楽興の時・音の絵

相変わらず猛烈に忙しくて、なかなか更新できません。orz

オペラ

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

■新国立劇場オペラ公演――池辺晋一郎「鹿鳴館」
2010年6月25日(金)18時30分開演 新国立劇場オペラパレス

 作家の三島由紀夫(1925〜70)が市ヶ谷の自衛隊の建物で割腹自殺したのは、40年前のことだった。管理人が小学生の時だから、三島文学の何たるかを知っていたわけではないが、事件の異常さは記憶に残っている。中学生か高校生の頃にようやく「潮騒」とか「金閣寺」を読んだが、三島の作品世界にはあまりはまらなかった(でも山口百恵主演の「潮騒」の「その火を飛び越してこい」には思春期の男の子のハートを鷲づかみにされてしまった)のだが、やがて大人になってから「仮面の告白」を読んだり、今回の「鹿鳴館」や「サド侯爵夫人」「近代能楽集」などの戯曲を読んだりした。前にも書いたように、三島の政治思想や行動にはなんら共感を持たないが、彼の戯曲は面白い。人間の毒、心の闇といったものを、見事にえぐって見せていると思うからだ。

 「鹿鳴館」という戯曲は、三島がいわゆる「喜びの琴事件」で文学座と袂を分かつより以前の1956年、劇団創立20周年記念公演のために書き下ろされた。その時のキャストは、杉村春子、中村伸郎、長岡輝子、加藤武といった錚々たる顔ぶれだった。「喜びの琴」の一件以降、文学座での上演を三島が認めず、新派や劇団四季などが上演するようになった。さらに、映画になったり、テレビドラマ化されたりしている。2年ほど前に黒木瞳と田村正和のコンビで放映されたこともあったように記憶する。さて「鹿鳴館」のオペラ化は、新国立劇場オペラ芸術監督だった故・若杉弘氏の発案によるものだという。公演パンフレットの池辺晋一郎氏の一文にも紹介されているが、若杉氏は若い頃、実は文学座に在籍していたことがある。そして、三島の原作をつくり変えるのではなく、科白を割愛して短くするという手法で、今回の上演台本をつくりあげた新国立劇場演劇芸術監督の鵜山仁氏は、やはり文学座の演出家だ。あらすじは以下のとおり。

 明治19年11月3日、天長節。鹿鳴館では影山伯爵主催による舞踏会が行われようとしていた。元は芸者で影山の妻の朝子は、友人の娘顕子の恋人の名を聞き愕然とする。その名は久雄。朝子は反政府派のリーダー清原とかつて恋仲にあり、久雄は二人の間に産まれた子だった。父を恨む久雄が舞踏会で清原の暗殺を計画していることを知った朝子は、未だ愛する清原と息子を助けるために奔走する。しかし、この暗殺計画の首謀者は影山であった。運命の夜、朝子は意を決して舞踏会へ出席する…。(新国立劇場ホームページより)

 三島の原作はよく出来ていると、あらためて実感する。このドラマの縦軸は、男女と親子のそれぞれの愛憎劇だ。主要な登場人物は、影山伯爵、その妻朝子、民権運動のリーダー清原永之輔、その息子久雄の4人だが、この4人それぞれの愛情、そして嫉妬と憎悪が、終幕の悲劇に向かって突き進んでゆく。そして横軸は、政治と人間との関わり方、理想主義と現実主義の相克ということになろうか。さらにいえば、影山夫婦は、今風にいえば「仮面夫婦」だが、どちらもマキャヴェリズム的な思考と行動をする人間ということになろうか。この縦軸と横軸とを交差させつつ、三島は、鹿鳴館の時代を題材にとりながら、明らかに戦後の日本の状況、そこでの外国文化の受容のありようを射程において、それへの批判的省察をくわえている。そして、政治というものに対して、冷徹なまなざしを送っている。影山伯爵の「政治とは他人の憎悪を理解する能力なんだよ。この世を動かしている百千百万の憎悪の歯車を利用して、それで世間を動かすことなんだよ」という科白は、三島の政治観の反映と言えるかもしれない。

