楽興の時・音の絵

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■樋口隆一編著『進化するモーツァルト』(春秋社)

 本書は、モーツァルト生誕250年にあたる2006年11月、明治学院大学で開催された国際シンポジウム「モーツァルトの大衆性」において、内外の研究者によって発表された論考をテーマ別に再構成したもの。もっとも、それぞれの論考は、活字化するにあたり当日の発表の内容からかなり手を入れたようだ。所収論文は以下のとおり。
 G・グルーバー「2006年の視点から見たモーツァルト受容史」
 M・H・シュミット「音楽祭創設以前のザルツブルクのモーツァルト受容」
 O・ビーバ「モーツァルトとヴィーンの聴衆」
 O・パナーグル「文学におけるモーツァルト像」
 海老澤敏「日本のモーツァルト受容」
 星野宏美「モーツァルトとメンデルスゾーン」
 福田弥「リストがとらえたモーツァルト像」
 M・シュミット「二十世紀ヨーロッパ音楽におけるモーツァルト受容」
 西川尚生「ラノワ・コレクションのモーツァルト資料」
 樋口隆一「日本のモーツァルト伝承」

 興味深かった論及をいくつかとりあげたい。テュービンゲン大学のマンフレート・ヘルマン・シュミットの論文は、タイトルの「音楽祭創設以前」という記述から1920年の第1回「音楽祭」直前のことかと思うとさにあらず、18〜19世紀のザルツブルクの話だった。モーツァルトのオペラのうち生前もっとも成功したのは「後宮からの逃走」で、1784年から死後の1803年にかけて20回上演されている(24頁)。しかし、モーツァルトのヴィーンとプラハで上演された残りのオペラに関しては、作曲者の死後になってようやく上演されるようになった。ザルツブルク初演の年次をみると「劇場支配人」「ドン・ジョヴァンニ」「魔笛」が1797年、「フィガロの結婚」が1798年、「皇帝ティートの慈悲」が1803年…。シュミットは「特徴的なのは、《コシ・ファン・トゥッテ》が欠けていることである。もしこのオペラが、宮廷知識人が支配する故郷から見はなされたのだとすれば、それは、この作品が未だに改善の必要な、不謹慎な出し物だったからにほかならない」(25頁)と指摘する。

 シュミットはまた、「重要なのは、モーツァルトのイタリア語オペラが、ザルツブルクではすべてドイツ語のジングシュピール形式によって、すなわちレチタティーヴォなしで上演されたことである。レチタティーヴォの代わりに、テクストは話し言葉の散文体に変更された。このやり方はドイツ語圏およびボヘミア、ハンガリーにおけるモーツァルト作品の普及に特徴的なものであり、公衆用に作品を移し替える際の一つの指標でもあった。モーツァルトのオペラは宮廷の領域を離れ、市民的聴衆の教養財産となったのである」(25頁)と解明している。以前、ある友人との会話で“モーツァルトのダ・ポンテ三部作は当時、ドイツ語圏でもイタリア語で上演されたのか?”という話題になったが、少なくともヴィーンのような「国際都市」でないザルツブルクではドイツ語で上演されていたということらしい。

 次に、ヴィーン楽友教会のオットー・ビーバの論文は、モーツァルトの予約演奏会の聴衆層について考察している。ビーバは、1784年3月に開かれた3回の「予約演奏会」の会員リストをみると、3回まとめて予約した176人について「そのほとんどが貴族であることから、モーツァルトの聴衆は主に貴族階級であったという誤解をしばしば生んできた」が、実際はそうではなかったという。つまり「演奏会主催者としてのモーツァルトを予約によって財政的に支えていたのは、確かに主に貴族階級だったが、当日券や立ち見席を買った人々は主に市民階級であった。彼らは、予約会員リストには載っていないが、演奏会を実際に聴いたのである」(36頁)、「言い換えれば、モーツァルトの聴衆には貴族階級と市民階級、三回の演奏会すべてを予約購入した人々と一回ごとの演奏会の当日券を購入した人々の両方がいた」(37頁)というわけだ。また、傑作オペラ群が上演された「ブルク劇場は、約630の座席があり、立ち見席は規制ないし限定されていなかった」(同)のであり、「観客の中には上級貴族と下級貴族、上流市民と下層市民が混じっており、それぞれの社会階層は、それぞれ決まった場所に席を定めていた」(38頁)という。

