「西欧の科学とインド哲学(=オカルト)を結合する、時間と観測者の階層・理論」【5=完】
【論文()】=「時間についての、2人の観測者の、“決定する感じる”の階層的法則を表現する、〔時計の理論(=1個の文字盤と、複数の目盛の、相互関係)」【5=

「(§9)」=「部分的結論2」=「(§2)」=「(2)のケース


図(3)の(A=上段)は、「第二段階」で、「時計の文字盤(大球―半径q)の大きさ」⇔「目盛大きさ(大球―半径q)」の構成である。従って、上記(2)の、「大きい側の時計(=大中の文字盤と、中の目盛の構成)」であった。


「大きい側の時計(=大中の文字盤と、中の目盛の構成)」においては、〔=下位側の、受動的な〔観測者(b)〔=個体の自我〕の、寿命は、80年間」であり、また、「〔観測者(b)〕〔=個体の自我は、寿命が80年単位」の、「過去今現在未来を、感じる」という「結論」であった。


「地球上の、人間が、一生涯、今現在だけを、感じている」のは、「人間の、個体の自我が、〔観測者(b)〕の、立場に立っている」ことを、「示している」わけである。


かくして、「(§2)」=「(2)のケース=「人間」は、「誕生から、死」まで、「一生涯、1種類の、今現在ダケを、感じている」わけである。そして、「過去未来」を、感じることはない」。つまり、「過去未来は、想像するだけ」である。この場合を、「個体〔=個体の自我〕の、立場に、立った場合」と考える、「作業仮設(2)」に「対応している」わけである。


また、「地球上の、人間は、過去と、未来を、感じることが、出来ない」のは、「人間が、寿命が、1時間単位」の、観測者c(=細胞自我)〕の立場に、成れない」ことを、「示している」わけである。


従って、過去と、未来は、「人間の、寿命が80年単位」の、個体の自我」が、〔観測者(b)〕の観測者c(=細胞自我)〕の立場に、置き換える」ことで、「想像するだけである」ことを、「意味する」わけである。


もう1つの結論」は、「寿命が、1時間の〔観測者c(=細胞自我)〕が、寿命が1時間単位」の、「過去と、未来を、感じる」ためには、「上位側で、能動的な、〔観測者b〕〔=個体の自我〕の存在が、必要」であり、また、「寿命が、80年間今現在、を、感じる」ためには、「上位側で、能動的な、〔観測者a(=仏の自我)〕の存在が、必要である」ということである。


加えて、「3番目の結論」は、「大きい側の時計(=大の文字盤と、中の目盛の構成)」において、「下位側の、受動的な、〔観測者(b)(=個体の自我=時間を、感じる立場〕が、「小さい側の時計(=中の文字盤と、小の目盛の構成)」において、「上位側で、能動的な、〔観測者(b)(=個体の自我=「時間を、決定する立場〕に、「変換される」のも、「法則であるということである。


この、「変換されるという関係を、一般化する」と、「次のように成る」わけである。


「(§10)=(法則:7)」=総合的な結論(=要旨)」=「〔観測者(b)(=個体の自我の、「時間を、感じる立場〕から、「時間を、決定する立場」への、「変換は、〔観測者(b)(=個体の自我の、機能が、換わる」という「意味」であり、また、「〔観測者(b)(=個体の自我の、の意志が、換わる」という「内容」である。


従って、「さらに、大きい側の時計」、「大きい側の時計(=大の文字盤と、中の目盛の構成)」、「小さい側の時計(=中の文字盤と、小の目盛の構成)」、「さらに、小さい側の時計」という具合に、次々に、「〔時計の大きさ〕の、連鎖想定」して、「2人の観測者の相互関係の法則」について、「時間を、感じる立場〕から、「時間を、決定する立場」への、「変換を、想定する」と、


同様に、「上位側の、能動的な、観測者の意志が、下位側の、受動的な、観測者に、順次伝達される」ことが、「無限に、繰り返される」という、「上位側から、下位側へ向けて、階層的に、観測者の、意志の伝達が、行われている」という「一般的な、階層的な、法則を、表している」ことに成るわけである。


つまり、「2人の観測者の、相互関係の法則」とは、「時間についての、“決定する感じる”の、階層的な相互関係」であるが、「本質的には、生物学に特徴的な、階層的な、観測者(=階層的な主体)の相互関係」であり、「上位側の観測者(=主体)の意志〔=構造の設計図が、下位側の観測者(=主体)に、伝達される法則」に、「対応している」わけである。


