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■映画「4ヶ月、3週と2日」
2008年4月9日(水)銀座テアトルシネマ
2007年カンヌ国際映画祭のパルムドールを受賞したルーマニア映画。たいへんな力作ではあることは認めるが、後味の悪い作品であり、ホラー映画よりはるかに怖い。見終わって胃が痛くなり、しばらく肉を食べたくなくなる。どっと落ち込みたい人にオススメ。あらすじは以下のとおり。(ネタバレ注意)
チャウシェスク独裁政権末期のルーマニア、大学生のオティリア(アナマリア・マリンカ)とガビツァ(ローラ・ヴァシリウ)は寮のルームメート同士。実はガビツァは妊娠していたが、中絶は法律で禁じられていた。中絶手術の当日、予想外の事態が重なり手術の機会を逃しそうになるが、オティリアは親友のためにある決断を下す。(Yahoo映画より)
「赤い王朝」ともよばれ、1989年の一連の「東欧革命」の最後に劇的な形で倒壊したルーマニアのチャウシェスク政権。この政権下では1966年、中絶が法律で禁止され、それが最後まで続いていた。日本やアメリカでは宗教右翼が「中絶反対」を叫んでいるが、それが「社会主義」を標榜したルーマニアで実行に移されていたことは、知る人ぞ知る事実だった。その結果、孤児や捨て子が大量発生し、後に「マンホール・チルドレン」と呼ばれるようになったことも知られていよう。女性や子どもの人権がいかに蔑ろにされていたかを示すものだ。
舞台は、そんなチャウシェスク独裁政権最末期の1987年。大学の工学部で学ぶ女子学生オティリアが主人公。彼女のルームメートのガビツァは、妊娠してしまったため、ヤミの中絶手術をうけることになり、オティリアはそれに付き添う。ヤミ社会がはびこる独裁政権の暗部を、手持ちのカメラ、バックミュージック一切抜きという手法で淡々と描き出していく。やたら官僚主義的なホテル、石鹸のラックスやタバコのケントなど外国製品がヤミの高値で取引されるといった、当時の東欧圏の経済生活のひずみも浮かび上がる。ヤミ中絶手術を担当するベベという男は、あまり金をもっていない女子学生の足元を見ながら、「妊娠中絶は、ばれたら重い刑に問われる。分かっているのか」とふっかける。この機会を逃すと中絶できなくなるガビツァは必死で頼むが、ベベは帰ろうとする。その時、オティリアがベベに手術をしてもらうために決断したのは、自分の身体を引き換えにすることだった。この中絶手術とその前後は、胸が痛むシーンが淡々と続く。
その後、恋人アディの一家から招かれていたホームパーティーに出たオティリアは、彼氏との間ですっかり気まずい空気になってしまう。さらに、ホテルに戻り、ガビツァから堕ろされた胎児を見つけ、後始末のために、夜の街中をあちこち歩き回らざるを得なくなる。当時のルーマニアが電力不足もあって、街路灯がほとんどなく、きわめて暗い様子も伝わってくる。決死の思いで胎児を始末してホテルに戻ると、ガビツァは部屋におらず、レストランで能天気な調子で肉料理を食べているところで、映画は突然ぶちっと終わる。
中絶を題材とした映画には、マイク・リー監督の「ヴェラ・ドレイク」などの佳作があるが、独裁政権下の状況という意味では、クロード・シャブラル監督の「主婦マリーがしたこと」と共通する面があるかもしれない。非日常の極限状況のなかでオティリアの行動が、広い意味で「反体制」の行動に当たることは明らかだ。女性として言葉にできないほど大変な思いを体験させられた理知的なオティリアにたいして、自分のことなのにも関わらず一貫して無責任で身勝手な行動しかとれないガビツァの対比も、巧みに描かれている。また、おそらく悪気はないのだが、彼女のことをどこまで真剣に考えているのかわからない恋人アディの様子もリアリティがある。そして、ヤミの医療行為にあたっている中年男ベベの卑劣さ…。いろいろな点で身につまされる映画なのだが、見終わっての後味は胃液が戻ってきそうで、すこぶる苦い。
ルーマニアについては、1968年の「プラハの春」の際、ソ連などのワルシャワ条約機構軍によるチェコスロバキア侵攻に与しなかったため、当時の「西側」諸国の左翼のあいだでは評価する向きがあったらしい。そういう立場にいた人々こそ、チャウシェスク独裁政権下の社会のゆがみについて、虚心に直視すべきだろう。
【データ】
監督・脚本:クリスティアン・ムンジウ
オティリア:アナマリア・マリンカ
ガビツァ:ローラ・ヴァシリウ
ベベ:ヴラド・イヴァノフ
アディ:アレクサンドル・ポトチェアン
アディの母:ルミニツァ・ゲオルジウ
アディの父:アディ・カラウレアヌ
2007年・ルーマニア作品、113分
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