楽興の時・音の絵

相変わらず猛烈に忙しくて、なかなか更新できません。orz

映画

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全8ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8]

[ 前のページ | 次のページ ]

■映画「ラストゲーム―最後の早慶戦」
2008年10月12日(日)シネ・アミューズ

 休日に映画館を梯子して、8月に封切られた神山征二郎監督「ラストゲーム―最後の早慶戦」と、9月封切の新藤兼人監督「石内尋常高等小學校―花は散れども」の2作品を観てきた。いくつかの共通点がある。ともに戦争シーンを直接扱ってはないが、戦争の時代が影を落としている作品だ。それだけではなく、両作品とも怪優柄本明が主演していること。李鳳宇のシネカノンが配給元ということもある。そこでまとめて記事にしていたが、友人から2本一緒の記事は読みにくいとの意見があり、10月19日に修正して切り離したことをご容赦いただきたい。「ラストゲーム―最後の早慶戦」のあらすじは以下のとおり。

 昭和18年。戦争が激化する中、練習に励む早稲田大学野球部の若者たち。六大学野球はすでに解散が決定しており、来るべき学徒出陣に備えるように圧力がかけられていた。そんな中、顧問の飛田のもと選手たちは、出陣のその日まで野球を続けると誓っていた。部員の戸田は父親から厳しく詰られながらも、兵隊に志願した兄の言葉を胸に、合宿生活を続けていた。そんなある日、慶應の小泉が飛田のもとに早慶戦を申し込みにやってくる…。太平洋戦争のさ中、野球は敵国アメリカの国技だという理由で六大学野球は解散を余儀なくされる。そして、学業優先で徴兵を猶予されていた学生たちも戦争に駆り出される、学徒出陣はすぐそこに控えていた―。そんな時、戦場に赴く前の最後の願いとして行われた“出陣学徒壮行早慶戦”の、実現までの紆余曲折が描かれる。(goo映画より)

 1943年、アジア・太平洋戦争の戦局が深刻化し、大学生にたいする徴兵猶予が取り消され「学徒出陣」と至る過程で、10月16日、早稲田大学戸塚球場で戦時下最後の早慶戦(慶応から見ると「慶早戦」)が開催されたという実話をもとにした作品。関西人にとって「早慶戦」は、エンタツ・アチャコの漫才のネタ程度の認識しかなく、この話自体もディテールはよく知らなかった。今回の神山作品は、史実をふまえつつ、早大野球部の青春群像にスポットを当てながら、落ち着いた筆致のドラマに仕立てている。

 作品冒頭に出てくる「野球、生きてわが家(ホーム)に還るスポーツ。」という一文が効いている。主人公に同野球部メンバーの戸田順治をすえ、彼の兄は野球を断念して職業軍人となり戦死するという設定にして、家族の苦悩に光を当てる。同時に、早大野球部の顧問として「敵性スポーツ」扱いされる野球の存続に尽くそうとする飛田穂洲、その早大にたいして早慶戦の開催を申し出る慶応義塾塾長の小泉信三、軍部や政府からにらまれることを苦慮して早慶戦の開催になかなか応じない早稲田大学総長の田中穂積という3人を配し、戦争という不条理のなかで、それでも部員たちに「思い出をつくってやろう」とするおとなたちの苦闘が描かれる。早大といえば、在野精神旺盛な学風だったはずだが、歴史学者の津田左右吉、政治学者の大山郁夫らの学説が政府・軍部や右翼勢力に睨まれるなかで、当局がかえって事を荒立てたくないとする対応をよぎなくされたことは、考えさせられる事実だった。しかしながら、教育者として筋を曲げない彼らの対応を飛田穂洲が支持しており、その立場から田中総長に試合開催の許可を迫る場面は圧巻だ。そして、10対1で終わった試合の後、慶応の応援席から「都の西北」の歌がわきおこり、早稲田の応援席から「若き血に燃ゆるもの」の歌がわきおこったというエピソードも感銘深い。映画はその後、10月21日の雨の神宮外苑での「出陣学徒壮行会」のシーンを交え、さらに特攻機の撃墜などの実写フィルムを短く挿入し、説明的でなく「出征学徒」となった野球部員たちの多くがたどった運命を映しだしている。

