射能が一気に大気中に出ますから、全員が、これはベントをやらざるを得ないと。
ベントをやりましょうという事で、「じゃぁ分かりましたやって下さい」と、こういったんです。

ムラカミユキオ:
ベント弁は基本的にモーター弁でMO弁になります。MO弁ですので電源がなければ普通は開きません。手動でも開くんですけれども、かなりの動力がいる弁です。

タカハシ:
(放射線の)数値が表示されていることに通常はあり得ない事なので、それもプラントの中ではなく事務所の中ですから。もう、最悪の状態だと思いました。

ムラカミユキオ:
燃料もある程度溶け始まってきているなというのも、想定していました。
マスクなり、装備は持っていましたんで、下から持ってきて、隠して足元に置いておいて、いつでも逃げられる体制を作れるように、もう、しました。

am6時 二日目
菅:
全員がベントをやるべきだと言いながら、なぜベントが進まないのか、理由が説明できない訳ですね。それは東電本店が間に入っているものですから、理由が伝言ゲームで伝わってこない訳です。

ムラカミユキオ:
菅さんは怒っていたと思いますけど、菅総理が「国が指示出しているのに、何やっているんだ東電は」必死になって対応しようとしたけどMO弁が開かなかったっていうのが裏にあって、簡単には開かなかった。一生懸命やろうとしているんだけど、追いつかなかっただけなんですよね。

菅:
(吉田所長は)分かりましたと。図面を出してこう言っていました。私としては大変重い決断でありました。しかし、そうすべきだと思ってそうしました。

(菅前首相)
もともとは、原発は35mの高さに建てられる予定でした。
しかし標高10mの位置で掘削整地し
そこに原発を建設したのです、低いところの方が
冷却に必要な海水をくみ上げやすいという理由で。
東電がはっきり、この方が経済的に効率が高いと書いています。

巨大な津波が、地震で損傷を受けた福島第一を完全ノックアウトした。
まず電源が切れ、それから
非常用発電機が津波で流されてしまった。
あまりに低い場所に置いてあったからである。
電気がなければ原子炉冷却はできない。

(菅前首相)
法律ではどの原発もオフサイトサンターを用意することが義務付けられています。
福島第一ではその電源センターが原発から5キロ離れたところにあります。
これは津波の後、1分と機能しなかった。
それは職員が地震があったために、そこにすぐたどりつけなかったからです。
それで電源は失われたままでした。
こうして送電に必要な器具はすべて作動しませんでした。
つまりオフサイトサンターは、本当の非常時になんの機能も果たさなかったということです。
法律では原発事故と地震が同時に起こるということすら想定していなかったのです。

菅直人はこの時、原発で起こりつつある
非常事態について、ほとんど情報を得ていなかった。
首相である彼は、テレビの報道で初めて、
福島第一で爆発があったことを知ることになる。

(菅前首相)
東電からは、その事故の報道があって1時間以上経っても
なにが原因でどういう爆発があったのかという説明が一切なかった。
あの状況では確かに詳しく究明することは難しかったのかもしれないが
それでも東電は状況を判断し、それを説明しなければいけなかったはずです。
しかし、それを彼らは充分に努力しませんでした。

2011年3月15日、災害から4日経ってもまだ
東電と保安院は事故の危険を過小評価し続けていた。
しかし東電は菅首相に内密で会い、
職員を福島第一から撤退させてもいいか打診した。
今撤退させなければ、全員死ぬことになる、というのだ。

(菅前首相)
それで私はまず東電の社長に来てもらい
撤退はぜったい認められない、と伝えた。
誰もいなくなればメルトダウンが起き
そうすれば莫大な量の放射能が大気に出ることになってしまう。
そうなってしまえば広大な土地が住めない状態になってしまいます。

菅は初めから東電を信用できず
自分の目で確かめるためヘリコプターで視察した。
しかし首相である彼にも当時伝えられていなかったことは
フクシマの3つの原子炉ですでにメルトダウンが起きていたということだ。
それも災害の起きた3月11日の夜にすでに。

(菅前首相)
東電の報告にも、東電を監査していた保安院の報告にも
燃料棒が損傷しているとか
メルトダウンに至ったなどということは一言も書かれていなかった。
3月15日には、そのような状況にはまだ至っていないという報告が私に上がっていました。

事故からほぼ1年が経った東京。
世界中であらゆる専門家が予想していたメルトダウンの事実を
東電が認めるまでなぜ2ヶ月も要したのか、私たちは聞こうと思った。
自然災害が起きてからすぐにこの原発の大事故は起きていたのである。

