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言わずと知れたことですが、日本は愚かにも安全保障をアメリカに頼り切っています。国防は自立した独立国家なら自らが主体的に行うのですが、そういう姿勢は残念ながら今の日本にはありません。
それと同じように、共産・社民党などは安易に生活保護を受けろと支援者などに勧めます。国の関与を嫌う一方で、もらえるものだけは貰っておけという歪なことをしています。
曽野綾子氏はこう仰っています。「今の日本は不満だらけだ。その理由は、国家から、会社から、親から、もらうことばかり当てにしているのに、彼らはそれほど豊かには与えてやれないからだ。
親や国家が無能なのではない。誰も自分を助けてくれる人は本質的にいないのだ。すべて自分で何とかしなければならないと思うと「赤ちゃん」まで親のために働ける。日本人の精神の方向性を、もらう期待から与える姿勢に百八十度転換すれば、この閉塞的な空気の重苦しさを解決する場面は多い。
与える行為は国家社会に利用されることだ、という思想を払拭できれば、思いがけない道も開くのである。」産経新聞「小さな親切、大きなお世話」より
国家の関与を嫌うサヨクの人たちこそ、自助努力の大切さ、自立することの大切さを説くべきですが、国家から施されるのを貰うのを当たり前とし、行動もしないで不満ばかり述べています。
過日、聞くともなしに聞いていたテレビからは「雇用不安」を麻生政権のネガティブキャンペーンの主役に据えています。あまつさえ、「派遣切り」された人の困窮した様をお涙頂戴の寸劇に仕立てて報じています。「雇用主は情け容赦がない。政府は、収入が途絶え住む所もない派遣労働者・外国人労働者にどうやって生きて行けと言うのか!」と
翻って、非正規労働者は何故に非正規労働者なのかについても思いを巡らせまいといけないでしょう。自ら志願したにせよ、仕方なくそうなったにせよ、何ゆえに非正規労働者の道に進むことになったのか?彼らは努力を怠っていなかったか?。そもそも「不安定な労働契約」だからこその非正規労働者なもですが。
曽野綾子氏はさらにこうも述べられています。「フリーターなる人々が出現した頃、状況は全く深刻ではなかった。わざわざきつい仕事に就かなくても働きたい時だけ少し働けばどうにか生きていける、と考えた若者と甘い親が、当時フリーター生活を選んだのだというのが私の印象である。
今ではフリーターの多くが定職を望んでいるという。しかし定職という形のプロになりたいなら、犠牲も覚悟も要る。甘い気分で、楽をしていても通るプロの仕事は一つもない。プロはその道が好きでなければ続かないが、好きな道を見つけるのも、忍耐を続けられるかどうかも、ひたすら当人の選択なのである。」産経新聞「透明な歳月の光」より
確かに、真の社会的弱者には何らかの手当てはすべきだと思いますが、あまりにも日本には“弱者を装って貰う事ばかり期待している人”が多すぎます。そして、不平不満ばかり述べています。これはとても正常な社会ではありません。不平不満ばかりを述べて怠惰な者にこそ、自立する大切さを説くべきだと思います、精神的にも。
国家が自立していないから、国民も自立しない者が多いのでしょうか?疑問は尽きません。
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