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文学座公演「わが町」

■文学座公演「わが町」
2010年4月12日(月)18時30分開演 全労済ホール・スペースゼロ

 演劇レビューが続く4月である。ソーントン・ワイルダー(1897〜1975)といえば、アメリカを代表する劇作家とされている。1938年にブロードウェイのヘンリー・ミラー劇場で初演された「わが町」は、その代表作であり、ピューリツァー賞を受賞している。日本での初演は、対米英開戦が目前に迫った1941年4月のこと。その4年前に結成されていた文学座による上演で、演出には長岡輝子、出演者には三津田健、宮口精二、荒木道子といった面々が名前を連ねていたらしい。何とも錚々たるキャストではないか(驚くべきことに、長岡輝子は1908年生まれで今年102歳になっているが、ご存命である)。文学座附属演劇研究所では、3月公演でとりあげた森本薫作「女の一生」とともに、この「わが町」を授業の一環とする発表会にて必ず上演することとなっているそうだ。あらすじは以下のとおり。

 ニューハンプシャー州の小さな町グローヴァーズ・コーナーズに暮らすエミリーとジョージ。日々の時間は当たり前のように過ぎてゆき、善良な両親と近隣に見守られて育っていった。お隣同士の幼馴染で、良き友人である二人は、いつしか互いに意識し始めるようになり、やがては恋に落ち、結婚の日を迎える。町のだれもが祝福する温かい結婚。幸せに満ち溢れた結婚生活は、永遠に続くかのようにさえ思えた。しかし9年を数えたころ、二人にとって運命ともいえる出来事が訪れる。(文学座ホームページより)

 場面設定は、第1幕が1901年で「日常生活」がテーマ、エミリーとジョージがハイスクールの生徒のころ。第2幕がその3年後の1904年、二人の結婚式をそれに至る過程を描き、「恋愛と結婚」がテーマになっている。そして第3幕は、それから9年後の1913年、人間の「死」がテーマということだろう。椅子とテーブル、脚立などの簡単な装置以外に、ほとんど装置のない舞台で上演される。そして、ここで描かれるのは、人間にとっての日常生活、若さと成長、恋愛、結婚、そして死という、世界中のどこでも日々くり返されている光景だ。舞台は20世紀初頭のアメリカの小さな町だが、そうした日常生活の光景は、もちろん生活習慣や宗教などの違いはあれ、21世紀初頭の日本にも通じるものだ。

 今回の上演は森本薫役によるものだが、第3幕のエミリーと進行係の対話に、きわめて印象的な科白がある。(以下、ハヤカワ演劇文庫版の鳴海四郎訳による。この訳では進行係は「舞台監督」とされている)
 エミリー「……人生というものを理解できる人はいるんでしょうか――その一刻一刻を生きているそのときに?」
 進行係「いいや。(間) 聖者とか詩人とかはあるいはね――いくぶんかは」
 こうして作品からは、私たちが何の変哲もない日々の暮らしを送っていることの「幸福」ということを気づかされる。

 文学座の上演は、途中に登場する讃美歌や、フォスターの「ケンタッキーのわが家」のコーラスも含めて、緊密にまとまっていてスキがない。なかでもエミリー役の栗田桃子の演技は、以前「父と暮せば」でも観たことがあるが、あらためて感情表現が自然で的確な女優だと感じた。それから、老農夫役で出演した戌井市郎大先生の元気さには恐れ入る。

【データ】
 作:ソーントン・ワイルダー(森本薫訳より)
 演出:坂口芳貞

 ギブス:外山誠二
 ギブス夫人:小野洋子
 ジョージ:植田真介
 レベッカ/サム・クレイグ:吉野実紗
 ウェブ:高瀬哲朗
 ウェブ夫人:塩田朋子
 エミリー:栗田桃子
 ウォーリー:頼経明子
 ソームス夫人:山谷典子
 ウィラード教授:木津誠之
 ハウイ・ニウサム:今村俊一
 ワレン巡査:松角洋平
 ジョー・クローエル:佐藤麻衣子
 サイモン・スティムスン:菅生隆之
 客席の婦人:太刀川亜希
 ジョー・ストッタード:高塚慎太郎
 老農夫マッカーティ:戌井市郎
 進行係:石川武

