人物・伝記

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バイオリニスト・千住真理子(51)(3)
2013.10.30 03:13 産經新聞

 ■「3兄妹ひとくくり」はイヤ
 5つ違い(学年)の博・兄(55)=日本画家=は年が離れているせいか、ちょっと大人っぽく、いつも違う視点で見てくれる。2歳上の明・兄(53)=作曲家=は、やんちゃな次男タイプ、私とは双子みたいにして育ちました。
 ときには、けんかもし、泣いたり泣かれたりもしたけれど、私には優しい兄たち。私が幼くしてプロデビューし“大人の世界”に入ってしまったものだから、兄たちは随分心配し、守ってくれましたね。今ではお互いに忙しくて、1年に何度、会えるやら…。
 そうそう、母を亡くした(今年6月)後、明兄と久しぶりに食事をしました。「時間の流れが何かいつもと違うよね」って。私たちがどれほど母と密接につながっていたことか。たぶん、博兄もそう思っている。3人の“手綱”は母がしっかりと握ってくれていた。それが突然切れてしまった感じなのですよ。
 〈3人の兄妹はそろって、慶応の幼稚舎(小学校)から付属校へ進んだ。ところが、2人の兄は途中で東京芸大へと進路を変えてしまう。それはかなり意外なことだったらしい。文子さんは著書「千住家にストラディヴァリウスが来た日」(新潮社)の中でこう書いている。《子供たちの父方も母方も、ほとんどが、理工・医学系なのである。(略)芸術系へ突進するとは、思いもよらぬことだった》。兄妹はやがてそれぞれの分野で大輪の花を咲かせる〉
 兄たちの仕事ぶりは、同業者よりもむしろ気になるし、刺激になります。もちろん芸術家として尊敬もしていますよ。
 いい意味でのライバル意識というのかな。幼いころからそう。3人とも、両親から褒められたいでしょ。兄が褒められたら私も褒められたい。私がコンクールで入賞したら、兄たちの顔がキリッとする(苦笑)。
 〈最近は、2人の兄がオペラの美術と音楽で、明さんと千住さんが、音楽の仕事で一緒になることもある。ただ、3人一緒の仕事は過去にたった一度しかない。父・鎮雄(しずお)さん(元慶大教授、平成12年、77歳で死去)が亡くなる前に実現したコンサートである〉
 一番喜んだのは父でしょうね。亡くなる前に3人一緒の仕事を父に見せることができて、本当に良かったと思います。でも、そのとき3人で約束をしました。「1回だけでいい。しょっちゅうやるのはやめようね」と。
 兄妹だからこそ、「良さ」が分かる部分もあるけれど、仕事は互いに真剣勝負の場です。千住兄妹は「いつも3人でコラボしているよね」と言われたくない。つまり「3人ひとくくり」で見られるのはみんなイヤなのです。
 それに実際、一緒にやると大変なんですよ。お互いに自分の考えを絶対に曲げないからね(苦笑)。一番苦労するのは周りのスタッフ。多分もうこりごりでしょう。(聞き手 喜多由浩)


バイオリニスト・千住真理子(51)(2)
2013.10.29 03:02  産經新聞

 ■人生観を変えた「デュランティ」
 〈バイオリニストなら誰もが憧れる名器・ストラディバリウス(通称・ストラド)。イタリアの名工が約300年前に制作。取引されるときは「億単位」の値段がつく。2002年、ヨーロッパで3世紀近く眠り続けていた幻のストラドが見つかった。弾き手として世界から5人がリストアップされ、千住さんは4番目。順番からも資金面からも『デュランティ』と名付けられたこの楽器が千住さんのもとへやってくる可能性はほとんどないはずだった〉

