楽興の時・音の絵

相変わらず猛烈に忙しくて、なかなか更新できません。orz

オペラ

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

■新国立劇場オペラ――ジュゼッペ・ヴェルディ「オテロ」(全4幕)
2009年10月6日(火)18時30分開演 新国立劇場オペラパレス

 新国立劇場オペラ部門の2009/2010シーズンオープニング公演。当初行く予定だった日に仕事が入ったため、チケットを職場の同僚に譲り、あらためて楽日を観ることにしたが、この日は思わぬハプニングがあった。第2幕と第3幕の間の休憩後、女声のアナウンスでまず「開幕が遅れます」とあり、だれかの不具合は察せられたが、20分ほどたって今度は「指揮者のフリッツァが体調不良のため、指揮者が新国立劇場音楽ヘッドコーチの石坂宏に交代します」というアナウンスが流れた。客席は一瞬ざわついたが、ピットに指揮者が登場すると、どこからともなく温かみのある拍手がおこった。石坂の指揮については後で述べるように、フリッツァと明らかにテンポ感が違うことは否めない(特に第3幕)が、ともかく急な代打で後半をまとめた点は敢闘賞としておきたい。終演後、新国立劇場の係員によると「フリッツァは肩を傷めて振れなくなった」とのことで、一説には「右肩の脱臼」らしい。NBSあたりならササチュウ氏が舞台に現れて「おわび」を言うのだろうが、若杉氏亡き後の新国には、そういう体制が整っていない状況も透けて見えてくる。

 それはともかく、今シーズンのオープニング公演は、全体としてまずまず楽しめる水準だった。舞台を牽引したのは、私見では、前半はイアーゴ役のルチオ・ガッロ、後半はデズデーモナ役のタマール・イヴェーリであり、また、アクシデントに見舞われたものの、千秋楽まで全体を統率した指揮者のリッカルド・フリッツァだろう。

 イアーゴ役のルチオ・ガッロは、声の力でぐいぐい引っ張るタイプではないが、クールに奸計をめぐらす知能犯的な人物像を緻密な歌唱でつくりあげ、その場の雰囲気をつくってしまう演技力も素晴らしい。たとえば、第1幕の悪意をこめた乾杯の歌「喉をうるおせ」の場面での顔の表情、第2幕でオテロがデズデーモナを疑い始める場面では、離れたところを歩きながらほくそ笑むといった演技も、性格俳優的で念が入っている。この役最大の聴かせどころである第2幕の「クレード」の歌唱もやや線が細いが、感情過多でなく知的で神経の行き届いた表現だ。

 デズデーモナ役のタマール・イヴェーリ。もともとこの役はノルマ・ファンティーニがやる予定だったが「健康上の理由」で降板し、代役として新国立劇場に初登場した。グルジア出身でまだ若手といってよいが、2003年にポーランド国立歌劇場来日公演で同役を歌い、同年のミラノ・スカラ座来日公演でもアンドレア・ロシュトの裏番で歌っているそうだから、この役に関してはキャリア十分と言ってよいだろう。やや小柄、丸顔で眼が大きいチャーミングな歌手で、同時に若々しい色気も感じさせ、この演出のデズデーモナとしては、ファンティーニ・ファンには悪いが、かえって合っているかもしれない。東欧系らしいやや暗めの声質だが、ヴィヴラートが小さく、音程が正確なのも良い。特に第4幕の「柳の歌」から「アヴェ・マリア」にかけては、歌詞の内容を的確に伝える緻密でしっとりとした表現で、彼女の悲しみを歌いあげ、客席の耳目をひきつけた。後半のフリッツァ降板という困難な状況を建て直したのは、彼女の功績によるところが大きい。

