Music

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全3ページ

[1] [2] [3]

[ 前のページ | 次のページ ]

Tchaikovsky Violin Concerto 1st movement Part1 

ANTAL SZALAI violin




Belgian National Orchestra
Gilbert Varga, conductor
Brussels, May 2005

ロリン・マゼール

棒さばきは柔らかくて鋭い。まさに剣豪の刀さばきで芸術品だ。
指揮するときは緊張はせず、常にリラックスして、音楽に対して興奮する。

 巨匠は現存する指揮者の最頂点に君臨する。棒さばきは柔らかくて鋭い。まさに剣豪の刀さばきで芸術品だ。膨大なレパートリーは全て暗譜していて、演奏には楽譜を必要としない。

 その暗譜力は指揮者の中で、最も優れていて、まるでカメラで写し撮ったみたいに正確で、鮮明に脳裡に記憶されているといわれている。このことについて直接本人に尋ねると「音楽が好きで、一生懸命に勉強したその成果」で、「いつもクリティカルに、客観的に仕事を見ているから」だと、淡々と語っていた。

 2歳の時に、絶対音感と記憶力の良さが評判となり、5歳でヴァイオリンを習い、8歳でシューベルトの「未完成」を振って、指揮デビュー。翌1939年9月に、ニューヨーク万博で、メンデルスゾーンの「イタリア」を指揮。これがニューヨーク・タイムズに取りあげられて、一躍有名になった“神童”。

 しかし、ハイ・スクール時代は音楽を勉強したわけではなく、英語と数学を中心に学び、野球とフットボールに夢中。大学ではギリシャ哲学と中世・18世紀哲学を専攻した。

 巨匠は21歳の時に、フルブライト奨学金を得てイタリアへ留学。バロック音楽を学んだ。53年12月に、イタリアのシチリア島にあるテアトロ・マッシモ・ベッリーニでプロとして指揮デビューした後、大凡、10年刻みでイタリア、ドイツ、フランスに本拠を置いて、“言葉”を徹底的に覚えた。その他ロシア、スペインと6カ国語を自由に話す。

 巨匠の祖父はロシア出身で、ロシア皇帝の専属管弦楽団に在籍。渡米して“メット”のコンサートマスターを10年間務めた。父は俳優で、テノール歌手。今年104歳でご健在だ。医者の兄が1人いたが、ポリオの治療中に被患して、40歳で逝去。

 従って巨匠は健康には特に留意していて、以前は1週間に1日断食したりした。旅行が多いので1日1食主義で、肉類は食べない。赤ワインを嗜み、心臓が悪い私に「少々は飲んだ方が、飲まないよりも心臓発作を起こす確率が少ない」と笑いながら助言。

 また精神面でも自身のコントロールにたけ、神経質でないことから全くアガルと云うことがない。「指揮するとき緊張はせず、常にリラックスして、音楽に対して興奮する」ので、演奏中は殆ど汗をかかない。

 巨匠の読書好きは有名で、好きな作家を古典文学だと50〜60人は挙げる。現代だとミラン・クンデラなど、その知的好奇心は旺盛。映画も大好きで、好きな女優はヴィヴィアン・リー。彼は音楽家の中で、最もダンディな人。

 幾つになっても洋服のモデルみたいにオシャレが決まっている。巨匠の求めに応じて、写真のスタジオで、特別にファッション撮影みたいなポートレイトの撮影を2度したことがある。

 因に、私がマエストロを撮りだしたのが73年1月から。巨匠2度目の来日で、以降、来日される都度カメラを向け、海外でもザルツブルク、パリ、ミラノ、クリーヴランド、ピッツバーグなどで撮影している。

 ピッツバーグではご自宅にも伺い、夫人と父上もカメラに納め、序でに巨匠の秘蔵のアルバムから幼い頃の写真も複写させて戴いた。なんと今迄に、巨匠を撮影した回数は78回。海外の音楽家では一番多い。今、巨匠と写真集を出版する話が進行中。

 ディットリンダ夫人とは86年6月に3度目の結婚。現在はモンテカルロに住む。終の棲家は、気候的には乾いて温かく広い所。避暑地は嫌いで、劇場のある文化的な街の近くがいい。

------------------------
Lorin Maazel 1930.3.6〜
------------------------
 パリ近郊のヌイイ生まれ。5歳でヴァイオリンを始め、8歳で指揮デビュー、12歳でNBC交響楽団を指揮、
15歳までにはアメリカの主要オーケストラのほとんどを指揮する。

