楽興の時・音の絵

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■新国立劇場オペラ公演――モーツァルト「魔笛」(全2幕、ドイツ語上演)
2009年11月3日(火・祝)14時開演 新国立劇場オペラ劇場

 「文化の日」――このブログを開設して2周年になる。その前夜、東京では「木枯らし1号」が吹いた。「♪寒いわ、寒いわ、恋に木枯らし〜」(byリリーズ)の季節だ。この時期、新型インフルエンザへの効果は疑問視されるが、普通の風邪予防にはうがいが効く。うがい薬(orお茶)をのどに流し込み、天井を見ながら歌をうたうと良い。高い音で歌うとのどの上部、低い音で歌うとのどの奥のほうがよく洗える、そこで、高い方は「魔笛」の夜の女王のアリア「地獄の復習が私の心の中に煮え立つ」、低い方はザラストロのアリア「♪村の鎮守の神様の〜」じゃなくて「この聖なる神殿では」を愛唱している。そうするとエヘン虫がよく取れる。

 とはいえ、実をいうと、モーツァルト・オペラの中で長く「魔笛」を苦手にしてきた。よく言われるように、第1幕と第2幕で話の辻褄が合わないし、だいたいザラストロの説教臭さが苦手だ。人類愛を説くクセに、やけに女性差別的だったり、人種差別的だったりするじゃないか。胡散臭い宗教団体の偽善的な教祖にしか思えない。P.コンヴィチュニー演出のハングルを操るザラストロには、某国の首領様を思い出してちょっと笑えなかったが、そんな見方をされても仕方ない人物だとずっと思ってきた。ザラストロと夜の女王の関係を、子どもの養育権を争う夫婦のように描く演出なども見るようになり、ザラストロ・アレルギーはだいぶ緩和されてきたが、いまだにダ・ポンテ三部作ほどには好んで見る作品ではない。基本的に音楽の美しさを楽しむオペラだと割り切ることにしている。

 それでも新国立劇場のミヒャエル・ハンペの演出の舞台は何度か見ているが、割に良い演出だと思っている。フリーメーソンの雰囲気をそれなりに感じさせつつも、その世界にどっぷり浸かるわけではなく、適度に現代的で、センスのいい美しい舞台と言ってよいだろう。

 今回の歌手陣で圧倒的に優れていたのは、パパゲーノ役のマルクス・ブッカー。この役にしては意外に長身のイケメンだが、声量が豊かで音程も確かだし、なにより歌に表情があり、演技力もあって嫌味がない。呼子の笛で「さくらさくら」を吹いてみたり、「イチ、ニ、サン」と日本語を織り交ぜたりしつつ、観客の心をつかむコミュニケーション能力の高い人だ。パミーナ役のカミラ・ティリングは、色白スレンダーで、美人というよりカワイイ系。若々しく気丈な姫君を素直に演じている。透明感のある美声の持ち主で、第2幕のアリア「私にはわかる」はもっと切々と歌ってほしいが、二重唱などでは美点が発揮されていた。外国人勢では、タミーノ役のステファノ・フェラーリが残念な出来。やや太めとはいえ、そこそこ二枚目のリリック・テノールだが、初日に聴いた知人が「風邪でもひいていたのではないか」と言っていたとおり、この日も高音域が不安定で、ときにすっぽ抜けたような声になっていた。フェラーリのエンジンは不調だったか…。

 日本人歌手では、数年前「オランダ人」のダーラントで強い印象を残した松位浩がザラストロ役で好演したのが収穫。音程も正確だし、深々とした声を聴かせた。夜の女王は若手売り出し中のコロラトゥーラ・ソプラノの安井陽子。第1幕の「畏れるな、わが子よ」ではアジリタの回り方がイマイチで、やや遅めのテンポで慎重な歌い方だったが、第2幕のアリアは最高音も当たって健闘。ただ、この人は若いうえに童顔なので、夜の女王としては迫力に欠ける感じは否めない。他方、出番は少ないが強い印象を残したのは、パパゲーナ役の鵜木絵里。この人は「コジ」のデスピーナなどでもそうだが、キャラの立つ役を演じると、演技力が冴える。モノスタトスの高橋淳は、以前この役で見たときは「フォー」(←死語)といったギャグを飛ばしていたが、今回はそれを封印しつつ、歌よりも演技で楽しく見せる。二期会の中堅どころを揃えた迫力満点の侍女3人にたいし、童子3人は新国立劇場合唱団メンバーの若手が抜擢されたが、フレッシュな歌唱と演技(半ズボン姿もカワイイ)を見せた。