■カラフル企画vol.2「そのときがきたら――映画監督山中貞雄の青春」
2010年4月10日(土)14時開演 座・高円寺1

 4月はたぶん、音楽よりも演劇のレビューをアップする機会が多くなる。知人が出ているなど、いろんな理由で、芝居を観に行く機会が増えるからだ。井上ひさしさんの「夢の裂け目」とアップする順番が逆になったが、アニメ「キャプテン翼」「ポケモン」などの台本作家でもある園田英樹が主宰するカラフル企画の公演を初めて観に行った。さる出演者のお母さまから、ぜひ観に行ってというお誘いを受けたからだった。

 戦前日本の映画監督、山中貞雄の生涯は、年譜的には次のようにまとめられる。
 1909年 11月8日、京都府で父・喜三右衛門、母・よその末子として生まれる。
 1927年 先輩のマキノ正博を頼ってマキノ映画社に入社。
 1928年 嵐寛寿郎プロに移り、助監督をしながら多くのシナリオを執筆。
 1932年 「抱寝の長脇差」で監督デビュー。この処女作がその年のベストテンに名を連ね、一躍注目を浴びる
 1933年 日活京都撮影所へ移籍。以降、若き天才監督の名前をほしいままに、次々と作品を発表。
 1934年 シナリオ集団「鳴滝組」を結成。この頃、小津安二郎など東京在住の映画人とも交流を深める。
 1937年 京都を離れ、東京のPCL(のちの東宝)に入社。「人情紙風船」封切り当日に召集令状が届き、中国に出征。
 1938年 中国各地を転戦中に発病。9月17日、中国河南省開封市の病院で死亡。28歳にして短い生涯を閉じる。(以上、公演チラシの記述を参照)

 「『生きていたら、黒澤明や小津安二郎などと並び称される、日本を代表する映画監督になっていただろう』と言う声も多い、戦前の天才映画監督、山中貞雄。彼は28歳という若さで亡くなった。その生涯に撮った映画は26本。しかし、そのうち現存するフィルムは、『丹下左膳余話・百万両の壺』『河内山宗俊』『人情紙風船』のわずか3本のみ。戦争へと向かう昭和初期、多くの若者たちが時代の波に飲みこまれていく中、映画という夢に向かって駆け抜けた、山中貞雄の青春像。彼が本当に撮りたかったものは何か。そしてどんな思いでこの世を去ったのか。彼の思いは時を超えて、今も生き続けている」――公演チラシにはこう書かれている。PCLと前進座とで共同制作した「人情紙風船」は、たしかに日本映画史に残る傑作である。そのメガホンをとった山中の生涯については、日中戦争に応召して戦病死したこと以外ほとんど知らなかった。作家の園田英樹は数年前、千葉伸夫『評伝山中貞雄』(平凡社)と加藤泰『映画監督山中貞雄』(キネマ旬報社)を立て続けに読み、この人物を取り上げたいと思いはじめたようだ。そして「時代の暗欝に押しつぶされていった若者たちの無念の想いに、胸がつまりました」とのべている。

 歌あり、踊りあり、ちょっと艶っぽいシーンあり…。多少バタバタした感はあるが、エネルギッシュで、2時間のあいだ、まったく退屈させない舞台だ。手際良い場面転換で、かなりコミカルなタッチで、京都の職人の家の末っ子に生まれ、京都第一商業学校に学びながら、映画好きの母親の影響をうけて映画づくりへの思いをはぐくみ、マキノ省三のもとで助監督・脚本家として映画修業を重ね、23歳の若さで監督になった山中の来歴、そしてその家族関係や恋愛模様が描かれる。その一方で、台本のなかには、治安維持法成立、山東出兵、張作霖爆殺事件、満州事変、盧溝橋事件といった、1920年代から30年代にかけて、次第に暗雲の厚くなる時代も織り込まれている。山中貞雄の兄で博打うちの市太郎が、共産党への資金提供の容疑で特高警察に追われるという設定になっており、ここで小林多喜二に名前が出てくるのには驚いたが、多喜二云々は架空の話としても、関係者の話では、山中の左翼への近さが日中戦争での再召集につながったという説もあるという。そして、山中の陣中日誌での厭戦的なしんじょうエンタテインメントのなかに、戦争と抑圧への批判的視点が織り交ぜられ、その意味でも興味深い舞台だった。

