緊急論述:原子力発電の安全基準とは?専門家の見解 その4最後の決定的に重要な問題は、事故で多くの人が低線量被曝をするが、この領域の被曝と健康への影響がわかっていないということである。そのもとで原発を稼働するというのはどういうことか、もう一度、考えなければならない。
これについて私は「日本の法令で定められた1年1ミリシーベルトという限度を守れ」と言ってきているが、アメリカの雑誌やICRP(外国のNPO)を根拠に「日本の子どもたちにもっと被曝させて良い」という意見が絶えない.
なぜ、日本の子どもたちを白人の雑誌や任意団体の判断にゆだねて、日本の法令すら無視しようとするのか、到底考えられることでは無い. 現実に事故による被爆が起きたら、法令よりアメリカの雑誌記事を優先するのではダメなことは言うまでも無い.
その点では「日本の子どもたちの健康を、日本の法令によらず外国の意見に従え」と言う日経新聞、温暖化報道を続けるNHKなどは不買運動を展開しなければならないだろう。ある程度の誤解やミスは仕方が無いが、これほど組織的で長期間、法令を破る行為を続ける「準公的組織」を認めるのは、アウトローを容認するのとほぼ同じである。
「インテリ・アウトロー」とも言える。どのぐらいの被曝でどのぐらいの健康被害がでるかは「学問的に不明」な状態にある。医師が一人一人の患者に照射した場合、かなりの線量まで大丈夫そうだということと、集団が低線量を被曝したときに障害が出るかどうかは別の科学的事象である。
すでに肺のレントゲンを使った児童の集団検診が、白血病を増大させたとされていて、レントゲン検診は選択するようになっている。またウクライナ、ベラルーシの人口が、事故後に、死亡率の増大と出生率の低下で見られることも明らかである。
せっかく原子力安全委員会を廃止して規制委員会を作ったのに、ここに示したように、全く従来の手法やいい加減な論理のもとで原発再開が議論され、基準が作られているのは日本の将来にとって最悪の状態である.
ところで、このシリーズでお話をしたことは専門的なので、本来は「日本のために専門家が」議論しなければならないが、日本の専門家は崩れてしまっている。たとえば、今回の規制委員会でも政府の人選で委員が決まり、検討する委員も「体制派」ばかりである。
そこには「学術的」、「レベルの高い」議論はすべて排斥され、自由で学究的な雰囲気はまったくない。それは日本の「科学の力が弱い」ことによる。私は専門家の一人として何とかこのような状態を教育の改革と技術者の良心に訴えて改善していきたいと思うけれど、再開問題は間に合わない。
相変わらずほぼ「密室」で「推進派」だけで決定し、それを「パブリック・コメント」を求めて、形式を整え、どんな非科学的なことでも強引に通してしまい、事故が起こったら、隠蔽するというプロセスが続いている。
活断層の議論などはまさに「素人だまし」のものであり、このような枝葉末端のことに目を奪われていたら、原発はまた事故を起こすだろう。断固、日本のためにも、子どものためにも、経済のためにも、誠実な社会のためにも一人一人が立ち上がらなければならない。
(平成25年2月1日)
武田邦彦
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東電第一原発
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緊急論述:原子力発電の安全基準とは?専門家の見解 その4最後の決定的に重要な問題は、事故で多くの人が低線量被曝をするが、この領域の被曝と健康への影響がわかっていないということである。そのもとで原発を稼働するというのはどういうことか、もう一度、考えなければならない。
これについて私は「日本の法令で定められた1年1ミリシーベルトという限度を守れ」と言ってきているが、アメリカの雑誌やICRP(外国のNPO)を根拠に「日本の子どもたちにもっと被曝させて良い」という意見が絶えない.
なぜ、日本の子どもたちを白人の雑誌や任意団体の判断にゆだねて、日本の法令すら無視しようとするのか、到底考えられることでは無い. 現実に事故による被爆が起きたら、法令よりアメリカの雑誌記事を優先するのではダメなことは言うまでも無い.