 指揮のアルフレート・エシュヴェは、チョイワルっぽいヒゲの似合うオヤジだ。たしかネトレプコ&ヴィラゾンの「愛の妙薬」DVDはこの人の指揮だった。オペラハウスで叩き上げ、ウィーンで活躍している中堅実力派だろう。今回は暗譜で指揮していた。東京交響楽団には10-8-6-5-4の対向配置を採用させ、ティンパニを硬めの音で叩かせたが、必ずしもピリオド奏法的ではなく、流麗な音楽づくりに徹する。テンポも中庸、オケを出しゃばらせず、モーツァルトの美しさをひきだす安定感のある演奏だが、もう少し盛り上げるところがあってもよいだろう。とはいえ、まずは良くまとまった公演だったのではないだろうか。

【データ】
 指揮:アルフレート・エシュヴェ
 演出:ミヒャエル・ハンペ
 再演演出:三浦安浩

 ザラストロ:松位浩
 タミーノ:ステファノ・フェラーリ
 弁者:萩原潤
 僧侶:大槻孝志
 夜の女王:安井陽子
 パミーナ:カミラ・ティリング
 侍女1:安藤赴美子
 侍女2:池田香織
 侍女3:清水香澄
 童子1:前川依子
 童子2:直野容子
 童子3:松浦麗
 パパゲーナ:鵜木絵里
 パパゲーナ:マルクス・ブッカー
 モノスタトス:高橋淳
 武士1:成田勝美
 武士2:長谷川顕
 合唱:新国立劇場合唱団(合唱指揮:三澤洋史)
 管弦楽:東京交響楽団

■第23回岸本力バス・リサイタル
2009年11月2日(月)19時開演 東京文化会館小ホール

 ロシア歌曲のわが国第一人者と言うべきバス歌手・岸本力による「劇詩人アレクサンドル・プーシキンの愛と自由への憧れ――プーシキンの同名の詩によるロシア・ロマンスの数々」と題したリサイタル。プーシキンの詩は、多くの作曲家が歌曲にしている。今回のリサイタルでは、12の詩を年代順に並べ、同じ詩にたいして違う作曲家が曲をつけたものを2つ聴き比べるという、興味深いプログラムが組まれた。

 登場する作曲家は13人。アレクサンドル・プーシキン(1799〜1837)の詩が、詩人と同時代のアレクサンドル・アリャビエフ(1787〜1851)やミハイル・グリンカ(1804〜1857)から、20世紀の旧ソ連体制の下で活動したドミートリイ・ショスタコーヴィチ(1906〜1975)やその弟子のゲオルギー・スヴィリドフ(1915〜1998)にいたるまで、プーシキンの詩がいかに多くの作曲家の創作意欲をかきたてたか、がよく分かる演奏会となった。一つひとつの詩について、俳優の森山太がその詩のエッセンスを朗読し、村上弦一郎の伴奏によって、岸本が2曲を歌う。このパターンが12回くり返される。

 管理人にとってやはり興味深かったのは、ショスタコーヴィチが曲をつけた8番目の「予感」と、11番目の「私の名が君にとって何になるだろう」の2作品だ。前者はプーシキン没後100年(1937年)の前年にあたる1936年に作曲された「プーシキンの詩による4つの歌曲」Op.46のうちの1曲。冒頭から「ふたたび雨雲がわたしの頭上に ひそかに集まってきた ねたみ深い運命が 不幸をかざして ふたたびわたしを おどしにかかっている」(小林久枝訳)という歌詞で始まる意味深長な作品だ。よく知られているように1936年といえば、スターリンによる「大粛清」の嵐の最中であり、ショスタコーヴィチ自身、1月の「プラウダ」論文でオペラ「ムツェンスク郡のマクベス夫人」が槍玉にあげられた年である。「予感」の標題は「しかし、別離が避けられない 恐ろしい時を予感するので わたしの天使よ、お前の手を これを最後に 急いで握りしめておこう」という一節からきているようだが、プーシキンの詩に仮託して自身の心情を吐露していることは間違いあるまい。

