楽興の時・音の絵

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■金山茂人著『楽団長は短気ですけど、何か?』

 芸術・文化に携わる人たちの「楽屋話」は面白い。それにしても「オーケストラの楽団長」とは、いったい何をする人か? それを知るには、本書を読めばいいのではないだろうか。

 著者の金山茂人氏は、東京交響楽団前楽団長。現在は日本演奏連盟専務理事をつとめる。その楽団長としての悲喜こもごもを、所沢市文化振興事業団の広報誌に連載した文章に加筆して、第1〜4章にまとめている。そして第5章では、富山に生まれヴァイオリン奏者として東響に入団したものの、スポンサーの支援を打ち切られ苦難の道を歩み、1976年以降楽団代表としてその建て直しに奔走したという、氏の半生をまとめている。

 「楽団長の存在をひと言で説明するならば、企業でいう社長に当たる。だが社長といえば格好よいのだが、立場は同じでも楽団長はなんとなく貧乏クジを引いた、というイメージを禁じ得ない。春になると、軒下でピーピー餌の催促をする子燕を見かける。楽団長と楽団員の関係は、まさにあれだよなぁ〜と妙に共感したりする」(11頁)――こうしたユーモア混じりの調子の中に、30年にわたり楽団運営に重ねた苦労がうかがえる。例えば、楽員への給与支払いがピンチとなれば、企業の社長や会長、個人の篤志家などへ寄付を依頼しに回る。「だが、そこで惨めったらしく『なんとかお助けを……』とばかりに窮状を訴えたり泣きを入れたりしてはいけない。貧しくても誇り高き音楽家のために、日本の音楽文化を支えているのはオレたちだ!という気概をもつことが肝心。……いうなれば金をせびりながら、胸を張って威張らなくてはならないのだ」(12頁)という。同時に「その結果幾ばくかの報奨を手にしたならば、決して返済することなど考えてはならない」とも。

 第2章では、アルヴィド・ヤンソンス(先月来日したマリス・ヤンソンスの父上)や朝比奈隆ら金山氏が出会ってきた「素敵な音楽家たち」の興味津々の逸話が紹介される。第3章では、指揮者とオケの各パートの特色を細かく紹介している。こうしたパート紹介としては、N響の首席オーボエ奏者・茂木大輔氏の『オーケストラ楽器別人間学』(新潮文庫)があるが、本書は楽団長目線であるところがユニークだ。

 第4章は、楽団の発展のなかでヨーロッパ、トルコ、中国への演奏旅行の思い出が語られる。2006年の二度目の中国公演の時、唐家璇外相の「中日関係の改善は政治家同士の話し合いより、文化交流がなにより大切ということが良くわかった」という発言を聴き、「音楽の道を選んで最高の生きがいを感じた瞬間だった」(172頁)という。日中韓3国が隣国同士なのに仲が良いとはいえないことを憂慮し、「文化によって人間の優しさを前面に押し出すことに成功するならば、三カ国は新たなリーダーシップを発揮できよう。そうなれば、ひょっとして有史以降はじめて世界中に真の平和が訪れるかもしれない」(173頁)という発言には重みがある。政治家の軽率な発言や行動が、こうした草の根の努力をふみにじることがあってはなるまい。

【データ】
 著者:金山茂人
 発行所:水曜社
 発行日時:2007年12月10日初版第1刷
 本体価格:1600円

■エドワード・W・サイード『晩年のスタイル』

 「人生の最後の一時期に、彼らの仕事と思索が、いかにして新しい表現様式を獲得したのか。そうした作風を、わたしは晩年のスタイルと呼ぶことにしよう」(27頁)――著者サイードはこうのべている。本書は次の7つの章からなる。
 第1章「時宜を得ていることと遅延していること」
 第2章「18世紀への回帰」
 第3章「限界にたつ『コシ・ファン・トゥッテ』」
 第4章「ジャン・ジュネについて」
 第5章「消えやらぬ古き秩序」
 第6章「知識人としてのヴィルトゥオーゾ」
 第7章「晩年のスタイル瞥見」

 以下、「読書ノート」「覚え書き」として――。
 第1章は総論的内容で、アドルノに依って、ベートーヴェンを論じる。以下、第2章はリヒャルト・シュトラウス、第3章はモーツァルト、第4章は20世紀フランスの作家ジャン・ジュネ、第5章は「山猫」を中心にイタリアの映画監督ルキノ・ヴィスコンティ、第6章はグレン・グールド、そして第7章は小説「ヴェニスに死す」を軸に作家トーマス・マンと、これをオペラ化した英国の作曲家ベンジャミン・ブリテンについて論じるという構成。これらの論稿が「晩年のスタイル」という標題のもとに一冊にまとめられた形だ。初めに確認したいのは、この著作はサイードとしては未完のものということだ。

