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作家・瀬戸内寂聴(91)(3)得度40年、一瞬の悔いもなし
2013.8.28 03:27 産経新聞
小学校3年生のころから、小説家になると決めていました。ところが、東京女子大に行ってみると、この程度の能力の人ならいっぱいいるんだわと思って。「これはもうダメだ」とあきらめて、それなら早くお嫁に行って、夫の才能を世に出す内助の妻になろうと思ったんです。
〈小学校、女学校と成績は1番の優等生だった。見合い結婚、出産、年下の男性との恋、そして離婚。小説家をめざして上京し、出会った年上の作家との半同棲(どうせい)生活が8年続いた〉
その生活を解消して引っ越し、書いたのが「夏の終り」です。 (2人の男性を同時に愛した女性の物語は)今は当たり前の話として読めますが、当時はたいへんでしたよ。不良で。でも、不良になると、世の中がすごく自由になりますね。
私はそれまでずっと優等生でしたから、ああ、こんなに自由なものかと思いました。解放感があった。人によく思われなくていいと思えば、なんでもできるものです。道徳なんていうものは、どんどん変わっていきます。
だって、道徳も法律も人間が作ったものでしょう。つまり、そのときの為政者に都合のいいものが道徳と法律なんです。でも、変わらないものもあります。それは何か、と思って私は出家したんですから。目に見えない神とか仏とか、宇宙の原理みたいなもの、それに人の心。それが真実というものでしょう。
〈今年、得度40年を迎えた。昭和48年、51歳の秋のこと。当時、流行作家だった瀬戸内さんの出家は大きな話題に〉
あっという間の40年でしたね。実はこれも、もう40年かとびっくりしたくらい。でもこの間一度も、一瞬たりとも出家を後悔したことがないんです。
本当に出家してよかったと、ずっと思ってる。たとえばこの年になると、まわりの人たちが次々亡くなっていくでしょう? そのたびに「ああ、なるほど」と思う。この人を弔うために出家したんだな、という気がするんです。
〈出家とは生きながら死ぬこと〉
これは私が考えた言葉です。それくらいの気持ちでなければ出家なんてできませんし、続きません。そんな簡単なものじゃないですよ。
〈作家として多忙な一方で、天台宗僧侶、嵯峨野・寂庵の庵主としての活動も。東日本大震災では義援金活動や被災地訪問を、昨年は脱原発の市民グループを支援し、東京・霞が関でハンガーストライキに参加した〉
お見舞いや寄付などできることはなんでもしてきましたが、それは、仏教徒ゆえの義務です。僧侶である以上は当たり前のことで、もちろん義務はしんどいことですよ。
道中もたいへんだったり、行ってショックを受けたりしますが、それも当然のことだと思います。脱原発も何かをしようと思ってやっているわけではなく、ただ、宗教者としての義務だから。それだけなんです。(聞き手 山上直子) |

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