かくして、「生物学の、最も基本的な、自我(=主体=生命)の形成メカニズム」や、「発生学における、内胚葉、中胚葉、外胚葉などと呼ばれる、初期の潜在化していた細胞の機能が、細胞分裂が進行するにつれて、具体的な、腸管細胞、血管細胞、神経細胞などの専門的な細胞として、末広がりに、顕在化してくる」という、「形態形成に関する、基本的な法則である」ことを意味し、「物理学とは、全く異なる、生物学に特有の、基本的な法則である」ことを意味する。


この「総合的な結論」から、さらに、「次のような、一般的な法則(=価値観の転換点)に、言及できる」はずである。


「(§11)=総合的な結論(=価値観の転換点」=「結論(1)〜結論(4)」=


〔要点:(BB)=結論(1)〕=「西欧の科学の価値観」=「①=科学の基礎は、物理学である」という「考え方」がある。「Erwin Schrödinger」は、「主体―客体の関係」の「主体を、物質の観測のプロセスに、導入しない」ことを強調している(文献=Mind and Matter=精神と物質=工作舎:中村量空訳)。「②=科学者や知識人などの、普通の人の、目に見えないモノは、存在しない」という「考え方が、支配的」である。ただし、「普通の人」というのは、「超能力者を、除く、全ての人」という意味である。というのは、「超能力者には、普通の人に、見えないモノが、見える」からである。


〔要点:(CC)=結論(2)〕=「新しい考え方」=「生物学・医学の研究の目的は、主体=自我である」ことを、「前提として、スタートすべき」であり、「物質の研究である、物理学とは、全く、異なる概念で、分析すべき、新しい学問である」と考える必要がある。


つまり、「自我の仕事(=生命力は、企画された設計図(=情報=青写真)に基づいて、地球上で、物質の構造と機能を、構築することである」という、「視点から、分析を、開始すべき」である。ということは、「自我(=生命力が、設計図に基づいて、物質を組織化する法則を解明する」ことが、「生物学の、研究の目的」に成る。


すると、「生物の、個体の姿・形の設計図(=細胞自身の、分化(=変形)の設計図である、遺伝子のことではない!)は、何所にあるのか?」ということが、大問題!!!に成る。


「ダーウインの進化論は、動物の構造と機能の造形(=肉体)が、地球上で、次第に、複雑化してきた」という、「内容である」が、「それぞれの造形の設計図が、どこで、どのように、進化してきたのか?」ということには、言及していない。「西欧の科学は、このように、究極の、本質的な真理に、哲学的に、言及しない傾向がある」。


〔要点:(DD)=結論(3)〕=「西欧の科学には、超能力のメカニズムを、分析する」という、「視点が、存在しない」ようである。だから、「宗教のメカニズム、明確にされることはないわけである。しかし、「いずれの宗教の場合でも、宗教の創始者である、教祖は、超能力者である」ことを、「重要視すべき」である。


また、「インド哲学の、アーユルベーダ」に対して、「西欧の科学は、問答無用で、オカルトと呼んで、軽視する傾向がある」けれども、「生物学に、複数の主体を導入するならば、主体の違いによって、時間の役割が、階層的に、異なる」という「関係が、明確に成る」わけだから、「自我の、タイム・トラベルの視点や、体験記録装置である、アカシック・レコードなどが、記憶のメカニズムを、明確にする、キーポイントである」ことも、「明確に成る」わけである。


〔要点:(EE)=結論(4)〕=「人間を含む、生物の、個体の設計図は、宇宙で形成されて、地球上に、伝送されている」という視点(=超能力者の観察結果!と、「ダーウインの進化論のように、人間を含む、生物の構造と機能の造形(=肉体)が、地球上で、次第に、複雑化してきた」という視点の、「間に」、「自我(=生命力が、設計図に基づいて、地球上で、物質を、組織化する」という「概念を構築する」ならば


「科学と宗教は、両方とも、共通の原理で、メカニズムを、明確にできる」と考えられる。この共通の原理」、「今現在・過去・未来」違い、「定義するための、時間の、階層的な、法則の開発(=本論の、最大の発見)に、相当する」わけである。

「完」


 