 オテロ役のステファン・グールドについては、すでにあちこちのブログで賛否が分かれているが、管理人も上の2人に比べると評価は微妙。もともとヘルデンテノールなので、ヴェルディ作品には声がいささか堅く、高音がくぐもった感じに聴こえてしまうのだが、疲れもたまっているのか、冒頭の「喜べ!」では最高音がかすれてしまった。第1幕の「愛の二重唱」もどこか上の空。その一方で、第2幕のイアーゴとの「復讐の二重唱」は健闘したし、第4幕のデズデーモナの死を嘆く「恐れることはない」は感情が伝わってくる。楽日ともなると全編フル回転とはいかないのかもしれないが、気合いの入ったところと、力の抜けたところの段差が歴然と分かるのは、どうしたものだろうか。

 カッシオ役のブラゴイ・ナコスキは、長身で若々しく見栄えも良く、この役に合っていると思うが、声の線が細いため、この面子のなかでは沈んでしまった。日本人歌手は今回ほぼ藤原歌劇団勢によって占められたが、そのなかでは、エミーリア役の森山京子が丁寧な歌唱で存在感を示した。

 前半のフリッツァの指揮は、アップテンポでやや前のめりになる感じはあるが、緊迫感が持続し、東フィルから艶やかな音を引き出し、かつ豪快で、聴きごたえがあった。彼はかなり強引なところのある人物のようだが、「マクベス」「アイーダ」に続き、実力の高さを発揮した。ところが上に述べた事情で、第3幕からは指揮者が石坂宏に交代した。この指揮者は初めて見たが、1987年に渡独し、スイス・バーゼル歌劇場、ドイツ・キール歌劇場で専属指揮者を歴任するとともに、89〜2004年にフライブルク国立音楽大学オペラ科講師をつとめ、07年9月より新国立劇場で活動、08年4月より同音楽ヘッドコーチに就任したという。慶応大学出身というから、奇しくも若杉氏の後輩ということになる。ピンチヒッターの指揮が安全運転に徹せざるを得ないのは致し方ないが、第3幕ではオケも歌手も様子見になった感は否めない。もっとも第4幕では、イヴェーリの歌う静かなスローテンポのところを丁寧にリードした点など、要所を締めた点は評価しておきたい。新国立劇場合唱団は、初日を聴いた知人が冒頭の合唱を絶賛していたが、声量はあるしよく揃っていることは認めるけれども、厚みを感じられないのは気のせいか。それから、効果音のPAの音が大きすぎるし、何やらブーンというノイズがずっと聴こえていたのは、どうにかならないか。

 マリオ・マルトーネの演出について。公演パンフレットのプロダクションノートで、マルトーネは「私が特に注視するのはイアーゴです。私にとって、彼を理解するキーワードは『蜘蛛の巣』です。今回の舞台装置が表すのはヴェネツィアという街の空間ですが、それはオテロの心の中の都市であり、あたかも蜘蛛の巣が張っているかのような、迷宮としてのヴェネツィアなのです。といいますのも、この物語におけるヴェネツィアとは、つまり『イアーゴの街』であり、この悪人が君臨する土地であるからです。オテロはそこでは『異邦人』のままです。イアーゴが自分で糸を吐いて作り上げた巣に等しいこの街では、糸の部分が道であり、糸と糸の間の空の部分、それが水の世界になります」と語っている。

 こうして舞台をキプロスではなく、ヴェネツィアにおきかえ、装置を一杯飾り(転換のない舞台セット)にして、舞台上に水をはって運河に見立てるという趣向をとった。また、第2幕では、照明で波のゆらぎをつくりだし、その場面ではデズデーモナがロデリーゴを誘ったり、キャシオとキスシーンを演じたりするといった、主人公の「妄想」を可視化するという手法も見せた。この演出については、賛否両論がありえよう。水路の緑色に濁った水にイアーゴの心の闇が象徴されていることは、第2幕の「クレード」で彼が水をすくって壁に十字を書いたうえで、それに水をかけて消してしまうという行為に、端的に表現されている。神をも恐れぬ人物像の表出と言えるだろう。先にガッロの歌唱についてのべたが、イアーゴの人間像がよく彫琢されているのはマルトーネの演出によるところも大きく、この作品の真の主役がイアーゴであることが明瞭に浮かび上がってくる。同時に、そのことによって逆に、オテロの存在感は薄くなることも事実。また、舞台設定の置き換えの問題としては、ヴェネツィアを舞台にしてしまうと、第3幕でヴェネツィア総督の命令が発せられるところは、舞台設定と歌詞とがちぐはぐになってしまう。オテロの「妄想」という形でデズデーモナのエロスを可視化してみせるのは、演出意図として分からなくもないが、いささか説明過剰な印象も残った。

