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■映画「マリア・カラスの真実」
2009年4月2日(木)渋谷・ユーロスペース2
オペラ好きの人であれば、好悪は分かれるにしても、マリア・カラスが20世紀を代表するディーヴァであることは誰しも認めざるをえないだろう。かくいう管理人も、カラスの大ファンというわけではないが、「ノルマ」や「トスカ」は彼女の歌唱が刷り込みになっているし、「カルメン」も彼女の録音で覚えた口だ。そのドキュメンタリー映画と聞けば、観ないわけにはいかない。
このドキュメンタリー映画の特色は、彼女の周辺にいた証言者に語らせるというのではなく、むしろアーカイブ映像を中心にしながら、本人の生の言葉を中心にして足跡をたどり、構成するという手法をとっていることだ。カラスのオペラの映像は多く残っているわけではないので、録音で残されている音源を流しながら、当時の公演のスチール写真や、保存されている舞台衣装などで画面をつながなくてはならないのは、構成上辛いところだろう。舞台衣装をくるくる回す画面が繰り返し出てくる編集は、もっと何らかの工夫ができないものだろうか、と思ってしまう。
だが、演奏よりも興味深いのは、彼女に対するインタビューが数多く紹介されていることだ。そして、質問に対するカラスの受け答えの当意即妙ぶりは、実に知性的な女性であることを思い知らせてくれる。そこで語られているのは、歌唱技術への高い見識であり、役作りにたいする深い考察だからだ。
例えば、「ノルマ」のレチタティーヴォと、その後のアリア「清らかな女神よ」とで、どのように歌い方を変えなくてはならないか、という彼女の発言は説得的だ。また「演奏はまず表情を作ることだ」という趣旨のカラス自身の説明があったうえで、「カルメン」の演奏会形式(?)の上演でオケが演奏しているときに、自分の出番を待つ彼女の表情を克明に追っている映像(歌う場面は出てこない!)は、抜群に面白い。
1958年、メトロポリタン歌劇場の支配人ビングを口論になり、契約を破棄されてしまった事件については、それが「ノルマ」のような毎度おなじみの演目ではなく、新しい作品を新しい演出でやりたいという、芸術家としての当然の要求に基づくものであったことが率直に語られている。ここでは図らずもMETの営利的体質までが透けて見えてくる。また、1971〜72年、ニューヨークのジュリアード音楽院のマスタークラスでのレッスンの模様なども、以前から知られている映像ではあるが、教育者としてのマリア・カラスという側面を鮮やかに浮かび上がらせている。とりわけ印象深かったのは「アイドルは消費される」という趣旨の発言で、クラシック音楽界にも蔓延する商業主義的風潮にたいして、彼女が違和感を持ち続けていたことを示すものだろう。
同時に、このドキュメンタリー映画は、マリア・カラスを一面的に賛美してはいない。有名な母親との確執や、海運王アリストテレス・オナシスとの関係については、その哀れな末路までも、淡々と描きだしている。1970年代に入ってからのディ・ステファノとの恋愛と別れや、「若手の指導をしたいと思っているが、誰も門戸を叩かない。誰も私を必要としていない」という発言に見られる孤独感などを、カラスの神格化によってごまかすこともなく、さりとてことさらゴシップ的に強調することもなく、事実で語らしめる手法で浮き彫りにしていく。
オペラ映画として見ようとすれば、いささか不満が残る向きもあろう。だが、マリア・カラスの芸術家としての生き方に向きあうことのできる、良くまとまったドキュメンタリー作品と言ってよいだろう。
【データ】
製作:フレデリック・リュズイ
監督:フィリップ・カーリー
語り:フィリップ・フォール
主な登場人物:
ジョヴァンニ・バッティスタ・メネギーニ
アリストテレス・オナシス
ルキーノ・ヴィスコンティ
ピエル・パオロ・パゾリーニ
グレース・ケリー
ジャクリーン・ケネディ
2007年・フランス・98分
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