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 3月17日放送のTBSの「筑紫哲也ニュース23」にブレア前英国首相が出演するので、何となくDVDレコーダーで録画して、観ました。皆さんの中にも観た方がいらっしゃることだろうかと思います。久しぶりに筑紫哲也の姿も見ましたが、“憎まれっ子世にはびこる”ということでしょうか。
 番組はTBS曰く、「市民集会型」のスタイルを取っているそうですが、どう見ても“プロ市民”がずらりとがん首そろえていました。というか、プロ市民のための番組であると言えます。そういえば、クリントン元米大統領もこれに出演していたのを思い出しました。

 全体的に劣悪というか下らない質問が多く、また、プロ市民は本当に品がなく、ブレア氏をブッシュ大統領のプードル扱いするような質問などもしていました(事実がそうであっても、それを実際に本人に言うかどうかは品格の問題)。でも、ブレアは顔色を変えずに意地の悪い質問にも笑顔を見せて質問に答えていたのは、印象的でしたが。ここで懐かしい顔を発見しました、イラクで人質になっていたあの「高遠菜穂子」です。(皮肉な意味で)TBSも良くやります。

 ブレア氏も途中でこの“自称市民”と称する人たちが、カルト的な思想の持ち主であると気づいたようで、小泉元首相の外交についての評価を問われた際には、「日本は“われわれの世界”で尊敬されている。欧米で日本はたいへん尊敬されている。“あなたがた”は、そうではないが」と言い、われわれ=民主主義世界(一般の日本人も含む)と、あなたがた=世界で異臭をはなつ日本サヨク、とは違うものだと区別しだしました。

 それにしても日本のサヨクほど、醜聞な者はいません。国旗掲揚・国歌斉唱を頑なに拒否し、事もあろうか自分の国を軽んじ、憎んでいます。世界の常識とは遥かにかけ離れています。
 ブレア氏は、最後に日本人へのメッセージへとして、次のように述べました。「内向的すぎる。もっと世界に目を向けるべきだ。世界情勢にもっと関心を持って欲しい。日本が世界に提案できることはたくさんあるのだから」
 私は一瞬これは、日本国民へのメッセージではなくプロ市民への忠告かと思ってしまいました。世界の趨勢に背を向け、未だに日本で革命を起こそうとしている連中ですから。

 私が一番印象に残ったブレア氏の言葉は、「戦争を決断しなければいけない時もある」と言う言葉です。自国の独立や平和を守るためには、時として戦わなければならないということを意味しているのだと思います。世界で政治をしてきた人の言葉なのかと思いました。日本の政治家には残念ながら口に出来ないセリフです。

 

 

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 http://www.news.janjan.jp/media/0802/0802150846/1.php)まずは、こちらのサイトをご覧下さい。ここではアサヒ新聞の声に投稿した人の話が載せられています。投稿した文書をアサヒが手直ししたので、確認してくれとのことでその手直しした文書を見て、投稿者の人は、自分の元の文章とはあまりにもかけ離れていて、しかも入れてもいない個人名までもが勝手に載せられていることに驚きと怒りをあらわにしたそうです。
 そこで、投稿の原文と、アサヒが手直しした文書を載せますので、皆様も熟読して検討してみてください。

 (投書の原文)
 改革は痛みをともなうのか

 ここ数年、政治の世界では「改革」という言葉が錦の御旗のように掲げられて、多少食傷気味である。
 
 戦後わが国は平和の道を選び、廃虚から立ち上がって豊かな中流社会を築いてきた。そこにはそれなりの理念があった。「改革」は、その秩序を破壊して深刻な格差社会をつくってしまった。今、国民が一番閉塞感を感じるのは、「改革は痛みをともなうのが当然」と平然といってのける政治家が多いことである。そしてそれを多くの国民がなんとなく納得してしまっていることに救いがたい無力感を感じるのである。痛みをともなうことを当然視する発言の中に、弱者切り捨てという結果が潜んでいることにわれわれは気づかなければならない。
 
 よく考えてみると、これほど政治家として無責任な言葉はない。「手術は痛みをともなうのが当然」という外科医がいるだろうか。痛みをともなわない改革を行うのが政治ではないのか。われわれはもっと言葉の意味を吟味して、「痛み」の部分を返上しようではないか。そうしないと、このままでは格差は固定化して、アメリカ社会のように治安の悪化が常態化してしまう。