 ザルツブルク大学のオスヴァルト・パナーグルの論文は、モーツァルトが文学者にどう受容されたかについて検討する。具体的には、ゲーテ、F・グリツパルツァー、E・T・A・ホフマン、メーリケ、等々。特に後半では、メーリケ『旅の日のモーツァルト』と、プーシキンの『モーツァルトとサリエリ』の2作品について詳しく考察している。さらに、20世紀の作品では、ヘッセ『荒野の狼』とピーター・シェーファー『アマデウス』の2作品に言及している。ヘッセの作品は未読だが、1927年に書かれたこの小説は「1960年代にはアメリカのヒッピー運動にとってほとんど一種のカルト本にまでなった」(68頁)という話は、今まで知らなかったことであり俄然興味が湧く。

 国立音楽大学名誉教授の海老澤敏の論文は、明治以降の日本のモーツァルト受容史を「8つの変奏曲」という気の利いた見出しのもとに考察している。
 第1変奏 徳育変奏曲
 第2変奏 五月の歌またはモーツァルト、自然を歌う
 第3変奏 アイネ・クライネ・ナハトムジーク――日本人モーツァルト愛好家のモーツァルト初体験曲
 第4変奏 短調変奏曲――日本人モーツァルト愛好家の短調作品偏好
 第5変奏 「私のモーツァルト」――自己告白の拠り所としてのモーツァルト
 第6変奏 映画『アマデウス』の衝撃――<モーツァルト歿後200年>を前にしてのモーツァルト像の変貌
 第7変奏 <歿後200年>映画『アマデウス』の余波――<アマデウス・シンドローム>は続く
 第8変奏 新しい世紀のモーツァルト祝年<生誕250年>の只中で――モーツァルト狂騒曲を奏でた日本
 この8つの柱立てを追うだけでも、百数十年の流れがなんとなく見えてこよう。

 海老澤論文で特に興味を引いたのは、第4変奏にて小林秀雄『モオツァルト』が読者に与えた衝撃を紹介しているところで、「このエッセイの純粋、真正な日本的な性格、生粋の日本語的表現によってか、外国語に訳されたことがなく、また、よしんば外国語に訳されたとしても、いかほどの共感、理解を得られるものか、筆者には予測がつかないのが実態である」(91頁)と、海老澤氏が否定的に描いていることだった。第8変奏では、2004〜06年に日本で刊行されたモーツァルト本は100冊にも及ぶが、「研究書や新しい知見を提示し、モーツァルト理解に貢献したと語れる書物は翻訳本も加えて、10点ほどであろうか」(103頁)とのべ、その他の大半が売らんかなの通俗的なものだったとして「モーツァルト大衆化の時代の到来を物語る現象」と皮肉まじりに慨嘆している。「これは日本に特有な<モーツァルト現象>であるかに思われる」という指摘には考えさせられた。

 以上、本書で特に興味深く読んだ論文を「読書ノート」的にまとめたが、率直にいって、「モーツァルトの大衆性」というテーマにそくして彼の音楽と社会とのかかわりについて考察をくわえたものとしては、海老澤氏のユニークな論文を除いて、外国の研究者のもののほうが総じて面白かった。この本に限らず、日本の音楽学研究者の書くものに、えてして視野の社会的な広がりが感じられないのは、どうしてなのだろうか。

【データ】
 編者:樋口隆一
 発行所:春秋社
 発行日時:2007年11月20日第1刷発行
 本体価格:2500円


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