楽興の時・音の絵

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■ディーター・ヒルデブラント著(山之内克子訳)『第九――世界的讃歌となった交響曲の物語』(法政大学出版局)

 訳者あとがきによれば、本書には「『第九』にまつわる数多くの驚くべきエピソードを満載し、読書の楽しみを十二分に味わわせてくれる、まさに音楽史小説ともいうべき作品」(『南ドイツ新聞』)という書評が寄せられたという。たしかに音楽史の研究書というよりも、詩人シラーと作曲家ベートーヴェンによって生みだされた『第九』という主人公が、完成・初演の1824年から今日にいたる200年近くの間に、時代のなかで人々にどのように受容され、あるいは受容されなかったかを描いた「小説」という風情の書物だ。

 著者のD・ヒルデブラントは1932年生まれで、ドイツのフリーの著述家。ドイツの有力メディアで演劇批評に携わった後、演劇のドラマトゥルグ(脚本・演出アドヴァイザー)にとりくみ、文筆家としても活躍してきた。そういう特性が発揮されたのだろう。この書物の特色は、ベートーヴェンとともに、いやそれ以上に、シラーとその詩『歓喜に寄す』を重視して扱っていることにある。それも著者の経歴と無縁ではあるまい。

 フリードリヒ・クリストフ・フォン・シラー(1759〜1805年)の来歴に関しては、ヴュルテンベルク公カール・オイゲンとの関係が重要だろう。カール・オイゲンは自身を「啓蒙君主」とみなしていたが、実際は「専制君主」だった(100〜101頁)。シラーは彼の設立した「アカデミー」で学んだが、軍医となった1781年に匿名で公刊した自由主義的な戯曲『群盗』が目をつけられ、戯曲執筆禁止の憂き目に遭う。そのため翌82年9月、シラーはマンハイムに逃亡する。著者は「『もはや戯曲を書いてはならぬ』という禁令こそが、ドイツ最大の劇作家を生み出すことになったのだ」(117頁)としている。興味深いのは、この逃避行のなかでシラーを手助けしたアンドレアス・シュトライヒャーの存在だ。このシュトライヒャーは、のちにウィーンで楽器製造会社「シュタイン兄妹社」を設立して、ベートーヴェンにたいして暖かい友情を注ぐことになる。「彼こそが、シラーとベートーヴェンを結ぶ最初の伏線を敷き、運命の糸をつなぐことになるのだ。このふたりの偉大な芸術家の両方を同時によく知り、生涯を通じて崇拝した人物は、彼をおいてほかにはなかった」(119頁)――ヒルデブラントの巧みな語り口は読者を「音楽史小説」に引き込む。

 シラーの詩『歓喜に寄す』が制作されたのは1785年秋のことだ。では、なぜベートーヴェンは「第九」を締めくくる合唱の歌詞として、この作品を選んだのか。それは「テクストにたいするほとんど宗教的ともいえる信念と、生涯にわたり作者への敬意を抱き続けることを証明したいという気持ち」(137頁)だった。ベートーヴェンの伝記的研究で知られるM・ソロモンの推測によれば、そもそも「少年時代のベートーヴェンを深く印象づけた最初の『シラー体験』とは、おそらく、1782年から83年にかけての演劇シーズンに上演された、『群盗』ならびに『フィエスコ』の舞台であった」(138頁)という。さらに、1787年前後に結成された革新的団体「読書クラブ」での議論も、若きベートーヴェンに刺激を与えた。戯曲『ドン・カルロス』についても、ベートーヴェンは「引用すべき名句の宝庫」とみなしていた(146頁)。時代はフランス革命の影響が全ヨーロッパを覆っていたときだ。『歓喜に寄す』は書き上げられるとほぼ同時に、1786年初頭『ターリア』誌に掲載され、ドイツ全土で大流行していた(128頁)。原詩に接したベートーヴェンは、おそらくイエナ大学で教鞭をとっていたB・フィッシェニヒの助力によって、1793年にはシャルロッテ・シラーから『歓喜に寄す』に曲をつけることへの同意を得ていた(141〜142頁)。その後、いくつかの時期にたびたび「歓喜の歌」の作曲を試みたことが、丹念に紹介される。