 豪放磊落で頑固一徹といった飛田を演じる柄本明、これにたいしてリベラルな人格者小泉を演じる石坂浩二が好演。また、戸田の兄が戦死し、その葬儀の場面で「靖国は母たれ」と建前を押し付けようとする山本圭扮する父親に対して、「私はそんなに立派な母親にはなれません」と言い切る母親役の富司純子には鬼気迫るものがあり、泣かせる名演だ。それから、オヤジ目線でいえば、野球部合宿所のまかないをしているトモ子さんを演じる「就活女優」原田佳奈も清楚な感じでなかなか良いが、戸田の妹に扮する尾高杏奈のセーラー服&モンペ姿が萌える。どこかで見た娘だと思ったら、佐々部清監督「出口のない海」でも市川海老蔵扮する主人公=出陣学徒の妹役でモンペを履いていた。

【データ】
 監督:神山征二郎
 製作:李鳳宇、ほか
 プロデュース:奥山和由
 主題歌:鬼束ちひろ
 音楽:和田薫
 撮影監督:阪本善尚
 脚本:古田求

 戸田順治:渡辺大
 飛田穂洲:柄本明
 小泉信三:石坂浩二
 黒川哲巳:柄本佑
 田中穂積:藤田まこと
 戸田しず江:富司純子
 若杉トモ子:原田佳奈
 相沢陽一:和田光司
 近藤宏:脇崎智史
 阪井隆信:片山享
 桐原真二:中村俊太
 外岡太一郎:宮川一朗太
 平井政明:三波豊和
 戸田栄達:山本圭

 日本映画・2008年・96分

映画「火垂るの墓」

■映画「火垂るの墓」
2008年7月20日(日)岩波ホール

 今日は極めて私的なことから書くが、「火垂るの墓」という作品に対しては、原作の小説にもアニメ版にも思い入れがある。管理人の亡父は妻子を顧みない無茶苦茶な人で、良い記憶がほとんどないが、神戸大空襲の体験は折にふれて話してくれた。野坂昭如が遭遇した1945年6月5日の空襲ではなく、集団疎開先から中学(旧制)受験で帰神した時、現在の兵庫区・長田区界隈が壊滅した45年3月17日の空襲で焼け出されたということだった。父とその両親、祖母という一家は裏山に逃げてなんとか助かったが、向かいの家は焼夷弾が直撃し、若い奥さんが焼死したと聞いた。焼夷弾の落ちる場所が10mずれていたら、父の一家に直撃し、いまこうしてブログを綴っている自分は存在しない。決して他人事とは思えないのだ。あらすじは以下のとおり。

 1945年、神戸の街を大空襲が襲う。清太(吉武怜朗)と節子(畠山彩奈)は空襲で母親(松田聖子)を亡くし、西宮に住むおば(松坂慶子)の元に身を寄せる。しかしおばは兄妹に対して冷たい仕打ちをし、それは次第に度を越していく。そのため、2人はおばの家を出て防空壕でひっそりと暮らすことにした。悲惨な飢えに耐える2人を楽しませるのは、ほたるの明かりだけだった。(Yahoo映画より)

 高畑勲監督によるアニメ版は名作の誉れ高い。実写版は「美しい夏キリシマ」「父と暮せば」「紙屋悦子の青春」などの作品で知られる黒木和雄監督が企画していたが、その死をうけて弟子にあたる日向寺太郎監督が引き継ぎ、メガホンをとることになった。今回の作品には原作にないエピソードが膨らまされたり、つけくわえられたりしている。ひとつは出征兵士の夫を亡くした妻とその家に入り浸っている喘息もちの大学生の自堕落な様子、もうひとつは清太を気遣う中学校長が学校の火災で天皇・皇后の「御真影」を守れなかったことを苦にして一家心中するという話だ。敗戦色が濃厚になっていた時代に現れる虚無と狂気との二極化を示すものだろう。池と森の緑も美しい映像との対比で、小さなホタルの墓がこの子たちの境遇をも端的に物語っており、たくみな演出となっている。

 アニメ版とは味わいが違うが、今回の実写版もそれなりによくできた作品となっているとは思う。ことに節子役の畠山彩奈が抜群にうまい。アニメ版の節子がそのまま実体化したようで、防空壕のなかで次第にやつれてゆく様子もたくみに描かれている。兄清太を演じる吉武怜朗も目に力があって良い。ただ、松田聖子の母親は、悪いとは言わないが、やはりイメージが違うと言わざるをえない。彼女では薄幸な感じがしないから。それから、新聞評でも、パンフレットの解説でも、松坂慶子演じるおばさんがそれほど意地悪に感じられないと書かれているが、それはどうだろうか?