その点では「日本の子どもたちの健康を、日本の法令によらず外国の意見に従え」と言う日経新聞、温暖化報道を続けるNHKなどは不買運動を展開しなければならないだろう。ある程度の誤解やミスは仕方が無いが、これほど組織的で長期間、法令を破る行為を続ける「準公的組織」を認めるのは、アウトローを容認するのとほぼ同じである。
「インテリ・アウトロー」とも言える。どのぐらいの被曝でどのぐらいの健康被害がでるかは「学問的に不明」な状態にある。医師が一人一人の患者に照射した場合、かなりの線量まで大丈夫そうだということと、集団が低線量を被曝したときに障害が出るかどうかは別の科学的事象である。
すでに肺のレントゲンを使った児童の集団検診が、白血病を増大させたとされていて、レントゲン検診は選択するようになっている。またウクライナ、ベラルーシの人口が、事故後に、死亡率の増大と出生率の低下で見られることも明らかである。
せっかく原子力安全委員会を廃止して規制委員会を作ったのに、ここに示したように、全く従来の手法やいい加減な論理のもとで原発再開が議論され、基準が作られているのは日本の将来にとって最悪の状態である.
ところで、このシリーズでお話をしたことは専門的なので、本来は「日本のために専門家が」議論しなければならないが、日本の専門家は崩れてしまっている。たとえば、今回の規制委員会でも政府の人選で委員が決まり、検討する委員も「体制派」ばかりである。
そこには「学術的」、「レベルの高い」議論はすべて排斥され、自由で学究的な雰囲気はまったくない。それは日本の「科学の力が弱い」ことによる。私は専門家の一人として何とかこのような状態を教育の改革と技術者の良心に訴えて改善していきたいと思うけれど、再開問題は間に合わない。
相変わらずほぼ「密室」で「推進派」だけで決定し、それを「パブリック・コメント」を求めて、形式を整え、どんな非科学的なことでも強引に通してしまい、事故が起こったら、隠蔽するというプロセスが続いている。
活断層の議論などはまさに「素人だまし」のものであり、このような枝葉末端のことに目を奪われていたら、原発はまた事故を起こすだろう。断固、日本のためにも、子どものためにも、経済のためにも、誠実な社会のためにも一人一人が立ち上がらなければならない。
(平成25年2月1日)
武田邦彦
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班目原子力安全委元委員長を聴取 原発事故で検察当局2013年2月3日 18時32分
東京電力福島第1原発事故をめぐり、業務上過失致死傷容疑などで告訴・告発されている原子力安全委員会(廃止)の班目春樹元委員長から、検察当局が任意で事情聴取したことが3日、関係者への取材で分かった。
同原発で地震や津波対策が尽くされていたかどうかという点に加え、事故後の対応について、説明を求めたとみられる。
検察当局は、既に東電の勝俣恒久前会長ら当時の経営陣のほか、政府関係者から事情聴取を進めており、早ければ今春にも立件の可否を判断する方針。
検察当局は昨年8月に「福島原発告訴団」など複数の団体からの告訴・告発を受理した。 |
緊急論述:原子力発電の安全基準とは?専門家の見解 その3第四に、原発の安全に関する3つの大きな「論理的矛盾」を新しい基準で解決しておく必要がある。
まず、東京で消費する電力を300キロほど離れた新潟と福島で製造し、送電線で東京に送っているのは原発が危険であるからに他ならない. 現実に著者が安全委員会の専門委員の時に強く感じたことだったが、安全投資が議論される時には「どうせ、地方に作るのだから危険でも良い.そのことは金をもらっている地方はわかっている」という暗黙の了解があった。
このことは一見、「経済的」に見えるが、それが今回の福島原発事故の一因になったことは間違いない。地方に作るのだから危険でも良い、その分だけ危険手当を出しているのだから、というのは安全技術上は最も忌避しなければならない考え方である.
