楽興の時・音の絵

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■映画「4ヶ月、3週と2日」
2008年4月9日(水)銀座テアトルシネマ

 2007年カンヌ国際映画祭のパルムドールを受賞したルーマニア映画。たいへんな力作ではあることは認めるが、後味の悪い作品であり、ホラー映画よりはるかに怖い。見終わって胃が痛くなり、しばらく肉を食べたくなくなる。どっと落ち込みたい人にオススメ。あらすじは以下のとおり。(ネタバレ注意)

 チャウシェスク独裁政権末期のルーマニア、大学生のオティリア(アナマリア・マリンカ)とガビツァ(ローラ・ヴァシリウ)は寮のルームメート同士。実はガビツァは妊娠していたが、中絶は法律で禁じられていた。中絶手術の当日、予想外の事態が重なり手術の機会を逃しそうになるが、オティリアは親友のためにある決断を下す。(Yahoo映画より)

 「赤い王朝」ともよばれ、1989年の一連の「東欧革命」の最後に劇的な形で倒壊したルーマニアのチャウシェスク政権。この政権下では1966年、中絶が法律で禁止され、それが最後まで続いていた。日本やアメリカでは宗教右翼が「中絶反対」を叫んでいるが、それが「社会主義」を標榜したルーマニアで実行に移されていたことは、知る人ぞ知る事実だった。その結果、孤児や捨て子が大量発生し、後に「マンホール・チルドレン」と呼ばれるようになったことも知られていよう。女性や子どもの人権がいかに蔑ろにされていたかを示すものだ。

 舞台は、そんなチャウシェスク独裁政権最末期の1987年。大学の工学部で学ぶ女子学生オティリアが主人公。彼女のルームメートのガビツァは、妊娠してしまったため、ヤミの中絶手術をうけることになり、オティリアはそれに付き添う。ヤミ社会がはびこる独裁政権の暗部を、手持ちのカメラ、バックミュージック一切抜きという手法で淡々と描き出していく。やたら官僚主義的なホテル、石鹸のラックスやタバコのケントなど外国製品がヤミの高値で取引されるといった、当時の東欧圏の経済生活のひずみも浮かび上がる。ヤミ中絶手術を担当するベベという男は、あまり金をもっていない女子学生の足元を見ながら、「妊娠中絶は、ばれたら重い刑に問われる。分かっているのか」とふっかける。この機会を逃すと中絶できなくなるガビツァは必死で頼むが、ベベは帰ろうとする。その時、オティリアがベベに手術をしてもらうために決断したのは、自分の身体を引き換えにすることだった。この中絶手術とその前後は、胸が痛むシーンが淡々と続く。

 その後、恋人アディの一家から招かれていたホームパーティーに出たオティリアは、彼氏との間ですっかり気まずい空気になってしまう。さらに、ホテルに戻り、ガビツァから堕ろされた胎児を見つけ、後始末のために、夜の街中をあちこち歩き回らざるを得なくなる。当時のルーマニアが電力不足もあって、街路灯がほとんどなく、きわめて暗い様子も伝わってくる。決死の思いで胎児を始末してホテルに戻ると、ガビツァは部屋におらず、レストランで能天気な調子で肉料理を食べているところで、映画は突然ぶちっと終わる。

 中絶を題材とした映画には、マイク・リー監督の「ヴェラ・ドレイク」などの佳作があるが、独裁政権下の状況という意味では、クロード・シャブラル監督の「主婦マリーがしたこと」と共通する面があるかもしれない。非日常の極限状況のなかでオティリアの行動が、広い意味で「反体制」の行動に当たることは明らかだ。女性として言葉にできないほど大変な思いを体験させられた理知的なオティリアにたいして、自分のことなのにも関わらず一貫して無責任で身勝手な行動しかとれないガビツァの対比も、巧みに描かれている。また、おそらく悪気はないのだが、彼女のことをどこまで真剣に考えているのかわからない恋人アディの様子もリアリティがある。そして、ヤミの医療行為にあたっている中年男ベベの卑劣さ…。いろいろな点で身につまされる映画なのだが、見終わっての後味は胃液が戻ってきそうで、すこぶる苦い。