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    愛器「デュランティ」と バイオリニスト・千住真理子さん
 「奇跡」「運命」という言葉しか思いつかない。『デュランティ』との出会いは…。そのとき私がバイオリンを探していたわけでもないし、電話をもらったときも「とても無理だな」って後ずさりしていたぐらいですから。
 ところが、リストの前に名前があった3人は条件が合わなかった。そして『デュランティ』を弾いたとたん、お金のアテもないのに、どうしてもこの楽器がほしくなってしまったのです。それほど「相性」がピッタリでした。
 〈金策の猶予は1カ月しかない。「困難」にぶつかると結束する千住家の力がここでも発揮される。母・文子さん、長兄・博さん、次兄・明さんが奔走し、くじけそうになる千住さんの背中を押してくれた〉
 もう、万策尽きたと思ったとき、家族から「いいかげん、諦めたら」って言われるのかな、と思っていたらそうじゃない。むしろ家族のほうがこの楽器の素晴らしさを純粋に分かってくれた。そして「絶対に、この楽器を手に入れるべきだ」って。家族のサポートがなければ『デュランティ』が私のところへ来ることは間違いなくなかったでしょうね。
 〈融資してくれる金融機関がやっと見つかり、約束のお金を用意できたのは期限の直前だった。『デュランティ』との出会いは、千住さんの人生観をも変えることになる〉
 母がつくった千住家のような温かい家庭はずっと憧れでした。たとえ、母のように「完璧」は無理でもバイオリンと家庭は何とか両立できるのではないか…。そんなどっちつかずの迷いが何年も何年も私の中に滞っていたのです。
 でも『デュランティ』との出会いは決定的でしたね。もう「女性としての幸せ」や「温かい家庭」は追い求めない。私のすべてをかけてこの素晴らしい楽器と向き合ってみたい、と心の底から思ったのです。この楽器がどんな音を出すようになるのか。千住真理子がどう変化するのか。睡眠時間を削ってもいいから、やってみたいことはヤマほどありました。
 『デュランティ』と出会って12年目。まだまだ私はこの楽器の力を引き出し切ったとはいえません。だから、もし私の命が突然、なくなってしまってたら無念でしょうね。私とこの楽器の限界がどこにあるのか。「残された時間」のすべてを注いでみたいのです。    (聞き手 喜多由浩)

バイオリニスト・千住真理子(51)(1)

2013.10.28 03:04  産經新聞

 ■いたって普通な「理想の家族」
 〈「神サマはなんて不公平なんだ!」と羨(うらや)みたくなるほど、千住家は「理想の家族」に見えた。大学教授の父とエッセイストの母、2人の兄も芸術家として大活躍。家族の絆は強く温かく、ひとたび困難なことが起きれば一丸となって立ち向かう、決して諦めない…。でも今年6月、千住家の“扇の要”だった母・文子(ふみこ)さんをがんで亡くした(享年87)。急を聞いたのは被災地でのことだった〉
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   バイオリニスト・千住真理さん(栗橋隆悦氏撮影)
 母親は誰にとっても特別な存在でしょう。特に私は幼いころから母と“二人三脚”でバイオリン人生を歩んできたから、まるで体の一部がそがれてしまったような喪失感…。
 褒めてくれたことなどないけど、いつもコンサート会場で厳しいジャッジをしてくれた母が、どれほど大事な存在だったか。「千住家」を作ったのも母。家庭の主婦がどんなに大切で大変か、そしてステキか。教えてくれたのも母でしたね。
 危篤の知らせを受けたのは被災地で演奏を行うため、宮城・気仙沼を訪れたときでした。私には母の病気と東日本大震災の衝撃が重なっています。がんが分かり、手術をしたのも震災発生の3日後のこと。だから、がんの告知を受け、悲しげな顔をしていた母と被災者の方々が重なって見えて仕方がないのです。
〈文子さんのがんが分かったときも、千住家は一致団結して病と闘った。日本画家の長兄・博(ひろし)さん(55)、作曲家の次兄・明(あきら)さん(53)。文子さんもまさに“最期の1秒”まで生きることを諦めなかったという〉
 母の生き様(ざま)そのものでした。私たち兄妹が人生の大きな困難にぶつかったとき、母はいつも「可能性はゼロじゃないのよ。諦めないで」と励ましてくれましたから…。学者だった父(平成12年、77歳で死去)の信条がそうなのです。ベストを尽くし、精いっぱいの努力をしなさい。結果は問題じゃないと。
 千住家は、特別でも理想の家族でもありませんよ。いたって普通です(苦笑)。クリスマスやお正月、行事があれば集まって楽しい時間を過ごす。ときにはけんかもしながら励まし合う。父は厳しくて絶対的な存在、母は父を尊敬し、支えた。
 だから私たち兄妹も安心できたのですね。温かい家庭で過ごした時間の記憶は私にとってかけがえのないものです。だから「いつかはきっと私も」と願っていたのですが…。
〈千住さんには一度、バイオリンから離れていた時期がある。幼いころから「天才少女」と呼ばれ、それを維持するための猛練習。20歳のころ、そんな毎日に疲れ果ててバイオリンをやめることを決意した。だが、失意の日々の中で、女性としての幸せをつかもうとした“早過ぎる結婚生活”も破綻してしまう〉
 バイオリンをやめた私は絶望し、まるで夢遊病者のよう。だから家族が心配して「早く結婚させよう」と考えたのですね。でも、私はまだまだ子供で人を理解する力にも欠けていた。間違った判断もあったと思います。
 〈「どん底」にあった千住さんは、あるホスピスから寄せられた演奏の依頼をきっかけに再びバイオリンを手にすることになる。さまざまな人との出会いによって少しずつ救われてゆく。だが「家庭への思い」を完全に振り切るには“もうひとつの出会い”が必要だった〉
(聞き手 喜多由浩)
【プロフィル】千住真理子 
 せんじゅ・まりこ 2歳3カ月でバイオリンを始め、12歳でプロデビュー。15歳のとき史上最年少で日本音楽コンクールに優勝し「天才少女」と呼ばれる。平成14年、名器ストラディバリウス「デュランティ」と出会い、世界を舞台に活躍中。慶応大学文学部卒。「命の往復書簡」(文芸春秋)は今年6月に亡くなった母・文子さんとの共著。11月23日午後2時から川崎・麻生市民館大ホールでリサイタル((電)044・989・8548)。
作家・童門冬二(86)(5)あちこちに「書斎」を持つ

