サウジとカナダが対立、サウジはカナダ資産売却を指示08.09 20:45REUTERS <女性の運転や映画館を解禁するなどリベラルな改革で話題だったサウジアラビアが、カナダの外相から人権侵害を指摘されて激怒、トランプばりの報復を繰り出した>
サウジアラビアの人権問題をカナダ外相が批判したことで両国関係は急速に険悪化している。そんななか、サウジアラビアはイスラム教の聖地メッカで男を公開処刑にした。 米ブルームバーグの報道によれば、ミャンマー国籍の男エリアス・アブルカラーム・ジャマデリーンは、ミャンマー人女性の家に侵入して銃を発砲後、刃物で刺して殺害した罪に問われていた。サウジアラビアのサルマン国王が男の処刑を承認した。 今回の公開処刑は、サウジアラビアとカナダの間で対立が深まる最中にこれ見よがしに執行されたともみえる。 対立の発端はこうだ。サウジアラビアは7月、女性の権利を訴える著名活動家、サマル・バダウィをはじめとする人権活動家たちを逮捕した。カナダのクリスティア・フリーランド外相は8月2日にツイッターでそれを批判し、彼女らの釈放を要求した。 「サマル・バダウィとライフ・バダウィの姉妹がサウジアラビアで拘束された。とても心配だ。カナダはいつもバダウィ一家と共にあり、ライフとサマル・バダウィの釈放を強く求め続ける」 サウジアラビアはこれに激しく反発。8月5日には駐カナダ大使を召還し、カナダとの貿易取引や投資受け入れを凍結した。 翌日には、サウジアラビア傘下の衛星テレビ局、アルアラビーヤが、カナダの刑務所が国際的な人権基準を満たしていないと批判する動画をツイート。 さらに、ホロコースト否定論者のエルンスト・ツンデルという「良心の囚人」を収監していたこともある、とカナダ政府を批判した。
■米同時多発テロを彷彿させる脅し同日、サウジアラビア政府を支持する青年団体、インフォグラフィックKSAが、2001年の米同時多発テロを彷彿とさせる扇情的な画像をツイート。
9.11と違うのは、標的がカナダであること。カナダ最大都市トロントのランドマークであるCNタワーにエア・カナダ機が突っ込む絵だ。説明文には、「関係のない問題に首を突っ込む者は痛い目にあう」と書かれている。
この投稿は35万人のフォロワーに送信されたが、すぐに削除された。インフォグラフィックKSAは謝罪し、画像は「駐カナダ大使の(サウジアラビアへの)召喚を象徴したかっただけで、他の意図はなかった」と釈明した。 サウジアラビアのメディア省も、アカウントの削除を命じ、この件について調査すると表明した。 だが翌8月6日には、カナダに留学している1万6000人のサウジアラビア人学生への奨学金を停止し、カナダ国外の大学等に移すことを決定した。 英紙フィナンシャル・タイムズの8月8日の報道によれば、サウジアラビアはすでにカナダ資産の売却を始め、中央銀行と年金基金は外国資産のファンドマネジャーに対し、カナダの株式、債券、通貨を売却するよう指示したという。 カナダのフリーランド外相にひるむ気配はない。8月6日、こう言った。「カナダは今後も世界各地で人権と、基本的な権利を訴える勇敢な男女を擁護し続ける」 首相がアメリカのドナルド・トランプ大統領にも言いたいことを言う強さを併せ持ったリベラル派のジャスティン・トルドーもフリーランドの味方に違いない。だとすると、両国の対立は長引くかもしれない。 ブレンダン・コール (翻訳:河原里香)
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Middle East News
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サウジ・スルタン皇太子死去
サウジアラビア王室は22日、スルタン皇太子が同日未明、死去したと発表した。86歳前後だった。米ニューヨークで病気療養中だったとされる。
葬儀は25日に首都リヤドで執り行われる予定。新皇太子は、アブドルアジズ初代国王の直系男子で構成される「忠誠委員会」で決定されるとみられるが、スルタン皇太子の実弟で、歴代皇太子が就くことが多かった第2副首相の座にあるナエフ王子(内相兼務)が有力視されている。
ただ、ナエフ王子もすでに78歳に達しているほか、アブドラ国王も87歳前後。サウジでは1953年の初代国王の死後、その息子たちが王位を継承してきたが、この世代の高齢化が進む中、いかに初代国王の孫の代に王位を引き継ぎ安定的な継承を図るかが今後の課題となっている。
サウジ国営テレビは同日、首都リヤドの病院で、王室関係者らの弔問を受けるアブドラ国王の映像を放送した。
国王は今月17日、脊椎骨の手術を受けたほか、昨年にも2度、椎間板ヘルニアの手術を受けるなど健康不安を抱えている。
