歴史問題

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全3ページ

[1] [2] [3]

[ 前のページ ]

シナの歴史教科書

 シナは、歴史認識で色々と日本を攻撃してきますが、一体どういう歴史観を植えつけられたのか、どういう歴史教科書で勉強したのか、見ていきたいと思います。

 まず、シナにおいて歴史教育とは、歴史の学習を通して行なう「政治教育」であり、「思想教育」であることが、大前提にあります。『入門中国の歴史――中国中学校歴史教科書』(明石書店)によると、シナの(中)学生が歴史を学ぶ目的は、「共産党の指導による社会主義とマルクス主義による歴史分析の正しさを確信させ、愛国主義の尊さを学ぶこと」である。ただ、ソ連や東欧諸国の崩壊を見ると、資本主義から社会主義へ発展して行くとするマルクス主義の考えには、疑問を持つのが普通だが、シナの歴史教育では、生徒がそうした疑問をさしはさむことは許されない。

 一方、日本の歴史教育は、政治権力からの自立が重要視されており、特定の歴史観を強制しないようになっている。「学習指導要領」では、歴史教育の目的として、「歴史的事象を多面的・多角的に考察し、公正に判断する能力や態度を育成すること」が挙げられる。
 従って、日本の歴史教科書は、特定の歴史観に基づく主観的な記述や断定的な歴史解釈や評価、道徳的感情表現などは極力排除している。それゆえ、客観的な事実だけが淡々と記述されている。

 これに対し、シナの歴史教科書は、マルクス主義的歴史観に基づく愛国主義の傾向が強く、善悪二分論による歴史解釈・評価や政治的価値判断、道徳的感情的な表現が随所に見られる。

 シナの教科書で最も特徴的なのは、アヘン戦争(近現代史)以降の記述量がとても多いことだ。シナの歴史教科書の近現代史の記述の根幹は、「帝国主義諸国の侵略に対する愛国的な民族闘争と革命運動の重要視」であり、とりわけ満州事変以降の、日本の侵略と残虐な占領統治に対する民族的抵抗と勝利の歴史的経過がとても詳細に記述されている。そこでは、日本に対して抗日に妥協的な国民党と対比させながら、終始、中国共産党の功績を大々的に強調している。抗日の先頭に立つ者は、英雄としてたたえ、親日派にはすべて「売国奴」「裏切り者」として一切を片付ける。人物の歴史的評価でも、完全な善悪二分論なのである
 ただ、現代史になると、日本は突如教科書の記述から消える。日中の国交回復に触れるだけで、損害賠償請求を放棄したことやODAの供与については全く触れられていない。しかも、近年の経済発展をほとんど自力で成し遂げたかのように記述している。前述したように、歴史教育を政治教育としているシナにとって、日本からの多額の援助に触れることは、好ましくないのだろう。

 以上のように、シナの歴史教科書の記述のあり方や近現代史を日本の侵略とそれに対する抗日の共産党とする、善悪二分論の手法、現代史における日本に関する記述の欠如などは、偏った愛国主義の表れだろうが、歴史を弄ぶ愚かな行為だと知るべきだ。

 我々は、こうした歴史認識に対して客観的な証拠や資料(史料)を持って「真実の矛」で戦わなければならないだろう。

 


 

 

 竹島は、1905年1月28日の閣議決定及び同年2月22日の島根県の告示により正式に日本に編入された。これはきちんとした国際法に基づいたものであり、近代国家として領有を再確認したものである。
 ところが、1952年に韓国は竹島を含む公海上に勝手に李承晩ラインを引き、竹島を武力で不法占拠し、それは現在も続いている。また、李承晩ラインを引いた時それは不当であるとして、アメリカ、イギリス中華民国などが李承晩政権に抗議している。

 韓国側が竹島の領有を主張する際の論拠として、『世宗実録・地理志』『高麗史・地理志』『東国輿地勝覧』『東国文献備考』などの史料を根拠してきた。韓国はこれらの史料に出てくる「于山島」を現在の竹島と主張している。ただ、于山島を竹島と直接記してあるのは、『東国文献備考』だけであり、また、この記述には改竄された跡がある。この『東国文献備考』での于山島=竹島の記述は、安龍福のデタラメな供述が基になっている。詳しい安龍福の記述は、文春新書の『竹島は日韓どちらのものか』を参照。

