楽興の時・音の絵

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■新国立劇場オペラ公演――團伊玖磨「夕鶴」
2011年2月6日(日)14時開演 新国立劇場オペラパレス

 「夕鶴」というタイトルを見ると、ある人物のくだらないエピソードを思い出す。この人物は20年以上前、定年を迎える前に仕事をリタイヤしたが、そこそこの退職金が入ったため、退職直後は連日のように、中には怪しげなものもある金融商品や不動産取引の勧誘電話や訪問があった。世はバブル経済の時代。利殖にはほとんど関心がなかったので、最初はまじめに断りを言っていたが、相手もなかなか引き下がらない。彼は高校時代、演劇部で「夕鶴」の運ず役をやったことがある。一度試しに「おかね、おかね、……、分からない、あんたの言うことが何にも分からない」と言ったら、相手のほうもこれは変な所に声をかけて拙かったと思ったらしく、すぐに引き下がった。それに味をしめて以来、この対応を繰り返していた。そのことを「ワシは<つう>になって、勧誘を断ってるんや」と自慢げに語っていた。今なら「振り込め詐欺」の撃退にも役立つかもしれない。実は、こういうアホなことをやっていたのは、ちょうど20年前にぽっくり逝った、管理人のろくでもない父親である。

 閑話休題。管理人は、はっきり言って、團伊玖磨(1924〜2001)という作曲家に、あまり良い印象がなかった。別に「素戔鳴」や「建・TAKERU」のような記紀神話に素材をとった作品がアナクロだからといった理由でも、また「ラジオ体操第2」が嫌いだったからでもない。大阪の衛星都市にある我が出身中学の校歌がこの人の作品なのだが、それが何ともつまらない歌だったからだ。1970年代、郊外のベッドタウンの人口急増地帯に開校した公立の新設校で、5年目に校歌をつくるという話が浮上した。詞は公募のコンクールで生徒の母親の作ったものが入選し、誰かに作曲を依頼することになった。学校側は当初ジャズ・ピアニストのS氏に委嘱したが“校歌など作曲できない”といって固辞されたため、團氏に作曲を依頼することになった。ところがその曲は、中学生でももっとマシな曲をつくるだろうと思うような、やっつけ仕事感のぬぐえない陳腐なメロディー。にもかかわらず、それなりの額の作曲料を支払ったと聞く。幼心に「『おかね』ってそんなにほしいものなの?」と思わざるを得なかった。

 本題に移ろう。「夕鶴」は日本オペラでたぶん一番有名な作品だ。ガキの頃、我が家には伊藤京子さんがつうを演じたLPレコードがあったし、今は作曲者自身が指揮した鮫島有美子さんらのCDも持っているが、前に鮫島さんの舞台を見に行くつもりでチケットをとっていたのに、急な出張で行けなくなったという記憶もある。だから、演劇ではその昔山本安英の「夕鶴」を見ているが、オペラ版の生の舞台を見るのは、実は今回が初めての機会となる。

 そして、正直に告白すると、自分でもまさかと思ったが、第1部の途中から結構ウルウルしてしまった(風邪をうつされないように、サージカルマスクをしていたので、鼻水を隠せたのは良かった)。それは演奏の素晴らしさに負うところが大きい。何といっても釜洞祐子さんの「つう」だ。もともと釜洞さんは好きな歌手だが、その清楚な色香が吉。有名な「つうのアリア」は若干セーブモードのように思われたが、与ひょうに「布を織れ!」と言われて以降、家の外に出て「あたしの与ひょうを引っぱらないで。お願い、お願い、お願いします」というあたりから、歌唱への感情の込め方と演技が真に迫ってくる。抗し難い運命に対して、それでも必死で立ち向かおうとする姿が、実に凛としていて気迫に満ちている。さらに、自らの生命と引き換えに布を織ることを決意する場面での、決然とした芯の強さが見事に表現されている。また、第2部での与ひょうに別れを告げて、舞台奥に飛び降りていくまでの歌唱と演技も素晴らしい。何よりこの人は、日本語の発音がきれいなのが良い。与ひょう役の経種廉彦さんも、正確かつ伸びやかな歌唱とともに、演技面でも過度におバカな感じに陥ることなく好もしい。惣ど役の峰茂樹さん、運ず役の工藤博さんも、ベテランらしく安定感のある歌唱。ことに峰さんは声量も豊かで、悪役としての存在感が際立った。

 くわえて、今回の公演で特筆すべきは、高関健指揮東京交響楽団の演奏だろう。引き締まった演奏で、とくに相澤政宏さんのフルート、荒絵里子さんのオーボエのソロをはじめ木管陣が光っていたし、弦のひんやりとした透明感のある響きも印象的。「物欲の主題」での金管に迫力があり、機織りを表現するハープやパーカッションを含め、作品世界を緻密かつダイナミックに表現していた。CDでは分からない、オケの部分の力強さや細やかな表現がよく伝わってきた。

 栗山民也氏の演出は、下手側に曇ったアクリル板によって温室か何かのような壁をこしらえており、上手の手前につうと与ひょうの家があるが、リアリスティックではなく、かなり抽象的な舞台。舞台の中央には葉の落ちた細い木が1本立っている。下手のアクリル板の壁の一カ所に出入口が設けられており、そこが都市や貨幣経済との出入口を象徴的に表現しているのだろう。先に釜洞さんの演技にふれて書いたが、第1部での「あたしの与ひょうをひっぱらないで」あたりの演技の付け方が実に動的だし、第2部のつうの別れを告げる場面にも惹きつけられた。つうと与ひょうというカップルの感情の動きを丁寧かつ細やかにつくりあげている。舞台はまったく動かないが、白、青、オレンジなどで情景に変化をつける照明も美しい。

 というわけで、たいへん満足度の高い舞台となった。中年オヤジになって心根がずいぶんひねてきたとはいえ、思いがけず「夕鶴」のような作品に素直に感動してしまった自分に驚いた。それはやはり公演の水準が高かったからだろう。團伊玖磨氏についても評価を多少改めることになった。

 ところで「夕鶴」は日本の代表的なオペラにもかかわらず、かつてLD時代に鮫島さんの舞台(鈴木敬介演出)が発売されたが、いまは入手できる映像ソフトがない。これは持論だが、文化庁と新国立劇場は、こういう作品こそ、きちんと映像ソフト化する予算をつけて、海外に発信すべきではないのだろうか。「クール・ジャパン」は漫画やアニメ・ゲームだけではないだろうに――。そのことは最後に強調しておきたい。

【データ】
 指揮:高関健
 演出:栗山民也
 美術:堀尾幸男
 衣裳:植田いつ子
 照明:勝柴次郎
 振付:吾妻徳彌

 つう:釜洞祐子
 与ひょう:経種廉彦
 運ず:工藤博
 惣ど:峰茂樹

 管弦楽:東京交響楽団
 児童合唱:世田谷児童合唱団

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