 ルーマニアについては、1968年の「プラハの春」の際、ソ連などのワルシャワ条約機構軍によるチェコスロバキア侵攻に与しなかったため、当時の「西側」諸国の左翼のあいだでは評価する向きがあったらしい。そういう立場にいた人々こそ、チャウシェスク独裁政権下の社会のゆがみについて、虚心に直視すべきだろう。

【データ】
 監督・脚本:クリスティアン・ムンジウ
 
 オティリア:アナマリア・マリンカ
 ガビツァ:ローラ・ヴァシリウ
 ベベ:ヴラド・イヴァノフ
 アディ:アレクサンドル・ポトチェアン
 アディの母:ルミニツァ・ゲオルジウ
 アディの父:アディ・カラウレアヌ

 2007年・ルーマニア作品、113分

映画「うた魂♪」

■映画「うた魂♪」
2008年4月7日(月)新宿ジョイシネマ3

 映画館のチケット売り場の窓口で「うたたま1枚」と言ってから「豚玉1枚」を連想してしまったというと、夏帆ちゃんに叱られるだろうか。あらすじは以下のとおり――。

 函館・七浜高校合唱部のソプラノリーダー、萩野かすみ(夏帆)は自分の歌声とルックスに過剰なまでの自信を持つ女の子。ある日、写真好きのイケメン生徒会長・牧村純一(石黒英雄)に自分の歌っている姿を撮りたいと言われ、有頂天になっていた。しかし、出来上がった写真を見ると、そこには無様な表情で歌う自分の姿が写っており、かすみはすっかり自信を喪失。そこに現れたのが、番長・権藤洋(ゴリ)率いる湯の川学院高校のヤンキー合唱団。合唱祭で熱く歌う彼らの姿に感激したかすみは、やがて忘れかけていた歌への思いに気づき…。(cinemacafe.netより)

 とにかく、歌、歌、歌…、の映画だ。冒頭、海岸の砂浜で、夏帆ちゃんが一人で自己陶酔しながらイングランド民謡の「Early One Morning」を歌っている。「ドミソドシラソファミレドシド」というこの曲、歌詞も曲名も知らなかったけれど、子どものころNHK「みんなのうた」で聞いたことがあるぞ、と気づく。この歌は「乙女が恋する男性に愛されるのを待っている、という、けっこう意味深な歌詞」であるらしい。高校時代、合唱にかかわった者としては、高田三郎作曲「水のいのち」から「川」といった合唱曲の名曲には、歌ったことがあると反応してしまった。逆に、ノーランズの「ダンシング・シスター」などという曲に日本語の歌詞がついて、女子の合唱でなんだか盆踊り風の妙ちきりんな振りがつくと、こんな曲まで合唱で歌われるのか、と不思議な感慨を覚えてしまった。それに、尾崎豊はともかく、MONGOL800の「あなたに」なんていう曲まで、合唱曲になってしまうわけね。「うた魂♪」というタイトルはなかなかよくできている。歌はスピリット(魂)で歌うんだというメッセージが伝わる。

 はっきりいって感動するような映画ではない。なんともユルーいテイストの作品だ。映画の出来としては「スウィング・ガールズ」のほうが良かったとは思うが、単なるオヤジ・モードでいえば、夏帆ちゃんは可愛いし、彼女の合唱部の仲間を演じる亜希子と徳永えりの浴衣姿も萌えるし、敵役的な存在・青柳レナに扮する岩田さゆりの笑える屈折感もよい。それに、なんといっても合唱部の顧問役に産休代員としてかかわる女教師・瀬沼裕子役を演じる薬師丸ひろ子が、ポワンとしていい味をだしているのがうれしい。評者は別に薬師丸ファンではないが、「カイカン」「なんてね」「チャンリンシャン」の三つのフレーズには、背中がぞくっとしてしまうアホな世代なので、この作品で彼女の「なんてね」が聞けるのは「カイカン」である(←意味不明)。彼女が今回、尾崎豊の「OH MY LITTLE GIRL」を歌うシーンは必聴だろう。なんてね(爆)。

