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オペラ

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■東京室内歌劇場42期第127回定期公演――青島広志:オペラ「火の鳥[ヤマト編]」
2010年9月11日(土)18時開演 東京芸術劇場中ホール

 手塚治虫原作の壮大な長編漫画「火の鳥」のうち「ヤマト編」を、1985年に作曲家の青島広志がオペラ団体「東京室内歌劇場」の委嘱をうけてつくった作品。今回は四半世紀ぶりの再演にあたる。管理人は、手塚治虫は偉い漫画家だとは思うが、あまりこの人の作品に思い入れがなく、学生時代に「ブラックジャック」と「アドルフに告ぐ」を読んだ程度で、まともに「火の鳥」は読んでいない。作品の紹介は以下のとおり。

●手塚治虫のライフワーク『火の鳥』を原作とする悠久の古代日本のロマン
 漫画界の巨星、手塚治虫。そのライフワークである『火の鳥』は、不死の血による生命を持つ火の鳥を軸に、神話の時代から地球滅亡の未来までを描いた人間の愛と生と死をめぐる壮大な物語です。[ヤマト編]は主人公ヤマト・オグナの愛と苦悩をテーマに、「生きること」とは何かを問う、まさにオペラにふさわしい題材です。
●東京室内歌劇場委嘱による人気作曲家 青島広志の若き日の代表作
 オペラ《火の鳥》[ヤマト編]は1985年に東京室内歌劇場が委嘱・初演した作品です。作曲にあたって青島氏は原作に「魔笛」との類似点を見出しました。超越的な火の鳥、美丈夫なオグナ、精悍なタケル、男勝りのカジカなどの登場人物たちに、「魔笛」の声の構成を融合させることで、奥行きあるオペラの様式美を作り上げています。初演後、《火の鳥》[ヤマト編]は、各地でたびたび再演され、彼の代表作となりました。本公演では自ら指揮をつとめます。(以下略)(東京室内歌劇場のホームページから)

 あまり辛いことを書くのは控えておくが、この作品は、物語としても、音楽的にも、さほど面白くなかった。ヤマトの大君は、クマソを滅ぼし彼らの書いている「歴史」を抹殺しようとして、3人の兄ではなく、四男のオグナを向かわせるが、クマソに捕えられてしまい、そこで火の鳥と出会う。やがてオグナは、クマソ・タケルの妹カジカと愛し合うようになるが、オグナはタケルを殺し、逆にカジカに追われる身となる。オグナは火の鳥に救われ、それを飲めば「不老不死」になるという火の鳥の血をもらう。ヤマトでは大君が逝去し、捕えられたオグナとカジカはその古墳に生き埋めにされ「殉死」という結末を迎える。ストーリー全体は、征服者ヤマトがつくりあげる「歴史の物語」にたいして、被侵略者の側からの「正しい歴史」を描こうとしたクマソという対抗関係の中で、両者の攻防を縦軸におき、その両者の男女の間に芽生える恋愛関係を横軸においている。その構図自体は面白い。オペラの先行作品との関係では、上記のように「魔笛」との類似点が指摘されるが、敵対する勢力の男女が愛し合い、最後に死ぬという設定は「アイーダ」などとの類似性も見いだせよう。

 同時に、原作の書かれた1969年は学園紛争やベトナム反戦運動が広がった時代であり、また、オペラの初演された1985年当時は、歴史教科書問題や靖国問題などをめぐってアジア近隣諸国との摩擦が大きく浮上していたときだから、そうした社会状況も視野に入っていたかもしれない。

 しかし、これは原作自体に起因しつつも、それを加藤直の台本が増幅させているようにも思われるが、クマソ(=巨人)の「王」と子分の「長嶋」という人物設定をはじめ、ベタなギャグで笑いをとる姿勢が、作品のあちこちに見えてしまう(同様の理由で実相寺昭雄演出の「魔笛」は苦手)。そのため、逆に物語の世界観に没入できないまま、休憩をはさんで2時間50分を過ごすことになった。

 青島広志の音楽は、全体は軽快なタッチで聴きやすく、R.シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」やオルフの「カルミナ・ブラーナ」、ロッシーニの「ウィリアム・テル序曲」、ウィンナワルツを引用したり、突然バロックオペラ風のコロスが出てきたりするなど、コラージュ的な手法も駆使している。しかし、これは管理人の理解力不足によるものかもしれないが、それらの作品の引用が物語の展開とどう結びついているのか、必ずしも判然としない。