「西欧の科学とインド哲学(=オカルト)を結合する、時間と観測者の階層・理論」【4=続】
【論文()】=「時間についての、2人の観測者の、“決定する感じる”の階層的法則を表現する、〔時計の理論(=1個の文字盤と、複数の目盛の、相互関係)」【4=
  
一方で、「図(4)の、図(B)の、三角形の(内側)には、下位側の、受動的な観測者(b−0)〔=個体の自我=「目盛=中球の(内側)」が、「描いてある」ことである。ここで、「注目すべき」は、「下位側の、受動的な観測者(b−0)〔=個体の自我の、生涯の長さ(=寿命)が、約80年である」ということである。
 
そして、「図4の、図(A=上段)の、目盛0」は、「図(B)の、三角形を、丸で囲んだ、空間量子の、(内側)に示してある」ように、「下位側の、受動的な観測者(b−0)〔=個体の自我」であり、「図(A=上段)の、目盛1」は、図(B)の、三角形を、丸で囲んだ、空間量子の、(内側)に示してある」ように、「下位側の、受動的な観測者(b−1)」であり、「図(A=上段)の、目盛2は、図(B)の、三角形を、丸で囲んだ、空間量子の、(内側)に示してある」ように、「下位側の、受動的な観測者(b−2)」であり、さらに、「図(A=上段)の、目盛3」は、図(B)の、三角形を、丸で囲んだ、空間量子の、(内側)に示してある」ように、「下位側の、受動的な観測者(b−3)」である、という具合に、「考える」ことにしよう。
 
さらに、「図(C)には、「下位側の、受動的な観測者(b−2)〔=個体の自我の、生涯の長さ(=寿命)が、約80年である」ことが強調してある」だけでなく、「新たに、上位側で、能動的な、観測者(a−2)が、描いてある」ことに「注目すべき」である。
 
つまり、「図(4)の図(A=上段)」の、「目盛1〔=下位側の、受動的な観測者(b−1)が、存在する〕」、「目盛2〔=下位側の、受動的な観測者(b−2)が存在する〕」、「目盛3〔=下位側の、受動的な観測者(b−3)が、存在する〕」に、注目する」ならば、
 
「図(4)の図(A=上段)」の、「目盛1の、(内側)に存在する、〔=下位側の、受動的な観測者(b−1)〔=個体の自我〕は、「過去を、感じる」、また、「目盛2の、(内側)に存在する、〔=下位側の、受動的な観測者(b−2)〕は、「今現在を、感じる」、「目盛3の、(内側)に存在する、〔=下位側の、受動的な観測者(b−3)〕は、「未来を、感じる」という、「関係に成る」ということである。
 
結論的」に、「時刻(=単位ベクトル)を、刻印する(=決定する)」のは、「上位側で、能動的な、観測者(a−2)であり、「下位側の、受動的な観測者(b−2)〕〔=個体の自我の、〔生涯の長さ=80年〕を、〔今現在の時間〕として、決定する」わけであるから、「上位側で、能動的な、観測者(a−2)は、あの世に存在する、仏である」という「理屈に成る」わけである。
 
つまり、「下位側の、受動的な観測者(b−1)〔=個体の自我〕は、過去の存在」であり、「下位側の、受動的な観測者(b−3)〕は、未来の存在」で、「地球上の人間は、「下位側の、受動的な観測者(b−2)〕で、〔一生涯の長さ=80年〕にも拘らず、今現在だけを、感じているわけだから、この世の存在」に、「対応する」というわけである。
 
結論」として、「上位側の、能動的な観測者が、時間を、決定する下位側の、受動的な観測者が、時間を、感じる」という、「2人の観測者の、公式から、必然的に、人間のあの世の存在が、導き出される」わけである。

「次回に続く」
 
「西欧の科学とインド哲学(=オカルト)を結合する、時間と観測者の階層・理論」【3=続】
【論文()】=「時間についての、2人の観測者の、“決定する感じる”の階層的法則を表現する、〔時計の理論(=1個の文字盤と、複数の目盛の、相互関係)」【3=
 
「(§7)」=「(大きい側の時計)」=「図(3)」
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図(3)の(A=上段)は、「第二段階」で、「時計の文字盤(大球―半径q)の大きさ」⇔「目盛大きさ(大球―半径q)」の構成である。従って、「大きい側の時計(=大中の文字盤と、中の目盛の構成)」である。