 来年2月には二期会が白井晃演出で「オテロ」をやることになっているが、さてどうなることやら。

《追記》
 「良家の娘は黒人と駆け落ちすべからず、人妻はハンカチ類を失くさぬよう用心すべし、夫は証拠を十分確認してから嫉妬すべし」――トマス・ライマーという人物が『悲劇管見』(1693年)という書物で「オセロー」の欠陥をあげつらいつつ、この芝居の示す教訓として、こんなウィットを飛ばしたそうである(白水社Uブックス版『オセロー』の渡辺喜之氏の「解説」による)。人種偏見的表現はともかく、オセローが軍人にしてはあまりにだまされやすいことなど、設定の弱点を突いた批評として、なかなか鋭いのではないだろうか。

【データ】
 指揮:リッカルド・フリッツァ
 演出:マリオ・マルトーネ

 オテロ:ステファン・グールド
 デズデーモナ:タマール・イヴェーリ
 イアーゴ:ルチオ・ガッロ
 ロドヴィーゴ:妻屋秀和
 カッシオ:ブラゴイ・ナコスキ
 エミーリア:森山京子
 ロデリーゴ:内山信吾
 モンターノ:久保田真澄
 伝令:タン・ジュンボ

 合唱:新国立劇場合唱団
 児童合唱:NHK東京児童合唱団
 管弦楽:東京フィルハーモニー管弦楽団

■東京室内歌劇場第41期第123回定期公演「往きと復り」「妻を帽子と間違えた男」
2009年9月6日(日)15時開演 第一生命ホール

 東京室内歌劇場が「実験オペラシリーズ」として、ヒンデミットの「往きと復り」と、ミニマル・ミュージックの作曲家マイケル・ナイマンの「妻を帽子と間違えた男」の2作品を上演した。

 ヒンデミットの「往きと復り」は、妻ヘレーネの不倫に気づいた夫ロベルトが、妻を射殺した上で自らも窓から飛び降りるが、そこにひげ面の賢人なる人物が登場し、運命を逆転させると宣言すると、前半の筋書きが逆行してゆき、妻は息を吹き返し、冒頭に戻って何もなかったかのように終わる。まさしく作品が「往復」するわけで、前半約5分、ひげ面の賢人の歌をはさんで、後半約5分、合計11分余りという、何とも人を食った感じの小品だ。

 さて、作品自体もいささか肩すかしを食った感じだが、演奏面では若干不満が残った。ヘレーネの森川栄子は現代音楽を得意としている人だけに、発音も含めて安定していたが、ロベルトの近藤政伸は高音が出ていないし、ひげ面の賢人役の森靖博はとてもドイツ語に聴こえなかったからだ。

 休憩をはさんで後半は、映画「ピアノ・レッスン」の音楽などでも知られるマイケル・ナイマンの作品。台本は「レナードの朝」などを著したイギリスの脳神経科医オリヴァー・サックスの短編集「妻を帽子と間違えた男」。登場人物は患者P氏とその妻、そして治療に当たるドクターSの3人。P氏はバリトン歌手で、音楽大学の声楽の教授という設定になっている。このP氏は「視覚失認症」という障害を抱えている。それは「色や線、単純な形、パターン、動きを見ることはできるが、目にするものを認識したり意味を与えたりすることができない」という症状を示すのだという。その診察の過程で、S医師は、P氏はきちんと楽譜を読めるのかどうかを確認するために、シューマンの歌曲集「詩人の恋」に収められている「僕は恨みはしない」を歌ってもらうことにする。この曲をP氏は完璧に歌いこなすところが、作品の一つの山場になっている。中川賢一氏の解説によれば、そのほかにも、作品のあちこちに、シューマンの作品がかなり変形されて引用されているらしい。言うまでもなく、シューマンは精神を病んでいたが、そのことが作品世界と重なりあわされているのだろう。