 出演者はいずれも歌えて踊れる人ばかり。山中貞雄に扮したモダンスイマーズの主催者・西條義将の演技は初めてみたが、とにかくエネルギッシュだ。母親役の西山水木がこの中ではベテラン格だが、狂言まわしのような役どころを通じて、息子を想う母の心情を巧みに表現し、舞台の要所を引き締める。貞雄を恋慕う女優・浅井小夜役の清水理沙が、チャーミングで歌も抜群にうまい。アニメの声優として知られる松本梨香の歌も聞かせる。その他の男優陣も一人何役もこなし出ずっぱりの大熱演。ひょんなことから観に行くことになった舞台だが、面白かった。

【データ】
 作・演出:園田英樹
 音楽:小西真理

 山中貞雄:西條義将(モダンスイマーズ)
 山中ヨソ(母):西山水木(ラ・カンパニー・アン)
 藤井春美、山中喜三右衛門(父)、山中市太郎(次男)、マキノ省三:田中優樹
 嵐勘寿郎、山中作次郎(長兄)、三村伸太郎:各務立基(花組芝居)
 山中喜与蔵(五男)、マキノ正博、城戸品郎、稲垣浩、小津安二郎:斉藤祐介
 お露役の女優、浅井小夜、藤井滋司、女:清水理沙
 山中えい(作次郎の妻)、八尋不二、マダム美夜子、撮影所の給仕:松本梨香
 勘太役の男優、山中道子(作次郎の娘)、滝沢英輔、特高警察刑事、岸松雄:山増圭(エビビモpro.)

■新国立劇場――東京裁判三部作第1部「夢の裂け目」
2010年4月11日(日)13時開演 新国立劇場小劇場

 今朝、井上ひさしの訃報が駆け巡った。昨年秋から肺がんの闘病中だったことは伝えられていたが、4月9日に自宅で容態が急変したという。たまたま、この訃報が報じられた11日、東京裁判三部作の第1作「夢の裂け目」のチケットをとっていた。奇しくも追悼公演に立ち会うような形になった。新国立劇場小劇場のロビーには、簡潔な訃報の張り紙があった。しかし、これは当然のことだろうが、開演前も終演後も、湿っぽいことは一切なかった。2001年の初演時に観た作品だが、今回再演を観ることになった。あらすじは以下のとおり。

 昭和21(1946)年6月から7月にかけて、奇跡的に焼け残った街、東京・根津の紙芝居屋の親方、天声こと田中留吉に起こった滑稽で恐ろしい出来事。講釈師から活動弁士を経て紙芝居屋という「語り物」の日本の芸能の系譜をひく“しゃべる男”天声が、突然GHQ国際検事局から「東京裁判に検察側の証人として出廷せよ」と命じられ、民間検事局勤務の川口ミドリから口述書をとられる。ふるえあがる天声。岳父の紙芝居の絵描き・清風、都立第一高女を卒業したばかりの娘・道子、妹で元柳橋芸者の売れっ子芸妓・君子、君子の柳橋での同僚で上海で大成功した後、命からがら帰国した妙子、失業中の映写技師で焼けてもうない近くの映画館のドラ息子・川本孝、紙芝居大好きな復員兵・関谷三郎、謎の闇ブローカー・成田耕吉ら、家中の者を総動員して「極東国際軍事法廷証人心得」を脚本がわりに、予行演習をする。そのうちに熱が入り、家の中が天声や周囲の人間の〈国民としての戦争犯罪を裁く家庭法廷〉といった様相を呈しはじめる。そして出廷。東条英機らの前で大過なく証言を済ませた天声は、東京裁判のもつ構造に重大なカラクリがあることを発見するのだが……。(公演パンフレットより)