 (書き直された最終稿)
改革の痛みは返上をしよう

 ここ数年、政治の世界では「改革」という言葉が錦の御旗のように掲げられて、多少食傷気味である。

 戦後わが国は平和の道を選び、廃虚から立ち上がって豊かな中流社会を築いてきた。そこにはそれなりの理念があったが、改革は格差社会を作ってしまった。
 
 「構造改革には痛みを伴う」と小泉前首相は改革を進めた。痛みは、深刻な格差社会を生んだ。しかしながら、郵政解散では自民党が大勝する。多くの国民は痛みになんとなく納得したようで無力感を感じた。そして、先の参院選でやっと痛みの後遺症に気づき始めたのだろう。
 今回の自民党の総裁選ではどうだろう。福田康夫元官房長官は「格差が開きすぎるのは弊害だ。ただ、改革は続行する」。麻生太郎幹事長は「構造改革によって生じた暮らしの不安と格差の解消を急ぐ」という。
 痛みを伴わない改革か、その言葉の意味を吟味したい。そして、痛みをきっぱりと返上しよう。このままでは格差は拡大、そして固定化されてしまいかねない。

(「構造改革[太字].......」以下は書き直された部分)

 
―引用終了―

 こういう読者の声は、字句の間違い以外はなるべく原文で載せないと、それは読者の声ではなくなります。このアサヒ新聞の行いは完全に文章を創作しています。ご丁寧に政治家の名前までも付け加えて。やることが卑劣です。

 アサヒ新聞の「声」は読者の声ではなく、実はアサヒ新聞の記者の声であったです。アサヒ新聞は他人を批判する前にまずは自分たちの悪行の反省をなさい。自分のことを棚に上げているものの言葉に誰が耳を傾けるでしょうか。アサヒ新聞に投書するのは止めましょう。皆さんの大事な意見がアサヒの主張に利用されることになりかねません。やはり、アサヒフリーしかありません。このような恥知らずにもはや再生の手はありません、根元まで腐り切っています。

 平成20年2月18日アサヒ新聞より

 少女の心の傷誰が償うのか

 主婦 城恵以子(熊本県玉名市 74歳)

 在沖縄米海兵隊員による女子中学生への暴行事件は何ともやりきれない。幾たびも繰り返し引き起こされた、屈辱的な事件だ。その度に「二度と事件を起さぬ」「今後このようなことのないよう、綱紀粛正に努める」と関係者はわびる。

 けれど、米兵の欲望の犠牲になったこの少女の一生は誰がどう償うのか。「出来るだけの補償をする。誠に申し訳ない」と言ったところで、この少女個人が受けた辱め、ボロボロに傷つけられたプライド、悲しみは誰がどう癒すのか。恐らく一生ぬぐいきれない心の傷が残るのだ。米兵は全員一度母国に引き揚げてみたらよかろう。そうすることで沖縄に駐留させてもらっているということを真に理解するに違いない。

 現在の米軍は、日本を占領した時の感覚そのままで沖縄に駐留しているのではないか。対等な人間としての感覚を持っているとは到底思えない。日本国民の一人として、腹の底からの憤りを覚えるものである。

 
軍隊ある限り再発は防げぬ

 無職 武田寛(大阪府高槻市 81歳)

 米兵による女子生徒暴行事件がまた起こった。13年前にも同様の事件があり、日本の当局は抗議し、米軍は根絶を誓った。日米とも事件の再発防止に全力を挙げただろう。でも再発した。では、今回事件を起した米兵は特別な大悪人だったのだろうか。

 私は、軍隊そのもの、戦争そのものに原因があると思う。古来、戦地における下級兵士にとって女性との接触は唯一の楽しみだったと聞く。だから政府同士がどのように約束しようが、戦争がなくならない限り、かかる事件をなくすのは至難の業だと思う。

 沖縄では戦後長く米兵の占領が続いた。今は安保条約に基づく駐留だが、まだ占領下にあるように米兵は錯覚しているのではないか。事件の米兵を擁護するつもりは全くないが、この米兵一人をいかに責めても事件の再発を防げない。

 安保条約をかたくなに守るか、明日また起こるかもしれない少女暴行事件を根絶するか。二者択一を迫られたら後者を選ぶべきだろう。そのために米軍の沖縄からの即時撤退を求めるべきではないか。

