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■国立劇場第166回文楽公演・第3部「女殺油地獄」
2009年2月19日(木)18時30分開演 国立劇場小劇場
大阪に比べて、どうも東京では近松作品が掛かりにくいように思われる。今月の国立劇場文楽公演では、第1部で「鑓の権三重帷子」、第3部で「女殺油地獄」と、近松作品が取り上げられた。第1部は午前中なので時間がとれずパスしたが、夜の部で「女殺油地獄」が上演されたのは喜ばしい。1721年(享保6年)7月、近松69歳の時に大坂竹本座で初演されており、近松最晩年の傑作の一つとされている。それこそ教科書にもタイトルが出てくるような有名作品で、歌舞伎や演劇などでもとりあげられる。だが、こういう評価を得るようになったのは、実は歴史の浅いことらしい。
……放蕩の限りを尽くした河内屋与兵衛が豊島屋の女房お吉に借財を断られた末に、凶行に及ぶという惨劇を中心に描き、心中物のような男女の恋心に乏しい内容が、当時はあまり受け入れられなかったようで、初演後は永らく上演が途絶えていました。明治になって近松研究が盛んになると再評価されることになり、まずは歌舞伎で復活し、近代的解釈を含めて、さまざまな脚色がほどこされてたびたび上演され、その人気を不動のものにしました。(公演パンフレットより)
文楽でもそうした状況は同様で、まず1952年にNHKラジオで「豊島屋油店」が8世竹本綱大夫・竹澤弥七の作曲・演奏で素浄瑠璃として蘇演され、ついで1962年に道頓堀文楽座で野澤松之輔の作曲で「徳庵堤」「河内屋内」をくわえて人形浄瑠璃として復活されたという。つまり、人形浄瑠璃として見られるようになったのは、せいぜいこの半世紀ということだ。今回の上演もこの形式でおこなわれている。
今回の上演を見て「女殺油地獄」という作品の現代に通じる新しさ、リアリティを痛感した。その第1は、作品の舞台となった享保期という時代の様相がうかがえることであり、そうした時代に生きる与兵衛やお吉の人物造形のリアリティだ。特に、まじめな人柄で他人を疑うということを知らないお吉の善意が仇になる有様と、その優しさにつけ込む与兵衛の弱さが裏返しになった残忍さ…。「豊島屋油店」の悲劇に向かって物語が凝縮してゆく。その背景には、江戸時代も中期になって商品経済が発達したもとで、カネの呪縛が人の心をとらえ狂わせてしまうという時代状況があることが、鮮やかに浮かび上がってくる。複雑な家族構成のなかで、放蕩を重ねている与兵衛の境遇に忍び難い思いをもっている実母・お沢や継父・徳兵衛の胸中も、丹念に描かれている。
第2は、俳優が演じるのでなく、人形が演じるという文楽特有の制約を逆手にとって、その所作に独特のリアリティが生じていることだ。「豊島屋油屋の段」で油を量るお吉の背後に忍び寄って、カネを奪おうとして脇差で斬りつける与兵衛にたいして、お吉は油桶をひっくり返しながら逃げ惑う。それに追いすがる与兵衛が、血と油が混じってどろどろになった床に足をとられ、何度も滑っては倒れる有様を、人形遣いはこれでもかという程に強調して表現する。そのことによって、惨劇のおどろおどろしさが伝わってくる。この何度も滑って倒れる様子は、役者が演じる舞台ではとうてい表現することが不可能だろう。
そうした作品の魅力に圧倒された公演。桐竹勘十郎の与兵衛がそうした惨劇の状況をリアルに表現して素晴らしい。桐竹紋寿のお吉も抑制がきいていて、かえって彼女の悲劇性を浮かび上がらせている。「豊島屋油屋の段」を担当した豊竹咲大夫の緩急自在の語りが耳に残った。三味線では、人間国宝・鶴澤清治の幅の広い表現による情景描写の妙が印象深かった。
【データ】
《徳庵堤の段》
与兵衛:竹本三輪大夫
お吉:竹本南都大夫
七左衛門・茶屋亭主:竹本文字栄大夫
森右衛門:竹本津国大夫
大尽蝋九:豊竹始大夫
小栗八弥・花車:豊竹睦太夫
小菊:豊竹呂茂大夫
弥五郎:豊竹靖大夫
お清:豊竹咲寿大夫
野澤喜一朗
《河内屋内の段》
中:竹本相子大夫
竹澤団吾
奥:豊竹呂勢大夫
鶴澤清治
《豊島屋油店の段》
豊竹咲大夫
鶴澤燕三
<人形役割>
女房お吉:桐竹紋寿
姉娘お清:桐竹紋吉
茶屋の亭主:吉田玉翔
河内屋与兵衛:桐竹勘十郎
刷毛の弥五郎:桐竹紋臣
皆朱の善兵衛:吉田簑紫郎
天王寺屋小菊:吉田勘弥
天王寺屋花車:吉田簑一郎
会津の大尽蝋九:吉田勘六
山本森右衛門:吉田玉志
豊島屋七左衛門:桐竹紋豊
山上講先達:吉田玉勢
河内屋徳兵衛:吉田玉也
徳兵衛女房お沢:吉田玉英
河内屋太兵衛:吉田玉女
稲荷法印:吉田幸助
妹おかち:豊松清十郎
中娘:吉田玉若
綿屋小兵衛:吉田玉佳
中間:大ぜい
徒士衆:大ぜい
講中:大ぜい
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