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埼玉県川口市の中学3年の少女による父親刺殺事件にはとても驚きました。殺人事件自体の数は減少傾向気味ですが、未成年者による家族の殺害事件は増加傾向にあります。そこで、その原因を(自説の展開ですが)探究して、このような痛ましい事件が減ることにつながっていければと思います。
私はこういう事件をマスコミが安易に切れやすい現代の子供が犯した犯罪などと言うように結論付けたくありません。そもそも人はそんな単純では無いのですから。
これらの事件に共通なのは、どれも“衝動的”な犯行である、ということです。この川口の事件もそうですし、事例は少し異なりますが直近のバスジャック事件などもそうです。では、なぜ衝動的になるのでしょうか?専門的な精神的な分野は、その道のプロに譲りますが、私は家族間でのコミニュケーション不足があるのではないかと思っています。この川口の事件でも、事件を起こした少女は父親とはあまり話してないと供述していました。家族間では、注意や忠告をしたりすると、他人ではないから遠慮せずにふと厳しい言葉になってしまいがちです。普段から顔を合わせていれば、少なくともどのような心情で注意してくれているとかが分かってくるものです、言葉通りの厳しい心情ではないことは分かるかと思います。ですが、あまり顔を突き合わさないと親がどのような気持ちで注意しているのかが分からなくなり“感情の見えない言葉”に怯えることになるのではないでしょうか。言葉自体は厳しいものですから、その表面的なところで激高してしまい衝動的になってしまうのだと思います。
「感情の見えない言葉」とは、例えば、ネットで「馬鹿じゃない」と書かれる時と、親しい友達に冗談半分で「馬鹿じゃない」と面と向かって言われる時ではその相手の受けるイメージは全然違います。ネットではどのような感情で言っているのかが分かりませんが、言わば無機質な言葉ですが、面と向かって言われるときは、その人の表情やしぐさでその人が冗談ぽく言っているのか、本当に批判しているかが分かるかと思います。
そこで、衝動的にならないようにするためには、コミュニケーションが必要だと思います。いくら家族でも顔を突き合せないとその心情などは分からなくなってくるものです。普段から顔を突き合わせていれば、厳しいことを言われてカッとなってもすぐに「殺してやろう」とは思わないでしょう。本気で私が嫌いでそのようなことを言っているのではないと分かれば、本人は無意識のうちに殺人衝動などを思わなくなるでしょう。コミュニケーションと言っても、毎日家族団らんなどは現代社会では難しいですから、例えば、週一回は家族で一緒に過ごすとか、朝食はみんなで摂るとか、要はお互いの表情を確認できるようにすることが大切です。
また、親の方は、子供と真摯に接することが求められます。よく「勉強しろ」と安易に言う親がいますが、では「なぜ勉強するのか」も一緒に説明する親はどれくらいいるでしょうか?「勉強が学生の本分だ」は答えにはなりませんよ。私自身は、将来の幅が広まるし、物事を知るということはとても素晴らしいことでその想像力を広げてくれるからだと思っています。
子供は親とは違う一人の人間ですから、その個を尊重しつつ、未熟な部分に対しては叱り、助言し、慈しみ、敢えて黙って手出ししないことが必要です。よく、友達同士のような親子がいますが、とても危険です。仲良くなることを最重要視し、苦言を呈することを拒否し子供に媚びるようなことは、子供の人間形成にとって好ましくはありません。かといって、すべて押し付けるような権威的のもどうかとは思います。大事なことは真摯に向き合って自分の言葉で子供に語ることだと思っています。
最後に、今の子供たちで自分の両親を尊敬している人はどれくらいいるでしょうか?あまり比率は高くないと思います。未成年者の事件が起こるたびに、集会を開いて子供たちに命の大切さなどを校長が説いていますが、こういう事件がなくなるためには、子供だけではなく親(大人)の方も変わらなくてはいけないのではないでしょうか。子供に尊敬されるような大人にならないといけないでしょう。
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