|
■文学座公演「わが町」
2010年4月12日(月)18時30分開演 全労済ホール・スペースゼロ
演劇レビューが続く4月である。ソーントン・ワイルダー(1897〜1975)といえば、アメリカを代表する劇作家とされている。1938年にブロードウェイのヘンリー・ミラー劇場で初演された「わが町」は、その代表作であり、ピューリツァー賞を受賞している。日本での初演は、対米英開戦が目前に迫った1941年4月のこと。その4年前に結成されていた文学座による上演で、演出には長岡輝子、出演者には三津田健、宮口精二、荒木道子といった面々が名前を連ねていたらしい。何とも錚々たるキャストではないか(驚くべきことに、長岡輝子は1908年生まれで今年102歳になっているが、ご存命である)。文学座附属演劇研究所では、3月公演でとりあげた森本薫作「女の一生」とともに、この「わが町」を授業の一環とする発表会にて必ず上演することとなっているそうだ。あらすじは以下のとおり。
ニューハンプシャー州の小さな町グローヴァーズ・コーナーズに暮らすエミリーとジョージ。日々の時間は当たり前のように過ぎてゆき、善良な両親と近隣に見守られて育っていった。お隣同士の幼馴染で、良き友人である二人は、いつしか互いに意識し始めるようになり、やがては恋に落ち、結婚の日を迎える。町のだれもが祝福する温かい結婚。幸せに満ち溢れた結婚生活は、永遠に続くかのようにさえ思えた。しかし9年を数えたころ、二人にとって運命ともいえる出来事が訪れる。(文学座ホームページより)
場面設定は、第1幕が1901年で「日常生活」がテーマ、エミリーとジョージがハイスクールの生徒のころ。第2幕がその3年後の1904年、二人の結婚式をそれに至る過程を描き、「恋愛と結婚」がテーマになっている。そして第3幕は、それから9年後の1913年、人間の「死」がテーマということだろう。椅子とテーブル、脚立などの簡単な装置以外に、ほとんど装置のない舞台で上演される。そして、ここで描かれるのは、人間にとっての日常生活、若さと成長、恋愛、結婚、そして死という、世界中のどこでも日々くり返されている光景だ。舞台は20世紀初頭のアメリカの小さな町だが、そうした日常生活の光景は、もちろん生活習慣や宗教などの違いはあれ、21世紀初頭の日本にも通じるものだ。
今回の上演は森本薫役によるものだが、第3幕のエミリーと進行係の対話に、きわめて印象的な科白がある。(以下、ハヤカワ演劇文庫版の鳴海四郎訳による。この訳では進行係は「舞台監督」とされている)
エミリー「……人生というものを理解できる人はいるんでしょうか――その一刻一刻を生きているそのときに?」
進行係「いいや。(間) 聖者とか詩人とかはあるいはね――いくぶんかは」
こうして作品からは、私たちが何の変哲もない日々の暮らしを送っていることの「幸福」ということを気づかされる。
文学座の上演は、途中に登場する讃美歌や、フォスターの「ケンタッキーのわが家」のコーラスも含めて、緊密にまとまっていてスキがない。なかでもエミリー役の栗田桃子の演技は、以前「父と暮せば」でも観たことがあるが、あらためて感情表現が自然で的確な女優だと感じた。それから、老農夫役で出演した戌井市郎大先生の元気さには恐れ入る。
【データ】
作:ソーントン・ワイルダー(森本薫訳より)
演出:坂口芳貞
ギブス:外山誠二
ギブス夫人:小野洋子
ジョージ:植田真介
レベッカ/サム・クレイグ:吉野実紗
ウェブ:高瀬哲朗
ウェブ夫人:塩田朋子
エミリー:栗田桃子
ウォーリー:頼経明子
ソームス夫人:山谷典子
ウィラード教授:木津誠之
ハウイ・ニウサム:今村俊一
ワレン巡査:松角洋平
ジョー・クローエル:佐藤麻衣子
サイモン・スティムスン:菅生隆之
客席の婦人:太刀川亜希
ジョー・ストッタード:高塚慎太郎
老農夫マッカーティ:戌井市郎
進行係:石川武
|