 昨年11月に惜しくも亡くなった草薙幸二郎氏が、喫茶店の老人客というちょっとした役で、飄々とした味をだしているのが素晴らしい。アメマおじさん、間寛平のおじいさんも良い。それからゴスペラーズが出てくるのだが、彼らの提供した「青い鳥」という楽曲はなかなか聴かせる。

【データ】
 監督:田中誠
 脚本:栗原裕光、田中誠
 製作:佐藤直樹

 荻野かすみ:夏帆
 権藤洋:ゴリ
 牧村純一:石黒英雄
 野村ミズキ:徳永えり
 松本楓:亜希子
 青柳レナ:岩田さゆり
 運転手溝口:森下能幸
 カメラマン中島:田中要次
 AD磯野:山中崇
 かすみの担任長谷川:加勢大周
 鶴本英次:児玉貴志
 七浜高等学校校長:有福正志
 喫茶店の老人客:草薙幸二郎
 喫茶店のマスター:黒田大輔
 牧村のクラス担任:赤堀雅秋
 金町高校合唱部顧問:鈴木卓爾
 合唱コンクール司会:いずみ尚
 荻野康平:利重剛
 荻野あゆみ:中村久美
 黒木杏子:ともさかりえ
 荻野知恵蔵:間寛平
 瀬沼裕子:薬師丸ひろ子

■映画「実録・連合赤軍―あさま山荘への道程」
2008年4月5日(土)テアトル新宿

 初めに誤解のないように断っておくが、評者は「連合赤軍」を含むいわゆる「新左翼」には何のシンパシーもない。むしろ、1970年代後半以降の日本で、フランスやイタリア、ドイツ程度にも、社会への若者の異議申し立てが起こらない状況をもたらした大きな要因は「連合赤軍事件」であり、「中核」「革労協」対「革マル」などの「内ゲバ」殺人事件だったと考える。さらに、さかのぼれば「新左翼」諸セクトが中国の「文革」とも共鳴しつつ採用した「武装闘争」「暴力革命」路線が、ふつうの若者を異議申し立ての運動から遠ざける要因となったことも否定できないと考えている。

 したがって、この作品への評者の関心も、シンパシーやノスタルジーでは当然ありえず、主として二つに絞られる。一つは、一連の凄惨なリンチ殺人事件がどのように描かれているのか、もう一つは「あさま山荘事件」の最中に犯人たちと管理人の妻との様子がどう描かれているのかということであって、結局のところ、極限状況での人間の生きざまについての関心である。

 従来「連合赤軍事件」を扱った映画といえば、彼・彼女らに寄り添った視点からの作品として立松和平原作・高橋伴明監督の「光の雨」(2001年)があり、対照的に徹底して権力側からの視点にたった作品として佐々淳行原作・原田眞人監督の「突入せよ!あさま山荘事件」(2002年)があった。先の関心からいえば、「危機管理」を飯のタネにする佐々オヤジの鼻白む自慢話ばかりで長野県警からさえ総スカンを食ったという後者は論外だった(警察の「泳がせ」政策の面もあったわけだし)。他方、前者もリンチ事件についてはそれなりに描いていたものの、森恒夫をモデルとした役に山本太郎をキャスティングしたため、いささか噴飯物の仕上がりだったし、「あさま山荘事件」をはじめ全体に坂口弘の手記に依拠したことから、彼の冷静沈着さばかり強調され、疑問の残る作品だった。若松孝二監督といえば「赤軍―PFLP」などの作品で当時から「新左翼」へのシンパシーを露骨に表明してきた。その意味で作品のスタンスは初めから見えている。だが、過去の二作品を超える「実録」的再現がなされているかどうかには興味があった。