 1945年までの戦争を「侵略戦争」と規定することを、一部の人たちが「東京裁判史観」と呼ぶ。しかし「東京裁判史観」というなら、それは、占領軍の中心をになった米国の筋書きにそって、戦争を起こした責任を東条英機らに代表される日本の軍部の一部指導者に負わせる一方で、昭和天皇には責任はないとする見方ではないのだろうか――。ここに作者・井上ひさしの問題意識があることは間違いない。そのことを、東条英機元首相と、元陸軍少将でありながら東京裁判の検察側証人として破格の扱いをうけた田中隆吉とを対比することによって明らかにしていくのだが、作品の中には東条も田中隆吉も出てこない。劇の主人公・田中留吉――田中隆吉と一字違いというところがミソだ。留吉が昭和4年につくったという設定の紙芝居「満月狸ばやし」にでてくる屋島の家老・太郎狸と、その弟・次郎狸との関係が、東条と田中隆吉との関係と相似形だという見立てで「東京裁判のもつ構造のカラクリ」が解き明かされる。評者も「東京裁判」に関する記録や研究文献は割に読んでいるほうだが、井上ひさしの推論はかなり鋭いところを突いているのではないだろうか。

 実は、この主人公の田中留吉にはモデルがある。1946年6月21日に証言台に立たされた日本紙芝居協会会長・佐木秋夫氏(1906〜1988)だ。1931年結成の「日本戦闘的無神論者同盟」などに参加していたが、その後事実上「転向」した後、教育紙芝居などの分野に手を染めたが、戦後あらためて唯物論の立場から宗教研究をすすめた人物である。井上ひさしは、この佐木氏の来歴を大きくデフォルメする形で、主人公・田中留吉の人物像をつくりあげている。

 さて、初演の時もそうだったが、今回も特に印象に残ったのは、国際法学者だったが現在は闇屋をやっている耕吉と、彼に好意を抱いている留吉の娘・道子との会話の中で、耕吉が吐く科白だ。井上ひさしは耕吉に、こういう科白を与えている――。
 「さて、そこで、なぜ、人間は、学問というものを発明したのでしょうか」「わたしの考えでは、その理由は二つある。学問は、まず、世界の骨組みを見つけるために発明された」「仕組みといってもいいし、枠組みといってもいい。とにかく、毎日毎日、いろんな出来事がおこる。それぞれが複雑怪奇で、一つ一つがまるでちがう出来事のように見えますね。けれども、人間の考えが引き起こすものである限り、その底にはなにか同じ骨組みが横たわっているのではないか」
 「人間が学問を発明した二つ目の理由は、そうやって見つけ出した世界の骨組みや枠組みを次の時代にのこすこと」「前のひとたちが見つけた世界の骨組みをみがく、不都合なところがあればつくり変える、そして、また次のひとたちにのこす」
 これをうけて道子が「それが、人間の歴史ですね」と語る。そして耕吉は「人間はものを忘れる生きもの。しかし、世界についてのいくつかの骨組みだけは、どんなことがあっても覚えていなくてはならないんです」とまとめている。
 井上ひさしの社会科学と歴史についての見方が、ここに端的にわかりやすく表現されている。こうした見方は、吉野源三郎の名著『君たちはどう生きるか』(岩波文庫)の社会観とオーバーラップして見える。そして、この「東京裁判三部作」という作品自体が、日本の現代政治と現代史についての「解剖学」のように思えてくる。

 この芝居が見事なのは、こうした井上ひさしの社会観・歴史観が、決して理屈っぽくなることなく、「むずかしいことをやさしく、やさしいことを深く、深いことをおもしろく」という彼のモットーにそって、クルト・ヴァイルの音楽をアレンジした歌がふんだんに使われた歌芝居として、軽快なコメディに仕上がっていることだ。

 出演者のアンサンブルもよくまとまっている。今回初演と同じキャストは、天声こと田中留吉役の角野卓造、娘・道子役の藤谷美紀、妹・君子役の熊谷真実、紺野妙子役のキムラ緑子、それに復員兵・関谷三郎役の高橋克実の5人だ。9年ぶりの再演だが、いずれもぴったりはまっている。角野の軽妙洒脱な演技がひきつけるし、前回「国民的美少女」のイメージから本格的な女優への脱皮を実感したフジミこと藤谷美紀のひたむきな感じは、いささかも色あせていない。他方、前回はシリーズ全3作が基本的に同じキャストだったが、今回は配役が若干変更になっている。初役となったのは、木場勝己、大鷹明良、石井一孝、土居裕子の4人。芸達者な人たちばかりで安心して見ていられるが、とくに東京芸大で声楽を学んだだけあって、土居裕子の歌の巧さはさすがである。

 もっとも、フィナーレでは涙が流れて仕方がなかった。天声と原作者井上ひさしとがオーバーラップして見えてきたからだ。3時間強の舞台の終演後、劇場をでると、テレビ局が3社ほどと新聞記者が観客の声をとりにきていた。