 これもつけくわえられたエピソードだが、兄妹と校長一家との束の間の交流は心に残った。校長の2人の娘のうち女学生の姉を演じている谷内里早という女の子は、どこかで見たことがあると思ったら、JR東海の「Eco出張」CMに出ている娘だったが、聞くところによると国広冨之の次女だそうな。

 全編に流れる渡辺香津美のギターの美しい音楽は、特筆すべきだろう。ホタルの墓をつくったり、空襲警報発令中の家から米を盗み出したりするシーンが、巨匠ルネ・クレマンによる往年のフランス映画「禁じられた遊び」とダブって見えてきて、胸をつかれた。

【データ】
 原作:野坂昭如
 監督:日向寺太郎
 脚本:西岡琢也
 音楽:Castle In The Air(谷川公子+渡辺香津美)

 清太:吉武怜朗
 節子:畠山彩奈
 未亡人(清太の親戚):松坂慶子
 雪子(清太の母):松田聖子
 本城雅夫:江藤潤
 清太の父:高橋克明
 高山道彦:山中聡
 若い未亡人:池脇千鶴
 本城君枝:千野弘美
 本城昭子:谷内里早
 本城和子:鈴木米香
 未亡人の息子:萩原一樹
 未亡人の娘:矢部裕貴子
 町会長(西宮):原田芳雄
 町会長(神戸):長門裕之

 2008年・日本映画・1時間40分

映画「純愛物語」

■映画「純愛物語」
2008年7月4日(金)明治大学リバティタワー・ホール

 「被爆者の声をうけつぐ映画祭2008」という企画が7月4日〜6日の3日間、同映画祭実行委員会と明治大学軍縮平和研究所の主催で開かれている。そのオープニングとして、今井正監督の1957年作品「純愛物語」が上映された。主演の江原真二郎さんと中原ひとみさんのお二人は、それから3年後の60年に結婚したが、このご夫婦がゲストとして上映前のトークに出演したのを機会に初めて観た。作品のあらすじは以下のとおり。

 敗戦後10年、平和が訪れたとはいえ、上野の山にはまだ浮浪児の群れがいる。その1人、ミツ子はチャリンコ(スリ)から足を洗おうとして、不良仲間からリンチを加えられそうになる。残酷さに見かねてそれを救ったのが、貫太郎だった。二人は親しくなり、商売の元手を稼ごうとスリを働くが失敗、補導され、別々の施設へ送られる。貫太郎は、一度は鑑別所から脱走してミツ子に会いに行くが、温情の師・下山観察官に説得され、更正に励む。一方のミツ子は、聖愛学園で奇妙な体調不良に襲われていた。心配した小島教官が連れて行った病院で、医師の問いに答えて、ミツ子は、祖母の背に負われて広島の焼け跡を歩いたと語る。それは原爆投下の三日後であった。病院からの帰途、ミツ子は逃走する。貫太郎のもとに、ミツ子からの手紙が来て、二人は再会を果たす。ミツ子は日赤に診断を受けに行き、原爆症の疑いが濃いと知った。そんなミツ子を貫太郎は励まし、外に連れ出して楽しい時を過ごす。離れ離れにならないことを約束する二人だったが、ミツ子は衰弱し病院へ移される。念願の就職が決まった貫太郎が、急いで駆けつけるが、すでに時は遅かった。(市川市ホームページより)

 今井正作品は「青い山脈」「また遭う日まで」「どっこい生きてる」「山びこ学校」「ひめゆりの塔」「にごりえ」「ここに泉あり」「真昼の暗黒」「夜の鼓」「キクとイサム」「武士道残酷物語」をはじめ、遺作となった「戦争と青春」まで大半は観ているのだが、あいにくこの映画はその機会を逸していた。1957年、今井正監督は「米」でキネ旬1位、「純愛物語」で同第2位を獲得している。冒頭に書いたように、今回の上映はいわゆる「反核映画」を特集した映画祭でおこなわれた。

 『経済白書』が「戦後は終わった」と書いたのは1955年。戦前の鉱工業生産を上回り、日本経済がようやく戦争の爪あとをのりこえた時期だが、他方で、戦争孤児や空襲で焼け出された人々など、今風にいえばホームレスも少なくなかった。主人公の二人がスリを働く上野のデパートには数多くの品物があふれ、それを買い求める女性客でごった返している。だが、その一方では、すぐ近くの公園に浮浪者の群れがおり、離れた下町の商店街には1泊50円のドヤがある。そういう二極分解した社会のありようが巧みに切り取られている。また、1954年には米国のビキニ水爆実験による「第5福竜丸」の被爆があり、新たな世界核戦争の危機が切実に受けとめられた時代でもあった。そういう時代の雰囲気を、この作品は見事に映し出している。