 評者としては、今回のオペラ自体が、全体として旧来のオペラ作品へのパロディのように見えるところが印象に残った。愛情など遠の昔に喪失したまま、偽りの夫婦生活を送っている伯爵夫妻という設定は「ばらの騎士」のようでもあり、女主人と女中との関係は「蝶々夫人」の蝶々とスズキとの関係がいびつに変形したもののようにも見える。池辺氏の音楽は、そうした点を意図しているように見えてくる。影山伯爵にはどす黒い感情をもった人物にふさわしい暗い色調の歌を当てているし、清原と朝子の二重唱や、久雄と顕子の二重唱などは、オペラの定番的な甘やかな旋律を演奏させている。しかし、アリアらしいアリアはなく、そういう意味ではワーグナーの楽劇に近いつくり方と言えるかもしれない。音楽全体は、池辺氏らしく決して「前衛」的ではないが、むしろ1920年代頃のプロコフィエフやショスタコーヴィチを彷彿とさせる諧謔味がある。そして、舞踏会の場面で登場するワルツは、ラヴェルの「ラ・ヴァルス」のようなアイロニーを感じさせる。

 歌手はいずれも好演で、とくに朝子役の腰越満美は凛としたたたずまいもあり、すぐれた歌唱を聴かせている。朝子と草乃が、それぞれ腰越と大林智子というコンビだったから「蝶々夫人」のイメージがより強く出たかもしれない。安井陽子、宮本益充、小原啓楼といった若手も健闘している。ただし、影山伯爵の与那城敬は、歌唱にやや硬さがあり、この役を演じるにはまだ若さが前に出る印象があった。沼尻竜典指揮の東京交響楽団は、この初演作をきちんと支えて、シャープで引き締まった演奏を聴かせた。

 鵜山仁の演出は演劇的で面白いが、コロスの面々が演じる「ひょっとこ踊り」は、必死に西洋の物真似をしようとしている日本人を冷笑している意図は伝わるものの、いささかとってつけた感じをぬぐえなかったことを指摘しておく。それと、この演出家はいつもながら回り舞台が好きなようだ。

 ところで、いったいなぜ、若杉弘はこの作品を新国立劇場で取り上げようとしたのだろうか。日本人にとってオペラとは、ヨーロッパで生まれ育った芸術文化の輸入であることは否定できない。ヨーロッパの作品をとりあげ、その演出を取り入れるだけでは、文明開化の明治日本が「鹿鳴館」で踊った19世紀の時代と、根本的には変わらないことになる。もしかすると若杉氏は、ややもすると泰西名画のような保守的な舞台を好む傾向が根強い日本の観客にたいして、そうした問題提起をする意図をもっていたのではないだろうか。

【データ】
 原作:三島由紀夫
 上演台本:鵜山仁
 作曲:池辺晋一郎

 企画:若杉弘
 指揮:沼尻竜典
 演出:鵜山仁

 影山悠敏伯爵:与那城敬
 同夫人・朝子:腰越満美
 大徳寺侯爵夫人・季子:坂本朱
 その娘・顕子:安井陽子
 清原永之輔:宮本益光
 その息・久雄:小原啓楼
 女中頭・草乃:大林智子
 宮村陸軍大将夫人・則子:薗田真木子
 坂崎男爵夫人・定子:三輪陽子
 飛田天骨:早坂直家
 給仕頭:秋本健
 写真師:三戸大久
 女中:増田弓