【データ】
 作:井上ひさし
 演出:栗山民也
 音楽:クルト・ヴァイル、宇野誠一郎
 音楽監督・編曲:久米大作
 美術:石井強司
 照明:服部基
 音響:黒野尚
 衣裳:前田文子

 天声こと田中留吉:角野卓造
 田中道子:藤谷美紀
 田中君子:熊谷真実
 清風先生こと加藤末太郎:木場勝己
 紺野妙子:キムラ緑子
 川本孝:大鷹明良
 関谷三郎:高橋克実
 成田耕吉:石井一孝
 川口ミドリ:土居裕子

 キーボード:朴勝哲
 ウッドウィンズ:坂川諄
 テューバ:佐藤桃
 ドラム・パーカッション:山田貴之

■文学座公演「女の一生」
2010年3月9日(火)18時半開演 俳優座劇場

 森本薫(1912〜1946)の「女の一生」といえば、日本演劇史の代表作の一つであり、劇団文学座の中心的演目でもある。なかでも今は亡き杉村春子の当たり役であり、947回演じたという記録がある。1996年から平淑恵に引き継がれていた。今回の上演は、4月のソーントン・ワイルダー作「わが町」とともに、文学座附属演劇研究所開設50周年記念ということで企画されている。この2作品は、同研究所の演技実習の必修上演演目になっている。つまり、文学座の研究所出身の俳優たちは、老いも若きも基本的に「女の一生」の演技をすることが、いわば通過儀礼になっているわけだ。今回は演出が戌井市郎から江守徹に代わった。そして、杉村、平と受け継がれた布引けい役に、今回は若手の荘田由紀が抜擢された。この女優、元宝塚スターの鳳蘭のお嬢さんだという。作品のあらすじは以下のとおり。

 明治38年(1905年)、日本がようやく近代的な資本主義国家となり始めた頃、天涯孤独の境涯にあった〈布引けい〉は、不思議な縁から拾われて堤家の人となった。深刻との貿易で一家を成した堤家は、その当主もすでになく、息子たちはまだ若く、〈しず〉が弟の章介とともに困難な時代を生きていた。やがて〈けい〉は、その闊達な気性を見込まれ、長男伸太郎の妻となる。次男栄二に寄せた思慕は断ち切られ、〈けい〉は正真正銘、堤家の人となったのだ。そして、しずに代わる家の柱として、担いきれぬほどの重みに耐えながら、その「女の一生」を生きていくのであった…… (公演パンフレットより)

 今回の上演では、空襲で焼け野原になり敗戦を迎えた後、1945年10月の東京が「プロローグ」と「エピローグ」に置かれている。もともと「女の一生」という戯曲は、森本薫が日本文学報国会の委嘱をうけて戦時中に執筆したもので、1945年4月に渋谷の東横映画劇場で初演されている。したがって、当初の「プロローグ」と「エピローグ」は、1942年正月の夜、つまり対米英開戦直後の正月ということになっていたそうだ。戦後の1946年、作者の死の直前に単行本の形で出版されたが、その時に「プロローグ」と「エピローグ」が「焼け跡」に書き換えられた。その後、幾度か演出家の戌井市郎によって校訂が加えられたが、今回は江守徹の新演出となるにあたって、1960年に戌井市郎が補訂した版を採用した。その結果、各場面は次のような時代設定になっている。

 序:1945(昭和20)年10月の夜
 第1幕:1905(明治38)年正月の夜
 第2幕:1909(明治42)年春
 第3幕:1915(大正4)年夏の夜
 第4幕:1928(昭和3)年中秋の午後
 第5幕:1945(昭和20)年2月、節分の日
 終景:1945(昭和20)年10月の夜