 演奏面では、ヤマト・オグナの行天祥晃と、カジカの赤星啓子の二人が、伸びやかで生きいきとした歌唱と演技を見せていたことは評価しておきたい。

【データ】
 原作:手塚治虫
 台本:加藤直
 作曲:青島広志

 指揮:青島広志
 演出:恵川智美

 ヤマト・オグナ:行天祥晃
 けらい鼻彦:吉田伸昭
 けらい耳彦:鶴川勝也
 兄1:青地英幸
 兄2:根岸一郎
 兄3:堀野浩史
 クマソ・タケル:今尾滋
 カジカ:赤星啓子
 老人(おじい):大澤恒夫
 歌姫:大島洋子
 火の鳥:森川栄子
 ヤマトの大君:鹿野由之
 サルと呼ばれる道化:山本光洋
 小ザル:松原佐紀子
 合唱:東京室内歌劇場合唱団
 管弦楽:シアターオーケストラトーキョー(コンサートマスター:浜野考史)

■サイトウ・キネン・フェスティバル――R.シュトラウス「サロメ」
2010年8月30日(月)19時開演 まつもと市民芸術館

 信州の2日目は、レンタカーで上田市まで足を延ばし「無言館」「信濃デッサン館」に行った後、美ヶ原高原をドライブしてきた。「無言館」は、窪島誠一郎氏により、信濃デッサン館の分館として1997年に開館した美術館。第2次世界大戦中、志半ばで戦場に散った画学生たちの残した絵画や作品、イーゼルなどの愛用品を収蔵・展示している。2008年9月から、無言館第二展示館(「傷ついた画布のドーム」)がオープンした。「無言館」を訪ねるのは3回目だが、第二展示館ができてからは初めて。戦争で若い命を散らした画学生たちの遺作に接するたびに、粛然とした気持ちになる。「信濃デッサン館」は、以前に観たとき以降に内部を改修したようで、説明文が見やすくなっていた。その近くにある前山寺に参拝。ここの「くるみおはぎ」は美味しい。午後は山間の林道を抜けて美ヶ原まで登り、美ヶ原高原美術館を見学。松本に帰着し、夕食を「木曽屋」で済ませてから、まつもと市民芸術館へ足を運ぶ。

 今年のサイトウ・キネン・フェスティバルは、小澤征爾氏の健康問題があって、もともとオペラ公演の指揮は、イスラエル出身の若手指揮者オメール・メイア・ヴェルバーがつとめることになっていた。1981年生まれで、今年29歳、イスラエル歌劇場のレジデントとして経験を積んだ後、ベルリン州立歌劇場やミラノ・スカラ座でダニエル・バレンボイムのアシスタントをつとめており、2011/12年のシーズンから、スペインのバレンシア州立管弦楽団音楽監督に就任することになっている。そういう若い指揮者が抜擢されたことは喜ばしい。ヴェルバーの指揮は、全体に速めのテンポで勢いがよい。サイトウ・キネン・オーケストラは、さすがに名手ぞろいだけあって、公演を4回重ねてアンサンブルもまとまり、特に弦のクリアーの響きが見事。「7つのヴェールの踊り」では、渡辺克也のオーボエソロが冴える。しかしながら、全体として、R.シュトラウス作品にしては官能性、濃厚な艶やかさに欠ける気がした。ヴェルバーの指揮がやや一本調子なので、もう少しタメをきかせるようなところがあってもよかったのではないか。

 今回「サロメ」でタイトルロールをつとめたのはデボラ・ヴォイト。管理人の口の悪い友人が、デボラ・ヴォイト、ジェーン・イーグレン、アレッサンドラ・マークの3人を「世界三大ソプラノ」と呼んでいたことがある。「三大」とは体格がでかいという意味だった。そのヴォイトが、2006年のMET来日公演で「ワルキューレ」のジークリンデを歌ったとき、以前より随分スレンダーになっていたのに驚いた記憶がある。当時聞こえてきた話では、数カ月後に今回のプロダクションと同じシカゴ・リリック・オペラの「サロメ」を歌うことになっていたため、思い切って減量したということだった。その体型を今も維持しており、平均よりはふくよかだが、ビヤ樽からは脱却している。そうでなくてはサロメを演じるには厳しいだろう。ヴォイトの歌唱は、途中セーブモード気味のところや、ヴィブラート過多に思われるところもあり、そうした点に多少不満は残ったが、絶叫型ではなく、愛らしさも感じさせる歌い方だったことは好感をもった。最後のモノローグに山をもってきて、さすがにそこでは場内をひきつけた。