2013.12.20 03:05 産經新聞

 ボクには“独自のやり方”がいくつかある。たとえば「時限蒸発」。誰にも言わずにときどき行方をくらましてしまう。元から携帯電話の番号は誰にも教えていないしね。
 以前は、たいてい毎週土曜の夜には、オールナイト営業の映画館か、なじみの飲み屋にいました。完全にひとりきりになって、自分を開放し、思考を停止し、好きなように過ごす。意識的に「日常」を排除する。
 ときには、月曜日から金曜日までボクを“いじめた”編集者たちの顔を思い浮かべて、アッパーカットをくらわしたり、柔道の絞め技で落としたり…(空想の)相手が畳をたたくまでね(苦笑)。こうした“充電時間”を持つことが精神のバランスを取り戻すのにどれだけ大事なことか。
 ボクは、仕事をする「書斎」も、自宅以外のあちこちに持っている。ひいきにしている飲み屋や飲食店がそう。そこで長い時間をかけて、飲み食いをしながら、新聞や雑誌、本を読み、情報を仕入れる。辞書をアトランダムに開いて読むというのも習慣のひとつ。「こんな意味があったのか」と必ず新たな発見がありますよ。
 酒は日本酒党。冬でもヒヤがいいですな。ちなみに新聞の読み方は「下から上」へ。まずは死亡欄に目がいく。ボクより若い人が亡くなっているのを見ると、「オレはこの年になっても、いまだに馬齢を重ねているだけなのに」と申し訳なくなってしまうねぇ。
〈本がなかなか売れない時代だ。電車に乗っていると、老いも若きも手にしているのはスマホや携帯電話ばかり。この先、いわゆる活字文化や書籍や新聞などの「紙のメディア」はどうなってしまうのだろうか〉
 ボクはね、ネットの時代がマキシマム(最大)に達した後に、もう一度必ず「活字の時代」が来ると考えている。今のような形で残るかどうかは分からないけど、絶えることは絶対にない。その思いは願いでもあるけど、確信に近い。ノスタルジアじゃなくてね。もちろん、そのためには「作り手」がいいものを送り出し続けねばならないんですけど。
 〈新たな仕事への意欲は衰えることがない。来春からは、明治期に首相を務めた黒田清隆(きよたか)を主人公にした物語の連載を始める〉
 “妻殺し”の疑惑が流布したり、ネガティブなイメージが強い人物だけど、(幕臣の)榎本武揚(たけあき)の命を救ったり、女子教育の重要性に早くから気付いていたのも黒田なんですよ。これからは明治の政治家を新しい目で洗い直してみたいと思う。山県有朋や伊藤博文も…。
 ボクは、作家として“やっていく手応え”がいまだにないんですよ、ホントに。ただ、好奇心だけは消えない。(86歳になって)“残り時間”はそれほどないでしょう。いつ「ストップ」がかかってしまうか、分からないけど、まだまだ掘るべき「鉱脈」は残っていると思っています。(聞き手 喜多由浩)

