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ー現在400マイクロ
ー400マイクロ問題無し ーその真ん中より左側にマンホール、ぽっかり穴があります。 ーマンホール?左側? ー真ん中より左側 ーストップ!ホースがこちらで束ねてあるから ーいま70ミリシーベルトパーアワー。 ー100ミリシーベルト! カマナカオサミ: あ、いい水が出ているとの無線が入りまして、「やった」と。これで、任務は完了出来たのかと、 後はいち早くその場所から逃げ出したいと、マイクロバスにみんな走るように。 カマナカオサミ: (いえに)帰ってきて怒られましたけれど、「どこに行ったの?」という話で、「電話一本欲しかったよ」ていうような話しですね。 9日目 日本の将来を背負って、そこで戦わなくてはいけない。 つまり、日の丸を背負ってこれから先あの発電所で戦わなくてはいけないと思ったわけです。 線量計は3月の時点では付けていないですね。 どこが高いとか、そういう線量が高いという話は、東電の方からは直接話がされていないですね。 その時はやっぱり、急いでいる作業、緊急作業だったので、 全員文句は言わないで、みんな分かっているんで,その辺はしちゃいけない作業でも黙々と。 ムラカミユキオ: 割に表情もにこやかになってきたし、怒り口調の人間がいなくなってきた。上に立つ立場の人間は落ち着けるような言い方もしてたし。 菅: それまではですね、どんどん見えない敵に押されてですね。そこからやっと体制が整って、反転が始まった。世界中がですね、1000機、2000機、3000機という原発を持った時に、世界にとって本当に安心な世界だと言えるだろうかと。 それ以上にならなかったのは、神のおぼしめしというのか、ということだったと。 本当に紙一重の場面が最初の1週間だったと思います。 キムラノリオさんは父と妻と下の娘を津波で亡くした。 4カ月後福島に帰ってきた。 あなたたちが突然いなくなって4カ月が過ぎ、 どうしてこんなことになったのか、色々と考えてきました。 いつかまた、ここに戻って、あなた達を奪った海を眺めながら、生活したいものです。 次が何時になるかは全く分かりませんが、必ず戻ってきます。 遺族代表きむらのりお 小森氏の分析は、当然です。津波が来て、何もかも持ち去れた時点でどうにもならないことは、現場を知っている人間にとっては当然の分析にすぎません。それを東電は、政府に黙っていたわけです。次の新聞記事からもそれは類推されます。 http://onodekita.sakura.ne.jp/sblo_files/onodekita/image/2012032506-thumbnail2.jpg 午後9時14分の電話で、東北電力からの電源車の1台目がついたと。庶務の女の人が「よかった!」って歓声を上げた。ホッとしました。これでなんとかなると思ったんだけど・・・ この一文で、官邸側に東電が本当のことを言っていなかったことがわかります。本来電源車がきちんと来ても、どうにもならない状態だったのは、火を見るよりも明らかです。東電の職員に本当のことを話してもらうには、一体どうしたらいいのでしょうか。 ◆関連ブログ 311−フクシマ を振り返る2012年03月11日 【西ドイツ放送】死の地域に生きる−フクシマの真実2011年10月24日 フクシマの今−韓国テレビと投稿から2012年03月12日 福島はまるで別世界・・グリーンピース2011年08月09日 BBCドキュメンタリー「津波の子供たち」3月1日放送から・・フィルムバッジをつける子どもたち2012年03月08日 |
東京茶とら猫さんからの転載です。
【必見!拡散希望!】英BBCドキュメンタリー「メルトダウンの内側」日本語字幕版作成しました
日本語書き下しは、みんな楽しくHappyがいい から