 他の歌手は総じて水準が高かった。ヨハナーンのアラン・ヘルドは、パワーを前面に押し出すが、なおかつ格調のある歌唱。ヘロデ役のキム・ペグリーは、京劇のようなメイク、孔雀の羽根でつくった冠をまとい、演技面で野卑な感じを出しながらも、歌い方は下品にならず一線を守る。ヘロディアスのジェーン・ヘンシェルは、威風堂々たるベテランの風格で、存在感が際立つ。また、ナラボート役の代役で登場したショーン・パニカーというスリランカ系米国人は、端正で伸びやかな歌声が心地よく、予想外によかった。

 女性演出家フランチェスカ・ザンベロの演出は、大きな読み替えはしておらず、オーソドックスなもの。彼女は、時代設定なども特に新しくしていないが、演出ノートに「現代人が《サロメ》の中に見出すのは、鋭く洞察された、ある崩壊した家庭の姿だろう。義理の娘、養父、実母という三角関係は、私たちが日々、日常生活の中で目にしている情景である」としたためており、時代設定を特に新しくしていないが、この作品のもつ普遍性を表現しようとしたのだろう。以前マリインスキー劇場の「リング」来日公演の装置を扱っていたジョージ・シーピン(ツィーピンと表記していたように思う)が担当した舞台装置は、それなりにモダンな印象を与える。舞台中央に半透明のロートのような装置がこしらえられ、そこを「ジョーズ」に出てくるサメ除けの檻のようなゴンドラが上下して、ヨハナーンの幽閉されている地下牢との間を行き来する。ゴンドラ以外の装置が基本的に動かないが、照明の色と当て方によって舞台の印象が変幻自在に変わる。

 演出上目をひく個所もいくつかあった。一瞬だがヨハナーンがサロメを抱きすくめるような動作をとり、この二人が通じ合った局面があったかのような印象を与えたことは、とくに注目されよう。「7つのヴェールの踊り」ではヴォイトも踊るが、それ以外に6人のダンサーが舞うという趣向を採用。この場面で面白かったのは、ヘロディアスの所作が結構細かく付けられ、サロメを触ろうとするヘロデの前に立ちはだかったり、ヘロデのもちだす宝石箱を見て、それを我が物にしようとそっと隠したりするなど、ヘロディアスの嫌らしさが巧みに表現されていたことだ。また、最後にサロメを殺すのは、首切り人ラーマンという設定にしているのも注目した。ただ、全体を通じてのコンセプトは必ずしも明瞭ではないように思われた。

 たいへん気になったのは、客席に空席が目立ったこと。小澤征爾氏が振らないとなると、チケットの売れ行きが落ちるという苦労があったようだ。もっとも、こちらは夏休みの予定の決まるのが遅れても、この公演に接することができるという恩恵を蒙ったわけだが…。それに、若い指揮者に活躍の場が与えられたのは大いに喜ぶべきことだろう。ただ、オーケストラコンサートも下野竜也に交代し、ご自身は一昔前のCM「オー人事」の印象が強いチャイコフスキー「弦楽セレナード」第1楽章しか振らないことになったと聞く。どこの世界も「脱オザワ」はなかなか難しく、一朝一夕ではいかないということだろうか。

 終演後、浅間温泉の宿に戻り、源泉かけ流しの湯でゆっくりと一日の疲れを癒す。翌日(3日目)は、レンタカーで中山道和田宿(長和町)と平出遺跡(塩尻市)を訪ねてから松本に戻り、帰京した。

【データ】
 演出:フランチェスカ・サンベロ
 再演演出:クリスティアン・ラス
 装置:ジョージ・シーピン
 衣裳:タティアナ・ノギノヴァ
 照明:リック・フィッシャー
 振付:ジェーン・コンフォート

 サロメ:デボラ・ヴォイト
 ヘロディアス:ジェーン・ヘンシェル
 ヘロデ:キム・ペグリー
 ヨハナーン:アラン・ヘルド
 ナラボート:ショーン・パニカー(ディミトリ・ピタスの代役)
 ヘロディアスの小姓:キャサリン・ティア
 5人のユダヤ人1:デニス・ピーターソン
 5人のユダヤ人2:マーセル・ベクマン
 5人のユダヤ人3:マシュー・オニール
 5人のユダヤ人4:アーロン・ペグラム
 5人のユダヤ人5:清水宏樹(スティーヴン・ヒュームズの代役)
 兵士1:山下浩司
 兵士2:デニズ・ビシュニャ(スティーヴン・ヒュームズの代役)
 ナザレ人1:青山貴
 ナザレ人2:大槻孝志
 カッパドキア人:町英和
 奴隷:志田雄啓
 ナーマン(首切り人):マークアーサー・ジョンソン
 ダンサー:ヤエル・レヴィティン・サバン/東京シティ・バレエ団