 その点でいえば、この作品全体の半分近くを占める山岳アジトでの「軍事訓練」とその最中に「総括」の名でおこなわれた凄惨なリンチ殺人の実態が、まさに「実録」として周到に描かれていることは認めておきたい。なかでも、遠山美枝子(坂井真紀)が自分への「総括」として自分の顔を殴るよう強要される場面は凄まじく、その後の特殊メイクも駆使した腫れあがり歪みきった表情には戦慄を覚える。同時に、部下たちに「スターリン主義とのたたかい」「プチブル主義との思想闘争」を口実に「総括」と称してリンチをくわえるリーダー格の森恒夫(地曳豪)と永田洋子(並木愛枝)こそが、実はもっとも「スターリニスト的」であり、かつ「プチブル的」(嫌な言葉!)であるというパラドックスが鮮やかに浮き彫りになってくるところも興味深く見た。東京都内のラブホテルでの森・永田の関係を示す短いカットの挿入は秀逸。「やらなければやられる」という極限状態での集団心理が「粛清」行動を拡大していった状況が、まさしく1930〜40年代のスターリン体制下のソ連と相似形だったことも浮かび上がってくる。

 にもかかわらず、おそらくは坂口弘手記に多くを依拠していることから、もう一方の「あさま山荘事件」の場面をはじめとして、彼が相対的に冷静な存在として描かれるという構図は、この作品の場合も免れておらず、そこにリアリティの弱さを感じる。坂口弘手記(全3冊)は昔読んだことがあるが、そこから自己弁護の部分を慎重に剥ぎとっていく作業が必要ではないのか。この作品が「あさま山荘事件」のところになると、描き方がとたんに「連合赤軍」の坂口や坂東らの自己中心的ヒロイズムにべったり寄り添ったものになるため、画面からも緊張感がなくなっていくことは否定しようがない。結論的にいって、加藤三兄弟の一番下の「勇気が無かった」という科白ですませられる問題なのか。

 演技は、関西弁が関西弁になっていない塩見孝也役は困ったものだが、坂井真紀、地曳剛、並木愛枝をはじめ、中心的な登場人物に扮した役者たちの迫真の演技は、それとして評価しておきたい。特に、永田洋子に扮する並木のキツネ目の眼光は鬼気迫るものがある。犯人たちに監禁される「あさま山荘」管理人の妻に扮した奥貫薫は「三丁目の夕日」「カーテンコール」に続いて、不幸を背負った女性を演じたら天下一品だと、いつもながら感心する。

 余談を一つ。評者は学生時代からヘルメットにマスク姿の人にはなるだけ近づかないようにしているが、映画館の中に帽子と眼鏡とマスクという観客が何人かいて、一瞬ギョッとした。この時期、花粉症の人とセクトの人とは見分けがつきにくい。

【データ】
 監督・製作:若松孝二
 音楽:ジム・オルーク
 ナレーション:原田芳雄

 遠山美枝子:坂井真紀
 森恒夫:地曳豪
 坂口弘:ARATA
 坂東國男:大西信満
 植垣康博:中泉英雄
 青砥幹夫:伊達建士
 重信房子:伴杏里
 永田洋子:並木愛枝
 さらぎ徳二:佐野史郎
 あさま山荘の管理人:奥貫薫

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映画「明日への遺言」

■映画「明日への遺言」
2008年3月9日(日)錦糸町・楽天地シネマズ錦糸町4

 小泉堯史監督といえば「雨あがる」「阿弥陀堂だより」「博士の愛した数式」といった佳品で定評があるが、アジア・太平洋戦争直後のB級戦犯裁判を扱った本作は、これまでの作品とは性格の異なる問題作だ。理由は後に書くが、この作品には感動できなかった。

 「明日への遺言」のあらすじは、以下のとおり。
 太平洋戦争末期、無差別爆撃を実行した米軍機の搭乗員を処刑した責任を問われ、B級戦犯として戦争裁判にかけられた岡田資(たすく)中将(藤田まこと)。傍聴席から妻・温子(富司純子)や家族が見守る中、彼はひとり“法戦”に挑んだ。部下を守るため全責任を負った岡田中将の潔い姿は、次第に法廷内にいる全ての人の心を動かしていく。そして、判決が下る――。戦勝国アメリカとの法廷戦争に、最後まで誇り高く立ち向かった岡田資中将と家族の絆を描いた真実の物語。(cinemacafe.netより)