 彼のいう「晩年のスタイル」とは「芸術家の美的営みの有終の美をかざるような晩年の作品」(28頁)という意味ではない。むしろ「わたしが探求したい晩年の経験とは、不調和、不穏なまでの緊張、またとりわけ、逆らいつづける、ある種の意図的に非生産的な生産性である」(28〜29頁)と強調する。この用語は、テオドール・W・アドルノ『楽興の時』所収の論稿「晩年のベートーヴェン」(1937年執筆)に依拠している。ここでいう晩年の作品は、最後の5つのピアノ・ソナタ、第9交響曲、「荘厳ミサ曲」、最後の6つの室内楽、ピアノのための17のバガテル、等々。これらを例に、「ベートーヴェンの晩年のスタイルの力は、否定的なところにある。もっと正確にいえば、否定性こそが力になっている。晴朗さと成熟とが期待できそうなところに、頑迷固陋で、気難しげな、非妥協的な――おそらく非人間的ですらある――挑戦的姿勢が見出せるのだ」(35〜36頁)と特徴づけている。

 この説明は、たしかにベートーヴェンの後期作品に関しては、それなりに当を得た指摘のように思われる。ところが、第2章に移ると「シュトラウスの晩年の作品は、……主題において逃避的であり、調性において内省的かつ冷静沈着であり、とりわけ作曲においては洗練と典雅をきわめた技法上の熟達度はまさに驚異的である」(83頁)とされる。また、第3章はモーツァルトのオペラ「コシ」についての――ベートーヴェン「フィデリオ」と対比しての――分析であり、「ベートーヴェンにとってあれほど重要な意味をもっていたかにみえる中産階級的美徳が、暗黙のうちに否定されてゆく」(99頁)ところに、円熟期のモーツアルトのオペラ世界の特徴を見出している。しかし、この3人の後期の作品群を「晩年のスタイル」という用語で統一的に論じられるかどうかは、当然議論をよばざるをえないだろう。

 第5章のヴィスコンティの「晩年のスタイル」に関する記述は次のようなものだ。
 「ヴィスコンティは、古い形式、それも1940年代や50年代のハリウッド映画と結びつけられる大歴史叙事詩の、より洗練され磨き抜かれた形式へと退行し、古い階級――それもいまや人民革命と新ブルジョワ秩序の暴走の前に存続を脅かされている階級――に対する、ある種のノスタルジアを、映画の主題として利用するのである」(159頁)
 「ヴィスコンティの芸術上の経歴には不可解な断絶がある。ヴィスコンティの初期の映画、たとえば『若者のすべて』などは映画的修練の実践である。禁欲的でリアリズムで簡素で抑制がきいている。『山猫』以降の彼は映画のなかでみずからを自由奔放に解放したかのように、その作品は初期作品との対比をいや増しに強めるような一種の絢爛豪華さを誇るようになる」(163頁)
 当初、なぜサイードは「晩年のスタイル」を論じるのに、「ドイツ三部作」(「地獄に落ちた勇者ども」「ヴェニスに死す」「ルートヴィヒ」)や「イノセント」でなく、それらより早い時期の「山猫」なのかと思いながら読みすすめた。サイードによれば、「山猫」が「晩年のスタイル」の入口にたった作品ということなのである。

 他方、第7章では「ヴェニスに死す」を軸に、原作者トーマス・マンの小説と、それをオペラ化したベンジャミン・ブリテンの作品との共通点と差異を興味深く論じる。そのうえで、都市ヴェニスの「晩年性」(247〜251頁)を指摘し、「ブリテンの『ヴェニスに死す』は、ヴェニスを選択して、それをみずからの長い芸術的軌跡に対する総括と回帰の感覚を伝えるアレゴリーとして利用しただけでなく、ヴェニスを、このオペラの舞台として表象したことにおいても、まさに晩年の作品である」(253頁)という評価を下している。ここでのサイードの論究は興味が尽きないが、第5章を読んできた者としては、ヴィスコンティの映画「ヴェニスに死す」もくわえて、3つの軸での議論を聴きたくなる。残念ながらサイードは、ここではヴィスコンティについて一切触れていない。その考察は今後の世代の課題としてゆだねられることになった。

