筆洗 2013年10月3日 東京新聞
犬も歩けば棒に当たる。江戸いろはカルタの「い」でおなじみだが、江戸の昔は歩きも歩いたり、遠方から伊勢参りを果たし、大金を授けられた犬がいたそうだ
▼おとぎ話のようだが、実話というから驚きだ。元毎日映画社社長の仁科邦男さんの労作『犬の伊勢参り』(平凡社新書)によると、その珍事は、明和六年(一七六九年)の式年遷宮に触発され始まったおかげ参りの最中に起きた
▼上方から来たという犬が外宮の手水(ちょうず)場で水を飲み、宮前で平伏した。犬は不浄として出入りを禁じられているが、宮人がその姿に感じ入り、首に御祓(おはらい)をくくりつけてやると、内宮にもお参りしたそうだ
▼この犬だけではない。伊勢参りの犬を記録する宿場間の引き継ぎ書が、かなり残されている。文書には道中で授けられた銭の額まで記され、それが増え続け、犬の首に付けられぬほどの大金になったという
▼今は犬が勝手に歩くのもままならぬが、江戸の犬は、自由だった。そして犬は実に人の気持ちに敏感だ。伊勢へという人々の思いと流れに乗った犬が「お参りの犬」と大切に扱われるうちに、ついに参拝を果たしたのではないかと仁科さんはみる
▼きのうは内宮の遷御の儀、五日は外宮の遷御。式年遷宮をことほぐ参拝の列に、さすがに犬の姿は見えぬだろうが、かつて犬までを伊勢に導いた信仰の熱は今も昔も変わらない。
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筆洗 2013年10月2日 東京新聞
毛利重就は、長州藩の中興の祖とされる。彼が断行した改革によって、長州は明治維新で躍動する礎を得た
▼その改革の一は、検地だった。土地の面積や生産高などを調査し直して、新たな徴税額を決める検地の必要性は、こう説かれたという。「(天災などで)田畠も状態が変化している…これは決して藩主の利益のためではなく、困窮農民の撫育(ぶいく)(救済)を意図している」(小川國治著『毛利重就』)
▼いくら大義を掲げても、実態は増税だ。重就は不満を封殺して断行する一方、検地で得た四万石余の新たな歳入は今で言う特別会計にして、一般会計の穴埋めには使うなと厳しい掟(おきて)を定めたという
▼天災の荒廃にあえぐ民がいて、莫大(ばくだい)な借金を背負う政府がある。今と似通った時代を生きた故郷の名君にあやかろうというのだろう。安倍首相はきのう、重就の功績を誇らしげに紹介しつつ、消費増税を正式に表明した
▼だが、問題は賃金という田畠の荒れようだ。十年以上も賃金が下がり続けているのは、先進国で日本だけという。非正規雇用の平均年収にいたっては、正社員より三百万円少ない百六十八万円と、格差は鮮明だ
▼やはり長州で、幕末に藩政改革を担った村田清風は<治まれる世は富士山の姿かな>と詠んだ。消費増税がますます裾野ばかりを削り取る結果になっては、長州の先人も眉をひそめるだろう。
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筆洗 2013年10月1日 東京新聞
十を聞き、一を書け−とは、新聞記者が、繰り返し説かれる心構えだ。徹底的に取材して、九は捨て、核心を見据え本当に大切なことを書く。言うは易(やす)く行うは難き記者心得だが、八十八歳で逝去した作家の山崎豊子さんは、「四十を聞き、一を書く」と言っていた
▼あの重厚にして悠々たる小説が一だとすると、四十とはいかなる労力か。シベリア抑留を耐え、戦後は商社員となり経済戦争を闘った男を描いた『不毛地帯』の取材では、三百七十七人から話を聞いた
▼酷寒のシベリアを横断し、モスクワから中東の油田地帯へ。全旅程三週間というモーレツ商社員並みの「出張」をこなした。「商社員を書くんです。商社員なみに動かなきゃ、実感が湧きませんよ」(『作家の使命 私の戦後』新潮社)
▼壮絶と形容したくなるほどの創作姿勢。八十四歳で『運命の人』を書き上げた時に、「この年まで書き続けてこられたのは、学徒出陣と学徒動員のためでした」と振り返った
▼勤労動員で軍需工場に駆り出されて、「本を読みたかった時代にその自由はなく、人を殺す弾を磨いていた」という学生時代。動員先で小説を読んでいたのを将校に見つかり、「この非国民め」と平手打ちされた。その時、作家としての書く方向は決まったのだと
▼戦争を生き残った者として何をなすべきか。そう問い続けた足跡が、残された。
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