■佐渡裕芸術監督プロデュースオペラ2010――バーンスタイン「キャンディード」
2010年8月8日(日)13時開演 Bunkamuraオーチャードホール

 レナード・バーンスタインの「キャンディード」は、もともと1956年にブロードウェイ・ミュージカルとして初演された作品だ。バーンスタインといえば「ウェストサイド・ストーリー」がダントツに有名だろう。しかし「キャンディード」も、数年前に宮本亜門の演出による公演がおこなわれたし、今年6月には英国のジョン・ケアード演出の公演があったばかりで、日本でも人気が高まりつつある。その作品を、バーンスタインの直弟子でもある兵庫県立芸術文化センター芸術監督・佐渡裕が、ロバート・カーセンの演出によって2006年、パリ・シャトレー劇場で制作された舞台をもってきた。兵庫で7回公演の後、東京で3回公演がおこなわれたその楽日を見た。

 「キャンディード」の原作は、18世紀フランスの哲学者・作家であるヴォルテールの風刺コントだ。岩波文庫版(植田祐次訳『カンディード』2005年初版)のカバーには「人を疑うことを知らぬ純真な若者カンディード。楽園のような故郷を追放され、苦難と災厄に満ちた社会へ放り出された彼がついに見つけた真理とは…。当時の社会・思想への痛烈な批判を、主人公の過酷な運命に託した啓蒙思想の巨人ヴォルテール(1694‐1778)の代表作」と書かれている。あらすじだけを追うと、純真無垢な若者カンディードが養子として育てられているドイツ・ウェストファリアの男爵の屋敷から追放され、ヨーロッパ各地から「新大陸」までを渡り歩くなかで、戦争、天変地異、宗教裁判、殺人、海難などに見舞われながら、人々との関係をつうじて次第に成長していく物語であり、冒険活劇的な作品ともいえる。だが、そのなかには、当時一世を風靡していたライプニッツの「最善説」(オプティミズム)への手厳しい批判を込めつつ、同時に、それとは対極にある「悲観主義」(ペシミズム)にも距離を置きながら、当時の社会への風刺や皮肉が随所に込められた「おとなの物語」と言ってよいだろう。

 このヴォルテールの作品を舞台化しようと考えたのは、米国の劇作家リリアン・ヘルマン(1905〜1984)だった。日本ではジェーン・フォンダ、ヴァネッサ・レッドグレイヴらが出演した映画「ジュリア」(1977年)の原作者として知られていよう。リリアン・ヘルマンは、1950年代のいわゆる「マッカーシズム」の時代に、エリア・カザン(1909〜2003、映画「エデンの東」などの監督)の密告により、共産主義者の嫌疑をかけられ「非米活動調査委員会」の喚問をうけており、彼女のパートナーだった作家ダシール・ハメット(1894〜1961)は収監されている。彼女はそうした時代を鋭く告発する角度から、その素材をヴォルテールの古典に求め、作曲家レナード・バーンスタインとの共同作業に入り、ミュージカルとしてつくりあげた。自由への抑圧にたいして、そして共産主義者やユダヤ人・同性愛者への嫌悪にたいして、それを皮肉った表現が随所に盛り込まれているのは、そうした背景からでもある。