作家・童門冬二(86)(4)龍馬と酒を酌み交わしたい

2013.12.19 03:14  産經新聞

 ボクが書いた歴史上の人物の中で「誰が好きか?」ってよく聞かれる。モノサシは、たったひとつ「一緒に酒を飲みたいか、どうか」。
 坂本龍馬とは飲みたいね。織田信長もまぁいいかな。でも、上杉鷹山(ようざん)とは飲みたくない。優等生や模範生はダメですね。
 伊能忠敬(いのう・ただたか)もきまじめで謹厳実直だから。「三治郎」と呼ばれた若いころならいいんだけど…。二宮金次郎もそう。「尊徳(そんとく)」となってあがめられた時代は興味がないから、小説でもほとんど取り上げなかった。
 完成されてからよりも、そこへ至るプロセスが面白いんですよ。もっとも、金ちゃん(二宮)は突然怒り出したり、性格にファナティック(狂信的)なところがあるから、友だちにはなりたくないけどね(苦笑)。
 〈ほかにも、小栗上野介(こうずけのすけ)、吉田松陰、前田利家、勝海舟、西郷隆盛、徳川家康…と作品に取り上げた歴史上の人物は数え切れない。文章のスタイルはユニークだ。ポイントを分かりやすくまとめた「箇条書き」やカタカナを多用。現代と過去を行ったりきたりする〉
 純文学に挫折し、いったんは筆を折ったボクが、東京都庁時代の経験から「組織と人間」などのテーマを歴史小説の形を借りて現代に生かすことを考えたのは、お話しした通り。
 ときには「史実と違っている」という指摘もいただくが、ボクが書いているのは「評伝」ではなく「小説」であり、意識しているのは「今の世の中に通じる」という現代性。その意味じゃ現代小説を書いているつもりなんです。
 箇条書きなどを使うのは“分かりやすい文章”にしたいから。これは、美濃部(みのべ)さん(亮吉(りょうきち)元東京都知事)のスピーチライター時代に「耳で(聞いて)分かる文章を書け」と一喝されたことがきっかけ。同じ理由から漢字も当用漢字(現・常用漢字)以外は使いませんでした。
 〈書き始めるまでのプロセスも変わっている。事前の取材や調査はみっちりと時間をかけてやるが、プロット(筋書き)やメモは作らない。アタマの中で文章をじっくりと熟成させ、そのまま活字になるように言葉で録音機に吹き込む。その後の「直し」はほとんどない〉
 大事なのは「最初の1行」。それさえ決まれば後は一気呵成(かせい)に書いてしまう。主人公が勝手に動いてくれるんですよ。生意気なようですが、物語づくりに苦労したことはない。そして、いったん出来上がったら作品には「アデュー(フランス語で『さよなら』の意)」をいう。後は“ひとり旅”をしてくれ、と。批評や批判はまったく気になりませんね。
 それには性格が関係しているかも。ボクは血液型がB。だからかどうか、性格はおっちょこちょいで自己中心的。「好きなこと」は熱心にやるが、それ以外はダメ。
 東京都庁の局長時代も人事に「部下はぜひA型かO型の人にしてくれ」とお願いしたぐらいなんだから(苦笑)。(聞き手 喜多由浩)


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