「これなら原発は安全だ」という基準は「東京に作っても」なのか、「地方なら」なのかをハッキリ明記する必要がある。もし「東京に作っても安全」と明記されたが、次の原発は、東京、大阪、名古屋にまずは作るべきである。
福島の人は「お金が欲しくて危険を承知で原発を誘致した。大人ならお金をもらえばそれが危険手当であることぐらい知っている」ということは多くの人が心の底に持っていることで、それを福島の人への非難には使いたくないが、これからの被害を無くすためには福島の人もどのように考えていたかを明らかにして欲しい。
「安全を信じていたが、お金は受け取った」というのは理屈に合わない。立派な人は「理屈に合わないお金」は「自分のプライドに反するお金」は受け取らないのは日本の文化でもある。堅気の女性は自分の体が目当てのお金を受け取ることを拒否するはずだ。
第5項目では、現代の日本の工業界において、新設工場から出る廃棄物をその実施者が自ら処理できない状態で運転が認められるというのはおそらく原発だけだろう.水俣病の例を挙げるまでも無く、現代工場はその原料から製品、廃棄物に至るまで100%の責任を実施者がもつからこそ事業である.日本の電力会社は巨大で、人材も豊富、研究費も電力費の0.15%をあてるという好条件にあるのだから、自ら廃棄物の処理をするのは当然である.
今、日本には原発の使用済み核燃料が130万本あると推定されるが、この危険な廃棄物を子孫に送るのは不適切である。「危ない者は子孫に」という考え方は日本の文化には無い。
すでに2012年にはアメリカの新規原発が「廃棄物をしまうところが特定されていない」という理由で建設を止められている。電力会社は自らの行動に責任を持ち、原発を再稼働するなら廃棄物の処理と埋設を自らの力で実施することは最低の義務であるし、社会も電力に甘くすることは日本の発展に良いことでは無い。
私は「子どもを守る」という点から、「危険だから核廃棄物は子どもに任せる」という考えを到底、容認できない。
次に第6項目だが、安全に万全を期している大型客船でも左舷と右舷にすべての乗客を収容できる救命ボートを備えている.原発事故に対しての救命ボートを備えずに原発を再開するのは見識がないとされても仕方が無い.
福島原発事故を「教訓」とするなら、原発事故に備えて、1)避難用のバスを準備する、2)緊急時の住民の避難場所を確保する、3)原子炉への注水設備を強化する(必要な水量を注水できるようにする)、4)疎開用の学校を建設しておく、5)食品・瓦礫などの汚染限度を定めておく、6)除染方法を技術的に確定しておく、7)緊急時の赤ちゃん用の水を準備しておく、など多数が未着手である。
福島原発事故後、電力幹部と話をしたら、上記の7項目などはまったく電力に関係がないという態度だった。その理由の一つは、原発は国がやっているから国の責任だということと、福島原発は「希な事故」であり、二度と再び起こらないという意識が見えた。
福島以外でも、震度6の地震で7発電所すべてが破壊されているし、茨城の東海第二は全電源が止まって爆発寸前まで行ったと言われている。でもこれらは「闇の中に葬られている」が、それは「電力は心の中では爆発があるだろうと思っている」ことを示している。
どうしても、爆発時の準備が必要だ。
(平成25年2月1日) 武田邦彦
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緊急論述:原子力発電の安全基準とは?専門家の見解 その2第一に、仮に原発がどんな事態になっても原子炉自体が核爆発することはないと言われてきた理由:すなわち「固有安全性」について疑問が残ったままである。このブログでも取り上げたが、福島原発の爆発の後、なぜあれほど必死に注水したのか?(政府はなにを恐れたのか?)原子力の専門家でなければ「メルトダウン」という言葉に恐怖を感じたと思うけれど、メルトダウンは放射性物質の飛散という点では危険では無い。だから、何を恐れて政府が必死に水を掛けたのかまだ不明である。