 貫太郎(江原真二郎)とミツコ(中原ひとみ)の出会いは、ミツコが他の不良仲間にレイプされそうになるのを助けるという状況でのことだった。この二人の気持ちの通いあいは、まさしく「純愛」の標題どおり。貫太郎を懸命に更正させようとする下山観察官(岡田英次)や、ミツコのことを真剣に思いやる聖愛学園の小島教官(楠田薫)は、彼らに裏切られたりしながらも、温かく見守っている。だが、ミツコの体調不良をきっかけに、原爆投下3日後の広島を訪ねていた事実が明るみにでる。彼女は原爆症による再生不良性貧血と診断される。このことは、作品では最初から示されているのではなく、ミステリーの種明かしのように、次第に明らかになっていく。原爆問題がタブーとされた米軍占領支配の終わりからまだ数年しか経っておらず、政府の被爆者援護は健診さえまだ緒についたばかりという状況が、その映像からも伝わってくる。二人は束の間の青春を謳歌し、丸一日近郊の牧場などを散歩するデートをし、愛情を確かめあう。鑑別所で身につけた技術をもとに自動車修理工場を持つという夢をつい見失いそうになる貫太郎に対して、自らの更正を誓いつつ励ますミツコの心情が丹念に描かれるところが泣かせる。だが、その翌日から彼女は病に臥せってしまう。貧困と無知が彼女の健康状態をいっそう早く蝕んでゆく様子が痛々しい。貫太郎が自動車修理の仕事につけることを病院のミツコに報告に行ったときには、病室にはもう彼女の姿はないという悲劇的な結末を迎える。

 「総天然色スコープ」という冒頭の画面が時代を感じさせるが、独立プロの作品でなく、東映の作品であることから資金的にまだ恵まれていたのか、この時期の今井作品にしては珍しいカラーの映像となっている。このことから、たとえばミツコの腕に紫の斑点が浮かび上がるところや、倒れて鼻血を流すところなどが、リアリティをもって伝わってくる。また、当時の高井戸の駅の階段を駆け上がるシーンと、その直後にミツコが息を切らせているところの描写など、一瞬の青春の輝きをそこに忍び寄る死の影を感じさせて、ぐっとくる場面だ。夕闇のお寺の境内でのキスシーンと、その直後のミツコのふらつき倒れる様子との対照も胸に迫ってくる。

 演技では、何といっても江原のまっすぐな演技と、中原のひたむきさが、深く印象に残る。脇役の豪華さも目を見張る。厳格だが優しさをも備えた長岡輝子の園長、冷徹な印象を与える加藤嘉の教官、ドヤでミツコの体調を気遣う東野英治郎の屑や、誠実にミツコの診察にあたる木村功の若き医者、最後の方でほんの少しでてくる荒木道子の看護師、等々。とくに不良仲間を若き日の田中邦衛や井川比佐志が演じているのも目をひいた。

 今回の上映版はおそらくデジタル・リマスタリングしたものを使用したのだろうが、画面に雨が降らず、美しい映像で見られたこともよかった。

【データ】
 監督:今井正
 製作:大川博
 原作・脚色:水木洋子
 企画:マキノ光雄、本田延三郎
 撮影:中尾駿一郎
 音楽:大木正夫
 美術:進藤誠吾
 編集:長沢嘉樹
 録音:岩田広一
 照明:元持秀雄

 早川貫太郎:江原真二郎
 宮内ミツ子:中原ひとみ
 小島教官:楠田薫
 鈴木教官:加藤嘉
 下山観察官:岡田英次
 食堂の主人:中村是好
 屑や:東野英次郎
 ドヤのかみさん:岸輝子
 聖愛学園園長:長岡輝子
 中華ソバ屋:嵯峨善兵
 医務課長:松本克平
 瀬川病院医師:木村功
 病院の医師:北沢彪
 看護婦:荒木道子
 里やん:田中邦衛
 ハートの円:鈴木保
 吾朗:井川比佐志