 もう1曲は、1952年作曲の「プーシキンの詩による4つのモノローグ」の中の1曲。「わたしの名がきみにとって何になるだろう? それは消滅してしまうだろう、遠い岸辺に打ちよせる波の悲しいざわめきのように、うっそうとした森の夜の物音のように」(小林久枝訳)と始まるこの作品は、一見恋愛感情を歌ったロマンスのようだが、プーシキン自身の流刑体験が反映しているとされている。1952年といえば、スターリンが死ぬ前年であり、1948年のいわゆる「ジダーノフ批判」をうけて、ショスタコーヴィチがスターリンとソ連共産党の体制を賛美する作品の発表以外ほとんど認められなかった時代である。

 公演パンフレットの伊東一郎氏(早稲田大学教授)の「曲目解説」によると、アレクサンドル・プーシキンは、自由主義的な思想が広まりつつあった19世紀前半のロシアにあって、次第に専制への批判をその政治詩にこめるようになった。すなわち「1819年に頌詩『自由』で専制を批判し…政府の怒りをかい、ついに南ロシアに追放されることになった」「1824年に…あらたに北方のプスコフ県にある母の領地ミハイロフスコエに流刑になる」というように、彼はツァーリ専制にたいする「抵抗詩人」でもあった。1825年のデカブリストの乱では「既に流刑の身であったプーシキンは逮捕を免れた」が、「かつての友人たちの多くは投獄され、処刑された」という。プーシキンといえば、音楽愛好家にとっては「ルスランとリュドミラ」「エヴゲーニイ・オネーギン」「スペードの女王」「ボリス・ゴドゥノフ」「金鶏」をはじめ多くのオペラ作品でなじみ深いが、同時に「抵抗詩人」の側面をあわせもっていた。今回のリサイタルは、サブタイトルにもあるように、そのことを伝える意図も込められていた。岸本力氏は「私が、プーシキンの詩の世界に感動するのは、彼が常に純粋な〈永遠の愛〉を求め続け、政治的圧力により、不平等に差別された人々を救うため、体制批判を訴えたからです」と記している。そうしたプーシキンの詩の世界と、それがロシアの作曲家たちの創作意欲をかきたて、部厚い層をなす歌曲群を残したことの重みを明らかにした点で、ユニークな企画だった。

 同時に、今回は24曲中11曲が日本初演という意欲的な企画であり、なかでもメトネルの作品が多く演奏されている。メトネルといえば、最近ようやくピアノ曲が広く知られるようになってきたが、歌曲のピアノ・パートは「ラフマニノフの作品よりテクニック的に難曲でありながら、ロシア的哀愁に溢れていて、素晴らしい作品が多い」(岸本氏)ことの認識を新たにした。岸本の深みのある歌唱とともに、息のあった伴奏でささえた村上のピアノ、落ち着きのある森山の朗読が、三位一体の効果を発揮していた。

【データ】
 バス:岸本力
 ピアノ:村上弦一郎
 朗読:森山太
 <曲目>
 1.薔薇(1815年作)
  グリンカ作曲[1838](1'10")
  メトネル作曲[1913](1'25")
 2.歌人(1816年作)
  ルビンシテイン作曲[1850](2'05")
  メトネル作曲[1913](2'15")
 3.ミューズ(1821年作)
  グラズノーフ作曲[1898](2'35")
  メトネル作曲[1913](3'00")
 4.夜(1823年作)
  ムソルグスキー作曲[1864](2'50")
  メトネル作曲[1918](2'10")
 5.夜の微風(1824年作)
  ダルゴムィシスキー作曲[1830年代末〜40年代初め](3'00")
  メトネル作曲[1918](2'10")
 6.冬の道(1826年作)
  アリャビエフ作曲[1831](3'35")
  スヴィリドフ作曲[1935](2'35")
 7.私の前で歌うな、美しい人よ(1828年作)
  グリンカ作曲(1'10")
  ラフマニノフ作曲(3'40")
 8.予感(1828年作)
  ショスタコーヴィチ作曲[1936](3'00")
  スウィリドフ作曲[1935](3'20")
 9.きみとあなた(1828年作)
  グリリョフ作曲[1840年代](0'50")
  ダルゴムィシスキー作曲[1840年代](1'25")
 10.私はあなたを愛していた(1829年作)
  アリャビエフ作曲[1831](2'05")
  ヴォルコフ作曲[1932](1'45")
 11.わたしの名が君にとって何になるのだろう(1830年作)
  ダルゴムィシスキー作曲[1840年代](2'35")
  ショスタコーヴィチ作曲[1952](2'10")
 12.こだま(1831年作)
  リムスキー=コルサコフ作曲[1897](1'20")
  メトネル作曲[1915](2'50")
 [アンコール]
  よっぱらいの歌
  黒い瞳
  百万本のバラ

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