 あらためてこうして見ると分かるように、「女の一生」という作品は、日露戦争の時期から「満州事変」前夜、「大東亜戦争」の戦時下、さらに敗戦後にいたる40年間を追っていることになる。主人公の布引けいは、父親が日清戦争で戦死し、母親もその後亡くなって、親戚の家に引き取られている少女だが、そこでの生活は不遇だったという設定だ。日露戦争の旅順陥落で東京の街中にも祝賀の花火が上がるなか、たまたま堤家の庭から座敷に上がり込んでしまったことをきっかけに、堤家の棲みこみ女中となる。働き者だったことから、女主人のしずに見込まれ、伸太郎・栄二の兄弟のうち、惹かれあっていた栄二とは引き裂かれる形で、学者肌で商才に欠ける兄伸太郎の妻の座にすわらされることになる。ここには戦前の「家」制度のあり方が象徴的に表現されている。その後、栄二は家をとびだして、中国に渡ってしまう。貿易商の堤家は、その後中国貿易で財をなす。その経営を切り盛りしたのは夫・伸太郎ではなく、けいの方だった。第3幕では第1次世界大戦中の1915年、日本が中国に「21カ条の要求」を突きつけていた時代がさらりと描かれる。

 観客の一人として考えさせられるのは第4幕、1928年の場面だ。中国における抗日民族運動が高揚して「日貨排斥」の動きが強まり、堤家の系列の現地企業でもストライキが起きるなかで、けいは軍部に事態の解決を求めるような科白を吐く。「資本の論理」がストレートに語られるわけだ。これにたいして中国から戻ってきていた栄二は、実は共産党員で、官憲に目をつけられる立場になっているという設定。ここで、けいは栄二を官憲に売り渡す態度をとる。戦前の時代相のなかで、かつては惹かれあった男女が敵対する立場になるというように、ドラマがもっとも鋭さを帯びる場面だ。けいは身代を守り抜くために、経営の鬼になっているうちに、夫や娘にも家から出ていかれてしまう。

 けいと栄二の2人が焼け跡で再開するというのが、実は「プロローグ」と「エピローグ」の場面だ。けいは命がけで心を鬼にして守ろうとした堤家の身代も灰燼と帰したなかで、わずかに焼け残った蔵に住んでいる。他方、栄二は「獄中18年」の生活を経て、おそらく10月の治安維持法失効にともなって、獄から出てきたのだろう。終景では二人がカドリールを踊る場面で終わる。この場面は、戦後日本の新たな出発のなかで、二人の「和解」を象徴的に表現している。その後のGHQの占領政策の変化により、レッドパージがおこなわれた歴史を知る者からすれば、栄二に日本の未来を語らせる終幕には甘さも感じるが、ここには作者の森本薫自身が戦後日本の再出発に強く込めた希望的観測が現れていたのだろう。その森本は1946年10月6日、34歳の若さで他界しており、結局、戦後に書き換えたヴァージョンでの舞台の実演を観ていないことになる。

 全体として面白く見た舞台だし、すでにのべたように、江守徹の演出は最初と最後に焼け跡を配したのは良いが、若干の不満も残る。第1幕や第3幕での科白まわしがバタバタしており、作品の本筋と無関係のところで笑いをとろうとする狙いが見られたのは、どうしたものか。それから、場面転換がややもたもたしている感もあった。布引けい役に抜擢された荘田由紀の演技は元気がよく、若さが前面に出てフレッシュだが、年を重ねてきた後半では、まだ軽さが残っている。兄・伸太郎役の瀬戸口郁と、弟・栄二役の粟野史浩は、いずれも口舌がよく好演だった。

【データ】
 作:森本薫
 補綴:戌井市郎
 演出:江守徹

 布引けい:荘田由紀
 堤しず:南一恵
 堤伸太郎:瀬戸口郁
 堤栄二:粟野史浩
 堤総子:北村由里
 堤ふみ:三浦純子
 堤知栄:渋谷はるか
 章介:得丸伸二
 知栄の少女時代:工藤優、渡辺菜友(劇団ひまわり・交互出演)
 野村精三:岸槌隆至
 職人井上:林田一高
 女中清:鈴木亜希子
 刑事:山森大輔

■こまつ座第89回公演「シャンハイムーン」
2010年2月22日(月)18時30分開演 紀伊国屋サザンシアター

 作家の井上ひさし氏が昨年肺がんを公表してから初めて、こまつ座の公演がおこなわれた。その初日、井上氏の姿は見られなかったものの、驚いたのは、入口で配られたチラシの束のなかに「次回新作」として「木の上の軍隊」という作品の案内が混じっていたことだ。7月18日〜8月22日に公演予定だという。このタイトルが「坂の上の雲」を意識しているのかどうかはよくわからない(井上は佐高信と違って、司馬遼太郎には好意的で交友もあった)。が、ともあれ新作をつくる意欲には敬服するし、大いに期待したい。