 カナダ出身の演出家ロバート・カーセンは、もともとヴォルテールの原作に太く流れている戦争や封建的身分制、拝金主義への風刺と皮肉にくわえて、リリアン・ヘルマンとバーンスタインが1950年代の米国社会の「陰」の部分への風刺と告発を込めている「キャンディード」という作品のもつ「毒」を、20世紀後半から21世紀にかけてのアメリカを中心とする世界秩序への風刺劇としてよみがえらせた。この舞台が初演されたのは2006年のことだが、それは米国のブッシュ政権が2003年に開始したイラク戦争が泥沼化し、その問題点が誰の目にも明らかになっていた時期だった。カーセンの演出といえば、「東京のオペラの森」で上演された「タンホイザー」や、フェニーチェ歌劇場で上演された「ラ・トラヴィアータ(椿姫)」が印象に残っている。前者は、芸術家が革新的な表現を切り開いていくのは、世間の無理解や権力の抑圧に抗しての作業であることを浮かび上がらせていた。後者は、主人公ヴィオレッタを現代のコールガールのように読みかえ、時代を超えて拝金主義と性の商品化がもたらした悲劇として考えされる舞台だった。こうした読みかえに対しては批判もつきものだが、管理人は作品の本質を鋭くえぐりだした好舞台だったと思っている。そうしたカーセンらしいシャープな問題意識が前面に出た今回の舞台は、やはり上手いし面白い。

 カーセンは、今回の「キャンディード」では、装置の前面を初演当時の1950年代ごろと思われる古くさいテレビの画面の枠にしてしまい、その奥で物語が進行するという設定にした。「キャンディード」序曲が流れるあいだ、下ろされている幕には当時のアメリカの市民生活の様子をとらえた映像(それは当時ドラマなどで日本にも流入した)や、ケネディ米大統領などの政治家たちの姿、さらにはハリウッド・スター――ケネディとの浮き名も流れたことがあるマリリン・モンローのほかに、一瞬だが若き日のロナルド・レーガンの姿が登場するのも皮肉っぽい。テレビ文化は、アメリカから世界に広がったものであり、それはアメリカの「ゆたかな社会」へのあこがれを広げると同時に、60年代〜70年代のヴェトナム戦争や、90年代初頭の「湾岸戦争」などを世界に伝える役割も果たした。こうした舞台設定は、「キャンディード」の物語が、遠い18世紀の話ではなく、われわれの生きてきた時代に重なる普遍性をもったものであることを、分かりやすく伝えてくれる。ヴォルテールだけが、テレビの外側(舞台前方)にいて、画面の中の出来事に解説をくわえるという趣向も面白い。また、クネゴンデがアメリカのセックス・シンボルという役割を負わされたマリリン・モンローのいでたちで登場するところなど、実に巧くはまっている。商業主義へのアイロニカルな視点がそこには伺える。

 そして、さまざまな波乱を経ながら、キャンディードが次第に成長し、最後に「僕らの畑を耕そう」と歌うシーンは、人間は哲学論争に明け暮れるのではなく、しっかり地に足をつけて、自分のできることからやっていこうというメッセージだ。そこに宇宙からみた地球の映像が映し出されることで、戦争や環境破壊、貧困と飢餓など世界の直面する諸問題を、みんなが自分のできることから一歩ずつ足をふみだすことで変えていこうという問題提起を感じ取ることができる。

 実は、この舞台は、2006年にパリ・シャトレー劇場で初演された後、ヨーロッパ各地で上演されたが、2007年にミラノ・スカラ座にもっていったとき、第2幕「豪華客船沈没」の後の「王様たちの舟歌」の場面で、油にまみれた海面に浮かぶ人々を、海水パンツをはいて板切れにつかまる国家元首たち(ブッシュ、ブレア、シラク、ベルルスコーニ、プーチン)の扮装で踊らせたことが物議をかもした。劇場側が上演拒否という話をもちだし、結局はその場面を削除することで折り合いをつけて上演になった。ちなみに当時にニュース記事がこれ。
 http://www.afpbb.com/article/1404813

 今回の日本公演では、当然のことながらこのシーンは復活し、ベルルスコーニに「人権は無視するが、テレビ放映権は手放さない」と言わせたうえに、ブッシュに対して「後任のオバマは日焼けしすぎ」と語る科白をくわえている。「オバマ=日焼け」うんぬんは、失言癖のあるベルルスコーニが実際に吐いた言葉であり、人種差別として問題になったようだが、そういう新しい材料もくわえてますます風刺に磨きをかけている。この場面には爆笑してしまった。表現の自由への干渉に対して反骨精神を発揮する、カーセンの「転んでもただでは起きない」演出家魂が端的に表現されたのではないだろうか。ただし、元国家元首「5人組」の中にフランスのシラクが出てくるのは、この演出の初演がパリだったこともあるだろうし、G8という大国中心の世界秩序の一翼を担ったことは間違いないとしても、彼はイラク戦争には必ずしも賛成していないので、5人にくわえるのが適当かどうかは議論の余地があろう。せっかく日本にもってきたのだから、日本ヴァージョンとしては、オペラ好きの某元首相を登場させるくらいの「毒」があっても良かったように思われる。そんなことをしたら「題名のない音楽会」のスポンサーを降りる石油会社が出てくるかもしれないというのは、よくない冗談だけれど。

