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快刀乱麻の大軒原稿 帰ってきた日本(10) 
日米外交60年の瞬間 特別編集委員・伊奈久喜


2012/11/10 7:00  日本経済新聞

 サンフランシスコからの報道を通じて知って社説を書く論説委員たちと違い、現場にいる大軒順三記者の書いた記事は、快刀乱麻の切れ味を感じさせた。
 やや長くなるが、1951年9月6日付日経の1面トップを飾った大軒原稿の前文を紹介しておく。社説とは異なり、大軒の立場は徹頭徹尾、米英寄りだった。
■「赤色侵略の余沢」と結論づけ
 「【大軒特派員サンフランシスコ六日発】サンフランシスコ会議第二日は予想通り開幕早々からグロムイコ・ソ連代表の妨害戦術が繰展げられ、中共の参加、議事規則の審議などをめぐって執ように食下がったため、かなりの波乱を示したが米英を中軸とする西欧側はよく結束してソ連の策動を完封し、議事規則の採択、議長、副議長の選任も順調に進んで早くも会議の大勢を決するに至った。二日の会議を通じての印象は、ソ連側の完敗によって会議は峠を越し、これからの問題としては各国代表の演説と最終日の調印が残されるのみとなった。この西欧側の圧倒的勝利は米英の完全協力とこれにつらなる小国の一致した支持によるものである。
 アチソン議長はこの自信に立ってグロムイコ代表以下チェコ、ポーランド代表にも発言の機会を与えた感があり、ソ連側も四十八票対三票という圧倒的な差で敗れ去ったとはいえ、一応いうべきことは言いつくし、十三項目から成るソ連独自の条約修正案をも持出して、宣伝目的は達せられたということであろう。ソ連提出の条約修正案も議場で聴いた印象では日本に軍備を認めるという点を明確にした以外新味はなく、昨年十一月と今年五月に発表した案の蒸し返しにすぎないということに衆評は一致していた。会議の空気は午前中は傍聴人も満員だったがグロムイコ代表の演説に拍手を送るものはなかった。午後の会場ではソ連側代表の後方に陣取ったソ連人から拍手が起ったがこれはサクラでそれ以外にはなかった。米国での対日感情が非常にいいのも春秋の筆法をもってすれば赤色侵略の余沢ともいえよう」
 見出しは「講和調印へ大勢決る」「きょう一般演説を続行」「ソ連の策動完封」「難関の議事規則も成立」「ソ連代表の発言に騒然」などとある。一応ニュース記事につけるような見出しをそろえている。
 しかし原稿そのものはかなり主観的な解説記事となっている。ソ連側の「妨害戦術」「策動」「完敗」「サクラ」などとあり、極めつけは「赤色侵略の余沢」とある。
解説とはいえ、いまならここまで激しい解説記事が1面トップを飾るのは難しいだろう。当時の大軒は編集局次長だから、編集局幹部である。やや腰の定まらない論説陣と比べ、編集局は講和に対して旗幟(きし)鮮明だったようだ。

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                 円城寺 次郎

当時の編集局長は円城寺次郎である。円城寺は1946年3月1日から56年2月27日まで10年にわたって編集局長を務めた。68年に社長になり、76年まで8年務めた。今日の日経の基礎を築いた人物である。
 
 円城寺の後任社長が大軒だが、それはこの物語とは直接関係がない。経済紙である日経が吉田の多数講和をかくも明確に支持したのはなぜか。
 経済の観点から説明するのが簡単のように思える。経済が現実の世界を相手にする現実的な営みだとする認識からだったろう。
■ドッジによる日本経済安定構想
 日本経済をどう自立させるか。それは米国の冷戦戦略上も重要だった。米側でそれを考えていたのが、サンフランシスコにも来ていたデトロイト銀行総裁のジョセフ・ドッジである。
 ドッジの仕事は、池田勇人蔵相との会談を通じ、講和後つまり独立後の日本経済の安定策をつくることにあった。1951年9月6日、ドッジは親しい米政府当局者に自らの考えを説明した。
 AP通信の記者は、この当局者に取材し、ドッジの頭の中に何があったのかを聴き、配信した。当時の日米間の経済関係や日本経済の状況がわかる面白い記事である。
ドッジは当時、資源をめぐる売り手市場が続くとみていた。したがって資源のない日本に対し、米国は綿花や鉱産物を供給し続けるとした。日本を輸出で稼ぐ国にするのがドッジ構想であり、資源がないのだから、それは日本人自身にとっても自明だった。
 
 したがってドッジは日本人の生活水準を急速に引き上げるべきではないと考えた。そうしなければ、輸出増産の努力が無駄になるとする論理である。要するに生活水準の向上を我慢して歯を食いしばって輸出製品をつくれというわけだ。
 当時の日本は朝鮮戦争による特需で深刻な物価高に直面していた。1950年6月の開戦から2年間に物価は65%も上がったと当時の新聞にはある。その抑制のための措置の必要性もドッジは考えた。
 日本の物価を抑え、米国が原材料を供給し、日本で製品化し、それをアジアに売るという分業であり、それを可能にするためには日本を国際通貨基金(IMF)に加盟させ、日本が資金を調達できるようにすることもドッジ構想にはあった。
 2012年10月、東京でIMF世銀総会が開かれた。これは2012年が日本のIMF世銀加盟60年を記念したものであり、60年前つまり1952年の加盟はサンフランシスコでの講和の結果でもあった。


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