2011年、津波が日本を荒らしつくした7日後、消防隊員たちは危機的被害を受けた福島第一原発に向かった。原子炉3基がメルトダウンを起こしていた。彼らの任務は放射能に汚染された瓦礫の中を進み、致死的放射能を放つ核燃料に水をかけること。失敗したら日本の広大な地域で人が住めなくなると政府は恐れた。
このドキュメンタリーは、災害の最前線で撮影された貴重な映像と、原子炉を救うために戦った男たちとともにのちに我々が撮影した映像で構成されている。
実際に現場にいた者たちが語る福島メルトダウンの内側である。
これは放射能によって生活が一変した人々の物語であり……
人命を危険にさらしてでもさらなる大惨事を回避しようとした一国の首相の物語でもある。
「メルトダウンの内側」
2011年3月11日
1日目
日本 東北地方福島第一原子力発電所
作業員A
比較的仕事がスムーズに進んでいた日でした。
それまで1週間、2週間と大きな地震が続いていて、
我々はそのうち、非常に大きな地震が来るんじゃないかというような冗談を言っていました。
そしてその冗談は現実になってしまいました。
気象カメラ撮影
福島第一原発を揺さぶった地震は、記録にある限り日本で過去最大のものだった
原発を運転する東京電力は、作業員が人前で話をするのを禁じてきた
しかし事故から1年、自らの体験を語る者たちが現れている
壁に付けられていたパイプがずれて、
そしてそれを固定しているものから外れているのを見ました。
タカハシ:
ずーっと地震が長くなって、どんどん大きくなっていきますから
それでちょっと普通じゃないなと私は思いました。
ムラカミユキオ:
膝を突いたような状態で手すりにつかまっていた状態。
で、停電が始まって、
日本の発電所には耐震設計がなされており、原子炉は数秒で自動停止した。
しかし核燃料棒は高放射能であるため、停止したあとも猛烈な熱を生みだす。
そこで、燃料棒が溶けないように冷却する装置に電気を送るため、非常用発電機が作動した。
かつて福島第一原発で原子炉点検の仕事をしていたサトウ・タカシは、その日の詳細な記録を残している。
タカハシ:
私はプラントは心配していませんでした。
原子力は安全だと思っていましたから。
発電所は結果的にはそうですね、安全ではなかったですね。pm3時15分
午後3時15分
原発近くの海で働く福島の漁師たちは、次に来るものを知っていた
ここの浜は地震が来ると津波が来ると昔から言われているものですから、港にある自分の船に行って、沖に船を出しにいきました。
ウチダ・ヨシオは自分の船を救うため、過去数百年で最大の津波めがけて猛スピードで向かっていった。津波の波頭が砕ける前に波頭に乗るためだ
我々は、まっすぐ東からきた波を3枚、通り抜けたけれど15メートル位あったなぁ
もう、こんな感じ(すごく高い)だった。
こんな感じで、それ(波)を結局3つやり過ごした。
最大の波は原発の防波堤の2倍以上の高さがあった
ただ、後ろの方にも変な波があったから、ちょっと、「何かがあったな」というのはあった。
何かが、悪さしたのかなと。
これは原発の作業員が、高台に逃げる同僚を写した映像である
午後3時35分、最大の波が原発を襲う
気象カメラ撮影
以前から東電は、津波への備えが甘いと科学者の指摘を受けていた。
だが何の対策もしていなかった。
この問題についてはいまだ検証中であると東電は語る。
ついに津波は防波堤を乗り越え、原発を水浸しにし始めた
ムラカミユキオ:
ここはびちゃびちゃに壊れていて、
すごい事だなという事だけはその時点で感じ取れました。
ムラカミ・ユキオ(仮名)は今も福島第一原発で働くベテラン原子力技術者だ。会社がインタビューを禁じているため、素性を明かさないことを希望している
その他、引いていった波に乗っていった車なり、物置き的な建物なり、後は5000キロリットルの重油タンクなりが海に持っていかれて、それが、どんどん沈んでいくのが光景に入っていました。
冷却装置に電気を送る非常用ディーゼル発電機は、ほとんどが地下にあった。もしもそれが使い物にならなければ、いずれ核燃料が溶け落ちて地面にめり込み、壊滅的な量の放射能が放出されてしまう