図(3)の、「文字盤は、大球の、中央で、切断された断面である」ことが指摘されている。これは、「大球を、まず、空間量子大きさ」と見なし、「次に、大球の上側半分の、蓋を開放した状況を、表している」わけである。


「表現を変える」ならば、「大球の(内側)には、受動的な、下位側の、〔観測者a〕が、潜在していた」のであるが、「蓋を開けたために、上位側の、能動的な、〔観測者a〕が、大球と中球の(外側)に出て、顕在化した」というイメージなのである。


そして、「大球の(内側)に、潜在していた、下位側の、受動的な〔観測者a〕」が、「蓋を開けたために、〔目盛〕である、中球の(外側)に存在する、上位側の、能動的な、〔観測者a〕に、変換された」ことを「表している」わけである。


さらに、図(B=下段)に示すように、「〔目盛〕である、中球の(内側)には、受動的な、下位側の、〔観測者b〕〔=個体の自我〕が、潜在している」と考えるわけである。


つまり、「図(A=上段)の〔目盛0〕には、図(B=下段)の、受動的な、下位側の、〔観測者b−0〕〔=個体の自我〕が、潜在している」、「図(A=上段)の〔目盛1〕には、図(B=下段)の、受動的な、下位側の、〔観測者b−1〕〔=個体の自我〕が、潜在している」、「図(A=上段)の〔目盛2〕には、図(B=下段)の、受動的な、下位側の、〔観測者b−2〕〔=個体の自我〕が、潜在している」、「図(A=上段)の〔目盛3〕には、図(B=下段)の、受動的な、下位側の、〔観測者b−3〕〔=個体の自我〕が、潜在している」いう、「構図を表している」わけである。


このような、「大きい側の時計(=大中の文字盤と、中の目盛の構成)の時計」によって、「上位側の、能動的な、〔観測者a〕は、自分の意志によって、時計の針を、右回りに、廻す」ことによって、「中球の、〔目盛〕の(外側=表面側)に、時計の針の針先(=単位ベクトル)を、刻印する」という具合に、「考える」わけである。


このメカニズム」において、「上位側の、能動的な、〔観測者a〕は、中球の、〔目盛〕の(外側=表面側)に、時計の針の針先(=単位ベクトル)を、刻印する」ことで、「中球の、〔目盛〕の時刻を、決定する」という、「役割(=機能)を、持つ」ことを「意味する」わけである。


一方で、「受動的な、下位側の、〔観測者b〕〔=個体の自我〕は、中球の、〔目盛〕の(外側=表面側)に、刻印された時刻」を、中球の、〔目盛〕の(内側)に、潜在した状況」で、「感じる」という、「役割(=機能)を、持つ」ことを「意味する」わけである。




つまり、「2人の観測者を、設定する」ことによって、「上位側の、時刻を、決定する側」と、「下位側の、時刻を、感じる側」の、「役割分担が、行われている」ことを、「法則的に、明確に、区別できた
」わけである。


「(§8)」=生涯の長さ(=寿命)は、約80年である=「図(4)」

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図(4)の(A=上段)は、図(3)の、(B=下段)と、同じ」であり、「第二段階」の「時計(=大きい側の時計)」で、「時計の文字盤(大球―半径q)の大きさ」⇔「目盛大きさ(中球―半径p)」の構成である。


図(4)の(A=上段)の、「第二段階」の「時計(=大きい側の時計)」においては、「目盛大きさ(中球―半径p)」に、「注目すべき」である。


というのは、「図(4)の(B=下段)の、左側」には、「再び、図(2)の(A)に、示した」ような、「受精膜を、三角形に拡大した状況が、将来、身体の皮膚に成長する」ことを「想定している」からである。


ただし、「図(2)」においては、「三角形の受精膜(=身体の皮膚に相当)の(内側)に、1個の受精卵(=初代からスタートした、2分割卵(=二代目の、細胞−1と、細胞―2)、4分割卵(=三代目の、細胞―1、細胞―2、細胞−3、細胞―4)」だけが、「示して、あった」わけである。


そして、「受精卵(=初代の寿命は1時間、2分割卵の寿命は1時間、4分割卵の寿命も、1時間である」ことが、「強調」してあった。「寿命が1時間」という意味は、「1時間で、分裂する」という意味であった。