 グレン・グールドを論じた第6章では、「彼の飾り気のない、慣用語法に合わない、ピアノ演奏にそぐわない調子、そのなかで彼は完璧に現代風の様式で、音楽の音を、消費の材料ではなく、厳密な分析の材料としたのである」(203頁)といった評言をおこなう。そして、アドルノ『プリズメン』の一節を引いたうえで、「グールドのバッハ演奏は、徹底的に――しばしば反発を招く――特異な主観性による屈折をたたえているが、逆説的なことに、その提示法は明確で、説教のように執拗で、そして対位法的に厳格で、一切の装飾を排して音を響かせるようになっている。その両極端がグールドのなかで統合されているのだが、アドルノによれば、バッハも同じなのである」(204頁)と指摘する。こうしたサイードのグールド論は興味深いものだが、当面のテーマである「晩年のスタイル」の考察とどう結びつくのかは、必ずしも明瞭ではない。

 こうして多くの論点を提起しつつ、本書は決してまとまりの良い本とは言えないように思われる。問題をあちこちに投げかけたまま、幕が下ろされる。すなわち「不調和」「ある種の意図的に非生産的な生産性」という意味で、サイードは自らの「晩年のスタイル」を体現したとも言えるのではなかろうか。

【データ】
 著者:エドワード・W・サイード
 訳者:大橋洋一
 発行所:岩波書店
 発行日時:2007年9月27日第1刷発行
 本体価格:2200円

■井上道義・一柳富美子監修『日露友好ショスタコーヴィチ交響曲全曲演奏プロジェクト2007プログラム』

 コンサートのプログラムを「書評」するのは異例だが、この冊子は熟読玩味に値する。それは、日本におけるショスタコーヴィチ研究の第一人者で、新しい知見にたってユニークな見解をうちだしてきた一柳富美子さんの、研究の到達点が凝縮されているからだ。

 ショスタコーヴィチの交響曲といえば、とりわけスターリン専制体制による抑圧が激しさを増してからの第4番以降、スターリン、フルシチョフ、ブレジネフら時の政権との鋭い緊張関係のなかで生みだされてきたことが知られている。そして、そのなかには権力との妥協、体制迎合が取り沙汰される作品もあった。しかし一柳氏は、総論というべき「ショスタコーヴィチ・プロジェクト 開幕に寄せて――作曲家の生涯と15曲の交響曲」という一文で、ずばり「15の交響曲の中に妥協作はあったのか?」という見出しをたて、「一見妥協作でも本音は別のところにある」として、「実はユダヤ旋律のパロディが用いられていた第9番、きわめてプライヴェートな悩みが音楽化した第5番に第10番、標題の蔭で凄まじいスターリン批判を仕掛けていた第12番、等々、面白さは尽きない」とのべる。そして「現段階での研究では、15の交響曲には一つの妥協作もなかったというのが結論」と断言する。

 たとえば、有名な第5番。以前から第1楽章のフルートの旋律が「カルメン」に似ていると指摘されてきたが、その謎を解く鍵は1934〜35年に愛人関係を結んだエレーナ・コンスタンチノフスカヤという女性の存在だというのが、一柳さんの説だ。

 エレーナ(愛称:リャーリャ)は36年、密告により投獄されるが、同年末にスペインに渡り(人民戦線への支援か)、現地の著名な映画監督ロマン・カルメンと結婚する。「8歳年下の美しくて知的な女子大生リャーリャに恋の炎を燃やしたショスタコーヴィチは、結局失恋するのだが、彼女への想いが断ち切れずに、結婚後の苗字『カルメン』に彼女を象徴させて、第5番にその想いを盛り込んだのである」というのが結論部分。第4楽章コーダのラ音の連続も「リャーリャ」への思慕だという。昨年、東京藝術大学で開催されたシンポジウムで彼女がこの見解を唱えたときには驚かされたが、なるほど作曲者自身の「自伝的作品という解釈はある程度あたっている」という説明と辻褄があう。

 あるいは第9番。1948年のジダーノフらによる「形式主義」批判で槍玉にあげられた作品だが、終楽章のロンドはユダヤの民謡旋律のパロディという事実が指摘される。つまり、そこに描かれた「歓喜するユダヤ人」の姿は第2次世界大戦でのナチス・ドイツの崩壊を描いていたと同時に、ユダヤをテーマに用いることは当時のソ連社会では「反スターリンそのものを意味していた」というわけだ。

 第11番「1905年」とハンガリー事件との関係、第12番「1917年」とスターリン批判との関係なども一柳さんが以前から唱えてきた見解であり、特に後者のEs-B-Cはヨーシフ・ヴィッサリオーノヴィチ・スターリンの音名象徴だという説は大きな注目を集めてきた。