 1957年・東映作品、133分

■映画「オーケストラの向こう側――フィラデルフィア管弦楽団の秘密」
2008年5月20日(火)渋谷・ユーロスペース1

 C・エッシェンバッハの指揮は実演で良いと思ったことが一度もないし、五嶋みどりのヴァイオリンも苦手だし、その割に価格設定が高すぎるので、今回のフィラデルフィア管弦楽団の来日公演は見送った。だが、ちょうどその時期に合わせて公開されたドキュメンタリー映画は観てきた。フィラデルフィア管弦楽団といえば、レオポルド・ストコフスキーとディアナ・ダービン主演の映画「オーケストラの少女」(1937年)と、ウォルト・ディズニーのアニメーション映画「ファンタジア」(1939年)に出演し、銀幕との結びつきは歴史的に深い楽団だろう。その名門オーケストラの楽員たちの思いに光を当てたドキュメンタリーに興味があったからだ。内容は以下のとおり。

 フィラデルフィア管弦楽団の演奏家たちは、気鋭の映像作家ダニエル・アンカーとの共同作業によって、“音楽とは何か?”という本質的な問いへの答えを探し出してゆく。カメラは舞台を超えて、オフステージの演奏家の姿を追い続ける。コンサートマスターのディヴィッドは、ソリストとして生きることに対する閉塞感から人生を再発見するまでの心の軌跡を打ち明ける。ランザ兄弟は子どもの頃に住んでいたイタリア人労働階級街を訪ね、自らのルーツに音楽の原点を見出していく。フィラデルフィア管弦楽団独自の甘美かつ優雅なハーモニーは、日々音楽に挑み、音楽を愛し続ける演奏家たちの真摯な生き方によって創り上げられるのだ。(セテラ・インターナショナルHPより)

 作品は、第1部「それぞれの音」、第2部「音の狭間に」、第3部「パートがひとつに」という3つの部分からなる。第1部冒頭では「音楽とは何か」という質問に対して、ある奏者は「生涯続く挑戦」と答え、別のある奏者は「常に存在するもの」と答えるなど、当然ながら一様でない。その直後、サヴァリッシュ指揮による「コリオラン序曲」の一節が流れる。そうした楽員たちへのインタビューと、彼らの日常の暮らしぶり、楽団の演奏風景などを織り交ぜながら、映画は進行していく。サルサが好きでクラブでも吹いているトロンボーン奏者、ジャズで修士号をとったというホルン奏者、入団テストの日にバンジョーの音楽を聴いていたというヴァイオリン奏者もいる。そうした映像の間にもいろんな作品の演奏場面が登場するが、サヴァリッシュ指揮による「展覧会の絵」の一節は、よく見るとサントリーホールでの来日公演であることがわかる。

 コンサートマスターのデイヴィッド・キムのインタビューが印象深い。8歳でジュリアード音楽院に入学、1986年のチャイコフスキー・コンクールで6位入賞した力量の持ち主だが、実は14歳の時の母親をガンで亡くしており、コンクール後の米国内でのソリスト活動にも「先細り」感を抱くなど栄光と挫折を経験した後、30代になってからオーケストラへの入団を果たし、あらためて音楽の歓びを感じるようになったことが語られる。その間に流れる、彼が友人たちと弾くシューベルトの弦楽五重奏曲が美しい。

 このほか印象に残ったのは、ドイツ・ケルンでの演奏会の後、街で無名のバンドネオン奏者によるヴィヴァルディ「四季」の「冬」の超絶技巧に出くわし、それに楽員たちが暖かく拍手を送っているシーン。障害児施設でヴァイオリン奏者がゴセックの「ガヴォット」を弾くと、子どもたちがそれにあわせて生き生きとして声を上げたり体を動かしたりするシーン。さらに、イスラエル出身の奏者が、アラブの伝統楽器を演奏する音楽家シモン・シャヒーンとセッションを積み重ねるシーンも胸を打つ。それぞれが「音楽とは何か」の回答になっていると言ってよいだろう。

 第2部では、エッシェンバッハ指揮の「英雄」と、映像では誰の指揮か分かりにくい「春の祭典」の演奏が中心にすえられている。そのほか、一瞬だけラン・ランがソリストとしてリハーサルしている映像もある。また、タン・ドゥンが1984年に作曲したという「オン・タオイズム」(道教について)を作曲者とともに練習する様子も収録されている(タン・ドゥンの音楽はあまり面白いと思わないが…)。第2部でもっとも印象に残るのは、サヴァリッシュ指揮によるブラームスの交響曲第4番第2楽章の演奏風景だ。サヴァリッシュの妻の死後間もない時期の演奏で、ある奏者は「哀切の表現が最高だった」と語っている。「音の狭間に」という章の標題もそのことと結びついているのではなかろうか。

