へなちょこKeiの英語道⇒自然科学方面に宗旨替え?!

英語も話したいけど、本当に勉強いてるのは宇宙論・物理・数学・生物学。算数と理科が好き子供が増えるといいのに!

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読書 オスカー・ワイルド 幸福な王子 ドリアン・グレイ 唯美主義 
オスカー・ワイルド 初挑戦!!

私にとって読書する時期は限定的です。

寒いのは大嫌いなので、冬に本を読むなんてぱっぴら御免です。

夏は好きな季節です。暑くても結構平気な性質ですが、ものすごく汗かきです。

だから本を読むのに手や腕の汗が邪魔で本を読む余裕がありません。

何より本がべとべとになるので夏は読書しないのです。

まぁ、どうしても読まなければならない本があれば季節問わす読みますが、

自分の中の読書に最適な時期は「秋と春先」です。


で、今年の秋にトライしたのが「オスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』」です。

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私にとって初めてのオスカー・ワイルド作品は、写真にもある『幸福な王子』です。

しかも絵本です。その後、児童文庫的な本でも読みました。

以来、1冊もオスカー・ワイルドの作品を読んだことがありませんでした。

中学生くらいの頃に、オスカー・ワイルドについて少し知りました。

「唯美主義」とか「デカダン派」などと子供には理解不能な印象が強かったのです。

だからずっと読もうとすら思わなかったのですが、

初老を超えて少しは「自分にもその作品が理解できる余裕が出来たかもしれない」と

過大評価して読書を開始しました。

選んだのは「ドリアン・グレイの肖像」ですが、自分を過大評価しすぎましたil||li _| ̄|○ il||li

で、結局、思い至ったのは『幸福の王子』を初めて読んだあの時から感じていた違和感です。

どうしてあのツバメは自分の命より王子の願いを叶えることに熱中したのだろう。

最初は恋をしたのでしょう。「美しい」王子に。

でも、王子がドンドン美しくなくなっても、自分の献身に酔ったのか?

王子との友情に目覚めたのか?

余談ですが、そんなわけで『ドリアン・グレイの肖像』読破後に、

もう一度文庫本で「幸福の王子」も読んで見ました。




いやいや、ドリアン・グレイです。

やはり、いつの世も人は見た目の美醜にとらわれるものなのでしょうね。

そこには、何物にも代えられない普遍的な価値があるのか?

特に昨今の30代〜50代の女性の多くは、ドリアンと同じことを願うでしょう。

私は御免だな〜。見た目がずっと変わら無いなんて・・・不自然で気持ち悪いから。

そして、結局死んだあと他人にさらした姿は、

「老けやつれ、皺だらけで、見るからに厭わしい容貌」なのです。

美のためになら、殺人も正当化するのです。人を殺めても守るべきは「美」の秘密(秘訣)。

幼稚な精神的逃避で阿片窟へ行ったみたり。

ヘンリー卿の影響で大人になった気になってみたり・・・

結局いつの世も、人の心とはかくも弱く愚かであるということを読み取ればよいのかな?



読み終えての感想は・・・

美に対する執着がすごい! 

男色の匂いがずっと漂っている。あの時代、よく書けたもです。天才だ。

雰囲気も匂いも漂いまくりなのに、一文字も男色を表現するところがない。

ヘンリー卿の物言いと逆説表現が、ドリアンとともに読んでるこちらをも惑わせる。

恐るべし!ヘンリー卿。オスカー・ワイルド、というべきか。

やっぱり私にオスカー・ワイルドや「デカダン」や「唯美主義」は難しすぎた。

今回も猛省です。


で、流れで「三島由紀夫」にも挑戦中です。

「仮面の告白」はすでに読破。ただいま「禁色」半分ほど読みました。

この作品チョイスの傾向は、オスカー・ワイルドに続き「男色風味」に偏ってみました。

「仮面の告白」はすらすら読めました。

「誰にでもある」といえ無くもない、幼少期から思春期の心と体のアンバランスからくる、

異性または同性との付き合いの中で生じる執着や嫌悪、

恋と友情の曖昧な思いが淡々とつづられています。

そして、その中で自分の中の異常性と、恐れつつも向き合おうとるす人の告白。

三島由紀夫にも「美」への執着を感じました。

現在読書中の「禁色」は、明らかに男色小説です。

買った単行本の帯の煽り文句に「男色小説の金字塔」とあったから間違いないのだ!

でも、半分まで読んだところでは「ドリアン・グレイの肖像」と似た香りが漂う。

ドリアンと悠一、ヘンリー卿と俊輔が少し重なるのです。

結末は知っています。俊輔が死に、悠一に莫大な遺産を残します。

たぶん悠一にとってはハッピーエンドです。醜く死んじゃうドリアンとは大違い。

地位も名誉もお金も美貌もコネもあるドリアンと、

お金に困って俊輔に雇われ(?)、俊輔の復習の共謀となる悠一。大違い。

だけど、ヘンリー卿も俊輔も世間を知り尽くした嫌味なじじぃ(大人)で、

屁理屈と逆説で若造をコロッと言いくるめて思いのままに操っちゃうように見える。

いまのところそんな感じ・・・


「禁色」も最後まで読んだら、また記事に書こうと思います。




最後にもう一度「ドリアン・グレイの肖像」について。

読後に感じたのはやはり「美醜に対する執着への不安」でした。

美と快楽がすべての基準にするドリアンの狂気。

地位も名誉もお金もコネもある名家のドリアンは、ちゃんと貴族的ずるさも持った大人です。

なのに、いつもヘンリー卿に言いくるめらたりはぐらかされて視点をずらされてしまったり。

そしてとにかく、文章の中でワイルドが「ドリアンの美」について書き続けることが、怖かった。

美しくないものへの恐怖がそうするのか?それとも美しくないものは認めないのか?

とにかく、ドリアンは究極的にナルシシスト(ナルシストは間違いですよ!)なのね。

美醜に対する徹底したこだわりが私を不安にさせる、オスカー・ワイルド。


初めて読んだ「幸福の王子」の読後のモヤモヤ感や不安感と同じとこから来る気がしました。

幸福の王子も当初「美しい」のです。最後は「まるで乞食のよう」になって死ぬのです。

街の人々の貧困を救おうと献身するのにそんな言われ方で終わるのです。

王子は最初、ツバメに頼むのです。自分の装飾品の宝石を貧しい人のもとに持って行ってほしいと。

次は、自分の眼のサファイアです。一つずつ。そこがね・・・不安を感じるのよ。

眼は最後でしょ?見えないと話にならない。

その後は、ツバメを信じて自分の体を覆う金を人々に配る。

もう、ツバメを信頼してるし・・・ツバメも王子に依存してる?

なんだか不安になるお話です。子供の時からそうでした。

今、単行本で読んだらもっと不安になりました。

ドリアン・グレイと同様に、美しかった姿が醜くなって死んでゆくのです。

ドリアンはどうか知らないが、幸福の王子は死後に神様に認めらます。

だけど・・・見た目の美しさへの執着があるような気がして、どうにも不安だ。



やっぱり、オスカー・ワイルドは私には難しすぎました。

でも、暇が出来たら英語版に挑戦するのも悪くない気がします。

そしたら、少しは違う印象になるかもしれません。

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