―引用終了―

 全く持ってタイミングの良い投書です事、あらかじめ用意していたような・・・内容は愚にもつかないお寒いものです。
 それに、この少女暴行事件を自分たちの主張に利用するのは慎むべきです、アサヒ新聞は。このやり口は卑劣です。
 
 最初の人はアメリカ軍を一度引き揚げろと言いますが、仮にアメリカ軍が沖縄から引き揚げれば、呼ばなくてもシナの人民解放軍が大挙して押し寄せてくるでしょう。逆にそうなって初めて、米軍が駐留している意味を理解することでしょう。そして、このような事件は今以上に起きるでしょう。

 次の人の意味不明な二者択一。なぜこのような極端な二者択一にするのか理解不能。仮に米兵がいなくても、女性への暴行事件は起きているのであり、人がいる限りなくなることはないでしょう。

 こういう人たちは、出来もしないことのその出来ない理由を米軍の駐留に無理やり結び付けて、米軍がいなくなれば出来ると、うそぶき結論付けているだけです。

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 タイトルの「謝れば済む問題ではない」は、私の言葉ではありません。サヨクの(顔が)怖い方々の常套句です(例:社民党の党首など)。さあ、サヨクのプロ市民の皆さんの出番ですよ、報道ステーションの古館の人権侵害の不適切発言に対して抗議して下さい。

 報ステ・古舘氏「アダルトチルドレン」発言で謝罪

 14日放送のテレビ朝日のニュース番組「報道ステーション」で、メーンキャスター、古舘伊知郎氏が前日のニュースの中で「アダルトチルドレン」という言葉を誤って用い、関係者を傷つけたと謝罪した。

 古舘氏の説明によると、問題の発言をしたのは、13日放送の「18歳は成人か」というニュース。古舘氏は「大人になりきれていない子供」という意味で「アダルトチルドレン」を使った。しかし、アダルトチルドレンは一般的に、アルコール依存症の親に育てられるなど機能不全家庭で育ち、成人になってもそうした体験が心的外傷として残っている人を指す言葉。古舘氏は14日の同番組の最後に、「本当に苦しんでいる人に申し訳ない。以後気をつけたい」と神妙な面持ちで謝罪した。

 「報道ステーション」は、日本マクドナルドの調理日改竄(かいざん)をめぐる報道で過剰な演出があったとして、放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会が今月4日、反省を求める意見書を出したばかり。


 2月15日0時3分配信 産経新聞より
― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―
 まあ、馬鹿馬鹿しい内容ですが、報道ステーションの古館がまた、やらかしました。それでも、他のメディアがそれを批判するようなことはしません。政治家のなんでもない発言をさも問題あるように報じているのとは対照的ではありますね。身内通しかばい合っているのでしょう。自分のところだっていつ不適切な発言や表現をするか分からないですから。そのための予防線として。

 2月4日に出た、マックの捏造報道に対するBPOの意見書では、「安易な短絡的映像至上主義の演出は慎重さに欠ける」と言っていますが、元店長代理の女性を制服を着せて、バッチをつけさせてあたかも現在も会社に在籍しているように装うことは明らかな捏造です。どうも、マスコミはこの「捏造」という文字を使いたがりません。後ろめたいところがあるからでしょうか。チャイナフリーという言葉がだいぶ定着してきました。今度は、捏造癖のアサヒ新聞や、テレビアサヒを忌避する「アサヒフリー」をすべきだと思います。
 
 

 テレビアサヒがまた、お騒がせの捏造騒動です。何しているのでしょうか、テレアサは。良識ある方はテレビは見ない方が身のためです。大宅壮一氏の一億総白痴化はまさに卓見です。実際に思慮に欠ける人が増えているような日常を見ると、末恐ろしくなります。

 以下の記事を紹介します。

 テレ朝が誤報! ありもしない“捏造報道”報じ大混乱

 「対日攻撃の材料を…」

 “殺人ギョーザ”事件に関連して、テレビ朝日が1日のニュース番組で中国の現地紙の記事を誤訳し、「一部の中国のメディアが、毒ギョーザ事件は日本のメディアの捏造(ねつぞう)だと報道している」と誤って報じていたことが明らかになった。ニュースを見た自民党議員が「けしからん!」と激怒し、中国側に抗議するよう外務省に要請。同省で確認したところ、誤報と判明した。