 第3部では、シューベルトの「ザ・グレイト」第2楽章の一部の演奏から始まり、フィナーレでは、エッシェンバッハ指揮によるブラームスの交響曲第1番第4楽章の演奏が紹介される。有名な主題を各パートが受け渡してゆく様子が描かれるが、そこに「パートがひとつに」という章の標題の意味が込められ、各パートがひとつになっていくことによって壮大な音楽が紡ぎだされるオーケストラの世界の歓びが浮かび上がってくる。

 人間味あふれる奏者たちの集合体であるというオーケストラの断面が凝縮され、1時間半退屈しないドキュメンタリー映画だった。オーケストラ音楽ファンなら、見ておいて決して損はないだろう。ただし、ユーロスペースのスピーカーは、オーケストラの響きを聴くにはやや貧弱で、音がキンキンする傾向のあることは覚悟しておいたほうがよい。

【データ】
 監督:ダニエル・アンカー
 出演:フィラデルフィア管弦楽団の105人のメンバーたち
 指揮者:ヴォルフガング・サヴァリッシュ
     クリストフ・エッシェンバッハ
     シャルル・デュトワ
     インゴ・メッツマッハー
     タン・ドゥン

 原題:Music From The Inside Out
 字幕:杉山緑
 字幕監修:前島秀国
 2004年・アメリカ映画・90分

映画「光州5・18」

■映画「光州5・18」
2008年5月18日(日)新宿ガーデンシネマ1

 ちょうど28年前の1980年5月18日、韓国・全羅南道の人口70万の都市・光州で民主化を求める学生・市民らと、それを制圧しようとする戒厳軍との間で衝突が起きた。これを契機に、次第に「市街戦の様相」となり、5月27日に武力鎮圧されるまでに、一説には2000人と言われる市民の犠牲者(当局発表は189人)をだしたのが、いわゆる「光州事件」だった。その後、韓国では「5・18光州民主化運動」と呼ばれている。この事件そのものを韓国で初めて映画化したのが本作で、韓国では740万人の動員を数えたという。事件発生の日にあわせて観にいった。あらすじは以下のとおり。(ネタバレ注意)

 5月の新緑がまぶしい美しい田園の中、青年ミヌは、心地良い微風を満喫しながらタクシーを走らせる。早くに両親をなくしたミヌは、高校生の弟ジヌの親代わりでもあり、成績のいいジヌが名門ソウル大学法学部に首席入学することを夢見ている。ミヌは、ジヌと同じ教会に通う看護師のシネに片思いしていて、弟ジヌは純情な兄を時にからかいながらも、兄の恋が実ることを願っていた。ミヌが、ジヌをダシにどうにかシネをデートに誘い、3人は一緒に映画を見に行く。5月18日のことだ。
上映途中、突然、館内に逃げ込んできた青年を、追ってきた兵士が棍棒で激しく殴打し、同時に館内は催涙弾の煙に包まれる。観客たちが押し出て行くと、外は兵士たちと逃げ惑う青年たちで騒然となっていた。空挺特別部隊の兵士たちが、「アカを倒すため」に光州に送り込まれてきたのだ。
 この日、チョンナム大学正門前に集まった学生たちが、全斗煥(チョン・ドゥファン)の退陣と戒厳軍の撤退を求めてシュプレヒコールを上げていると、正門前に整列していた兵士たちが学生たちに棍棒で殴りかかってきたのだ。ちりじりになった学生たちを追いかける兵士たちは、学生も市民も見境なく打ちのめしていく。逆らう者はすべて暴徒とみなすのが、軍の論理だった。この日、ジヌの親友サンピルも兵士に殴り殺された。
 軍のあまりの仕打ちに、市民の多くが立ち上がる。ジヌも、チンピラのヨンデも、ミヌの同僚のインボンの姿もそこにあった。ミヌは、ジヌの身を心配してデモへの参加を反対するが、ミヌ自身が軍に捕らえられ、川に飛びこんで何とか脱出する。
 5月21日、道庁前でデモをしている市民の群れに、「正午までに戒厳軍を撤収させるので皆さんは解散してください」と知事が呼びかける。勝利を得たと歓喜する市民たちは、対峙する兵士たちをからかい、なごやかなムードがあたりを支配する。そして正午に国歌が流れると、市民らは胸に手を当て、誇らしげな顔で唱和する。と、その時、整列していた兵士たちが一斉射撃を開始した。逃げ惑う市民たちに容赦なく浴びせられる銃弾。大通りは阿鼻叫喚の場と化した。銃弾に倒れた多くの市民の中に、ジヌも含まれていた。たったひとりの愛する家族を奪われたミヌは、ついに、戦う決意をする。
 シネの父親で、ミヌが働くタクシー会社の社長パク・フンスは、かつては空挺特別部隊予備役大佐だった。彼もまた軍の暴走に怒りをたぎらせ、立ち上がる。道庁の地下倉庫に保管されていた大量の武器を手にした彼らは、市民軍を編成し、光州を死守することを誓いあう。この頃、韓国国内では「市民の被害はない」と報道され、光州で何が起きているか、ほかの地域には知らされていなかったが、ついに外国メディアが報道しはじめていた。
 一度は撤収した戒厳軍は、今度は戦車の大群で乗り込んでくる。市民軍は道庁に立て籠る。神父も高校教師も銃を手に、加わる。パク・フンスは、娘シネのためにミヌを道庁から立ち去らせるが、ミヌもほかの男たちも、負け戦と知りながら愛する人たちのために闘う決意を固めていた。
 5月27日午前4時、道庁前に到着した軍が一斉射撃を開始し、兵士たちが道庁内に突入してきた…。(角川映画ホームページより)