 この作品は、周到に計算されてつくられていることは間違いないだろう。ただ、立ち止まって考えてみると、脳神経の障害の事例を、たとえば小川洋子の小説「博士の愛した数式」のようなヒューマンドラマにしているのならともかく、オペラというジャンルで表現することに、どこか無理があるのではないかという印象をぬぐえなかった。演奏についていえば、吉村美樹のP教授夫人、若林勉のP教授はそれぞれ好演だったが、吉田信昭のS博士は不安定だったと言わざるを得ない。

 このように、作品そのものは両方とも心を揺さぶられるに至らなかったが、珍しい実験的な作品を取り上げる東京室内歌劇場の意気込みは評価しておきたい。2つの作品を、精神科医のケーススタディという感じでまとめあげた飯塚励生の演出も、アイデアとしては悪くなかったと思う。

【データ】
 指揮:中川賢一
 演出:飯塚励生

◆パウル・ヒンデミット:オペラ《往きと復り》(11')
 ロベルト:近藤政伸
 ヘレーネ:森川栄子
 エンマおばさん:浦田佳江
 医者:中原和人
 看護人:佐竹敬雄
 女中:坂野由美子
 ひげ面の賢人:森靖博
 インターンアンサンブル:神谷真士、小久保智弘、後藤達也、マレ・ジャン
 東京室内歌劇場アンサンブル
  遠藤剛史(フルート)、伊藤紀江(クラリネット)、豊島かすみ(アルト・サックス)
  成田考司(ファゴット)、小林好夫(トランペット)、中西和泉(トロンボーン)
  朴令鈴、松本康子、大島義彰(ピアノ)、朴令鈴(ハルモニウム)
◆マイケル・ナイマン:オペラ《妻を帽子と間違えた男》(59')
 P教授夫人:吉村美樹
 神経科医S博士:吉田伸昭
 P教授:若林勉
 インターンアンサンブル:
  浦田佳江、坂野由美子、神谷真士、小久保智弘、後藤達也、マレ・ジャン
 東京室内歌劇場アンサンブル
  甲斐史子、小松美穂(ヴァイオリン)、藤原歌花(ヴィオラ)
  増本麻理、中田有(チェロ)、高野麗音(ハープ)、松本康子(ピアノ)

■Bunkamura20周年記念特別企画―ワーグナー・ガラ・コンサート
2009年9月3日(木)19時開演 Bunkamuraオーチャードホール

 7月に佐渡裕指揮の「カルメン」を見て以降、結局、この夏はコンサートに一つも行けなかった。例年の夏枯れになる東京と違って、8月下旬には、ヴィラ=ロボス「ブラジル風バッハ」全曲演奏会とか、細川俊夫「班女」日本初演とか、シュトックハウゼン「グルッペン」とか、聴き逃したくない公演もいろいろあったのだが…。金欠気味なので、ミラノ・スカラ座もパスしてしまった。

 そんななかで久しぶりの演奏会となったのが、Bunkamura20周年記念特別企画なる「ワーグナー・ガラ・コンサート」。いわゆるガラ・コンサートは苦手だが、今回はワーグナーの管弦楽曲2曲にくわえて、演奏会形式ながら「ワルキューレ」第3幕全曲という本格的なプログラム。実は、アラン・タイトス目当てで購入したチケットだったが、体調不良で来日できなくなり、ヴォータン役が急遽ラルフ・ルーカスに変更になったことには、ロビーのあちこちで残念がる声もきかれた。そのラルフ・ルーカスは来シーズンの新国立劇場「影のない女」に出演するがが、筆者は以前、日本フィルの定期演奏会でツェムリンスキー「フィレンツェの悲劇」に出演したのを聴いたことがある。それにしても、ガラ・コンだからか、招待券をたくさん配ったのだろうか、何となくセレブっぽい客層が多かった。