これに対して、「図(4)の、図(B)の場合は、細胞の数が、膨大な数に増加する状況」、つまり、「赤ん坊が誕生する場合の、4kgで、4兆個の細胞集団の状況」を、超えて、さらに、「大人に成長し、体重が60kgで、60兆個の細胞集団にまで増加」し、さらに「老化して、細胞数が減少」し、最終的に、「死に到る」までの、「生涯の長さ(=寿命)」を、「三角形の(内側)に、表している」わけである。そこで、「生涯の長さ(=寿命)は、約80年である」ことを、「想定してある」わけである。


次回に続く




「西欧の科学とインド哲学(=オカルト)を結合する、時間と観測者の階層・理論」【2=続】【論文()】=「時間についての、2人の観測者の、“決定する感じる”の階層的法則を表現する、〔時計の理論(=1個の文字盤と、複数の目盛の、相互関係)」【2=

「(§5)」=「初期発生における、身体の皮膚(=境界)の、三角形による、表現法」=「初期の細胞の寿命は、1時間」=「図(2)」

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「図(2)の(A)の「左上」」に、「受精卵の、受精膜が、上がった状態」が、示してある。この「受精膜を、三角形に拡大した状況が、将来、身体の皮膚に成長する」ことを「想定している」わけである。


そして、「三角形の受精膜(=身体の皮膚に相当)の(内側)に、1個の受精卵(=初代からスタートした、2分割卵(=二代目の、細胞−1と、細胞―2)、4分割卵(=三代目の、細胞―1、細胞―2、細胞−3、細胞―4)」が示してある。


さらに、「受精卵(=初代の寿命は1時間、2分割卵の寿命は1時間、4分割卵の寿命も、1時間である」ことが、「強調」してある。「寿命が1時間」という意味は、「1時間で、分裂する」という内容である。


図(2)の、図(B)は、図(A)と、同じ」であるが、「上位側の、能動的な観測者(b−2)〔=個体の自我〕が、三角形の受精膜(=身体の皮膚に相当)の(内側で、細胞の(外側)に、存在することが、強調してある」わけである。


一方で、図(C)も、図(B)と、構図は、同じ」であるが、「図(C)の右側の、図(D)に、細胞と同じの、〔観測者c(=細胞自我)〕」が、描いてある。ここで、「細胞自我は、ほぼ、細胞と、同じ大きさの、空間量子に、包まれている」と「考える」わけである。


そこで、「観測者(c1−1)〔=細胞自我〕は、受精卵(=初代)の(内側)に存在する、下位側の、受動的な観測者」であり、「観測者(c2−1)と、観測者(c2−2)は、二代目(=2分割卵)の(内側)に存在する、下位側の、受動的な観測者である」と考えよう。


また、「観測者(c3−1)、観測者(c3−2)、観測者(c3−3)、観測者(c3−4)は、三代目(=4分割卵)の(内側)に存在する、下位側の、受動的な観測者である」ことを示している。


「図(E)」は、「上位側の、能動的な観測者(b−2)〔=個体の自我〕」が、「初代の、1個の=受精卵の、空間量子の(外側=表面側)に、1番目の、時計の針の、針先(=単位ベクトル)を、刻印する決定する」、「二代目の、2個の2分割卵の、空間量子の(外側=表面側)に、2番目の、時計の針の、針先(=単位ベクトル)を、刻印する決定する」、「三代目の、4個の、4分割卵の、空間量子の(外側=表面側)に、3番目の、時計の針の、針先(=単位ベクトル)を、刻印する決定する」状況を示している。


そして、「図(F)」は、「図(E)」において、「それぞれの、細胞自我の、空間量子の(外側=表面側)に、時計の針の、針先(=単位ベクトル)が、刻印された、結果」を示している。


ここで、「図(E)」の、「1番目の、時計の針の、針先(=単位ベクトル)は、過去を、表し」、「2番目の、時計の針の、針先(=単位ベクトル)は、今現在を、表し」、さらに、「3番目の、時計の針の、針先(=単位ベクトル)は、未来を、表す」という具合に、「考える」わけである。


「図(G)の観測者は、〔上位側の、能動的な観測者(b−2)〕〔=個体の自我〕である」が、「図(G)の、目盛側の(内側)に存在するのは、〔観測者c(=細胞自我)〕であり、それぞれ、細胞自我の、寿命は、1時間単位」の、「過去今現在未来を、感じる」ということを、「強調してある」わけである。