■新国立劇場オペラ公演――「カルメン」
2010年6月18日(金)18時30分開演 新国立劇場オペラパレス

 新国立劇場運営財団のT女史から「コミュニケーションがとりにくい」という難癖をつけられて、同劇場演劇芸術監督というポストから、この公演の原演出者である鵜山仁が次期は再任されず交代という人事を強行されたのは、2008年のことだった。この顛末が二兎社の芝居「かたりの椅子」(作:永井愛)にも応用されたことは、以前に書いたことがある。(http://blogs.yahoo.co.jp/dsch1963/35980817.html
 鵜山版「カルメン」のプレミエは、その前年2007年だったが、今回の公演パンフレットに、当時のプロダクション・ノートの発言が再録されている。その中の一節「カルメンの人物像、これは何しろ、女性の魔力の集積です。カルメンに限らず、男ならだれもが知っている女性の怖さ――日常的にしばしば経験することですが――(笑)、それは、カルメンというキャラクターのなかで、宝石の原石のような輝きを放っている」という一文を読んで、失笑してしまった。

 それはさておき、管理人は以前、この鵜山版「カルメン」について、かなり辛い評価をしたことがある。(http://blogs.yahoo.co.jp/dsch1963/9985473.html
 この評価について、今回若干修正しておきたい。全体としてはオーソドックスな演出で、必ずしも現代的な問題意識が表れていないという評価は外れていないと思うが、スペインの風俗をとりいれつつ、カルメンとホセの二人に焦点を当てたつくりで、それとしては練られた舞台だという感想をもった。鵜山氏の発言のなかで「ホセとカルメンを晒し者にして、その両極のぶつかり合いを見たい、見せたいという作者の願いが、合唱団(コロス)演ずる民衆の、『こういうドラマを見せてほしい』という欲望を介して、客席の皆さんの欲望と結びつく。第1幕の幕切れで、ヒロインの逃亡を皆が助けようとする場面も、そんな見物の欲望の象徴ですよね」という一節がある。なるほど、合唱団の動きがよく考えられていることは、再見して気づかされた点だった。幕切れは、演出によってはカルメンに身を投げさせるような所作をつける場合もあるが、鵜山演出の場合、奥の闘牛場に向かっていくカルメンをホセが追って刺すという、ごくオーソドックスなつくりになっている。それから、美術が島次郎だったということにあらためて注目した。栗山民也演出「蝶々夫人」もこの人だが、演劇系の演出家に信頼がおかれているということなのだろう。

 演奏については、歌手は多少ばらつきがあったというのが率直な感想。標題役のキルスティン・シャベスは、アメリカのニューメキシコ出身で、カルメンを得意としているそうだが、風貌と名前から想像するに、ラテンアメリカ系だろう。1950〜60年代ごろのアメリカのピンナップガールにでもいそうな、超グラマーなお姐さん。正直なところ、胸の谷間に眼がいってしまう。声質はかなりアルトに近いメゾで、これには好みが分かれるだろうが、低い声に迫力があり、声量も豊かだ。第1幕ではやや音程が上に行き下に行きしていたが、第2幕以降は安定。奔放・情熱的なカルメン像を演技の面でも見せ、威風堂々としていて、なかなか良かったのではないか。

 ドン・ホセ役のトルステン・ケールは、ワーグナーと得意としているらしいドイツ人歌手で、ヘルデン・テノールの声質。管理人は、ホセについては、ホセ・カレーラスのように、もっとリリックな声質、体躯ももう少し小型のほうが好みで、ケールではジークフリートかヴァルターにしか見えないが、高音がしっかり当たってくるので聴いていて気持ちのよい歌唱だ。この主役二人による、第2幕のホセとカルメンの二重唱「つたない踊りをお目にかけます」や、第3幕第2場のフィナーレの二重唱は、舞台に求心力があった。ただし、演技面では大根で、プレミエのトドロヴィッチのほうが良かった。第2幕の「お姫様だっこ」をやめてしまったのは、どうしてだろうか。今回、鵜山氏が「鹿鳴館」にかかっていて、演出助手に再演演出を任せざるをえなかったこともあるのだろうか。

