社会問題

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格差に騒ぎすぎ

 最近、書店でよく「格差社会」と銘打った書籍を見かける。マスコミや野党も更に煽るように、格差は問題だとはやし立てている。だが、どのマスコミも野党も格差の本質について説明してはいない。

 では、格差とは何か?私は、「個人の努力では到底挽回できない差」であると考えます。ただ、この問題も、今は経済的な差ばかりが注目を集めているけど、個人の意識の問題でもあると考えます。
 確かに、経済的なばらつきが出てきたことは間違いない。しかし、諸外国に比べれば問題ない程度だ。例えば、インドではカースト制は表向き廃止されているが、現実では未だ残っており、最低層のカーストと最上位のカーストでは大学進学や就職でもあからさまに門戸が違っており、これは個人の力でどうこう出来る問題ではない。しかし、そんなインドでも最近、この不条理を打ち破る産業が出現した。ITである。このIT産業の出現で、最低層のカースト出身者でも最上位のカースト層の人を凌駕できるようになったのである。ただ、これも一握りのことであって、格差は依然とある。
 
 話を戻します。マスコミや野党は、格差を問題だと騒いでおりますが、彼らはどうやら全員が同じ給料ではなければ納得しないようです。日本はこれまで、「年功序列」と「終身雇用」でやってきました。これは高度成長期には適したシステムだったかもしれないが、今の低成長期には適さない。現在の格差なるものは、年功序列を廃止して、一人一人の能力を考慮して給料を査定しているために生まれたもので、大騒ぎすることではない。
 
 格差問題は経済的なことだけを追い求めていると、本質を見誤る。「下流社会」の言葉があるように、漫然と日々を無作為に過ごし、自己研鑽を忘れることこそが一番怖いことではないか。国民の知的レベルの低下こそが、最も恐れるべきことだ。日本は、先の例に出したインドや欧米のように、決定的な身分差があるわけではない。今までが「世界で最も成功した社会主義システム」と揶揄されたように、あまりにも一緒過ぎたために、差がとてもあるように感じているだけなのです。

 日本のマスコミ、メディアと言われる媒体はよく、ネット上で侮蔑の意味を込めて「マスゴミ」と呼ばれる。このように呼んでいる人たちは、理由もなしにマスコミを嫌っているわけではないと思う。私もテレビのニュースや報道番組を見ていて眉をしかめることは多々あります。
 今、テレビの影響力はとても大きい。去年の郵政解散で小泉前首相の解散の記者会見の模様は高視聴率であった。ある意味あの記者会見で勝負はあったのかもしれない。
 テレビは、現在の我々の生活に密着した物となった。それ故にテレビの報道の仕方には気を付けないと、ある一定の方向に民意を誘導するように持っていかれる危険性がある。現にTBSやテレビ朝日ある一定の方向に民意をミスリードしようとしている節がある。ただ、当然政府の礼賛報道だけでも困りますが。

 私が考えるマスコミ像は、情報に余計な色を付けず(=ある意見を乗せないでなるべく客観性を持たせること)に、一般の視聴者自身がその発信された情報に色を自ら付けられるようにすること、と考えます。ちょっと、比喩的表現で分かり難いかもしれませんが、核心は「発信する情報にマスコミ自身の意見を付することなく、客観的な情報を伝えて、視聴者自身がその情報を妙な意見に惑わされること無く考えられるようにすること」だと考えます。
 しかし、これはあくまでも理想論です。人が伝える報報に絶対的な客観性などはありません。しかしなるべく客観性を保つために努力はすべきです。例えば、解説やコメンテーターには様々な意見の人を採用して、偏った方向性に行かないように客観性を補完することは出来るはずです。私は、それをしないTBSやテレ朝には不快感を隠せません。
 
 結局、民主主義は衆愚政治に陥る危険性がある。そうならないためにも、間接民主制だからといって、思考停止することなく視聴者自身が様々な問題に対して考えて行動する(投票する)ことが必要なのだと考えます。そのための判断材料がマスコミなどの媒体であるから、私はマスコミはどうあるべきかを考えて見た次第です。 
 
 

いじめ問題

 最近、いじめで自殺したという報道をよく耳にするが、いじめ自体を無くすことは出来ない。いじめは、学校だけでなく、およそ人が集まり集団を作ればどこでも起き得ることである。ただ、大人ならいじめや嫌がらせに遭っても、何とか対処できるかもしれないが、まだ発達途上にある子供にとっては相当苦しいものなのだろう。
 
 問題は、起きてからどう対処するかだが、現実的には、学校で対応できないのであれば、いじめは厳密に言えば、何らかの罪を犯しているのがほとんどだから、加害者を暴行・傷害・恐喝罪などで逮捕・補導するしかない。逮捕することが目的ではないが、いじめはその大半が犯罪であることを分からせるためには、逮捕・補導もやむを得ないのではないだろうか。
 昨日も、必修漏れをほのめかして、愛媛県の県立高校の校長が自殺した。日本は不祥事が発覚すると自殺者がでるけど、それは本当に責任を取ったことになるだろうか?
 むしろ逃げていると思う。私は当事者には、どうしてそうなったかの説明責任があると思う。死んでしまっては、真相も明らかにならないばかりか、そもそも学校は人の命を大事にすることを教えるのなら、まずは「自分の命を大切に出来ないものが他人の命を大切に出来ないこと」を教えるべきだ。
 
?H1>生徒に範を示すべき先生が、自殺をするから生徒も苦しいことから逃げるために死を選ぶのだ。

学校関係者は、死ぬことは、決して責任を取ることではないことを忘れないで欲しい。


 

未履修問題

 
政府は未履修問題で、本来なら2単位70時間必要なものを、50時間とレポート等の提出で単位が取得するように決めたが、本当にこれでいいのだろうか?きちんと、正規の授業時間を守るべきだ。授業時間を短くして単位をあげたら、本来身につけるはずの知識や教養がつく機会を取り上げることになる。
 教育と言うものは「機会均等」が大事だと思うから、その機会を奪うことになっては、一体何のための教育か?高校教育は、そもそも大学へ進学するためのものではない。もう一度、高校教育の意味を考えてもらいたい。大学入試のあり方も一緒に。
 

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