かくして、「過去の長さは、受精卵寿命の、1時間=〔観測者c(=細胞の自我)〕の寿命は、1時間」であり、「今現在の長さは、2分割卵の寿命の、1時間=〔観測者c(=細胞自我)〕の寿命は、1時間」であり、また、「未来の長さも、4分割卵の寿命の、1時間=〔観測者c(=細胞自我)〕の寿命も、1時間である」ことを「意味する」わけである。


かくして、「この状況」は、「●1」=「(1)のケース」=「人間の一生」は、「誕生から、今現在の直前(=過去)」まで、「今現在という瞬間」、「その後から、寿命で死ぬまでの、未来」に、「3種類に、区別できる」という、「細胞〔=細胞の自我〕の、立場に、立った場合」と考える、「作業仮設(1)」に、「対応している」わけである。


「(§6)」=「部分的な結論1」=「●1」=「(1)のケース」


図(1)の(A=上段)は、「第一段階」で、「時計の文字盤(中球―半径p)の大きさ」⇔「目盛大きさ(小球―半径o)」の構成である。従って、上記(2)の、「小さい側の時計(=中の文字盤と、小の目盛の構成)」であった。


「小さい側の時計(=中の文字盤と、小の目盛の構成)」においては、「下位側の、受動的な〔観測者c(=細胞自我)〕の、寿命は、1時間」であり、また、〔観測者c(=細胞の自我)〕は、寿命が1時間単位」の、「過去今現在未来を、感じる」という「結論」に成る。


「図(2)」においては、「三角形の受精膜(=身体の皮膚に相当)の(内側)に、1個の受精卵(=初代からスタートした、2分割卵(=二代目の細胞−1と、細胞―2)、4分割卵(=三代目の細胞―1、細胞―2、細胞−3、細胞―4)」だけが、「示して、あった」わけである。


そして、「受精卵(=初代の寿命は1時間、2分割卵の寿命は1時間、4分割卵の寿命も、1時間である」ことが、「強調」してあった。「寿命が1時間」という意味は、「1時間で、分裂する」という意味である。


かくして、「この状況」は、「●1」=「(1)のケース」=「人間の一生」は、「誕生から、今現在の直前(=過去)」まで、「今現在という瞬間」、「その後から、寿命で死ぬまでの、未来」に、「3種類に、区別できる」という、「細胞〔=細胞の自我〕の、立場に、立った場合」と考える、「作業仮設(1)」に、「対応している」わけである。


次回に続く






「西欧の科学とインド哲学(=オカルト)を結合する、時間と観測者の階層・理論」【1=続】
【論文()】=「時間についての、2人の観測者の、“決定する感じる”の階層的法則を表現する、〔時計の理論(=1個の文字盤と、複数の目盛の、相互関係)」=【1=
 
「(§0)」=「イントロ」=「西欧科学の思想の、未解決の、問題点
 
「西欧科学の思想には、時間に関する、未解決の、問題点が、存在する」。そこで、「本論の、時間についての、階層的な法則を、応用する」と、「結果的に、あの世は、存在する」ことを「証明できる」だけでなく、「インド哲学の、アーユルベーダ」の、「理解も、可能に成る」ことを「示す」ことができる。
 
〔要点:(AA)=イントロ〕=「西欧の科学」は、「一元論であり、あの世は、存在しない」、「死後は、無である」という「哲学(=思想)が、前提」に成っている。しかし、「人間が、〔生きている間の、今現在過去未来〕を、区別する定義が、存在する?」のであろうか。そこで、「今現在は、瞬間である」と「考える傾向」に、「注目して見る」ことにする。
 
「(§1)」=「(1)のケース」=「人間の一生」は、「誕生から、今現在の直前(=過去)」まで、「今現在という瞬間」、「その後から、寿命で死ぬまでの、未来」に、「3種類に、区別できる」わけである。この場合を、「細胞〔=細胞の自我〕の、立場に、立った場合」と考える、「作業仮設(1)」と考えよう。
 
「(§2)」=「(2)のケース=「人間」は、「誕生から、死」まで、「一生涯、1種類の、今現在ダケを、感じている」わけである。そして、「過去や未来」を、感じることはない」。つまり、「過去未来は、想像するだけ」である。この場合を、「個体〔=個体の自我〕の、立場に、立った場合」と考える、「作業仮設(2)」と考えよう。
 