 実は、ベートーヴェン以前に、シラーの詩に曲をつけた作曲家も多く、「長年お気に入りだったテクストをとり上げようと思いついた1820年前後には、その詩はすでに、さまざまにかたちを変えながら、なかば流行歌、なかば俗謡として、まさに歌い古されていた」(163〜164頁)のだった。そのことが逆に「この俗謡を真なる讃歌へと生まれ変わらせようという彼の意欲を奮い立たせた」(168頁)という指摘は、面白い着眼点だろう。こうして「例外的に長い潜伏期間」をもちながらも、「第九」の作曲作業そのものは意外にスムーズで「1823年のわずか1年のうちに進められた可能性がきわめて高い」(169頁)という。ところが、巷間伝えられる「第九」初演のエピソードに反し、批評家の反響は芳しくなかった(44〜50頁)。「合唱つき」という大胆な形式の交響曲は、およそ理解の範囲を超えるものだったからだ。こうした「第九」初演にまつわる事実も教えられるところが多い。

 さらに「第九」は、後世の作曲家たちにも影響をあたえているが、これら後進たちの反応は必ずしも賛辞ばかりではなかったというのも面白い。シューマンの反応、ならびに彼とメンデルスゾーンとの論争(230〜235頁)、ベルリオーズの発言(255〜261頁)、さらになぜかゲーテと結びつけて独自の議論を展開したワーグナーの論評(283〜301頁)などが、それぞれ詳しく紹介されている。とりわけ、ワーグナーの「第九」論について、独仏戦争当時の反フランス色の濃いナショナリスティックな言説が引用されているところも、考えさせられる箇所だろう(348〜358頁)。

 「第九」が世界に及ぼした影響の大きさも、著者の該博な知識をもって跡づけられる。それがもっとも奇怪な相貌を与えたのは、ヒトラー政権下のことだった。ベートーヴェンは「ドイツの魂」の象徴とされ、ナチスのプロパガンダに利用された。その頂点が、1942年4月19日、ヒトラー53歳の誕生日の前日に、ベルリンでおこなわれたフルトヴェングラー指揮による「第九」演奏会。のちにトーマス・マンはこの指揮者にたいし「恐るべき詐欺師」(フルフトヴェングラー)という侮蔑的な言葉を投げつけている(402頁)。さらに、マンは戦後の1946年12月末の日記に「スケルツォとアダージョにこれほど感動したことはなかった――そして、浪費された最後の変奏楽章については、やはり好きになることができなかった」という心境を綴る(408頁)。その後、アドルノの助力も得ながら、「第九」のネガというべき曲想をもつ音楽――マーラーの作品を想起しつつ、小説『ファウスト博士』を執筆する(413〜418頁)。ヒトラー政権の記憶は、スタンリー・キューブリック監督の映画『時計じかけのオレンジ』において、主人公アレックスが大虐殺のドキュメンタリー映画を見せられながら「第九」最終楽章によって拷問にかけられるというシニカルな展開によって、新たな形で再現される(423〜430頁)。

 第二次世界大戦後の世界では、「第九」がヨーロッパ讃歌として位置づけられたり、そのスコアがユネスコ「世界遺産」に登録されたりする一方で、極東の島国・日本で愛好され、CDの規格にまで影響を及ぼした(大賀典雄氏のエピソードも登場)。それは「第九」を消費する時代の到来を象徴する。それと対照的に、中国の「文革」では「ベートーヴェンを演奏するものは反動主義者である」「階級闘争を経ずして進歩的で公正な社会をつくり上げることが可能だという幻想を生み出すから」などという、驚くべき非難もくわえられた。こうして「第九」が20世紀にたどった数奇な歴史にふれたうえで、ヒルデブラントは本書の末尾で「9・11」に象徴されるテロと「反テロ戦争」の時代において「互いに抱き合おう、幾千万の人々よ!」と歌う「第九」の意味を、クールな視線で問い直そうとしている。

 本書は注まで含めると500頁近い大著であり、厚さとともに中身も濃い。末尾での著者の問題提起の重さを真摯に受けとめたいと思う。

【データ】
 著者:ディーター・ヒルデブラント
 訳者:山之内克子(神戸市外国語大学教授)
 発行所:法政大学出版局
 発行日時:2007年12月6日 初版第1刷発行
 本体価格:4700円

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