 それにしても、飯守泰次郎が振ると、新国立で聴きなれた東フィルの音が俄然厚みと艶やかさを増してワーグナー・サウンドになるのは大したものだ。それに「ワルキューレ」第3幕も含めて、暗譜で振るというのも驚く。1曲目の「タンホイザー」序曲、2曲目の「トリスタンとイゾルデ〜前奏曲と愛の死」は、いずれもかなり遅めのテンポ設定。筆者はオーチャードホールの1階席だと音が頭の上を飛んでいく気がするので、今回は2階サイドの席を確保したが、低弦が分厚く聴こえてきて、久々のオケの音がずしりと響く。

 しかし、何といっても圧巻は「ワルキューレ」第3幕。東フィルもこの日は金管が好調で、迫力がある。飯守の指揮は、テンポを速めて煽るところは煽る一方で、「ヴォータンの別れ」のようなじっくり聴かせるところはテンポを落とし、コクのある表現をとるなど変幻自在で見事。そして代役のラルフ・ルーカスが意外に良かった。急な登板にもかかわらず、暗譜で歌っていたから、ヴォータン役を十分こなしているということだろう。「魔の炎の音楽」のところで両手を上げ「この中に入るな」という意味を表現するなど、演奏会形式にしては分かりやすい所作も見せていて、堂に入った歌唱だ。ブリュンヒルデのキャスリン・フォスターは表現がやや一本調子だが、声はよく通る。日本人歌手は、昨年の二期会公演に出演した経験を持つ人ばかりだが、増田のり子はスレンダーながら高音がよく伸びてくる。というわけで、なかなか本格的なワーグナー上演となっていて楽しめた。

【データ】
 指揮:飯守泰次郎
 バリトン(ヴォータン):ラルフ・ルーカス(=アラン・タイトス病気による代演)
 ソプラノ(ブリュンヒルデ):キャスリン・フォスター
  (ジークリンデ):増田のり子
  (ゲアヒルデ):渡海千津子
  (オルトリンデ):江口順子
  (ヘルムヴィーゲ):津山恵
 メゾ・ソプラノ(ヴァルトラウテ):磯地美樹
  (シュヴェアトライテ):橋本啓香
  (ジークルーネ):庄司祐美
  (グリムゲルデ):金子美香
  (ロスヴァイゼ):西館望
 管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団(コンサートマスター:荒井英治)
 <曲目>
 ワーグナー:歌劇「タンホイザー」序曲(15'35")
  同:楽劇「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と“愛の死”(18'15")
  同:楽劇「ワルキューレ」第3幕(68'50")

■佐渡裕芸術監督プロデュース2009「カルメン」
2009年7月20日(月・祝)14時開演 東京文化会館大ホール

 文化庁の「舞台芸術振興の先導モデル推進事業」と銘打って、日本オペラ連盟、兵庫県立芸術文化センター、東京二期会、愛知県文化振興事業団の4団体が共同制作した「カルメン」公演。西宮市の兵庫県立芸術文化センターで6月25日から9公演実施された後、東京で7月17日〜20日まで4公演、さらに今週末には名古屋で2公演という予定。聴くところによると、いずれの公演も「完売御礼」らしい。ダブルキャストとはいえ、同じプロダクションで一気に連続15公演も打つことができるというのは、最近ではめったにないことだろう。共同制作によって制作費などはかえって割安になることもあり、最近の文化庁の政策としては、珍しく(?)関係者の評判のよい事業のようだ。

 ダブルキャストのうち、林美智子さんが標題役を演じたオール日本人キャストの方を観た。西宮公演を観たある音楽評論家の話では、歌唱面ではステラ・グリゴリアンの方に一日の長があったということだが、林美智子さんのファンとしては、こちらを観ないわけにはいかない。

 結論からいえば、演奏にはいろいろ注文したいところがあるけれど、よくまとまっていて楽しめる公演だったのではないか。演出のジャン=ルイ・マルティノーティは、ジャン=ピエール・ポネルのもとで、オペラ映画「フィガロの結婚」「蝶々夫人」などの構成を手がけており、1980年代にはパリ・オペラ座の総裁を務めたこともある。このマルティノーティの演出がなかなか面白かった。いわゆる読み替えではないが、メリメによる原作も念頭において、独自の読み込みをおこなっている。(以下、ネタバレ注意)

