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■新国立劇場オペラ公演――池辺晋一郎「鹿鳴館」
2010年6月25日(金)18時30分開演 新国立劇場オペラパレス
作家の三島由紀夫(1925〜70)が市ヶ谷の自衛隊の建物で割腹自殺したのは、40年前のことだった。管理人が小学生の時だから、三島文学の何たるかを知っていたわけではないが、事件の異常さは記憶に残っている。中学生か高校生の頃にようやく「潮騒」とか「金閣寺」を読んだが、三島の作品世界にはあまりはまらなかった(でも山口百恵主演の「潮騒」の「その火を飛び越してこい」には思春期の男の子のハートを鷲づかみにされてしまった)のだが、やがて大人になってから「仮面の告白」を読んだり、今回の「鹿鳴館」や「サド侯爵夫人」「近代能楽集」などの戯曲を読んだりした。前にも書いたように、三島の政治思想や行動にはなんら共感を持たないが、彼の戯曲は面白い。人間の毒、心の闇といったものを、見事にえぐって見せていると思うからだ。
「鹿鳴館」という戯曲は、三島がいわゆる「喜びの琴事件」で文学座と袂を分かつより以前の1956年、劇団創立20周年記念公演のために書き下ろされた。その時のキャストは、杉村春子、中村伸郎、長岡輝子、加藤武といった錚々たる顔ぶれだった。「喜びの琴」の一件以降、文学座での上演を三島が認めず、新派や劇団四季などが上演するようになった。さらに、映画になったり、テレビドラマ化されたりしている。2年ほど前に黒木瞳と田村正和のコンビで放映されたこともあったように記憶する。さて「鹿鳴館」のオペラ化は、新国立劇場オペラ芸術監督だった故・若杉弘氏の発案によるものだという。公演パンフレットの池辺晋一郎氏の一文にも紹介されているが、若杉氏は若い頃、実は文学座に在籍していたことがある。そして、三島の原作をつくり変えるのではなく、科白を割愛して短くするという手法で、今回の上演台本をつくりあげた新国立劇場演劇芸術監督の鵜山仁氏は、やはり文学座の演出家だ。あらすじは以下のとおり。
明治19年11月3日、天長節。鹿鳴館では影山伯爵主催による舞踏会が行われようとしていた。元は芸者で影山の妻の朝子は、友人の娘顕子の恋人の名を聞き愕然とする。その名は久雄。朝子は反政府派のリーダー清原とかつて恋仲にあり、久雄は二人の間に産まれた子だった。父を恨む久雄が舞踏会で清原の暗殺を計画していることを知った朝子は、未だ愛する清原と息子を助けるために奔走する。しかし、この暗殺計画の首謀者は影山であった。運命の夜、朝子は意を決して舞踏会へ出席する…。(新国立劇場ホームページより)
三島の原作はよく出来ていると、あらためて実感する。このドラマの縦軸は、男女と親子のそれぞれの愛憎劇だ。主要な登場人物は、影山伯爵、その妻朝子、民権運動のリーダー清原永之輔、その息子久雄の4人だが、この4人それぞれの愛情、そして嫉妬と憎悪が、終幕の悲劇に向かって突き進んでゆく。そして横軸は、政治と人間との関わり方、理想主義と現実主義の相克ということになろうか。さらにいえば、影山夫婦は、今風にいえば「仮面夫婦」だが、どちらもマキャヴェリズム的な思考と行動をする人間ということになろうか。この縦軸と横軸とを交差させつつ、三島は、鹿鳴館の時代を題材にとりながら、明らかに戦後の日本の状況、そこでの外国文化の受容のありようを射程において、それへの批判的省察をくわえている。そして、政治というものに対して、冷徹なまなざしを送っている。影山伯爵の「政治とは他人の憎悪を理解する能力なんだよ。この世を動かしている百千百万の憎悪の歯車を利用して、それで世間を動かすことなんだよ」という科白は、三島の政治観の反映と言えるかもしれない。
評者としては、今回のオペラ自体が、全体として旧来のオペラ作品へのパロディのように見えるところが印象に残った。愛情など遠の昔に喪失したまま、偽りの夫婦生活を送っている伯爵夫妻という設定は「ばらの騎士」のようでもあり、女主人と女中との関係は「蝶々夫人」の蝶々とスズキとの関係がいびつに変形したもののようにも見える。池辺氏の音楽は、そうした点を意図しているように見えてくる。影山伯爵にはどす黒い感情をもった人物にふさわしい暗い色調の歌を当てているし、清原と朝子の二重唱や、久雄と顕子の二重唱などは、オペラの定番的な甘やかな旋律を演奏させている。しかし、アリアらしいアリアはなく、そういう意味ではワーグナーの楽劇に近いつくり方と言えるかもしれない。音楽全体は、池辺氏らしく決して「前衛」的ではないが、むしろ1920年代頃のプロコフィエフやショスタコーヴィチを彷彿とさせる諧謔味がある。そして、舞踏会の場面で登場するワルツは、ラヴェルの「ラ・ヴァルス」のようなアイロニーを感じさせる。
歌手はいずれも好演で、とくに朝子役の腰越満美は凛としたたたずまいもあり、すぐれた歌唱を聴かせている。朝子と草乃が、それぞれ腰越と大林智子というコンビだったから「蝶々夫人」のイメージがより強く出たかもしれない。安井陽子、宮本益充、小原啓楼といった若手も健闘している。ただし、影山伯爵の与那城敬は、歌唱にやや硬さがあり、この役を演じるにはまだ若さが前に出る印象があった。沼尻竜典指揮の東京交響楽団は、この初演作をきちんと支えて、シャープで引き締まった演奏を聴かせた。
鵜山仁の演出は演劇的で面白いが、コロスの面々が演じる「ひょっとこ踊り」は、必死に西洋の物真似をしようとしている日本人を冷笑している意図は伝わるものの、いささかとってつけた感じをぬぐえなかったことを指摘しておく。それと、この演出家はいつもながら回り舞台が好きなようだ。
ところで、いったいなぜ、若杉弘はこの作品を新国立劇場で取り上げようとしたのだろうか。日本人にとってオペラとは、ヨーロッパで生まれ育った芸術文化の輸入であることは否定できない。ヨーロッパの作品をとりあげ、その演出を取り入れるだけでは、文明開化の明治日本が「鹿鳴館」で踊った19世紀の時代と、根本的には変わらないことになる。もしかすると若杉氏は、ややもすると泰西名画のような保守的な舞台を好む傾向が根強い日本の観客にたいして、そうした問題提起をする意図をもっていたのではないだろうか。
【データ】
原作:三島由紀夫
上演台本:鵜山仁
作曲:池辺晋一郎
企画:若杉弘
指揮:沼尻竜典
演出:鵜山仁
影山悠敏伯爵:与那城敬
同夫人・朝子:腰越満美
大徳寺侯爵夫人・季子:坂本朱
その娘・顕子:安井陽子
清原永之輔:宮本益光
その息・久雄:小原啓楼
女中頭・草乃:大林智子
宮村陸軍大将夫人・則子:薗田真木子
坂崎男爵夫人・定子:三輪陽子
飛田天骨:早坂直家
給仕頭:秋本健
写真師:三戸大久
女中:増田弓
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