(ハーノ記者)
「原子炉1号機、2号機そして3号機でメルトダウンになったことを、東電はいつ知ったのですか」

(東電・松本氏)
「私どもは目で見るわけにはいきませんが
上がってきましたデータをもとに自体を推定し
燃料棒が溶けおそらく圧力容器の底に溜まっているだろう
という認識に達したのは5月の初めでした。」

膨大なデータに身を隠そうとする態度は今日も変わらない。
東電は、毎日行う記者会見でこれらのデータを見せながら、事態はコントロール下にあると言い続けている。
しかしこれらのデータの中には、本当に責任者たちは
なにをしているのかわかっているか、疑いたくなるような情報がある。
たとえばスポークスマンはついでのことのように
放射能で汚染された冷却水が「消えてしまった」と説明した。 
理由は、原発施設ではびこる雑草でホースが穴だらけになっているという。

(ハーノ記者)
「放射能で汚染された水を運ぶホースが
雑草で穴が開くような材料でできているというのですか?」

(東電・松本氏)
「草地に配管するのは私たちも初めてのことですが
穴があくなどのことについては知見が不十分だったと思っています。」

しかし原発の廃墟をさらに危険にしているのは
雑草だけではない。
私たちは富岡町に向かった。
ゴーストタウンだ。
原発廃墟の福島第一から7キロのところにある。
私たちはナカ氏に便乗した。
彼のような住民は、個人的なものをとりに行くためだけに
短時間だけ帰ることが許されている。
彼は、地震に見舞われた状態のまま放り出された会社を見せてくれた。
今では放射能のため、ここに暮らすことはできない。

(ナカ氏)
この木造の建物はとても快適でした。
とても静かで、夏は涼しく、冬は暖かかった。
私たちは皆ここで幸せに暮らしていました。

80人の原発専門のエンジニアが彼のもとで働いており
原発事故後も、事故をできるだけ早く収束しようと努力している。
ナカ氏と彼の社員は、原発廃墟で今本当になにが起きているのか知っている。

(ナカ氏)
私たちの最大の不安は、近い将来、
廃墟の原発で働いてくれる専門家がいなくなってしまうことです。
あそこで働く者は誰でも、大量の放射能を浴びています。
どこから充分な数の専門家を集めればいいか、わかりません。

しかし、まだ被爆していない原発の専門家を集めなければ
事故を収束するのは不可能だ。
例えこれから40年間、充分な専門家を集められたとしても
日本も世界も変えてしまうことになるかもしれない一つの問題が残る

(ハーノ記者)
今原発は安全なのですか?

(ナカ氏)
そう東電と政府は言っていますが
働いている職員はそんなことは思っていません。とても危険な状態です。
私が一番心配しているのは4号機です。
この建物は地震でかなり損傷しているだけでなく
この4階にある使用済み燃料プールには
約1300の使用済み燃料が冷却されています。
その上の階には新しい燃料棒が保管されていて
非常に重い機械類が置いてあります。
なにもかもとても重いのです。もう一度大地震が来れば
建物は崩壊してしまうはずです。
そういうことになれば、また新たな臨界が起こるでしょう。

このような臨界が青空の下で起これば
日本にとって致命的なものとなるだろう。
放射能はすぐに致死量に達し、原発サイトで働くことは不可能となる。
そうすれば高い確率で
第1、2、3、 5、 6号機もすべてが抑制できなくなり
まさにこの世の終わりとなってしまうだろう。
東京で著名な地震学者の島村英紀氏に会った。
2月に東大地震研が地震予知を発表したが
それによれば75%の確率で4年以内に
首都を直下型地震が襲うと予測されている。

(ハーノ記者)
このような地震があった場合に原発が壊滅して
確率はどのくらいだとお考えですか?

(島村教授)
−はい、とても確率は高いです。

(ハーノ記者) 
−どうしてですか?

(島村教授)
計測している地震揺れ速度が、これまでの予測よりずっと速まってきています。
私たちはここ数年千以上の特別測定器を配置して調査してきましたが
それで想像以上に地震波が強まり、速度も増していることがわかったのです。

これは日本の建築物にとって大変な意味を持つだけでなく
原発にとっても重大な問題となることを島村氏は説明する。

(島村教授)
これが原発の設計計算です。
将来加速度300~450ガルの地震が来ることを想定しています。
そして高確率で発生しないだろう地震として600ガルまでを想定していますが
この大きさに耐えられる設計は原子炉の格納容器だけで
原発のほかの構造はそれだけの耐震設計がされていないのです。
しかし私たちの調査では、最近の地震の加速度がなんと
4000ガルまで達したことがわかっています。
想定されている値よりずっと高いのです。

(ハーノ記者) 
電気会社は、それを知って増強をしなかったのですか?