 特筆しておきたいのは、ミカエラ役の浜田理恵の好演。この人はフランスに留学していたこともあって、日本人歌手のなかではフランス語の発音がきれいに聴こえる貴重な存在(管理人はフランス語を習ったことがないので、あくまでそう聴こえるという範囲)。以前、同じ新国立の「ペレアスとメリザンド」でメリザンドを演じたが、「カルメン」のミカエラというのも適役だろう。第3幕の「何が出たって怖くはないわ」でのきめ細やかな歌唱が強く印象に残る。実は鵜山版の初演の時に、ミカエラ役の歌手が堂々とし過ぎて「古女房」のようにしか見えないのでミスキャストと指摘したが、今回の浜田のミカエラには違和感がなかったので、当時の指摘は正しかったとあらためて確信した。

 逆に今回違和感が残ったのは、エスカミーリョ役のジョン・ヴェーグナー。以前、新国立では「サロメ」のヨカナーンを演じたことがあるが、硬質の声で、かなりクセのある歌い方だ。第2幕の「闘牛士の歌」では「トレアドル」とか「ラムール、ラムール」で息を抜いたような歌い方にするなど、独特のケレン味があって、くせ者オヤジ臭が強く漂う。顔もかなりのコワモテ。略歴によると他に演じている役どころは、アルベリヒ、クリングゾール、ドン・ピツァロ、スカルピオといったところだから、元来「悪役商会」系の人なのだ。必殺仕事人に殺されそうな川合伸旺・悪代官風のエスカミーリョというのは、いかがなものだろうか。

 日本人歌手は、前回に続いての平井香織・山下牧子によるフラスキータ・メルセデス姐さんコンビは、カルメンの迫力にはかなわないが、安定した歌唱で綺麗にハモる。前回は不具合だった男声陣も、今回は青山貴(モラレス)、谷友博(ダンカイロ)、大槻孝志(レメンダート)は手堅い出来。そんななかで大ブレーキになっていたのは、スニガ役の長谷川顕。「トーキョー・リング」初演のハーゲンで活躍した頃は素晴らしかったが、ここ数年の音程の悪さは、今回も是正されていない。キャスティングを見た時点で、あっちふらふら、こっちふらふらは、想定の範囲内ではあるのだが…。

 指揮者のマウリツィオ・バルバチーニについては、かなりの問題を感じた。この人のテンポ感と、歌手や合唱団のテンポ感の合っていないところが散見されたからだ。第1幕の児童合唱と明らかにズレていたし、ゆっくり歌いたい歌手(特にカルメン)と、速く進めようとする指揮者のズレもあった。なかでも、第2幕のリーリャス・パスティアの酒場での踊りの場面など、オケの弦が崩れてしまわないかとひやひやさせられた。東フィルにとっては、結構よく演奏している作品だろうから、かろうじて持ちこたえたと思われるが、指揮者が全体をまとめきれず、自分のテンポ感で走っていることがうかがえる。初日ならまだしも、4日目でこういうことが起きるというのは、どうしたものか。前回のデラコートの指揮は、管理人の好みではなかったが、少なくともこういうことはなかった。

 余談を一つ。児童合唱のなかに、背の高い女の子が二人(第3幕第2場で上手の奥にいたお嬢さん)いるが、どちらも小顔で可愛くて、足がとても長い。こういう娘が20年後くらいにオペラの舞台で主役を張るようになるのかな。楽しみにしていよう。もう一つ余談。この日はロビーで「千の風になって」おじさんを見かけた。

【データ】
 指揮:マウリツィオ・バルバチーニ
 演出:鵜山仁

 カルメン:キルスティン・シャベス
 ドン・ホセ:トルステン・ケール
 エスカミーリョ:ジョン・ヴェーグナー
 ミカエラ:浜田理恵
 スニガ:長谷川顕
 モラレス:青山貴
 ダンカイロ:谷友博
 レメンダート:大槻孝志
 フラスキータ:平井香織
 メルセデス:山下牧子
 アンドレ:小田修一
 オレンジ売り:鈴木涼子
 ボヘミアン:宮本俊一