スルタン皇太子は、60年代に航空国防相に就いて以来、サウジの国防政策で中心的な役割を果たした。2005年に異母兄のアブドラ国王が王位を継承したのに伴い皇太子となったが、近年は静養のため国外で過ごすことが多かった。がんを患っていたといわれる。
一方、ナエフ王子は皇太子やファハド前国王と母親が同じの有力閨閥(けいばつ)出身で、同国で絶大な影響力を誇る保守的な宗教界との結びつきが強いとされる。
アブドラ国王は9月、女性の地方参政権を初めて認めると発表するなど「開明派」で知られるが、ナエフ王子が王位に就けば、現在の改革路線に歯止めがかかるとの見方もある。
【カイロ=大内清】
2011.10.22 13:50
産經新聞
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独裁者、故郷に散る 90分攻防の末
◇「撃つな」懇願後、降伏
首都トリポリ脱出を8月24日に宣言してから約2カ月、リビアの最高指導者だったカダフィ大佐が20日、死亡した。
「アフリカの王の中の王」と呼ばれた独裁者は生まれ故郷のシルトで最後を迎えた。今後、反カダフィ派で構成する「国民評議会(NTC)」は民主化移行を加速させる方針だが、これまで「反カダフィ」で結束してきた評議会内部での主導権争いも激化、その船出は容易ではない。
現地からの報道を総合すると、反カダフィ派のシルト攻撃は午前8時ごろに始まり、最後の攻防は約90分間続いた。
北大西洋条約機構(NATO)の軍機は、シルト付近を走行中のカダフィ派の軍用車を空襲。車両100台がシルトから離れようとし、カダフィ大佐はその中の1台にいたとの情報もある。
カダフィ大佐は排水溝トンネルに潜んでいたところを反カダフィ派の戦闘員が発見、拘束した。その後、銃殺されたとみられる。
中東の衛星テレビのアルジャジーラは、カダフィ大佐が拘束された際に現場にいたという反カダフィ派の戦闘員の話を伝えた。大佐は「何をする」と話したという。
またシリアのメディアも、大佐が「撃つな、撃つな」と懇願した後、降伏したという戦闘員の話を報じた。
カダフィ大佐とみられる男が地面で複数の男に蹴られている様子を撮影した携帯電話の動画も出回っている。画像では、大佐は耳や鼻、口から血を流し、カーキ色の衣服は引きちぎられていた。また黄金の銃を持っていたり、上半身裸の状態で道路を引き回されたとの情報もある。
また国民評議会の情報筋は、カダフィ大佐の遺体が非公開の場所に搬送されたと明かした。支持派が遺体を奪還する試みを防ぎ、遺体の安置場所が「聖地」とされることを避ける狙いとみられる。
一方、「カダフィ大佐拘束」の情報が流れると、シルトやトリポリでは、反カダフィ派兵士が「神は偉大なり」と連呼したり、車のホーンも響き渡り、祝賀ムード一色となった。電柱によじ登ってリビアの新国旗を掲げる人もいた。
「リビアは真に自由だ」。カダフィ大佐拘束・死亡の報を受け、トリポリ在住のジャーナリスト、モファタ・ベンイードさんは毎日新聞の電話取材に喜びを語った。背後では「祝砲」の自動小銃の発射音が響いた。
◇評議会の主導権争い激化
カダフィ大佐の死亡により、反体制派で作る国民評議会は名実ともに新生リビアの代表として国造りに取り組む環境を得た。
だが、根深い内部対立や権力闘争に加え、過去に経験のない民主政治の確立や国家運営への課題は多く、国家再建に向けた道のりは険しいと言わざるをえない。当面は、国際社会の支援継続が不可欠な状況が続きそうだ。
反カダフィ派はシルト陥落を受け「国土解放」を宣言、民主体制に向けた移行政府の樹立準備を本格化させ、制憲議会選挙などを行う計画だ。しかし、カダフィ時代は憲法も議会も存在しなかった。選挙で選ばれた国民の代表が話し合いや交渉、妥協を重ねながら政治運営を担う民主制が早急に確立できるかは疑問だ。
反カダフィ派内部も一枚岩ではない。7月にはカダフィ政権から離反していた反体制派の軍事最高司令官が射殺され、翌月、評議会のアブドルジャリル議長は内閣に当たる幹部らを更迭するなど対立が続いた。
評議会は9月中にも暫定政府を発足させる意向を示していたが、内部で新政権の人事を巡る対立が激化。閣僚ポストが決まらず、それぞれの部族の武装解除も遅れた。
特にジブリル暫定首相ら欧米受けのよい「テクノクラート」と、戦闘を主導した「トリポリ旅団」のアブドルハキム・ベルハジ司令官らイスラム保守派の対立は深刻で、新政権発足に大きな影を落としている。
また、国民評議会が数十にも及ぶ民兵組織を取りまとめられるかも疑問だ。部族間対立の懸念もある。
戦闘中、反カダフィ派兵士がカダフィ派兵士やアフリカ移民らに対し虐待などの非人道的行為を繰り返した疑いも浮上。国際人権団体が徹底調査を求めている。
こうした中、クリントン米国務長官は18日にトリポリを電撃訪問、反カダフィ派への
医療・教育支援を発表するなど、影響力確保に乗り出した。