 閑話休題。演奏も素晴らしかった。PAを使ってはいるが、佐渡裕指揮の兵庫芸術文化センター管弦楽団が、パワフルかつ軽快で、しかも弦楽器のソロが歌うところはしんみりと聴かせるなど、聴かせどころを心得て巧い。昨年の「カルメン」では、佐渡のつくり響きがやや重たかったので、今回はどうなるかと心配していたのだが、師匠バーンスタインの作品だけに自家薬籠中に収めていることが明確に伝わって、杞憂は吹っ飛んだ。

 歌手とダンサーはそれぞれ、海外でこのプロダクションを経験してきた人たちを引っぱってきたようだが、それだけに、さすがに歌唱面はもちろん、演技も生き生きとしていて見事。キャンディード役のジェレミー・フィンチは、もともとは俳優で、ロンドンでの「キャンディード」公演でもこの役を演じたようだが、ナイーブな青年の雰囲気を表現する。クネゴンデ役のマーニー・ブレッケンリッジは米国出身のオペラ歌手で、やはりプラハやロンドンの公演で同役を演じており、伸びやかな歌声をもち、スレンダーでルックスも吉。さらに、この二人を向こうに回して、歌に踊りに大活躍したのが、オールド・レディ役のビヴァリー・クライン。第2幕「私たちは女」の場面でレビューガールに扮し、クネゴンデやダンサーたちと一緒に踊るシーンのヘタウマさは爆笑もので、その役者根性に脱帽する。あとの歌手・役者たちもいずれも芸達者で、合唱団員も含めてきびきびと動き回り、舞台に一瞬たりとも弛緩した空気が漂わないのは、世界各地をまわして練り上げられているうえに、カーセン本人が日本にもきて周到に演出を付けたことが奏功したのだろう。

 この夏、ちょっと身辺にいろんなことがあって迷っていたのだが、信頼する知人が8月6日の公演をみて絶賛していたので、急遽チケットを入手して観に行った舞台だった。その甲斐あって、上質のエンタテインメントを味わうことができたことを感謝しておきたい。

【データ】
 指揮:佐渡裕
 演出:ロバート・カーセン
 振付:ロブ・アシュフォード
 装置:マイケル・レヴィン
 衣裳:ブキ・シフ
 照明:ロバート・カーセン、ペーター・ファン・プラート
 ドラマトゥルギー:イアン・バートン

 ヴォルテール、パングロス、マーティン:アレックス・ジェニングス
 キャンディード:ジェレミー・フィンチ
 クネゴンデ:マーニー・ブレッケンリッジ
 オールド・レディ:ビヴァリー・クライン
 大審問官、船長、入国審査官、ヴァンデルデンドゥール、ラゴツキ:ボナヴェントゥラ・ボットーネ
 パケット:ジェニ・バーン
 マクシミリアン:デヴィッド・アダム・ムーア
 カカンボ:ファーリン・ブラス
 ドン・カルディナーレ、元イタリア大統領ほか:エイドリアン・ブランド
 たかり屋、元ロシア大統領ほか:サイモン・バタリス
 元アメリカ大統領ほか:フィリップ・ジェイムズ・グレニスター
 ドン・イサカー、元フランス大統領:スティーヴン・ペイジ
 元イギリス大統領ほか:フィリップ・シェフィールド

 管弦楽:兵庫芸術文化センター管弦楽団
 合唱:ひょうごプロデュースオペラ合唱団

■都響スペシャル・コンサートオペラ――スメタナ「売られた花嫁」
2010年7月18日(日)14時開演 サントリーホール

 19世紀のチェコは、ハプスブルク帝国の支配下にあった。そうした政情下にあって、民族独立運動にも参加しつつ、チェコ語によるオペラをつくったのが、交響詩「わが祖国」でも知られるスメタナ(1824〜1884)だった。その代表作「売られた花嫁」は、チェコのオペラハウスの来日公演では時々取り上げられるが、チェコ語という言葉の制約もあってか、日本の団体ではめったに上演されない。序曲や「道化師の踊り」といった曲だけは、オーケストラの演奏会やアンコール・ピースとしてよく演奏される。都響スペシャル・コンサートオペラという企画では、以前「トスカ」が上演されたが、むしろ今回の「売られた花嫁」のように、あまり上演されない作品を割にリーズナブルな値段で提供してくれるのはありがたい。

