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■小泉純一郎著『音楽遍歴』(日本経済新聞出版局)
初めに断っておくが、評者は、小泉純一郎という政治家については、道路特定財源の一般財源化を公約したことと、日本人拉致被害者の北朝鮮からの帰国を実現させたことは評価するが、イラク問題、靖国問題、「構造改革」路線等々、全体としてその「実績」については支持していない。ただし、小泉氏の首相在任中もしばしばコンサートやオペラの会場で見かけたが、それは良いことだと思ってきた。なかには、荒川静香さんを伴って「トゥーランドット」を観にいくというパフォーマンスでブーイングを飛ばされたこともあったようだが…。
『音楽遍歴』は、まだ現役政治家なので自伝を書く時期ではないと言っている小泉氏が、音楽ネタならと自由闊達に語りおろした書物だ。仕掛け人は「日経」文化部編集委員で音楽ジャーナリストとして知られる池田卓夫氏。文中の注釈も池田氏が付けている。劇画オタクの麻生太郎氏らとともにシーファー米駐日大使とゴルフに興じる映像が流れ、再登板論も折にふれて浮上するなかで、なかなか面妖な本だとも思うが、その語り口は、音楽オタクのおじさんによる自分の好きな音楽についての四方山話という風情だ。音楽論として深みはないが、肩のこらない読みものになって、それなりに面白い。
さて、この書物で初めて知ったのは、第1章にでてくる、小泉少年が中学校の先生の影響を受けて、中学・高校生のころ、一生懸命ヴァイオリンを練習していたという話だ。最初に聴いたクラシック音楽のレコードは、ジノ・フランチェスカッティの弾くメンデルスゾーンとチャイコフスキーの協奏曲(ミトロプーロス指揮ニューヨーク・フィル)だったそうだ。しかし、どうにかベートーヴェンの「ロマンス」を弾けるようになったころ、ハイフェッツの演奏するレコードを聴いて、自分の下手さ加減に愕然とし、それ以後は聴くだけになったと語る。ハイフェッツと自分とを比べるなどというのは、大した心臓だと苦笑させられる。その後も続けていたら、イギリスのヒース元首相や、旧西ドイツのシュミット元首相のように、演奏を録音したかもしれない。ピアノの名手として知られるライス米国務長官とは「音楽談義」をしていないのだろうか。
もっとも、ヴァイオリン音楽については相当入れ込んでいて、この書物のなかでも、19世紀ポーランドのリピンスキや、ベルギーのド・ベリオといった、『音楽中辞典』にも出てこないようなマニアックなヴァイオリン奏者兼作曲家の作品について、薀蓄が語られている。イザイよりヴュータンが好きだという話なども、異論はあろうが、それはそれで面白い。家にいるときの食事中や、移動の車の中など、もっぱら「ながら族」で音楽を聴いているそうだ。
第2章では「オペラは愛である」という小泉氏の持説が滔々と語られる。ドイツのシュレーダー首相(当時)と意気投合し、ワーグナーの聖地バイロイトに招かれて「タンホイザー」を観たというエピソードは有名だが、その話も登場する。イタリア・オペラでは、ヴェルディの中期作品やジョルダーノの「アンドレア・シェニエ」は好きだが、「オテロ」や「ファルスタッフ」は苦手らしい。多少意外だったのは、フランス・オペラで「カルメン」よりも、グノーの「ファウスト」や「ロメオとジュリエット」のほうを高く評価していることだが、再チャレンジしそこなったワーキングプアの話は見たくないのかも知れない。演奏家にこだわらないと言いながら、グルベローヴァを楽屋に訪ねたというミーハー的なエピソードもでてくる。
第3章では、X-JAPANとの交流や、例の訪米時のパフォーマンスで有名になったエルヴィス・プレスリーへの傾倒、エンニオ・モリコーネの映画音楽への心酔などを語っている。
ところで『音楽遍歴』という標題は一見何の変哲もないが、実はミュージカル「ラ・マンチャの男」の主人公である「遍歴の騎士」ドン・キホーテにちなんでいると語っている。その裏の意味は、郵政改革論議のころに「夢は実りがたく、敵はあまたなりとも」で始まる主題歌「見果てぬ夢」を口ずさんでいたというエピソードだそうだから、ちと生臭い。昨年夏、中国地方の山間部にある祖父の墓参りに行ったら、地元の郵便局がなくなっていたのを見ているので、なんとも複雑な思いが残る。小泉氏は、モーツァルトの「ポストホルン」はお好きでなかったのだろうか。
細川護煕元首相はすっかり陶芸三昧のようだが、小泉元首相はまだ音楽三昧とはいかないのだろう。音楽好きの「変人」は、ヴァイオリンの腕は「凡人」のようだし、オペラ好きとはいえ「軍人たち」を見たという話は聞こえてこない。
【データ】
著者:小泉純一郎
発行所:日本経済新聞出版社
発行日時:2008年5月
本体価格:850円
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