 合唱:新国立劇場合唱団(合唱指揮:三澤洋史)
 児童合唱:NHK東京児童合唱団
 管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

■新国立劇場オペラ公演――R.シュトラウス「影のない女」
2010年5月26日(水)18時開演 新国立劇場オペラパレス

 最近仕事が多忙で、更新が滞りがちになっており、ずいぶん遅れてのエントリーになってしまったが、新国立劇場のニュー・プロダクション「影のない女」を観た。ところで、男はどこか「影のある女」に心ひかれる部分があるのかもしれない。管理人の場合、「影のある女」ということで思い出されるのは、往年のテレビドラマ「寺内貫太郎一家」で篠ひろ子が演じていた小料理屋の女将・涼子さんだ。どこか訳ありの感じを漂わせた藤竜也との間に漂う雰囲気が絶妙で、おとなの男女の世界を垣間見た気がした。

 R.シュトラウスの「影のない女」は、今みてきた「影のある女」とは何の関係もない。ここでいう「影」とは、子どもを産み母親となることのできる能力のことを指している。人間界の皇帝の妻=皇后となった、霊界の王カイコバートの娘のことだ。本来、この皇后が作品の中心に座るはずだろう。だが、今回の演出のドニ・クリエフは、皇后ではなく、バラクの妻を中心に据えるという解釈にたっていた。そして、公演パンフレットのプロダクションノートによれば、バラクの妻は「現実から逃げるため、『こうであって欲しい』という妄想を脳内に構築している一人」であり、「カモシカに姿を変えた皇后、皇帝、皇后を支える乳母、鷹などといったキャラクターはすべて、彼女の幻想の産物であるというのが私の解釈」だとしていた。また「バラクと妻との間には2年半の結婚生活でただの一度も肉体関係がなかったと設定するべきです」とものべていた。

 しかし、この演出のコンセプトは必ずしも成功していない。二人の間に関係がなかったというのは歌詞からみても無理がある。それに、中心に据えられたバラクの妻は、もともとヒステリックな面もあるが可愛げもある人物だと思うが、この演出では終始ヒステリックなだけで、登場人物としてもまったく共感できないキャラクターにさせられている。

 演奏面でも、こうした演出とあいまって、バラクの妻を演じたステファニー・フリーデは、声は良く飛んではくるが、終始一本調子のヒステリックな歌い方で、聴き疲れするだけ。乳母のジェーン・ヘンシェルも、声は大きいが、ヴィヴラート過多の古いタイプの歌い方。これにたいして女声陣では、皇后役のエミリー・マギーが透明感のある伸びやかな歌唱で、特に第3幕が素晴らしかった。男声陣では、皇帝役のミヒャエル・バーバは、終始ぶら下がり気味で安定感に欠ける。一方、バラクを演じたラルフ・ルーカスは、妻に比べてやや存在感に欠けるが、堅実な歌唱を聴かせた。

 エーリッヒ・ヴェヒターという指揮者は、長くドイツのリューベック歌劇場音楽監督を務め、2002年よりデトモルト州立歌劇場の音楽監督に就任しているそうだが、良くも悪くも手堅い。どちらかといえば、筋肉質の音楽づくりで、弱音でのR.シュトラウスらしい艶やかさをもっとほしいという感想をもった。もっとも、日本ではめったに演奏されない(1992年のバイエルン州立歌劇場来日公演以来だという)作品を新国立劇場で取り上げた点は歓迎しておきたい。