(島村教授)
今のところ何もしていません、不十分であることは確かです。
これだけの地震に耐えられるだけの設計をしようなどというのは
ほとんど不可能でしょう。

ここは原発廃墟から60キロ離れた場所だ。
フクシマ災害対策本部では東電、保安院、福島県庁が共同で
原発の地獄の炎を鎮火するための闘いの調整をはかっている。
私たちは東電の災害対策部責任者にインタビューした。
ことに彼に訊きたいのはどうやって今後
これだけ損傷している原発を大地震から守るつもりなのか、ということだ。
ことに、危ぶまれている4号機について訊いた。

(東電・白井氏)
4号機の使用済み燃料プールには夥しい量の使用済み燃料が入っています。
これをすべて安全に保つためには、燃料プールの増強が必要です
燃料プールのある階の真下に、新しい梁をつけました。

(ハーノ記者) 
原発はほとんど破壊したといってもいいわけですが
原発が健在だった1年前ですら大地震に耐えられなかった構造で
どうやって次の地震に備えるつもりなのでしょうか?

(東電・白井氏)
我々は耐震調査を4号機に限らず全体で行いました。
その結果、問題ないという判断が出ています。

(ハーノ記者) 
でも地震学者たちは4000ガルまでの地震加速度が測定されていて
これだけの地震に耐えられるだけの原発構造はないと言っています。
半壊状態のフクシマの原発の真下でそのような地震が来ても
全壊することはないと、なぜ確信がもてるのですか?

(東電・白井氏)
その4000ガルという計算は別の調査ではないでしょうか
それに関しては、私は何とも言いかねます。

(ハーノ記者) 
原発を日本で稼動させるだけの心構えが、東電にできているとお考えですか?

(東電・白井氏)
それは答えるのが難しいですね。

(ナカ氏)
これがやってきたことの結果です。
この結果を人類はちゃんと知るべきだと思います。
一緒に未来の政策をつくっていくことができるように

 ここに出てくる東電社員白井氏は、たしか2Fにいたときの技術課職員だったと思います。直接、仕事を一緒にしたわけではありませんが。
 また、ここで話されているガルは地震の加速度に過ぎません。地盤沈下、直下地震が来たら原発はすべて爆発します。それは間違いありませんか。
 書き下しありがとうございました。
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2012年03月25日

ドイツZDFテレビ 「フクシマのうそ」-放射能メモから

ドイツZDFテレビ 「フクシマのうそ」書き起こしから


ドイツZDF フクシマのうそ 投稿者 sievert311

我々は放射能から身を守り、警察から外人と見破られないよう
防護服を着こんだ。
汚染され、破壊した原発が立っているのは立ち入り禁止区域だ。
そこに連れて行ってくれることになっている男性と落ち合った。
なにが本当にそこで起きているか、彼に見せてもらうためだ。
ナカ・ユキテル氏は原子力分野のエンジニア会社の社長で
もう何十年間も原発サイトに出向いて働いてきた。
フクシマでも、だ。
私たちは見破られず、無事チェックポイントを通過した。
作業員たちが作業を終え、原発から戻ってきたところだった。
3月11日に起こったことは、これから日本が遭遇するかもしれぬことの
前兆に過ぎないのかもしれないことが次第にわかってきた。
そしてその危険を理解するには、過去を理解することが必要だ。
(タイトル) フクシマの嘘
(監督) ヨハネス・ハノ
私たちは立ち入り禁止区域の中、事故の起きた原発から約7キロ離れたところにいる。
ナカ氏はここで生活をし
福島第一とフクシマノ第二の間を股にかけて仕事をしてきた。
ナカ氏と彼の部下は、何年も前から原発の安全性における重大な欠陥について注意を喚起してきた。
しかし、誰も耳を貸そうとしなかった。

(ナカ氏)
私の話を聞いてくれた人はほんのわずかな有識者だけで
その人たちの言うことなど誰も本気にしません。
日本ではその影響力の強いグループを呼ぶ名前があります。
原子力ムラ、というのです。
彼らの哲学は、経済性優先です。
この原子力ムラは東電、政府、そして
大学の学者たちでできています。
彼らが重要な決定をすべて下すのです。