 つまり、韓国側の主張の核は、安龍福の供述以前の『世宗実録・地理志(1454年)』や『東国輿地勝覧(1481年)』などに于山島の名が出てくることから、安龍福の「竹島は于山島である」との供述を組み合わせて、それを根拠に竹島は歴史的に韓国領であると主張している。また、それは日本側が論拠としている『隠州視聴合紀(1667年)』よりも、200年も古いから日本よりも先に支配しているとし、歴史的な権限が韓国にあると言いたいのだろう。ということは、『東国文献備考(1770年)』の記述の信憑性を失わせれば、近代に入ってからの根拠を持たない(→だからこそ韓国は歴史の史料を重視し、その旗色が悪くなるや激情して植民地支配だと騒ぎたてて、議論をごまかそうとする)韓国の主張は一気に崩れる。
 
 しかし、『東国文献備考』の于山島と安龍福供述以前の『世宗実録』や『東国輿地勝覧』の于山島が同一の島である証明はされていない。韓国側はそれがわかっているから、『東国文献備考』の記述を重視している。

 では、『東国文献備考』の信憑性を追ってみたい。『東国文献備考(1770年)』は申景濬の『旅菴全書』の中の「彊界考」に典拠し、また、「彊界考」は柳馨遠の『輿地志(1656年)』と『春官志(1745年)』の「鬱陵島争界」に典拠されて書かれた。
 『春官志』は李孟休という人が、今から300年ほど前に、日本と李氏朝鮮との間で鬱陵島の領有をめぐる争いを概括するために、それについての文献が整理されたものだ。そこでの、李孟休の鬱陵島についての記述は次の通り。
「この島、その竹を産するを以て故に竹島と謂い、三峯ありてか三峯島と謂う。于山、羽陵、蔚陵、磯竹島に至りては皆転訛して然るなり」“于山島は鬱陵島の別名であるとしている”
 『東国文献備考』の記述では、「輿地志に謂う。鬱陵、于山皆于山国の地。于山は即ち倭の所謂松島(当時の竹島は松島と呼ばれていた)なり」とあり、この基である『旅菴全書』の「彊界考」には、「按ずるに、輿地志に云う、【一説に于山、鬱陵本は一島なり】。而るに諸図志を考すに、二島なり。一つは即ちその所謂松島にして、蓋し二島は倶に是れ于山国なり」
 
 『東国文献備考』、『旅菴全書』の「彊界考」は共に『輿地志』を引用しているが、この『輿地志』は現存してなく、引用された箇所は確認できない。また、『輿地志』は安龍福の供述(1696年)よりも40年ほど前の1656年に成立し、今発見されている朝鮮の史料では、“松島”という名が出てくるのは安龍福の供述が収められている『粛宗実録』からである。現状では、『輿地志』が編纂された前後に、松島という名が朝鮮で知られていることを示す史料は無い。
 ということは、「彊界考」の中で、『輿地志』の記述を引用しているのは【】の部分だけだというのが分かる。「而るに」以下の記述は申景濬の私見である。申景濬は地図や諸文献などを見て思ったことを、あたかも『輿地志』の記述のようにして改変し、本来は一つの島である于山島と鬱陵島を別々の島であるとしている。
 更に、申景濬は、安龍福の供述「于山は即ち倭の所謂松島なり」をまるで『輿地志』の記述のように見せている。
 
 以上のように、韓国の古典に記述してある于山島は断じて竹島ではない。むしろ鬱陵島であると考えられる。韓国側の史料は捏造を積み重ねたものである。全く歴史的根拠のない韓国は、竹島の不法占拠を歴史改竄によるしか正当性を証明できません。
 

全3ページ

[1] [2] [3]

[ 前のページ ]


.
dune
dune
男性 / B型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

ブログバナー

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!
ふるさと納税サイト≪さとふる≫
実質2000円で好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事