【データ】
 指揮:エーリッヒ・ヴェヒター
 演出・美術・衣裳・照明:ドニ・クリエフ
 合唱指揮:三澤洋史
 音楽ヘッドコーチ:石坂宏
 舞台監督:大仁田雅彦

 皇帝:ミヒャエル・バーバ
 皇后:エミリー・マギー
 乳母:ジェーン・ヘンシェル
 霊界の使者:平野和
 宮殿の門衛:平井香織
 若い男:高野二郎
 鷹の声:大隅智佳子
 バラク:ラルフ・ルーカス
 バラクの妻:ステファニー・フリーデ
 バラクの兄弟たち:青戸知、大澤健、加茂下稔
 天上からの声:村松桂子
 生まれざる子どもたちの声/声:
  吉原圭子、國光ともこ、黒澤明子、池田香織、村松桂子、三輪陽子
 侍女:吉原圭子、國光ともこ、池田香織
 夜番たちの声:青戸知、大久保光哉、山下浩司

開く トラックバック(1)

■新日本フィルハーモニー交響楽団トリフォニー・シリーズ第461回定期演奏会
2010年5月23日(日)14時開演 すみだトリフォニーホール

 新日本フィルが音楽監督クリスティアン・アルミンクの任期を2013年まで延長したそうだ。彼が就任して以来、意欲的なプログラミングで気を吐いているが、演奏会形式で(といっても簡単な舞台をつくって)オペラ上演を続けているのも着実に成果を収めてきている。今回は「青い鳥」でおなじみモーリス・メーテルランクの原作による「ペレアスとメリザンド」に挑戦した。その2日目の公演を聴きに錦糸町に出かける。

 錦糸町に着いて北の方を見ると、雨模様の空の下、建設中の東京スカイツリーは、一番上の部分がもやのなかに包まれていた。近くを通りかかった披露宴帰りという風情の大阪弁熟年男性コンビが、やはり北の方角を眺めながら「スカイマークや、スカイマークや」と叫んでいる。思わず「スカイマークは航空会社やがな!」とツッコミを入れたくなったが、ここは東京なのでじっと我慢することにした。

 それはさておき、「ペレアスとメリザンド」は、プログラム・ノートの渡辺和氏の簡にして要を得た解説をそのまま引くと「舞台上、ゴロー以外の登場人物は誰も状況に抗おうとせず、ペレアスとメリザンドの道ならぬ相思相愛も、運命をただ受け入れているよう。そんな中でゴローだけが世間的判断と思い込みで独り相撲し、悲劇を作り出す」ということになる。その物語が「総譜の7割方が弱音」というドビュッシーの精妙な音楽に導かれ、幻想的な雰囲気のなかで展開していく。アルミンク率いるNJPは、やや速めのテンポ設定、全体として抑制のきいた透明感のある軽めの柔らかい音色で、作品世界をしっとりと表現している。評者の率直な感想を言えば、歌のない部分だけでなく、歌の部分でももう少し山谷があってもよいような気がしたが、涼やかな響きで表現しきった点は評価しておきたい。とくに休憩後はドラマの展開に応じた表情の変化がそれなりに出ていた。弦のクリアーな響き、木管の健闘にくわえ、ハープが巧いと思っていたら、この日は若き名手・篠崎和子さんを迎えていたそうで、なるほどと納得。

 田尾下哲の演出には従来あまり良い印象を持ったことがないが、今回、舞台奥のスクリーンに白黒CG映像で森や湖の風景、城のなかの様子を映し出すというスタイルをとったのは、作品世界を壊すことなく、好感が持てた。舞台の手前と奥とに簡単な舞台をつくって、その配置で登場人物の心理的距離感を表現しようとした手法も、適切だったように思う。字幕がCG映像の上方中央という見やすい位置だったことも歓迎したい。

 歌手も総じて穴がなく、粒が揃っていた。ペレアスのジル・ラゴンは前半セーブ・モードだったが、端正で品のよい歌唱。これにたいしてゴロー役のモルテン・フランク・ラルセンが、がっちりした体躯からの明晰な歌声で、直情的な人物像を大きく表現する。兄弟が逆に見えるのはご愛嬌。急きょ大塚博章の降板により代役で登場したクリストフ・フェルは、この役を得意にしているようで、深々とした声に安定感があり、舞台を引き締めた。イニョルドには、リンツ聖フローリアン修道院少年合唱団のメンバーというボーイソプラノのアルイス・ミュールバッヒャーが起用されたが、この少年が実に巧い。ジュヌヴィエーヌのデルフィーヌ・エダンも少ない登場機会だが存在感があるし、医師役の北川辰彦も健闘した。