従って、「人間の一生」は、「上記の、(1)のケース=3種類に、区別できる」場合と、「(2)のケース=一生涯、1種類の、今現在ダケを、感じている」場合の、「2通りが、存在する」ことを「意味する」わけである。
 
「(§3)」=そこで、「本論の特徴」である、「細胞〔=細胞の自我〕と、「個体〔=個体の自我〕」の、「両方の概念を、導入する」ための、「2人の観測者と、時計の理論〔=1個の文字盤と、複数の目盛の、相互関係〕」という、「独自のメカニズム〔=個体の自我と、細胞自我の、定義〕」を、「提案しておく」ことにしよう。
 
「本論の特徴」である、「メカニズム=●3」によって、まず、「●1」の「ケースを、図解」し、次に、「●2」の「ケースを、図解する」ことにしよう。
 
「(§4)」=「小さい側の時計」=「図(1)
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図(1)の(A=上段)は、「第一段階」で、「時計の文字盤(中球―半径p)の大きさ」⇔「目盛大きさ(小球―半径o)」の「構成」である。「この構成の時計」を、「小さい側の時計(=中の文字盤と、小の目盛の構成)」と呼ぶことにしよう。


図(1)の、「文字盤は、中球の、中央で、切断された断面」である。これは、「中球を、まず、空間量子大きさ」と見なし、「次に、中球の、上側半分の、蓋を開放した状況を、表している」わけである。


「表現を変える」ならば、「中球の(内側)には、受動的な、下位側の、〔観測者b〕〔=個体の自我〕が、潜在していた」のであるが、「蓋を開けたために、上位側の、能動的な、〔観測者b〕〔=個体の自我〕が、中球と小球の(外側)に出て、顕在化した」というイメージなのである。


そして、「中球の(内側)に、潜在していた、下位側の、受動的な〔観測者b〕〔=個体の自我〕」が、「蓋を開けたために、〔目盛〕である、小球の(外側)に存在する、上位側の、能動的な、〔観測者b〕〔=個体の自我〕に、変換された」ことを「表している」わけである。


さらに、図(B=下段)に示すように、「〔目盛〕である、小球の(内側)には、受動的な、下位側の、〔観測者c〕〔=細胞の自我〕が、潜在している」と考えよう。


つまり、「図(A=上段)の〔目盛0〕には、図(B=下段)の、受動的な、下位側の、〔観測者c−0〕〔=細胞自我〕が、潜在している」、「図(A=上段)の〔目盛1〕には、図(B=下段)の、受動的な、下位側の、〔観測者c−1〕〔=細胞自我〕が、潜在している」、「図(A=上段)図(1)の〔目盛2〕には、図(B=下段)の、受動的な、下位側の、〔観測者c−2〕〔=細胞自我〕が、潜在している」、「図(A=上段)の、図(1)の〔目盛3〕には、図(B=下段)の、受動的な、下位側の、〔観測者c−3〕〔=細胞自我〕が、潜在している」いう、「構図を表している」わけである。


このような、「小さい側の時計(=中の文字盤と、小の目盛の構成)の時計」によって、「上位側の、能動的な、〔観測者b〕〔=個体の自我〕は、自分の意志によって、時計の針を、右回りに、廻す」ことによって、「図(B=下段)に示す」ように、「小球の、〔目盛〕の(外側=表面側)に、時計の針の針先(=単位ベクトル)を、刻印する」という具合に、「考える」わけである。


このメカニズム」において、「上位側の、能動的な、〔観測者b〕〔=個体の自我〕は、小球の、〔目盛〕の(外側=表面側)に、時計の針の針先(=単位ベクトル)を、刻印する」ことで、「小球の、〔目盛〕の時刻を、決定する」という、「役割(=機能)を、持つ」という具合に、「考える」わけである。


一方で、「受動的な、下位側の、〔観測者c〕〔=細胞自我〕は、小球の、〔目盛〕の(外側=表面側)に、刻印された時刻」を、小球の、〔目盛〕の(内側)に、潜在した状況」で、「感じる」という、「役割(=機能)を、持つ」という具合に、「考える」わけである。


つまり、「2人の観測者を、設定する」ことによって、「上位側の、時刻を、決定する側」と、「下位側の、時刻を、感じる側」の、「役割分担が、行われている」ことを、「法則的に、明確に、区別できた」わけである。


 次回に続く






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