 事件の背景と経過は、簡単に言うと次のようなことだった。韓国では、1979年10月26日、軍事政権だった朴正煕大統領が暗殺され、12月6日には崔圭夏国務総理(大統領代行)が大統領に選出されたが、同月12日に全斗煥が軍部を掌握した。翌80年3月には、かつて朴正煕によって「政敵」として弾圧された金大中、金泳三、金鍾泌らが政治の舞台に返り咲き、民主化の機運が高まった(ソウルの春)。だが、80年5月17日、全斗煥国軍保安司令官がクーデタで権力を掌握し、全国に非常戒厳令を敷いて、金大中、金鍾泌らを一斉逮捕、金泳三を自宅軟禁するとともに、民主化運動の中心をになった学生運動への抑圧を強めた(5・17クーデタ)。こうしたなかで、金大中氏の支持基盤だった全羅南道の中心都市・光州は、朴正煕軍事政権(維新体制)時代に「学生運動や在野運動、農民運動の有力な拠点」になっていた(文京洙『韓国現代史』岩波新書)。そして、朴正煕政権に冷遇されてきたという地域感情も背景に「全斗煥辞任」「金大中釈放」の学生デモが盛り上がり、市民にも広がった。5月21日には戒厳軍が実弾射撃で鎮圧をはかったのにたいして、市民は「市民軍」を結成し、道庁を接収して抵抗した。そして、5月22〜26日にかけては、市民軍による「光州自治」がおこなわれた。パリ・コミューンさながらの事態であり、H・アーレントのいう「革命から生まれた唯一の新しい統治形態」と言えるだろう。これにたいして、韓米連合軍司令官ウィッカムは、麾下の第20師団の兵力移動を承認した。「そのことは、米軍をこの光州での残忍な鎮圧作戦の共犯者とした」と指摘されている(文京洙・前掲書)。その結果、27日になって、250人余が立てこもる道庁に空挺部隊の一斉攻撃がおこなわれ、市民の抵抗は鎮圧されるという経過をたどった。こうした経過ののち、翌81年2月、全斗煥が間接選挙で大統領に選出された(第5共和制)。

 「光州事件」のこうした経過は、今日振り返って明らかになっていることだが、日本の新聞では「光州暴動」といった見出しが躍り、受験勉強の真っ只中だった者にとっては、事態の推移がよく分からなかった。「暴動」という当局側の用語をそのまま使った日本のメディアのセンスは、いまさらながら考えさせられる。他方、当時ラジオで聴いた韓国KBS(日本語放送)は軍事政権側の発表を伝えるだけだったし、北朝鮮の平壌放送は「全斗煥軍事ファシスト一味の圧政にあえぐ南朝鮮人民の決起」といったお決まりの調子で伝えていた記憶がある。その当否はさておき、1988年の民政移管から20年経ち、その後の韓国の民主化の進展からは想像もつかないが、全斗煥政権が血塗られた体制だったことは厳然たる事実だ。88年に発足した盧泰愚政権は「光州事件」への謝罪を表明し、その後、金泳三政権(93〜98年)のもとで、95年に事後法で「5・18特別法」ができ、その後の「光州事件」に関わる裁判で全斗煥元大統領、盧泰愚前大統領はともに有罪とされたことを、われわれは知っている。