 第1幕では、前奏曲の後半「運命の動機」が奏でられるところで、ドン・ホセがカルメン殺しの罪で処刑される場面が示される。公演パンフレットに掲載された演出家マルティノーティの一文によれば「椅子上で首を締め付けるスペイン式の絞首刑」ということだ。原作は獄中にいるドン・ホセの回想談という仕立てだが、それを意識しているのだろう。第1幕の末尾、ドン・ホセがカルメンを逃がす直前では、ホセがカルメンの手錠を外してやっているところを建物の陰からスニガが見ているという所作をくわえている。こうしてホセが逃亡幇助の確信犯であることが明確にされる。第2幕冒頭の「ジプシーの歌」は、リーリャス・パスティアの酒場ではなく、営倉に入れられているドン・ホセのところに、カルメン、フラスキータ、メルセデスの3人が現れて籠絡するかのように歌い踊る。ホセの夢か幻という見立てだろうか。

 オーストリア出身の舞台デザイナー、ハンス・シャヴェルノホによる舞台装置も、なかなかよく考えられていて面白い。一つのパネルが半円状に動くになっていて、上の方が鏡になっているので、かえって奥行きがあるように見えるのが効果的。左側の弧を描いた壁はローマのコロシアムのようだが、そこが第1幕ではタバコ工場に見たてられ、第4幕では闘牛場の外壁に見たてられている。幕切れの場面では、合唱団員の扮する観客がこの装置で向こう側(闘牛場のアリーナ側)を向いていて、ドン・ホセが最後に「俺を逮捕してくれ」と歌うところでこちら側を向くという趣向もよく考えられている、と言えるだろう。紗幕の使い方も巧みで、第3幕では岩山の絵が描かれ、盗賊団やミカエラが山に向かう場面では、奥の照明が消されて、舞台の最前面だけが使われ、岩山を縫うように走る細い山道のように見たてられている。

 さて、演奏についてだが、第1・2幕は基本的に科白の入るオリジナル・スコアのアルコア版を使用し、第3幕はレチタティーヴォで歌いつなぐギロー版を使用、第4幕はその混合という形態。歌手は抜群に飛びぬけた人はいないものの、アンサンブルとしてよくまとまっていたのではないだろうか。カルメンの林は、この役にしては健康的すぎるかもしれないが、演技では面白く見せてくれた。オレンジジュースのようなカルメンと言ったらよいだろうか。「ハバネラ」の歌唱はセーブモードだったが、第1幕後半の「トラララ」あたりから声が乗ってきた感じ。第2幕でのドン・ホセとのからみなど、体当たり的になかなかよくこなしていたし、第4幕の指環を投げつけるところの「軽い」表現も印象的だった。ドン・ホセの佐野成宏は、今回のキャストのなかでは唯一藤原歌劇団のメンバー。いつもながらの柔らかみのある声と、場面に応じた表現の変化は、中堅実力派らしく安心して聴いていられる。エスカミーリョの成田博之は、「闘牛士の歌」をはじめ声はよく飛ぶが、表現は生硬な印象が残った。ミカエラの安藤赴美子は、もう少し表現の幅がほしいが、第3幕のアリア「何があっても恐ろしくはないわ」などは堂々たる歌唱だった。フラスキータの吉村美樹とメルセデスの田村由貴絵は敢闘賞もので、存在感があった。声の饗宴を期待する向きには不満もあろうが、まずは楽しめる水準だったと言ってよいだろう。