 原作は、作家・大岡昇平氏のノンフィクション『ながい旅』。主人公の岡田資中将は1890年生まれ、陸軍士官学校を卒業した高級軍人で、30代のときに英国大使館付の武官補佐官としてロンドンに2年半赴任、さらに陸軍大学校教官、参謀本部員、歩兵第八旅団長、陸軍戦車学校長、戦車第二師団長などを歴任し、1945年2月に本土決戦準備の過程で第十三方面軍司令官・東海軍管区司令官に就任した。東海軍は、5月14日の名古屋大空襲の際、撃墜したB29の搭乗兵11名を、その後16名の米兵を捕獲し、6月〜7月に彼らを斬首処刑した。これが連合軍捕虜にたいする戦争犯罪にあたるとして、岡田司令官以下20人が起訴されて「横浜法廷」にかけられた。裁判では、1948年5月19日、岡田にたいして絞首刑の判決が下され、参謀などの将校は終身刑から15年、実際に刑を執行した下士官と兵13人は10年の重労働という有罪判決となった。但し、下士官と兵13人は服役が免除されて釈放され、実質的に無罪と同様の扱いをうけた。そのため、搭乗員処刑の責任を一身に背負った司令官として、その人格が高く評価されることとなった。大岡の原作も、今回の映画も、そういう視点に立って描かれている。

 映画は冒頭で、作品とのかかわりで押さえておくべき戦時国際法の歴史を簡潔に紹介している。1923年、オランダのハーグで開かれ日本も参加した「戦時法規改正委員会」では「爆撃は軍事的目標に対して行われた場合にかぎり適法とする」と宣言された。つまり、都市への無差別爆撃は国際法に反する行為となった。他方、1929年には、戦争で傷ついた兵士・捕虜・文民の保護を定めたジュネーブ条約が締結された。だが、1937年、スペイン戦争に介入したドイツ軍によるゲルニカ空爆、日中戦争での日本軍による南京・漢口・重慶などへの無差別爆撃を皮切りに、第2次世界大戦開始以降のドイツ軍によるロンドン爆撃、連合国軍によるベルリン・ハンブルク・ドレスデン爆撃、さらに米軍による東京大空襲以降の無差別爆撃と広島・長崎への原爆投下というように、都市への無差別爆撃は枢軸国・連合国を問わず戦争手段として実施されてきたことが、手際よく紹介される。こうした状況のもとで、岡田らは1945年、B29の搭乗兵は無差別爆撃をおこなったことが明白だとして、日本軍の正規の「軍律会議」にかけることなく、略式裁判で処刑を決めたというのが、ドラマの前史にあたる。

 映画はこうした経過をふまえ、基本的にノンフィクション・ドラマというべき手法をとって「横浜法廷」での岡田の弁論と巣鴨拘置所での獄中生活を淡々と描いてゆく。その作風はNHK「その時歴史は動いた」のような印象もあるが、おそらく史実にほぼ忠実だろう。そして、米兵にたいする斬首処刑の責任を一身に背負いつつ、法廷で米軍による日本への都市無差別爆撃を「国際法違反」として批判する論陣を堂々とはった岡田の姿は、たしかに凛とした高い品格を示しているように見える。岡田に扮する藤田まことの演技は、法律用語ばかりか英語も混じる複雑な科白を見事にこなしており、作品そのものも難解なテーマを扱いながら、2時間弛緩することなくひきつける。

 「横浜法廷」をふくむBC級戦犯裁判が、A級戦犯を裁いた極東国際軍事法廷(いわゆる東京裁判)と同様、いわゆる「勝者の裁き」の面をもったことは否定できない。米軍の都市無差別爆撃や原爆投下、ソ連軍の「満州」での日本人市民に対する殺戮・虐待やシベリア抑留などは明らかに国際法違反だが、第2次世界大戦の終結後、こうした行為がいっさい不問にされたことの不当性はいうまでもない。

 だからといって、岡田らの行為が免罪されてよいかといえば、そうはならないのではないか。「横浜法廷」とは違って、日本の「軍律裁判」の場合、米兵に弁護人が付くことはありえない。そうした状況での岡田らの一方的な処断は果たして正当だったといえるのか。それだけではない。岡田資中将については、映画がつくられる以前から、歴史学者の次の指摘があるからだ。