 この映画の原題は「華麗なる休暇」というそうだ。それは当時の空挺部隊の鎮圧作戦のコードネームだったという。そうしたことも含めて、当時よく認識しえなかった「光州事件」の全容の一端を知ることができたことが、何よりの収穫だった。個々の人物の設定はフィクションだろうが、事件の推移やエピソードはかなりの部分、実話に基づいているようだ。その意味では、昨年観たハンガリー映画「君の涙、ドナウに流れ―ハンガリー1956」と似たところがある。

 この作品であらためて痛感させられるのは、軍隊が「暴力装置」としての性格をむきだしにして、市民に銃をむけるということの恐ろしさだ。そして、特に印象に残ったのは、“なぜ軍部が市民を抑圧するのか”という問いについて、登場人物たちがそれは“正当性の問題”だとして、“寝ている犬をけとばして起こし、それが騒いでいるからといって、犬を殴って黙らせれば正当性を獲得できる”というような趣旨の説明をしていたところだ。権力の本質を見事に言い当てている科白であり、それは韓国国民の体験にもとづく共通の実感だったろう。いったん撤退・譲歩したと見せて残忍な弾圧にでるというのも、ハンガリー事件のソ連軍とまったく同じで、市民的基盤のない勢力が支配する「暴力装置」の陰湿な特性を浮かび上がらせて余りある。これはよそごとではなく、日本でも1960年の安保改定反対運動にたいして、岸信介首相が自衛隊の「治安出動」を企図したが、赤城宗徳防衛庁長官(当時=例の絆創膏大臣の祖父)が硬骨漢ぶりを発揮して実施されなった歴史的事実があることは、銘記しておきたい。

 同時に、これだけの軍事独裁政治が、その後の国民世論と民衆運動の高まりのなかで、結局は瓦解に追い込まれたという歴史の重みも、あらためて感じないわけにはいかない。辛うじて「明治維新」という例外を除いて、民衆が専制政治を自らの手で倒した経験をもたないばかりか、1973年の金大中事件を「政治決着」の名でうやむやにした政府を持つわれわれ日本国民にとっても、この事件は決して他人事ではないはずだ。現代史に関心をもつ者としては、観ておくべき作品と言ってよいだろう。市民にスピーカーで「事件の記憶」をよびかけるシネの姿が胸を締めつける。さらに、ラストショットが秀逸。シネの心の中の妄想だろうが、韓国とくに全羅南道では「死後結婚」という風習があるそうで、それをふまえていてグッとくる。

 出演者についてひとこと――。兄弟愛をにじませるキム・サンギョンとともに、弟のイ・ジュンギの爽やかな感じが良い。さらに、シネに扮するイ・ヨウォンの凛としてひたむきで意志の強さを感じさせる演技が素晴らしい。こういうきりりとしたタイプの女優が、日本でなかなか出てこないのはどうしてだろうか(個人的には檀れい・長谷川京子あたりに期待…笑)。「市民軍」を率いてあくまで正義を貫こうとする冷静沈着な元職業軍人パク・フンスに扮するのは、韓国を代表する国民的俳優アン・ソンギで、その重厚な演技が胸に迫る。ただし、インボン役のパク・チョルミンと、ヨンデ役のパク・ウォンサンの“でこぼこコンビ”は、コミカルな役柄で「市民軍」にいかに幅広い層が結集したかを示す役割だが、この重厚な作品のなかでは、いささかおチャラケすぎていないか。このコンビが何となくユースケ・サンタマリアと豊原功補に見えてくるのはご愛嬌としても…。

【データ】
 監督:キム・フジン
 製作総指揮:ミキー・リー

 カン・ミヌ:キム・サンギョン
 パク・シネ:イ・ヨウォン
 カン・ジヌ:イ・ジュンギ
 パク・フンス:アン・ソンギ
 神父:ソン・ジェホ
 視覚障害者の老母:ナ・ムニ
 インボン:パク・チョルミン
 ヨンデ:パク・ウォンサン
 医師:チョン・インギ
 高校教師:ソン・ビョンホ
 中佐:イ・オル

 2007年・韓国映画・121分

全8ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8]

[ 前のページ | 次のページ ]


.
dsch1963
dsch1963
男性 / O型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

過去の記事一覧

標準グループ

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事