 コンサート形式ということで、合唱はP席に陣取っているが、サントリーホールの舞台奥(P席の前)に簡単な舞台がこしらえられ、客席も前3列は客を入れず、舞台代わりに使っている。演出は、指揮者のレオシュ・スワロフスキー自ら担当したらしい。歌手は簡単だが演技もするし、踊りの場面は4人のダンサーがつとめている。このダンサーの踊りは、民族舞踊の要素を取り入れたり、新体操やアクロバット的なところもあったり、なかなかの熱演で、チェコの農民たちの踊りや祭りの雰囲気もだしていて良かった(振付・大畑浩恵)。ただし、ビヤホールの親爺の設定で登場したナビゲーターの朝岡聡は「うちのビールより美味いのはサントリーだけ」といったギャグを飛ばしつつ、作品の展開を紹介したが、これはあらすじをパンフレットにしっかり書いておけば、ナビゲーターを置く必要はなかったような気もするが、どうだろうか。それと、第3幕の第2場をかなりカットしたので、ほんらいサーカスの動物のパレードがある場面がなくなったため、ヴァシェクが熊の着ぐるみを着て登場するのはかなり唐突な感じになってしまった。

 指揮者のレオシュ・スワロフスキーはチェコ出身。あのクリスタルガラスの装飾品屋さんとは、別に関係ないらしい。かつて都響の客演指揮者だった故・ズデニェク・コシュラーのもとで、プラハ国民劇場の副指揮者を務めてきたという経歴をもっている。今回の公演では、歌手もすべてチェコやスロヴァキアの劇場で活躍している人たちばかり(相対的にはスロヴァキア国立歌劇場の専属歌手の人が多い)なので、お国モノである「売られた花嫁」という作品は、完全に掌中に入っているのだろう。スワロフスキーの指揮はエネルギッシュで歯切れよく、冒頭の「序曲」からつかみはOK。舞曲のところのテンポ感がよいのは、さすがチェコの指揮者だ。スコアこそ置いているが、おそらくほとんど頭に入っているかのように、キューのタイミングもきびきびしている。都響も、弦の緻密さにくわえて、クラリネット・ソロ(この日は佐藤路世さん)などが好調で、安心して聴いていられる。

 歌手もそれぞれ良かった。頭抜けて凄い歌手がいるというわけではない。マジェンカのアドリアナ・コフートコヴァーは声で圧倒するタイプではないが、感情表現が細やかで的確。その恋人イェニークのルドヴィト・ルドゥハは、前半ややセーブモードで音程が定まりきらない印象だったが、後半では調子を上げて、張りのある声を随所に響かせた。この主人公二人を向こうに回して、なかなかの役者ぶりを見せたのは、少し知恵の回らない青年ヴァシェクに扮するオトカール・クライン。たぶん「魔笛」のタミーノあたりを歌わせるとよさそうなリリックな声質だが、本作ではキャラクターテノールぶりも発揮し、達者な人だ。ちょっと怪しい結婚仲介人のケツァルを演じたヤーン・ガラも、豊かな声に味がある。

 全体としては、水準の高い公演で、楽しめる舞台だった。ただ、惜しまれるのは、もともと残響時間の長いサントリーホールであることにくわえ、照明をかなり下ろしていたせいもあってか、音が響きすぎて、特に第1幕では、お風呂屋さんの中で歌を聴いているような気がするほどだったことだ。その分、チェコ語の独特の雰囲気が伝わりきらなかったかもしれない。

【データ】
 指揮・演出:レオシュ・スワロフスキー

 イェニーク:ルドヴィト・ルドゥハ
 マジェンカ:アドリアナ・コフートコヴァー
 ヴァシェク:オトカール・クライン
 ケツァル:ヤーン・ガラ
 クルシナ:セルゲイ・トルストフ
 ルドミラ:エヴァ・シェニグロヴァー
 ミーハ:フランティシェク・ジュリアチ
 ハータ:ルツィエ・ヒルシェロヴァー
 ナビゲーター:朝岡聡
 ダンサー:三井聡、江田あつし、水那れお、今村たまえ
 子役:秋元萌