 テレビ朝日は1日のニュース番組で、ギョーザ事件に関する中国メディアの反応を紹介。共産党幹部向けの新聞「参考消息」の1日付紙面を引用し、「日本のメディアが毒餃子事件を捏造 輸出検査は合格と中国は表明している」と報じた。

 さらに人民日報の姉妹紙「環球時報」を取り上げ、「日本のメディアが中国製ギョーザを包囲、攻撃している」との見出しを紹介。「『中国の輸出食品の99%以上が安全で、日本の保存過程に技術的問題があったか、誰かが故意に行った可能性が排除できない』などとしている」と伝えた。

 こうした現地紙の“報道”を根拠に、女性アナウンサーはニュースのなかで、「一部の新聞は『日本のメディアが毒ギョーザ事件を捏造している』などと伝えています」と紹介していた。

 ニュース番組では現地紙の映像を映していたが、このうち「参考消息」の見出しは「日媒体炒作“毒餃子”事件」となっており、日本語訳は「日本のメディアが“毒餃子”事件を騒ぎ立てている」が正しく、「捏造」や同意語の「虚構」といった表現は見当たらなかった。


 このニュースは、2日に自民党本部で開催された「輸入食品の安全性に関する緊急対策本部」の会合で取り上げられた。番組を見た議員が中国の“捏造”報道に激怒し、外務省に「けしからん話。中国に抗議すべきではないか」と申し入れる騒ぎになった。

 外務省も一度は大慌てしたが、省内の中国課で現地の新聞とテレビ朝日のニュース内容を確認した結果、現地紙の誤訳による誤報であったことが確認された。5日の緊急対策本部の第2回会合の席で、外務省の担当者は「報道のような事実はなかった。テレビの翻訳の誤り」と説明したという。

 “殺人ギョーザ”事件報道をめぐっては、日本の警察当局は、中国の工場で混入したとの見方を強めているのに対し、中国側は暗に日本国内で混入した可能性も示唆している。インターネット上でも事件の責任の所在をめぐって、日中間で激しい応酬が繰り広げられている。

 こうした状況下、今回のテレビ朝日の誤報に、自民党議員らは「ありもしない“捏造報道”を報じたため、かえって日本のメディアを攻撃する材料を与えてしまった。ただでさえ日中間にしこりを残しかねない問題なのに、さらに感情的なこじれを助長する可能性がある」と話している。

 テレビ朝日広報部は6日午前、誤報問題について「担当者がいないので、いまのところコメントできない」としている。


 ZAKZAK 2008/02/06(http://www.zakzak.co.jp/gei/2008_02/g20080206toku_all.html)より

― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―
 テレビアサヒの担当者は、いつものように、問題があると雲隠れするよう不在を決め込んでいますが、事態が収束するまではどこかに隠れていることでしょう。

 これは、テレアサの意図的な誤訳だと思われます。つまり、先の報道ステーションでのシナ擁護発言を皮切りに出たテレビアサヒのシナ擁護の一環ではないかと思います。一種の自爆と見せかけての情報テロであると。引用記事の最後にある自民党議員の言葉にあるように、余計な日本(メディア)への攻撃材料をシナ側に与えてしまったというものです。こういうふうに、シナ擁護派は巧妙に別の問題を起して、国民の関心をそちらにそらそうとしている感じがします。

 これからも、マスコミの情報の偏りは続くでしょう。つまり、きちんと勉強した者としない者では、情報に差が出るというものです。例えば、シナの食品は危険であるとの認識は保守系のブログや掲示板では当然の認識になっていますが、一般の国民はどうでしょうか?そこまでは認識されていないのではないでしょうか。シナ製品は危険だと皆が知っていれば、毒餃子事件は起きなかったかもしれません。

 メディア・リテラシーという言葉があります。定義は「情報メディアを批判的に読み解いて、必要な情報を引き出し、その真偽を見抜き、活用する能力」です。少なくても、マスコミの言うことを鵜呑みにするのは止めるべきです。マスコミは公正でも公平でも、不偏不党でもありませんから。
 日本のテレビは残念ながら本当のシナのことは流しません。新聞(産経以外)もほとんどシナに都合の悪いことは報じません。既存のメディアは当てになりません、彼らは特亜に配慮していますから。自分で必要な情報を得て、自衛するしかありません。

 

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