 多くを海外勢で固めた歌手陣のなかで、メリザンド役は世界に羽ばたく日本のメゾ・ソプラノ藤村実穂子が担当した。藤村といえば、ワーグナー歌いという印象が強いが、正確かつ細やかな歌唱でメリザンド役を格調高く表現した。フランス語にも違和感がなく、技術的な面では文句なし。しかしながら、世の藤村ファン(評者も優れた歌手だと思っている)を敵に回すかもしれないことを蛮勇をふるってあえて書くと、実はミスキャストだったのではないかという印象を、演奏後の今もぬぐえない。というのは、メリザンドという役には、今にも壊れそうな、はかなさや脆さが求められると思うのだが、藤村の場合、舞台で接すると聳え立つような存在感があり過ぎるからだ。長い髪がキーポイントとなるこの作品で、マニッシュなショートカットのヘアスタイルのまま登場したことも、そうした違和感を増幅させる方向に働いたことは否めない。変なたとえで恐縮だが、渡辺淳一原作の映画「失楽園」で、凛子役を黒木瞳ではなく、天海祐希が演じたような感じといえば、分かっていただけるだろうか。

 そんなわけで、駅への途上、公演の成果を反芻しながらも、スカイツリーと藤村実穂子さんとがオーバーラップして見えてきた。彼女に登場してもらうのなら、ペレアスや昨年のオクタヴィアン(ばらの騎士)のような役ではなく、デリラ(サムソンとデリラ)やクリテムネストラ(エレクトラ)のような役で聴いてみたいという思いを増幅させながら、帰路についた。

【データ】
 指揮:クリスティアン・アルミンク
 コンサートマスター:崔文洙
 ペレアス:ジル・ラゴン
 メリザンド:藤村実穂子
 ゴロー:モルテン・フランク・ラルセン
 アルケル:クリストフ・フェル
 ジュヌヴィエーヴ:デルフィーヌ・エダン
 イニョルド:アロイス・ミュールバッヒャー
 医師、羊飼の声:北川辰彦
 合唱:栗友会合唱団
 合唱指揮:栗山文昭
 演出・字幕:田尾下哲
 <曲目>
 ドビュッシー:歌劇「ペレアスとメリザンド」(第1〜3幕100' 第4〜5幕69')

■新国立劇場オペラ公演――ワーグナー「神々の黄昏」
2010年3月24日(水)16時開演 新国立劇場オペラパレス

 キース・ウォーナー演出「トーキョー・リング」の再演も、いよいよ最後の「神々の黄昏」にこぎつけた。ところが残念なことに、今回の公演は開演時間にわずかに遅れたために、序幕はモニターで視聴し、第1幕は客席後方で2時間近く立ちっぱなしという悲惨な目に遭った。というのは、この日は職場で午後会議があり、15時30分に終わればぎりぎり間に合うかと思っていたら、筆者が普段ひそかにカイギスキー公爵(会議が好きで講釈が長い…)と呼んでいる同僚が長広舌を始めて会議が伸びたからだ。タクシーを飛ばしたものの、チケットのもぎりを通過したのが16時03分で、すでにドアが閉められてしまったのだ。「ピット星人と戦うダンよ、地球上ではその3分が待てないのか!」――キリヤマ隊長のように、思わず叫んでしまった(←ウソ)。

