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筆洗 2013年10月1日 東京新聞
十を聞き、一を書け−とは、新聞記者が、繰り返し説かれる心構えだ。徹底的に取材して、九は捨て、核心を見据え本当に大切なことを書く。言うは易(やす)く行うは難き記者心得だが、八十八歳で逝去した作家の山崎豊子さんは、「四十を聞き、一を書く」と言っていた
▼あの重厚にして悠々たる小説が一だとすると、四十とはいかなる労力か。シベリア抑留を耐え、戦後は商社員となり経済戦争を闘った男を描いた『不毛地帯』の取材では、三百七十七人から話を聞いた
▼酷寒のシベリアを横断し、モスクワから中東の油田地帯へ。全旅程三週間というモーレツ商社員並みの「出張」をこなした。「商社員を書くんです。商社員なみに動かなきゃ、実感が湧きませんよ」(『作家の使命 私の戦後』新潮社)
▼壮絶と形容したくなるほどの創作姿勢。八十四歳で『運命の人』を書き上げた時に、「この年まで書き続けてこられたのは、学徒出陣と学徒動員のためでした」と振り返った
▼勤労動員で軍需工場に駆り出されて、「本を読みたかった時代にその自由はなく、人を殺す弾を磨いていた」という学生時代。動員先で小説を読んでいたのを将校に見つかり、「この非国民め」と平手打ちされた。その時、作家としての書く方向は決まったのだと
▼戦争を生き残った者として何をなすべきか。そう問い続けた足跡が、残された。
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