私たちは東京で菅直人と独占インタビューした。
彼は事故当時首相で、第二次世界大戦以来
初の危機に遭遇した日本をリードしなければならなかった。
彼は唖然とするような内容を次々に語った、たとえば
首相の彼にさえ事実を知らせなかったネットワークが存在することを。
マスメディアでは彼に対する嘘がばらまかれ
彼は辞任に追い込まれた。
彼が原子力ムラに対抗しようとしたからである。

(菅前首相)
最大の問題点は、3月11日が起こるずっと前にしておかなければ
いけないものがあったのに、何もしなかったことです。
原発事故を起こした引き金は津波だったかもしれないが
当然しておくべき対策をしなかったことが問題なのです。
この過失は責任者にあります。
つまり、必要であったことをしなかった、という責任です。

では原発事故の原因は地震と津波ではなかったのか?
原子力ムラの足跡を辿っていくと、
嘘、仲間意識と犯罪的エネルギーの網の目に遭遇する。
調査は2つの大陸にまたがった。
まずカリフォルニアに飛んだ。
目的地はサン・フランシスコである。
私たちはある男性と話を聞く約束をしていた。
彼は長年原子炉のメンテナンスの仕事で
フクシマにも何度も来ており
かなり深刻なミスや事故を東電が隠蔽するのに遭遇した。
フクシマの第1号原子炉は70年代初めに
アメリカのジェネラルエレクトリック社が建設し
それ以来アメリカのエンジニアが点検を行ってきた。
そしてフクシマでは何度も問題があった。

(ハーノ記者)
東電は、点検後、なにをあなたに求めたのですか?

(スガオカ氏)
亀裂を発見した後、彼らが私に言いたかったことは簡単です。
つまり、黙れ、ですよ。
何も話すな、黙ってろ、というわけです。

問題があるなど許されない
日本の原発に問題など想定されていない
アメリカのエンジニア、ケイ・スガオカ氏も
それを変えようとすることは許されなかった。

(スガオカ氏)
1989年のことです、蒸気乾燥機でビデオ点検をしていて
そこで今まで見たこともないほど大きい亀裂を発見しました。

スガオカ氏と同僚が発見したのは、それだけではない。

(スガオカ氏)
原子炉を点検している同僚の目がみるみる大きくなったと思うと
彼がこう言いました
蒸気乾燥機の向きが反対に取り付けられているぞ、と。
もともとこの原発の中心部材には重大な欠陥があったのだ。
スガオカ氏は点検の主任だったので
正しく点検を行い処理をする責任があったのだが
彼の報告は、東電の気に入らなかった。
私たちは点検で亀裂を発見しましたが、東電は
私たちにビデオでその部分を消すよう注文しました。
報告書も書くな、と言うのです。
私はサインしかさせてもらえませんでした。
私が報告書を書けば、180度反対に付けられている蒸気乾燥機のことも
報告するに決まっていると知っていたからです。

(ハーノ記者)
では、嘘の文書を書くよう求めたわけですか?

(スガオカ氏)
そうです、彼らは我々に文書の改ざんを要求しました。

スガオカ氏は仕事を失うのを怖れて、10年間黙秘した。
GE社に解雇されて初めて彼は沈黙を破り
日本の担当官庁に告発した。
ところが不思議なことに、告発後何年間もなにも起こらなかった。
日本の原発監督官庁はそれをもみ消そうとしたのだ。
2001年になってやっと、スガオカ氏は「同士」を見つけた。
それも日本のフクシマで、である。
18年間福島県知事を務めた佐藤栄佐久氏は
当時の日本の与党、保守的な自民党所属だ。
佐藤氏は古典的政治家で
皇太子夫妻の旅に随行したこともある。
始めは彼も、原発は住民になんの危険ももたらさないと確信していた。
それから、その信頼をどんどん失っていった。

(佐藤前知事)
福島県の原発で働く情報提供者から約20通ファックスが届き
その中にはスガオカ氏の告発も入っていました。
経産省は、その内部告発の内容を確かめずに
これら密告者の名を東電に明かしました。
それからわかったことは、私も初めは信じられませんでした。
東電は、報告書を改ざんしていたというのです。
それで私は新聞に記事を書きました。
そんなことをしていると、この先必ず大事故が起きる、と。