 「米軍法廷では、岡田中将は、国際法を盾にアメリカ軍の無差別爆撃を糾弾したが、中国で国際法違反の毒ガス戦を肯定し積極的に指揮するようになったことは、裁判では訴追されなかったので語ることなくすんだ。岡田将軍に限らず、参謀総長以下著名な陸軍将校が毒ガス戦を指示し、指揮しているのだが、中国人が相手の時には国際法違反の痛みはなかったのだろうか。いずれにしても、岡田中将を評価する場合、米軍法廷でみられる気骨のある態度とともに、日中戦争における毒ガス使用に対する態度の問題や、日本軍の重慶などに対する無差別爆撃の問題に対する態度もあわせて考える必要があるであろう」(吉見義明『毒ガス戦と日本軍』岩波書店、2004年)

 「同時に忘れてはならないことは、日本軍による重慶爆撃などの無差別爆撃が戦犯裁判で裁かれなかったことである。また岡田資軍司令官は法廷で米軍の無差別爆撃を国際法違反として批判し、搭乗員処刑の責任を一人で背負った将軍として高く評価されているが、かれは歩兵旅団長時代の1938年、中国で毒ガス戦を実行し、その効果を高く評価する報告をおこなっている。無差別空爆を批判しながら、自らは中国に対して毒ガス戦を遂行しつつ反省しようとしなかった」(林博史『BC級戦犯裁判』岩波新書、2005年)

 「明日への遺言」に入り込めない理由は、こうした視点を欠落させた「真実の物語」と言わざるをえないからだ。同時に、この映画には描かれていないが、日本の都市への無差別爆撃を指揮した米軍司令官カーチス・ルメイに対して、1964年、戦後の航空自衛隊創設に尽力したことを理由に、昭和天皇の名において勲一等旭日大綬章が授与された事実は、あらためて記憶しておきたい。それは、真珠湾攻撃当時の航空参謀で、戦後自民党参議院議員をつとめた源田実の推薦によるものだったという。

【データ】
 監督:小泉堯史
 製作:原正人
 原作:大岡昇平(『ながい旅』角川文庫刊)
 脚本:小泉堯史、ロジャー・パルバース

 岡田資中将:藤田まこと
 岡田温子:富司純子
 フェザーストン主任弁護人:ロバート・レッサー
 バーネット主任検察官:フレッド・マックィーン
 ラップ裁判委員長:リチャード・ニール
 町田秀実(弁護側証人):西村雅彦
 守部和子(同):蒼井優
 水谷愛子(同):田中好子
 岡田陽:加藤隆之
 小原純子:近衛はな
 ナレーター:竹野内豊

 2008年日本・110分

■映画「ぜんぶ、フィデルのせい」
2008年3月2日(日) 恵比寿ガーデンシネマ1

 つい最近、キューバのフィデル・カストロ国家評議会議長が引退を表明し、弟のラウルが後継になるというニュースが伝わった。そんなときに「フィデル」の話題がでてくるウィットに富んだフランス映画を観た。あらすじは以下のとおり。(以下ネタバレ注意)

 1970年のパリ。弁護士のパパ、マリ・クレールの記者のママ、やんちゃな弟のフランソワ、そして、大好きなキューバ人の乳母・フィロメナと一緒に庭付きの家に暮らしていていたアンナ。名門のカトリック女子小学校に通い、成績優秀で完璧に調和がとれていた、アンナの毎日。ところが、パパの兄がフランコ政権を相手に反政府運動を行い、逮捕されてしまう。それを機に社会的良心に目覚めたパパとママ。子供たちを残してチリへと旅立ち、やっと帰ってきたと思ったら、さあ大変。2人の風貌はまるでヒッピー。すっかり共産主義に傾倒し、チリの政治運動に参加した父親は弁護士を辞め、小さなアパートへ引っ越すことに。大好きなフィロメナは解雇され、宗教学の授業にも出られず、ミッキー・マウスも取り上げられる。突然訪れた、新しい環境にアンナは不満爆発。フィデル(=カストロ)と理不尽なオトナたちに宣戦布告!? (cinemacafe.netより)