タカハシ:
非常用ディーゼル装置が、発電用の装置がやられたとか、そういったのを聞いた時には、ま「あり得ない」っていうか、ビックリしましたね。
これは制御室に残されていた当時の日誌。大惨事が近づく混乱の中で走り書きされたものだ
原子力緊急事態発令
水位計読み取り不能
非常用炉心冷却装置機能せず、注水無し
強い影響力をもつ日本最大級の企業である東電の幹部は、自身の原発が全電源を喪失する事態を想定していなかった
次の手を何も考えていなかった小森明生東京電力原子力本部常務取締役
コモリアキオ 東京電力
今までの我々が考えていた部分を、かなり超えた領域に入っていますので、対応そのものが、あるいは対策を取るという事についてはかなり限定された手段になるだろうということは、かなり直感しました。
pm5時
菅元総理
大変深刻なことになって、非常に強い危機感を、その報告を受けた時に持ちました。
地震と津波それ自体も大変な被害でしたし、さらにそれに原発事故が重なりましたから、そのままにしておくとですね、水が無くなってメルトダウンすると、そういう事は分かっていましたので、非常に背筋が寒くなるような気がしました。
pm5時半
キムラノリオ:
沢山の大熊の町民が集まっていて、とにかくそこでの第一声が3人(父と妻と娘)がいないという事だったので、うーん、もう、寒くなるようなあれだったですね、すーっと血の気が引くっていうかね。津波でやられているっていう気持ちにはならないというか、なれないっていうか、
それから、こんどは瓦礫の中、うちの敷地の中だけじゃなくて、部落をずーっと見て回って、
pm11時半
菅:
点いたというニュースが入った時、これで当然つながってですね、
動き出すものだと思って、ちょっと、一瞬ホッとしました。
ムラカミユキオ:
電源装置が全然、水没状態になっていたんですよ。水の中に。誰もアクセスできないですよ。
タカハシ:
電源を復旧するにあたって、各自のマイカーですとか、公有車ですとか、そういった車で来られる方の「バッテリーの提供をしてもらえませんか」ということを事務所の中でもやっていました。
ムラカミユキオ:
圧力なんかどんどん、どんどん上がっていく訳ですよ。
そのころから、まわりは「やないんじゃないの?」「ヤバイんじゃない?これ」
am1時 二日目
菅:
そのまま放置すると格納容器が圧力で壊れてしまうと、万一壊れると大量の放射能が一気に大気中に出ますから、全員が、これはベントをやらざるを得ないと。
ベントをやりましょうという事で、「じゃぁ分かりましたやって下さい」と、こういったんです。
ムラカミユキオ:
ベント弁は基本的にモーター弁でMO弁になります。MO弁ですので電源がなければ普通は開きません。手動でも開くんですけれども、かなりの動力がいる弁です。
タカハシ:
(放射線の)数値が表示されていることに通常はあり得ない事なので、それもプラントの中ではなく事務所の中ですから。もう、最悪の状態だと思いました。
ムラカミユキオ:
燃料もある程度溶け始まってきているなというのも、想定していました。
マスクなり、装備は持っていましたんで、下から持ってきて、隠して足元に置いておいて、いつでも逃げられる体制を作れるように、もう、しました。
am6時 二日目
菅:
全員がベントをやるべきだと言いながら、なぜベントが進まないのか、理由が説明できない訳ですね。それは東電本店が間に入っているものですから、理由が伝言ゲームで伝わってこない訳です。
ムラカミユキオ:
菅さんは怒っていたと思いますけど、菅総理が「国が指示出しているのに、何やっているんだ東電は」必死になって対応しようとしたけどMO弁が開かなかったっていうのが裏にあって、簡単には開かなかった。一生懸命やろうとしているんだけど、追いつかなかっただけなんですよね。
菅:
(吉田所長は)分かりましたと。図面を出してこう言っていました。私としては大変重い決断でありました。しかし、そうすべきだと思ってそうしました。