 合唱団:二期会合唱団
 管弦楽:東京都交響楽団

■東京二期会オペラ劇場――エクトール・ベルリオーズ「ファウストの劫罰」
2010年7月15日(木)19時開演 東京文化会館大ホール

 東京二期会が「H・アール・カオス」の主宰者・大島早紀子を演出に迎えるのは、3年前のR.シュトラウス「ダフネ」以来のことだ。今回の「ファウストの劫罰」は、もともとゲーテの「ファウスト」にもとづきつつも、そのいくつかの象徴的な場面をとびとびにつなぎ合わせた作品なので、物語の筋にはかなり隙間がある。したがって、演劇的な演出をつけるよりも、ダンサーを登場させて、声楽付き管弦楽曲をベースにしたコンテンポラリー・ダンスの舞台ののようにしてしまうというのは、一つの行き方ではあろう。

 ただし、大島の振付は、前半(第1・2部)を見て、宙づりと芋虫ゴロゴロのオンパレードは、そういえば「ダフネ」もこうだったと思い出したように、率直にいってあまり新味が感じられなかった。それと、階段落ちなどの場面があって、亡くなった劇作家・つかこうへいの「蒲田行進曲」を思い出しつつ、あれは痛そうだなと妙な所に気持ちが行ってしまい、音楽に集中できない。むしろ、後半(第3・4部)で「鬼火の踊り」の妖精が登場するような場面になって、ようやく「H・アール・カオス」のメンバーのダンスの美しさが引き立ってくる。それから、大島の演出で不満がつのるのは、ダンサーの振付が細かいのに対して、歌手の動きがほとんどなく、彼女が指示した形跡がほとんどうかがえないことだ。結局、演出と言っても、自分のチームのダンスを見せることのほうに主眼があるのではないか、と言ったら言葉が過ぎるだろうか。最終場面でも、音楽の静謐さをダンスが邪魔することになっていなかったか。

 歌手については、主要な3人が総じて健闘していた。今回、ダブルキャストのうち、マルグリートは、15日と17日が林美智子、16日と18日が林正子という割り振りになっていた。「ダブル林」だったわけだ。だが、林美智子が体調不良のため、15日も林正子、17日はカヴァーに入っていた小泉詠子がつとめることになったという掲示が出ていた。林美智子さんのファンとしては、彼女の体調のことが気がかりだ(稽古はずっと出ていたそうだから急な変更だが、出産後コンディション維持に苦労しているのだろうか…)。キャスト変更の掲示を見たとき、つい「♪マコ、甘えてばかりでごめんね〜。ミコはとっても幸せなの〜」という歌を思い出してしまったが、我ながら出てくる歌が古いなあ…。林正子さんも好きな歌手なので、この変更に文句はない。彼女はジュネーヴ在住で、ヨーロッパを活躍の場としていることもあって、フランス語の発音に慣れていることは、今回の役にはうってつけだ。「トゥーレの王」や「激しい炎のような愛は」の切々とした歌唱が惹きつけた。演技も自然体で、マルグリートの感情の動きを表現しようとしていた。

 ファウストの福井敬は、演技がいささか単調だが、輝かしい声はいつもながら気持ちがいいし、今回は歌唱の表現が一本調子にならず、ファウストの苦悩を的確に表現していた。メフィストフェレスの小森輝彦は、暗めの声質がこの役にぴったり合っており、歌唱にも安定感がある。

 問題は、ミシェル・プラッソンの指揮にあるように思われた。とくに前半、テンポ感に締まりがなく、なんともゆるい演奏になっており、ベルリオーズの作品にふさわしい切れ味がない。なかでも合唱団とオケのテンポがズレズレになるところが何度も見られたのは、初日とはいえ、リハーサルの不十分さ、指揮者の統率力の不足と言わざるをえないだろう。後半になって、ようやくまとまりが出てきたように思われたが、回を重ねるにつれて修正されていくのだろうか。

 以上、厳しめのことも書いてきたが、演奏会形式で上演されることの多い作品を、こうして舞台化して見せた東京二期会のチャレンジングな姿勢そのものは、大いに評価しておきたいと思っている。

【データ】
 指揮:ミシェル・プラッソン
 演出・振付:大島早紀子
 装置:松井るみ
 衣裳:太田雅公
 照明:沢田祐二

 ファウスト:福井敬
 マルグリート:林正子
 メフィストフェレス:小森輝彦
 ブランデル:佐藤泰弘

 メインダンサー:白河直子
 ダンサー:木戸紫乃、斉木香里、泉水利枝、池成愛、野村真弓

 合唱:二期会合唱団
 児童合唱:NHK東京児童合唱団
 管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団


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