 監督のジュリー・ガヴラスは、ギリシア出身で「Z」「ミッシング」など政治的メッセージ性の強い作品で知られる映画監督コスタ=ガヴラスの娘。初監督となったこの作品の時代設定は、スペインではフランコ独裁体制末期で統制・抑圧が強化され、パリが亡命者の拠点となっており、1968年の五月革命、1970年のアジェンデ大統領の就任によるチリ人民政権樹立などを背景に、フランスの左翼運動の高揚期だった頃となっている。そうした時代に、もともとセレブな生活を送っていた夫婦が、突如としてチリ人民連帯などの左翼運動や妊娠中絶の自由を求める女性解放運動に没頭してしまうという状況のもとで、それにふりまわされる9歳の少女が主人公。

 タイトルの「ぜんぶ、フィデルのせい」とは、夫婦の左傾化で自分の首がとんでしまう亡命キューバ人の住みこみ家政婦フィロメナが、主人公アンナにこぼす愚痴に由来する。それは家庭環境の激変に翻弄されるアンナの気持ちでもある。アンナにとって「キョーサン主義」とは、フィロメナの口癖である「赤くて、髭づらで、貧しくて、引越しばかりしている人たち」でしかない。だが、新しいアパートに出入りするお手伝いさんのギリシア人、続いてベトナム人のつくる料理に慣れ、それぞれの文化が育てた神話に胸ときめかせたり、家に出入りするラテンアメリカ系の髭づらのおじさんたちにオレンジを使って「富の公平分配」を説明されたりするなかで、両親の活動に興味を持ちはじめる。さらに、カトリック女子小学校の授業で、狼に食べられた山羊の話が取り上げられた際、牧場にいれば食べられなかったと従順の大切さを説く先生に対して、山に行こうとしたのは自由を欲したからだと楯突き、保守的な学校を辞めることを決意する。そして1973年9月11日、アジェンデ大統領死亡のニュースが伝わり、父親は途方にくれる。アンナが新しく通うようになった公立小学校には、いろんな皮膚の色の子どもたちがいるが、その遊びの輪のなかに混ざっていく姿が真上からのショットで撮られるのが印象深い。フランスの左翼(とくにキョーサン主義)が、あまりにソ連との関係が強かったため、当時に比べ、1980年代末〜90年代初頭の東欧・ソ連の崩壊以降すっかり凋落してしまったのは、致し方のないことだろう。同時に、移民の受け入れなどは、当時も今も、フランス社会は日本とは比べものにならないほど進んでいる。そうしたことも考えさせる、さわやかな余韻の残るラストシーンだ。

 少女アンナ役が映画デビューとなったニナ・ケルヴェルが抜群に巧い。環境の急変に翻弄されながらも少しずつ大人びてゆく様子が実に自然だ。急に中絶自由化運動に目覚める雑誌記者でもある母親マリー役のジリー・ドパルデューは、ジェラール・ドパルデューの娘というが、そうした配役も面白い。

 途中、チリの地方選結果を聴いた人たちが「ベンセレーモス」を合唱するシーンに、ニヤリとさせられた。それから、アンナが髪をとかれる場面を観ながら、その昔ベトナム戦争で撃墜された米軍機B52のジュラルミンでつくったという櫛を母親がどこか(たぶん労働組合のバザー)で買ってきたので、それで髪をといたら、加工が悪いため髪の毛がぶちぶちと切れてしまい、二度と使わなくなったという、すっかり忘れていた幼い日の変な体験を思い出してしまった。

【データ】
 監督・脚本:ジュリー・ガヴラス
 製作総指揮:シルヴィー・ピアラ、マチュー・ポンポワン

 アンナ:ニナ・ケルヴェル
 マリー:ジュリー・ドパルデュー
 フェルナンド:ステファノ・アルコシ
 フランソワ:バンジャマン・フイエ

 原題:La faute a Fidel
 2006年フランス作品、1時間39分
 字幕翻訳:高部義之

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