それでやっと官僚たちもなにもしないわけにはいかなくなり
17基の原発が一時停止に追い込まれた。
調査委員会は、東電が何十年も前から重大な事故を隠蔽し
安全点検報告でデータを改ざんしてきたことを明らかにした。
それどころか、フクシマでは30年も臨界事故を隠してきたという。
社長・幹部は辞任に追い込まれ、社員は懲戒を受けたが
皆新しいポストをもらい、誰も起訴されなかった。
一番の責任者であった勝俣恒久氏は代表取締役に任命された。
彼らは佐藤氏に報告書の改ざんに対し謝罪したが
佐藤氏は安心できず、原発がどんどん建設されることを懸念した。
そこで佐藤氏は日本の原発政策という
「暗黙のルール」に違反してしまった。
2004年に復讐が始まった。

(佐藤前知事)
12月に不正な土地取引の疑いがあるという記事が新聞に載りました。
この記事を書いたのは本来は原発政策担当の記者でした。
この疑惑は、完全にでっち上げでした。
弟が逮捕され
首相官邸担当の検察官が一時的に福島に送られて検事を務めていた。
彼の名はノリモトという名で
遅かれ早かれ、お前の兄の知事を抹殺してやる、と弟に言ったそうです。
事態は更に進み、県庁で働く200人の職員に
圧力がかかり始めました。
少し私の悪口を言うだけでいいから、と。
中には2、3人、圧力に耐え切れずに
自殺をする者さえ出ました。
私の下で働いていたある部長は、いまだ意識不明のままです。

それで、同僚や友人を守るため、佐藤氏は辞任した。
裁判で彼の無罪は確定されるが
しかし沈黙を破ろうとした「邪魔者」はこうして消された。
これが、日本の社会を牛耳る大きなグループの復讐だった。
そしてこれこそ、日本で原子力ムラと呼ばれるグループである。

(菅前首相)
ここ10〜20年の間、ことに原子力の危険を訴える人間に対する
あらゆる形での圧力が非常に増えています。
大学の研究者が原発には危険が伴うなどとでも言おうものなら
出世のチャンスは絶対に回ってきません。
政治家はあらゆる援助を電力会社などから受けています。
しかし、彼らが原発の危険性などを問題にすれば、
そうした援助はすぐに受けられなくなります。
反対に、原発を推進すれば、多額の献金が入り込みます。
それは文化に関しても同じで
スポーツやマスコミも含みます。
このように網の目が細かく張りめぐらされて
原発に対する批判がまったくなされない環境が作り上げられてしまいました。
ですから原子力ムラというのは決して小さい領域ではなくて
国全体にはびこる問題なのです。
誰もが、この原子力ムラに閉じ込められているのです。

東電から献金を受け取っている
100人以上の議員に菅首相は立ち向かった。
その中には前の首相もいる。やはり彼と同じ政党所属だ。
ネットワークは思う以上に大きい。
多くの官僚は定年退職すると、電事業関連の会社に再就職する。
1962年以来東電の副社長のポストは
原発の監査を行うエネルギー庁のトップ官僚の指定席だ。
これを日本では天下り、と呼んでいる。
しかし反対の例もある。
東電副社長だった加納時男氏は当時与党だった自民党に入党し
12年間、日本のエネルギー政策を担当し
それからまた東電に戻った。
このネットワークについて衆議院議員の河野太郎氏と話した。
河野氏の家族は代々政治家で
彼の父も外相を務めた。
彼は、第二次世界大戦後日本を約60年間に渡り
支配した自民党に所属している。
原発をあれだけ政策として推進してきたのは自民党である。

(河野議員)
誰も、日本で原発事故など起こるはずがない、と言い続けてきました。
だから、万が一のことがあったらどうすべきか、という準備も
一切してこなかったのです。
それだけでなく、原発を立地する地方の行政にも
危険に対する情報をなにひとつ与えてこなかった。
いつでも、お前たちはなにも心配しなくていい
万が一のことなど起こるはずがないのだから、と。
彼らはずっとこの幻想をばらまき事実を歪曲してきた
そして今やっと、すべて嘘だったことを認めざるを得なくなったのです。

この雰囲気が2011年3月11日に壊れた。
日本がこれまでに遭遇したことのない大事故が起きてからだ。
14時46分に日本をこれまで最大規模の地震が襲った。
マグニチュード9だった。
しかし、地震は太平洋沖で始まったその後の
ホラーの引き金に過ぎなかった。
時速数百キロという激しい波が津波となって
日本の東部沿岸を襲った。
津波は場所によっては30メートルの高さがあり
町や村をのみこみ消滅させてしまった。
約2万人の人がこの津波で命を失った。
そして福島第一にも津波が押し寄せた。
ここの防波堤は6メートルしかなかった。
津波の警告を本気にせず
処置を取らなかった東電や原発を監査する当局は
警告を無視しただけでなく、立地場所すら変更していたのだ。

その2へ 続く

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