3号機の爆発の噴煙がなぜ上空に昇ったのかが明確に説明される必要がある。噴煙が上方に上がるためには原発建屋の下部で爆発が起こらなければならず、原発下部には酸素が不足するはずなので、水素爆発の可能性は低い。
一方、原子炉が再臨界に達したとすると、原子炉は破壊されているはずだが、破壊されていないと報道されている。つまり、合理的な説明が無いままである。また誰が報道統制しているのかも不明だが、4号機の爆発映像は定点カメラで福島中央テレビやNHKが保有しているはずだが、公開されていない。
人命と今後の大きな選択に関係するのだから、国民の知る権利の大幅な違反である。
また多重防御については、それが原発の安全の基幹であると繰り返し述べられたにもかかわらず、現実は福島原発、他の原発を含めて多重防御になっていないことが明らかになった.このことについて「詐欺罪」を検討し、誰がどのようにウソをついたのか、そのウソは今後の再開に問題が無いのかを明らかにしなければならない。
体罰問題などであれほど報道をくり返すマスコミは、2011年の大事故と今後の日本の将来に大きな影響を与える、この巨大なウソをまったく追求していない。
核爆発系、電源停止系、テロ系、多重防御系および人為的事故系について、「多重」とは「何重」なのか、具体的にそれぞれについて、どのような「多重防御」が施されているかも曖昧である。
・・・・・・・・・
次に、安全設計には具体的に「どういう状態を安全と言うのか」ということが決まっていないとできない。素人なら「おおよそ安全」ですむけれど、工学的には、基本設計はもちろん、制御系や機器の信頼性、鉄板の厚みからはじめてすべての設計は基本として守らなければならない「数値」が必要である.
これまでは、その基本となる数字は「通常時1年1ミリ、1万年に1度の頻度で起こる事故に対して5ミリを限度とする。原発敷地境界で0.05ミリ」となっていたが、福島原発事故ではあらかじめ決まっていた基準の根幹をいとも簡単に放棄した.これでは安全設計は意味が無かったことになる.
現在進んでいる規制委員会の基準に「守るべき数値」が表面にでていない.仮に「政治的に明らかにできない」という状態で安全基準を決めるなら、また危険な原発を動かすことになろう。
特に規制委員の中には中村委員のように「1年20ミリまで大丈夫」と繰り返し法令や今までの安全基準のもとになる数値を否定している委員がいる。自らの信念から発言しているなら、法令改正を先にしなければならない。このままでは「国家の要職になりたいために政府にゴマをすった」と言われても仕方が無い。
日本のように原子力発電所が海岸線に建設されている場合は、海への放出限界も決めておかないと安全設計はできない。2011年の事故では「無制限に海に放流できる」という方針のもとで行動していたが、常識では考えられないことである。
第三に、2006年の原子力安全委員会の場で「想定外の事故が起こりうること、大量の放射性物質が漏洩し、国民が被曝する」が明記された文章が配られた.この記載は原発の安全性の基幹に触れるもので、実に重要であり、私も質問したが回答は明確では無かった。
当時、この文面がどの段階(安全委員会?首相?閣議?)まで承認されていたのかを明らかにし、それが現在も継続しているのかについての情報を公開する必要がある。「想定外の事故なら被曝はかまわない」という内容だからきわめて重要だ。
また、安全を保つという点では、「想定外」が任意に決定されるなら事故のもとになる。事故の確率の議論では1万年に一度以上の事故を想定しているのに、1000年に一度の事故を「想定外」としたのだから、この問題は明確にする必要がある。
つまり、今回の地震や津波は1000年に一度であると言われているが、安全設計では1万年に1度の事故を想定していたのだから、実は、2011年の事故は想定内の事故であったことは間違いない。安全基準というのはどのような場合を「想定外」というのかもハッキリしておかないと意味を持たない.
(平成25年2月1日) 武田邦彦
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