 1953年、ヨーロッパ・デビュー、60年、バイロイト音楽祭、61年、ボストン交響楽団、63年、ザルツブルク音楽祭と、次々にデビューを果たす。

 これまでに、ベルリン・ドイツ・オペラ音楽総監督、クリーヴランド管弦楽団音楽監督、ウィーン国立歌劇場総監督、ピッツバーグ交響楽団音楽監督、バイエルン放送交響楽団首席指揮者を歴任し、現在はニューヨーク・フィルハーモニックの音楽監督、2004年5月よりトスカニーニ・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督に就任。


MOSTLY CLASSIC 2006.1月号

思索の人に再び脚光 

 31歳でステージ活動からさっさと引退。9年前50歳の短い生涯を終えたカナダの音楽家、グレン・グールドの遺品を整理した「グレン・グールド1988」が先週から東京・赤坂のカナダ大使館のギャラリーで開かれている。時代を先取りした行動は、没してなお多くのことを示唆してくれる。

 同展は遺品がオタワのカナダ国立図書館に寄贈されたのをきっかけに開かれ、その一部が東京に持ち込まれた。

 「グレン・グールドが亡くなった翌年、段ボールに226箱、25万点以上のコレクションが寄贈されました。その整理に時間がかかり、カナダで開かれたのは1988年。

 うち東京で展示されるのは、200点ほどです。レコードは、アメリカよりも日本の方が売れました。彼の展覧会を、高く評価された日本で開くのは価値があることと思います」と、オープニングに来日した同図書館音楽部門主任、ティモーシ・マロニー博士(44)。

 会場には、グレン・グールドの演奏が流れ、展示品は演奏、録音中の写真やスライド、使用した書き込みの少ない音譜、終生愛用していた特性のピアノの椅子など。

 片隅に電話が置かれ受話器を上げると孤独について語るグールドの声が聞ける。「子供時代の宿題や通信簿、飛行機嫌いの彼が取っておいた列車のチケットなど何でも集めようとしていたようです。

 電話は晩年、友人とも電話でしか話さなかった彼にふさわしい展示と思いませんか」。

 母方の祖父のいとこにノルウェーの作曲家グリークを持ち、幼い頃から優れた音楽の才能を示す。最初のピアノ教師は母親。

 1964年4月10日、ロサンゼルスでのバッハ、ベートーベン、ヒンデミットを最後に“コンサート・ドロップアウト”してしまう。

 聴衆に対しては、「ヴィルトウオーソの聴衆に対するアトラクションは、サーカスの観客に対するそれとよく似ている。

 何か危険なことが起こればいいが、という希望が常にそこにある」、演奏家には「ものすごい保守主義がコンサート演奏家を管理している。

 演奏家は、もしベートーベンの3番が得意だったら、ベートーベンの4番を試してみるのがこわくなる」と言う。公開演奏しない演奏家の以後の活動は録音のみ。

 ここ1、2年の間に「グレン・グールド著作集」(みすず書房)、「グレン・グールドとの対話」(晶文社)、「グレン・グールド孤独のアリア」(筑摩書房)、「グレン・グールド複数の肖像」(立風書房)、などの書籍が続々と出版され、ピアニストとしての音楽表現と同時に、“思索の人”にスポットが当たっている。

 このうち『複数の肖像』は、4年前に開かれたグレン・グールドの国際学会の研究報告をまとめたもの。

 本の企画プロデューサー、アルク出版企画代表の秋山晃男(48)は「演奏家をめぐる学会があることに驚きました。死後、持続的に人気が高まってきたことは事実。非常に個性的な活動が今ようやく見えてきた。

 1回性の表現を信じなかった彼は、人間は無数のアンビバレント(二律背反)を持つことを示しました。現在グールドに追いついて、追いついたら死んでしまっていた、と言う状況。音だけの快楽にとらわれていない人がファンだと思います」と話す。

 50歳になったら指揮者になる、と言っていたグールドは亡くなる直前、トロント響のメンバー達とワグナーの「ジークフリート牧歌」の最後の録音をした。

 実はこれにクラリネット奏者でもあるマロニー博士も参加している。「左手で指揮をしていました。難しい人と言うイメージでしたが、演奏者が疲れてくるとジョークで笑わせました。

 握手をしないことで有名だったのに、最後に皆と握手を交わしました。素晴らしい経験でした」。
 
平成3年(1991年)10月2日 水曜日 産経新聞 朝刊 音楽欄から

全3ページ

[1] [2] [3]

[ 前のページ | 次のページ ]


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事