 今回上演されたのは、魯迅とその妻、それに彼・彼女らを取り巻く4人の日本人を登場させた「シャンハイムーン」。1990年初演、93年再演されたが、以後長いブランクを経て、17年ぶりの再々演となった。過去の演出は木村光一だったが、今回は劇団民藝の丹野郁弓。キャストも以前は、高橋長英、安南潤(=安奈淳)、辻萬長、小野武彦、藤木孝、弓恵子というメンバーだったそうだが、がらりと一新されている(それにしてもこの当時のキャストは凄い)。あらすじは以下のとおり。

 1934年、上海。商業、工業、金融業で栄える極東最大の国際都市。「東洋のパリ」ともまた「魔都」とも呼ばれ、百花綜乱の文化の華が咲き乱れる歓楽の都。しかし、ときの国民党政府は大間題をいくつもかかえていた。国内には共産軍のはげしい抵抗があり、国外からは欧米の列強か迫り、そして二年前には上海事変が勃発、隣国日本が軍靴の音を轟かせて一気に押し寄せる。街には「抗日」「排日」の声が溢れ、シャンハイは混迷を極めていた。周樹人は日本に留学し仙台医学専門学校で医学を学んでいた。しかしある事件をきっかけに彼は医学を捨て、文学を志すことになる。「魯迅」という名で革新的な小説、随筆、論文を次つぎに発表した彼は、たちまち熱狂的な読者を獲得し、愛読者の数は増え続けた。いまやノーベル賞の候補にも挙げられるほどの文名高い知識人として世にあまねく知られる魯迅。しかし国民党政府は、そんな魯迅の言動に眉をひそめ、魯迅の筆に圧力を加えようとさまざまな弾圧をくりかえしていた。そのためこのシャンハイの世界的な文学者は、もう何年もの間、避難行の地下生活をしいられていた。魯迅の第二夫人許広平(きょ・こうへい)は、魯迅のかつての教え子でもある。無理がたたって体のいたるところを「病」におかされている夫の命を守り、夫の健康を取り戻したいと願う広平は、信頼を寄せる内山完造、みき夫妻に相談を持ちかけ、魯迅は北四川路の「内山書店」にかくまわれることとなった。完造の招きで須藤医師と奥田歯科医のふたりの医師もこの内山書店にやってくる……が、ここに大間題が立ちはだかった。魯迅は断固として診療を拒否し、医師たちを一切近づけようとしないのだ。「かつては医学を志したこともある魯迅先生が、なぜ?」。須藤は、魯迅の不整脈や内臓疾患やひどい虫歯よりも、心の奥底にひそむ「病」をこそ取り除かねばならないと、そう考えるのだが……。魯迅がみまわれる「人物誤認症」そして「失語症」の、言語を絶する爆笑シーン。そして魯迅の心の葛藤を通して、やがて浮かび上がってくる感動的な人生のドラマ。第27回谷崎潤一郎賞に輝いた傑作戯曲。(名古屋演劇鑑賞会のホームページより)

 若き日の魯迅が仙台医学専門学校に留学(のち中退)したことは、彼の作品「藤野先生」などに描かれているので知っていた。だが、魯迅がその晩年、上海で書店を開いていた内山完造・みき夫妻と深い交友があり、しばしば内山宅に避難していたこと、また、主治医が須藤五百三という日本人医師であり、彼のデスマスクをとったのも奥田愛三という日本人歯科医だったことは初めて知った。この作品では、1932年の上海事変以降、日本人居留民団が中国人を蔑視しながら大手を振っていたもとで、彼・彼女ら4人の日本人は、魯迅をはじめ中国の人々と心の通いあう交流を続けていた。舞台は、1934年8月23日から9月16日までの約一カ月間、上海市北四川路底内山書店2階倉庫だけで、途中装置の転換はいっさいない。国民党政府の特務機関が、毛沢東率いる中国共産党とは厳しく対立していた時期であり、魯迅も共産党シンパと見なされて幾度となく逮捕されそうになっていた。そうした時代を描きつつ井上ひさしは、「日本人はとか、中国人はとか、ものごとを一般化して見る見方には賛成できない」と言っている。そうしたステレオタイプの見方が、相手への理解をかえって妨げることを知っているからだ。

