楽興の時・音の絵

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■新国立劇場演劇公演「ヘッダ・ガーブレル」
2010年9月19日(日)13時開演 新国立劇場小劇場

 新国立劇場の演劇部門の新シーズン。演出家の宮田慶子さんが芸術監督に就任して、「JAPAN MEETS――現代劇の系譜をひもとく」というシリーズをおこなうことになった。宮田さんは「近代以降、日本の演劇は世界の優れた演劇と出会うことで進化を続け、今や縦横無尽に枝を張り巡らせた大木となっています。今こそ、その太い幹をたどり、大きな枝分かれを確認することによって、現在の立ち位置を検証し、未来への財産としたいというのが、このシリーズの趣旨です」と語っている。そのオープニングに取り上げられたのは、近代劇の父とも呼ばれるノルウェーのヘンリック・イプセン(1828〜1906)の「ヘッダ・ガーブレル」。イプセンの作品としては「人形の家」が有名だが、それよりも後の1890年、62歳の時に書かれている。あらすじは以下のとおり。

 亡きガーブレル将軍の娘ヘッダと夫である文化史の研究者ヨルゲン・テスマンが、半年におよぶ新婚旅行から帰ってくる。新居での朝をおばユリアーネ・テスマンやお手伝いのベルテに迎えられたヘッダの表情は暗い。旅行中、テスマンは研究に夢中で、ヘッダは退屈に過ごしていた。そのこと、エルヴステード夫人が夫を捨て、レーヴボルグを追ってこの町にやってきた。テスマンの長年のライバルであるレーヴボルグは、新しい本を出版し、先に帰って来ていたのだ。テスマンはレーヴボルグを家に招き、ブラック将軍が催すパーティーに一緒に出かける。そこでレーヴボルグは酔っぱらい、大事な未発表原稿を落としてしまう。愛と憎しみ、凡庸と非凡、夢と野望――。原稿をめぐるヘッダとテスマン、友人たちそれぞれの想いは、思いがけない結末へと渦巻いていく。(公演パンフレットより)

 日本の近代演劇は、イプセンとともに始まったと言ってよいだろう。1909年に「ジョン・ガブルエル・ボルクマン」が上演されたのに続いて、1911年には島村抱月訳・演出による「人形の家」が上演された。主人公ノラを演じたのは松井須磨子。このあたりの話はもはや演劇史の域をこえて、高校日本史の教科書などにも出てくる。この年の9月、平塚雷鳥が『青鞜』を創刊しており、翌10月号で「ヘッダ・ガーブレル(ガブラー)」の特集が組まれている。まさしく「新しい女」の時代の到来を象徴していた。

 この作品の主人公ヘッダは、おそらくきわめて優れた知性の持ち主だが、当時の社会のなかでは、真面目だが凡庸な学者の妻=専業主婦になるしかなかったという設定。しかも長い新婚旅行のなかで、実は愛情をほとんど感じていない夫の子どもを身ごもったが、夫はそのことに気づいておらず、ますます苛立ちを募らせている。これにたいして、ヘッダと昔恋愛関係にあったと思われるレーヴボルグを追って、ずいぶん年上の男性の後添いになったがそのことに不満を募らせているエルヴステード夫人が訪ねてくる。このエルヴステード夫人こそ「人形の家」のノラに近いと言えようか。終演後のシアタートークで、演出家の宮田慶子さんも語っていたが、ノラの苦悩よりも、むしろヘッダの苦悩のほうが、現代の女性には共感しやすいかもしれない。他方、同じ文化史の学者でありながら、中世手工業にかんする手堅い研究をこつこつ続けるしか能がなく、人間関係の機微についても鈍感な夫ヨルゲンにたいして、レーヴボルクは時代の先端の感覚を嗅ぎ取ることができる天才肌の研究者のようだが、女性関係にはだらしなくアルコール依存症になったようだった。しかし、そのレーヴボルクがエルヴステード夫人の助けを借りて「再起」を果たし、彼の研究が話題になることで、ヨルゲンは手に入れるはずだった大学教員の口が脅かされていることに気づく。また、エルヴステード夫人の登場と、彼女の助力によってレーヴボルグが研究を仕上げたという事実を前に、ヘッダはおそらくエルヴステード夫人に激しい嫉妬に似た感情を抱くようになっていく。イプセンの感情の描き方は実に周到で、その細やかさに息をのむ。さらに、ブラック判事が、レーヴボルクの死に至る経過にヘッダがからんでいることを見抜き、彼女に対して支配的地位にたつようになる。自らの思いのままにふるまおうとしたヘッダが、逆に自らの「自由」な行動によって、次第にがんじがらめに束縛されつつあることを直視せざるをえなくなるというパラドックスが露わになる。その意味で、人間への洞察の深さとスリリングな展開にひきつけられた舞台となった。

 イプセンの原作自体は、岩波文庫版(原千代海訳)で以前に読んだことがあった。今回の上演では新訳を使用した。これは、ノルウェー人女性のペータスにかなり直訳的に訳してもらったうえで、演出家とドラマトゥルグの長嶋氏とが共同で日本語を選びなおしていくという、相当に周到な作業をおこなったそうだ。宮田氏の考えるそれぞれの人物像を、訳語の選択にも生かしていこうという試みだったようで、こういう入念な作業は大いに注目されてよいだろう(台本は『悲劇喜劇』9月号に掲載)。

 大きな額縁のような枠の中に、テスマン夫妻の新居をこしらえた装置のなかでは、手前の部屋と奥の部屋との間に下がっているガーブレル将軍の巨大な肖像画が威圧的な空気を醸しだす。役者はいずれも的確な演技だったのではないか。主人公ヘッダは、あたかもその父親の亡霊の圧迫から逃れようとして、結局果たせずにいるようにも見えてくる。気位が高く奔放なようで、実は強いストレスを感じながら生きているヘッダの人物像を、大地真央は凛とした演技で表現している。彼女の生の舞台はあまり見たことがなかったのだが、さすが宝塚のトップをはってきた人に共通する独特のオーラがあるし、口跡が実にきれいなのもよい。夫ヨルゲンに扮した益岡徹と、天才肌のレーヴボルグに扮した山口馬木也も好対照。さらに、ブラック判事役の羽場裕一は、一見紳士的だが奸知に長けた男を巧みに造型している。七瀬なつみは、以前新国立劇場で観た「屋上庭園/動員挿話」の時を思い出させるややエキセントリックな演技で、エルヴステード夫人の世間知らずの雰囲気が伝わってくる。管理人にとって嬉しかったのは、「バイオニック・ジェミー」の声で昔懐かしい田島令子が、敬虔なクリスチャンで保守的な生活感覚をもつ叔母ユリアーネに扮していたこと。また、お手伝い役には俳優座のベテラン青山眉子が配され、抑制のきいた演技で舞台を引き締めた。

【データ】
 作:ヘンリック・イプセン
 翻訳:アンネ・ランデ・ペータス
    長嶋確
 演出:宮田慶子

 ヨルゲン・テスマン(文化史の研究者):益岡徹
 ヘッダ・テスマン夫人(彼の妻):大地真央
 ユリアーネ・テスマン夫人(彼のおば):田島令子
 エルヴステード夫人:七瀬なつみ
 ブラック判事:羽場裕一
 アイレルト・レーヴボルグ:山口馬木也
 ベルテ(テスマン家のお手伝い):青山眉子


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