 今回の公演の立役者である佐渡裕の指揮については、音楽的な面では不満が残った。佐渡は、第1幕の前奏曲から速めのテンポでかなり煽っていたし、第4幕への前奏曲などもかなり速いテンポで推していたが、本編は案外ソツなくまとめていたように思われる。ピットの中は下手に弦を配し、管打楽器を上手に固めるという配置をとっていた。だが、彼の音づくりは、いささか金管と打楽器をブカブカ鳴らしすぎる傾向があり、かえって響きが重たくなってしまう。また、オケが走ってしまい、合唱が遅れてしまうところがあったのも事実。「カルメン」のような作品の場合は、もっと抜けの良い音を作ることを心がけるべきではないだろうか。

【データ】
 芸術監督/指揮:佐渡裕
 演出:ジャン=ルイ・マルティノーティ
 装置:ハンス・シャヴェルノホ
 衣裳:シルヴィ・ド・セゴンザック
 照明:ファブリス・ケブール
 合唱指揮:矢澤定明

 カルメン:林美智子
 ドン・ホセ:佐野成宏
 エスカミーリョ:成田博之
 ミカエラ:安藤赴美子
 フラスキータ:吉村美樹
 メルセデス:田村由貴絵
 モラレス:桝貴志
 スニガ:松本進
 レメンダート:大川信之
 ダンカイロ:初鹿野剛
 アンドレス:真野郁夫
 酒場の主人:グレッグ・デール
 母の声:ドゥニース・マッセ
 夫婦:小林由佳/浜田和彦

 管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
 合唱:二期会合唱団
 児童合唱:NHK東京児童合唱団

■新国立劇場オペラ「修禅寺物語」
2009年6月26日(金)18時30分開演 新国立劇場中劇場

 新国立劇場の2008/09シーズンでオペラ公演の最後を飾ったのは、日本オペラの古典とも言うべき「修禅寺物語」。清水脩(1911〜86)のオペラ第1作であり、1954年に関西歌劇団の公演、武智鉄二演出、朝比奈隆指揮関西交響楽団の演奏で初演されている。以後、清水は「青空を射つ男」(1956=以下初演年次)、「炭焼姫」「セロ弾きのゴーシュ」(1957)、「歌い骸骨」(1962)、「俊寛」(1964)、「有福詩人」(1965)、「聟選び」(1968)、「大仏開眼」(1970)、「生田川」(1971)、「横笛」「吉四六昇天」(1973)等々、多くのオペラを送りだしている。「俊寛」は数年前、新国立劇場でも市川団十郎演出で上演された。今回の「修禅寺物語」は新制作となっている。若杉芸術監督は、新国立劇場のレパートリーとして後世に残していくべき作品だと考えたのだろう。日本オペラ史上有名な作品でありながら、最近あまり舞台にのる機会がなく、実は筆者も初体験だ。こういう上演機会を新国立劇場が設けたことは、大いに歓迎したい。

 さて、その「修禅寺物語」の台本だが、原作は岡本綺堂(1872〜1939)が1909年に執筆したもので、1911年に明治座で市川左團次の夜叉王によって初演された、いわゆる「新歌舞伎」の作品。今年が執筆からちょうど100年にあたるわけだが、こうしてみると、歌舞伎として初演された年に、作曲家の清水脩が生まれているというのも、興味深い符合と言えるかもしれない。公演パンフレットで片山杜秀氏は「綺堂は『修禅寺物語』でかなり西洋風を意識していた。それは端的には主人公夜叉王の造型にあらわれている。鎌倉時代の面作師と、いちおう設定は古風だが、その実体は自意識過剰な近代的芸術家そのものだ。おのれの気に入る作品を仕立てること以外、何の興味もない。将軍も家族も二の次だ」と指摘している。同じパンフレットで演劇研究者の神山彰・明治大学教授も、「目で見る新しさ」「耳で聞く新しさ」「人物造型の新しさ」という角度から、綺堂の作品のなかでも「修禅寺物語」のもつ特別の性格を詳しく解説している。たしかに、この作品で印象深いのは、第2場で「平家が勝とうが、源氏が勝とうが、北条が勝とうが、関係ない」と言い切ったうえ、「死相の出る頼家の面しか打てなかった自分とは、つまり頼家の顔からその運命を徹見していたのだ」(公演パンフレットの「あらすじ」より)と語り、さらには、頼家をかばって深い傷を負った娘かつらの死に際の顔を「滅多に出会えぬよき手本とばかりに、写生しだす」(同)という夜叉王の姿だろう。そこには、主従原理はおろか、親子の情をも超越して自らを「鬼神」の位置におく、芸術至上主義の一個人の狂気的な姿がある。明治の末期、1910年には「大逆事件」が発生し、石川啄木は「時代閉塞の現状」を執筆した。そういう時代のなかにあって、この作品がもった「新しさ」は、1世紀の時を超えてなお生命力を発揮しているということだろうか。