 作品自体は、井上ひさし得意の6人芝居。作品を理解する一つのカギとなるのは「手紙」であり、また、キー概念は「想像力」と「後悔」ということだろうか。初めに魯迅が手紙を書くことが好きだったエピソードが紹介され、登場人物がそれぞれ何篇かの手紙を朗読するところから始まる。この手紙の朗読という手法は、幕切れとも密接にかかわってくる。この魯迅がかつて医学を志したにもかかわらず「医者嫌い」というところから、周囲が策を弄して医師や歯科医師に健康状態を診断させようとして麻酔をかける過程で「人物誤認症」が現れてしまい、後半では「失語症」になるという話をつうじて、魯迅の生涯と人間像が浮かび上がってくる。ことに第1幕の「人物誤認症」で、周囲の人物が間違われた人物になりかわるという劇中劇(喜劇)的な話が展開するなかで、魯迅が妻(第2夫人)である許広平を、北京にいる第1夫人朱安を間違えるという話は、大いに笑わせる。と同時に、虚実がないまぜになって、自分の立ち位置がわからなくなってくる第2夫人・許広平の複雑な胸中もうかがえる。この話も第2幕の末尾の手紙と密接に結びついている。

 笑わせて、笑わせて、ほろりとさせる。そうした井上作品の魅力が、この作品でも見事に表れている。主役は魯迅だが、あとの5人もそれぞれのドラマを背負っている。とりわけ、須藤医師と若い女性とのエピソード、奥田歯科医の生い立ちのエピソードが胸をうつ。そして、作品全体を通じて、近代日本の歴史の太い流れ、日本と中国との「友好」と「敵対」の相克が照らしだされる。そこから、異なる国の民衆同士、さらにいえば立場の違うもの同士が人間として互いに理解しあうことの意味が浮かび上がってくる。

 初日だったせいか、各人の科白の間合いがごく一部こなれきっていない印象があったが、休憩をはさんで3時間、テンポよくひきつけられ、飽きさせない。これは井上戯曲自体の魅力とともに、丹野郁弓の演出、6人の俳優たちの力だろう。村井国夫は井上作品初出演だそうだが、大まじめであり、どこか親しみやすい魯迅像をユーモラスに演じている。その妻・許広平役の有森也実は、井上作品「頭痛肩こり樋口一葉」のほか、「放浪記」など最近舞台での活躍も目を引くが、中国の民主主義的解放をもとめる思いに燃える利発さと、若々しいチャーミングな女性像をつくりだす。須藤医師役の梨本謙次郎は、正義感あふれるヒューマンな人柄を浮かび上がらせて好演。奥田歯科医を演じる土屋良太は、魯迅の大ファンという設定で、一見気障なコスモポリタンだが、その背景につらい生い立ちがあるという役どころを、のびのびとコミカルに描き出している。こうした4人の個性豊かな面々のいわば蝶つがい的な役割を果たすのが、内山夫妻ということになろう。夫完造役の小嶋尚樹は昨夏にみた「兄おとうと」で、妻・みき役の増子倭文江は「闇に咲く花」で、井上作品ではおなじみの役者だが、この二人が実に巧い。幕の代わりに舞台中央にぶら下げられる、安野光雅画伯の絵の入った大きな布が、ほのぼのとしていい感じだ。

 内山完造は1947年、上海から日本に帰国し、1950年日中友好協会の初代理事長に就任する。おりしも「冷戦」時代突入によって、その前年の中国革命=中華人民共和国成立以降、72年の日中国交回復まで、両国の関係は再びきびしい状況に陥っていた。内山自身は1959年に北京で客死しているが、戦前・戦後をつうじての内山夫妻のような人物、そして須藤医師や奥田歯科医のような人々の努力で、民衆レベルでの心の交流が切り開かれてきたことの重みを痛感した。それは「アジアとの共同」がいわれる時代の、われわれ一人ひとりの物の見方・考え方にたいする問いかけでもあるだろう。

【データ】
 作:井上ひさし
 演出:丹野郁弓

 魯迅:村井国夫
 許広平:有森也実
 内山完造:小嶋尚樹
 内山みき:増子倭文江
 須藤五百三:梨本謙次郎
 奥田愛三:土屋良太


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