 キース・ウォーナーの演出は、今回もフィルムによって映し出される一つの物語という仕立てで一貫している。ギービヒ家は、化学工場のような趣きになっている。食品加工会社という解釈もあるようだが、筆者は薬品関係ととらえた方が筋が通るような気がしている。ハーゲンはさしずめ新薬開発のベンチャー企業の当主といったところか。第2幕では病人で酸素を吸入しているアルベリヒにたいして、ハーゲンは首を絞めて殺してしまう。そのハーゲンがシャブ中毒という設定は、何度見てもショッキングだ。しかし、この演出で何といっても考えさせられるのは、第3幕の「ブリュンヒルデの自己犠牲」だろう。ブリュンヒルデの家だった建物は、まるで石棺のようになっているが、これが実は火葬小屋という設定。ギービヒ家の郎党たちが赤い槍を一つひとつ折っては小屋の窯にくべていき、ブリュンヒルデも槍をおってそれに続く。そして煙の立ちのぼる小屋の窯の中に、ブリュンヒルデはジークフリートの遺骸を押しこみ、さらに最後に自らもその小屋の中に身を投じる。筆者はこの演出から、武力をもって対抗しあうことの愚かさを告発しているかのように受けとったのだが、どうだろうか。そして、最後は、試写会の終わった後の会場のような場面になり、「指環」全4夜が一連の物語の上演であったことを印象づける幕切れとなっている。ただ、「ジークフリートの葬送行進曲」のところは、6年前はジークフリートに相当ねちっこく舞台上を這わせていたように思うのだが、今回は舞台奥にかなり歩いて移動させていたのは、原演出と随分違う印象を受けた。

 演奏について。当夜の演奏で圧倒的だったのは、ブリュンヒルデ役のイレーネ・テオリン。強靭な声と表現力、とりわけ最後の「ブリュンヒルデの自己犠牲」での集中力と求心力に圧倒された。ハーゲン役のダニエル・スメギは、凄みのあるタイプではないが、暗めの声、安定した歌唱でクールな策謀家ぶりを表現する。グンターに扮したアレクサンダー・マルコ=ブルメスターは長身・スレンダーの優男だが、なかなか伸びやかなよく通る声で存在感があった。第2幕の最後の3人によるジークフリート殺害の合議の場面はなかなか凄みがあった。ジークフリートのクリスティアン・フランツも「ジークフリート」に続いて強靭な声を披露したが、第3幕では疲れが出てきたか、弱音が不安定になったのは残念。グートルーネの横山恵子は、6年前の同演出の際の蔵野蘭子に比べて、いささか恰幅がよすぎるが、テオリンやスメギに伍して敢闘賞と言ってよいだろう。ラインの乙女たちの3人もきれいにハモっていて、存在感があった。新国立劇場合唱団も力強い合唱を聴かせ、演技面でも努力していた。

 ダン・エッティンガー&東フィルは、手堅くまとまっており、よく健闘したとは思うが、それでも第3幕ではホルンやトランペットがだいぶ息切れしてきたし、低弦の厚みがもっとほしい。「ジークフリートの葬送行進曲」などは、テンポは遅めなのに、響きに粘りが足りないので、いささか迫力に欠ける印象も残った。とはいえ、前回「ジークフリート」以降N響に替えられた東フィルとしては、今チクルスでの全曲上演は今後への自信につながるのではないだろうか。

【データ】
 指揮:ダン・エッティンガー
 初演演出:キース・ウォーナー

 ジークフリート:クリスティアン・フランツ
 ブリュンヒルデ:イレーネ・テオリン
 アルベリヒ:島村武男
 グンター:アレクサンダー・マルコ=ブルメスター
 ハーゲン:ダニエル・スメギ
 グートルーネ:横山恵子
 ヴァルトラウテ:カティア・リッティング
 ヴォークリンデ:平井香織
 ヴェルグンデ:池田香織
 フロスヒルデ:大林智子
 第一のノルン:竹本節子
 第二のノルン:清水華澄
 第三のノルン:緑川まり
 合唱:新国立劇場合唱団
 管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団


.
dsch1963
dsch1963
男性 / O型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

過去の記事一覧

標準グループ

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!
お肉、魚介、お米、おせちまで
おすすめ特産品がランキングで選べる
ふるさと納税サイト『さとふる』

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事