 今回それらの研究を、ロシアのDSCH社から発行されつつある「新作品集」の検討も土台におきながら、一冊にまとめた意義は大きい。彼女の見解への賛否を問わず、ショスタコーヴィチ研究の基本文献となるだろう。ショスタコーヴィチに関心のある方なら、日比谷公会堂で2000円余計に払っても損はない。

【データ】
監修:井上道義、一柳富美子
製作:「日露友好ショスタコーヴィチ交響曲全曲演奏プロジェクト2007」実行委員会
発行:2007年11月3日

■西原稔著『クラシックでわかる世界史――時代を生きた作曲家、歴史を変えた名曲』

 著者は桐朋音楽大学教授。「あとがき」で「本書は音楽史の通史ではありません」「本書の基本的な姿勢は、あくまでもヨーロッパの近代史から音楽の歴史をとらえなおす点にあり、世界を大きく動かしていった事件やできごとが、その時代の音楽家たちをどのように巻き込み、作品の成立に影響を及ぼしたのかという点に主眼をおいています」(341頁)としている。音楽や作品の様式の変化を細かく追うのではなく、そこに反映される「世の中の美の規範」に影響を与えた社会や時代の要求を、政治史・経済史的に明らかにしようという意欲作だ。

 一見ハンディな入門書だが、「音楽家と音楽作品は世界史のいとなみの一角をなすという観点」(2頁)にたって、個々の作曲家が時代・社会と格闘しながら創作活動にとりくんだことを生き生きと浮かび上がらせる。比喩的にいえば、世界史教科書の挿絵から、モーツァルトやベートーヴェン、ショパン、ヴァーグナーが飛びだしてくるような感覚を味わえる。

 たとえば、ベートーヴェンのヴィーン時代をみると、ハプスブルク家の皇帝に献呈された作品が一作もなく、むしろ「有力なパトロンは、ボヘミア・スロヴァキア地方やシュレージエン地方、ポーランド、ハンガリー、ロシアに所領をもつ地方貴族たちであった」(203頁)として、具体的にロプコヴィッツ侯爵やエルデーディ伯爵夫人らの名を列挙する。しかし、そうした献呈はことごとくヴィーン会議前の1810年までの時期であり、それ以降は相手がヴィーン会議関係者やヴィーンの実業家層に変化したと指摘される。なぜか。「ナポレオン戦争の結果、これまでの貴族がパトロンとしての財力を喪失した」(209頁)というのが、西原氏の謎解きだ。他方、ラズモフスキーがロシアの特命大使で、メッテルニヒやタレーランと並ぶヴィーン会議の重要人物という記述も読むと、ベートーヴェンの交響曲はもちろん、弦楽四重奏曲も当時の国際政治と無関係でなかったことが理解できる。

 さまざまな社会運動と作曲家との関係も、有名なショパンやヴァーグナーにとどまらず、広い視野で明らかにされている。たとえば、1830年七月革命とベルリオーズやリストとの関係、1848年三月革命とヨハン・シュトラウス父子やシューマン、ヴェルディとの関係、1905年の「血の日曜日事件」とリムスキー=コルサコフらとの関係、等々。

 さらに興味をひくのは、ヨーロッパの宗教社会史と音楽との関係だ。ルター派の思想は、19世紀プロイセンではナショナリズムへと転化し、ビスマルクを支持したブラームスの作品に姿を現す。これに対する反宗教改革の思想は、それを音楽面で担ったパレストリーナの作品が19世紀以降独自の政治的意味を担わされ、20世紀のプフィッツナーの国粋主義にひきつがれていく。他方、ドイツ農民戦争を指導したトマス・ミュンツァーの思想は、それに共鳴した画家マティアス・グリューネヴァルト(「画家マチス」)を介し、ナチズムに抗したヒンデミットに脈打つ。こうした大きな流れが理解できるのも魅力だ。

 ユダヤ人に対して、ドイツでもベルリンは、フランクフルトやハンブルクとともに比較的寛容だったという記述も注目される。「十九世紀になって開催されて華ばなしい文化活動をおこなったベルリンの芸術サロンの主要なものはユダヤ人女性の主宰になるものであり、主宰者の家系をみると、マイヤベーヤ家とメンデルスゾーン家のふたつが大きな軸となっている」(265頁)という記事は、ドイツの音楽文化史を考えるうえで重要な事実だろう。

 「音楽史の範囲を超えて、歴史全体のなかに音楽と音楽家をおきなおしてみることの大切さ」(あとがき)という著者の問題意識がストレートに伝わる好著だ。参考文献紹介があればなおよかったが、巻末の人名索引も充実している。

【データ】
著者:西原稔
発行所:アルテスパブリッシング
発行:2007年10月25日初版第1刷
本体価格:2400円

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