 清水脩は、東京音楽学校で専門的に音楽を学ぶ以前に、大阪外国語学校(戦後・大阪外国語大学→大阪大学外国語学部)でフランス語を修めている。音楽的には、ドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」を研究し、さらにラヴェル、オネゲル、ミヨーなどのフランス音楽から強い影響を受けている。後の「俊寛」などの作品と比べても、第1作の「修禅寺物語」の場合は、日本的な旋法を採り入れつつも、無限旋律的で現代的な響きがするように思われる。そうした作曲技法は、台本そのものの「新しさ」ともマッチしている。山田耕筰の「黒船」や團伊玖磨「夕鶴」に比べ、「修禅寺物語」の音楽には、はるかに「新しさ」があり、その響きに豪快さと厚みがある。そのことを認識できたことが、何よりだった。

 初めて聴く作品なので、細かい論評は差し控えるが、演奏は全体として高い水準だったように感じられた。何より黒田博の夜叉王が、抑制の効いた深みのある表現で素晴らしい。2場から3場にかけて凄味が増してくる。村上敏明の頼家は、藤原歌劇団の若手テノールとして活躍中だが、こういう新しい作品(といっても半世紀以上前の作品だが)でも伸びやかな歌唱で、直情的な人物像を衒いなく表現した。経種廉彦の春彦も清澄な声で、作品の蝶番的な役割を果たした。小濱妙美のかつらも、イタリアオペラ以外でこの歌手を聴くのは初めてだったが、堂に入った歌唱で、ことに3幕が良かった。妹かえでの薗田真木子も含めて、日本オペラ界の中堅・若手で活躍中の歌手たちが、この作品の準備に入念にとりくんだ跡がうかがえた。

 若杉弘氏の体調不良のため、指揮は外山雄三氏が務めた。さすがに現代作品には強い指揮者だけに手堅く、安心して聴いていられる。東京交響楽団の演奏(コンサートマスターはグレブ・ニキティン)も、とくに第2場冒頭の夢幻的な場面での弦の透明感、第3場での管楽器や打楽器の迫力など、静と動との対比も鮮やかな好演だった。

 惜しむらくは、オペラ初演出という人間国宝・坂田藤十郎の演出に、あまり工夫が感じられなかったこと。こういう作品だから奇をてらわないオーソドックスな演出を心がけたのは良いとしても、あまりにも所作が少なすぎ、たとえば歌っていない歌手の動作がほとんどないのは、どうしたものだろうか。第2場幕切れのチャンバラの部分も、いかに役者でなくオペラ歌手の所作とはいえ、もっさりしていて何ともキレがない。この程度の演出なら、セミステージ形式で済ませてもよいくらいではないか。往年の武智鉄二の演出を一度見てみたいという気にさせられた。

【データ】
 指揮:外山雄三
 演出:坂田藤十郎

 源左金吾頼家:村上敏明
 面作師夜叉王:黒田博
 夜叉王の娘かつら:小濱妙美
 夜叉王の娘かえで:薗田真木子
 かえでの婿春彦:経種廉彦
 下田五郎景安:大野光彦
 金窪兵衛尉行親:小野和彦
 修禅寺の僧:大久保光哉
 憲兵:細岡雅哉、大木太郎、三戸大久


.
dsch1963
dsch1963
男性 / O型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

過去の記事一覧

標準グループ

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

お肉、魚介、お米、おせちまで
おすすめ特産品がランキングで選べる
ふるさと納税サイト『さとふる』
ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事