アラブ政治に詳しいカイロ・アメリカン大学のエズ・チョウクリ教授は「リビアが新時代に入ったのは確かだが、政党も政治経験もない状態で、当面は混乱が続くのではないか」と見ている。【エルサレム花岡洋二、サヌア和田浩明】
毎日新聞 10月21日(金)7時26分配
◆カダフィ大佐の歩み◆
1942年 北中部シルトで遊牧民の子として誕生
1965年 陸軍士官学校卒業
1969年 9月 無血クーデターを率い、国王を追放。
革命指導評議会議長に就任
1977年 3月 国名を大リビア・アラブ社会主義人民
ジャマヒリヤ国に改称
1988年12月 米パンナム機爆破事件
1992年 3月 国連安保理が対リビア制裁決議を採択
2003年 9月 国連安保理が制裁解除
12月 大量破壊兵器の開発計画を放棄宣言
2006年 6月 米国がリビアのテロ支援国家指定を解除
2011年 2月 反カダフィのデモ開始
8月 カダフィ政権崩壊
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カダフィ大佐:撃たないでくれ。わが息子よ 最期詳細に
拘束が伝えられた、リビアの最高指導者だったカダフィ大佐は20日、死亡が確認された。北中部シルトで反カダフィ派に殺害された。
シルトは大佐に残された最後の抵抗拠点で、反カダフィ派の包囲網が狭まる中、大佐は車列で脱出を画策。北大西洋条約機構(NATO)主導の空爆に阻まれ、近くの排水溝トンネルに潜んでいるところを発見された。
リビアのテレビが流した映像で、拘束当初は生存していたカダフィ大佐(中央)=2011年10月20日、AP
拘束時は生きていたが、一部兵士に撃ち殺されたとみられる。AP通信など現地からの報道を総合すると、大佐は20日未明、ユニス元国防相(今回の戦闘で死亡)やボディーガード数十人と車列を組み、リビア西方へ脱出を試みた。
反カダフィ派はここ数日間、シルト陥落をかけ包囲を強めており、大佐は町の一角(約640平方メートル程度)に追い込まれていたという。反カダフィ派が地上から追跡する一方、NATO軍は同日午前8時半に車列を空爆して逃走を阻止。
米軍の無人機も参加した。シルトの西3キロ付近には約50人の遺体があった。
その後、この周辺で大佐の側近と反カダフィ派が約3時間にわたり交戦し、大佐は車を捨てて逃走。高速道路下にあった排水溝トンネルに身を隠したが、反カダフィ派に見つかった。大佐は「どうしたいんだ」「撃たないでくれ。我が息子よ」と懇願したという。
インターネットなどに流れた映像では、大佐は拘束時、負傷していたものの生きていた。反カダフィ派の兵士が大佐をトラックの荷台に押し込み、見せびらかそうともしていた。
「生かしておけ」との声が聞こえ、髪をつかまれて引きずり下ろされた大佐が救急車に連れて行かれるような様子もあったが、その後銃声が響いた。映像に「射殺」の瞬間はないが、次に映ったのは大佐の「遺体」だった。
一方、大佐を北西部ミスラタへ運ぶ際に同行した医師は、大佐が搬送途中に死亡し、頭と胸の2発の銃弾が致命傷という見方を示している。
【エルサレム花岡洋二】
毎日新聞 2011年10月21日 21時56分
(最終更新 10月21日 23時05分)
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JALが福田元首相を激怒させたサウジの夜
「公的資金じゃダメ。法的整理でないと分からないんだよ、あの会社は」
11月8日、サウジアラビア西部「ラービグ」で、日本の住友化学とサウジアラビア国営の「サウジ・アラムコ」とが共同で建設した巨大化学石油プラントの完工式が賑々しく執り行われた。
日本からは住友グループ各社の幹部が顔を揃えたほか、東京電力会長、勝俣恒久をはじめとした財界人、また政界からも日本・UAE(アラブ首長国連邦)友好議員連盟会長を務めるなど中東諸国とパイプの太い前総理、福田康夫、自民党の前衆議院議長、河野洋平、そして、政府特使として前民主党衆議院議員、岩國哲人らが参列した。
輸入される石油のおよそ80%をアラブ諸国に依存する日本にしてみれば、サウジアラビアとの友好関係維持は国策にほかならない。ただ、同国が日本にとって重要なのは、そればかりではない。
■ サウジ国王が出席を見合わせた理由
以前この欄でも触れたように、UAEが当面4基の原子力発電所の導入を決定し、今まさに最終コンペを迎えている。
石油産出国であるUAEがそうであるように、サウジアラビアも原発導入を検討している。石油は1滴まで売り物、つまり国に富をもたらす物であり、国内インフラは原発で賄うという考えからだ。
その意味では同国の最高権力者である国王、アブドゥラー・ビン・アブドゥルアズィーズの出席も予定されていた完工式は、日本が国として日本の原発メーカーを売り込む絶好の機会であった。
また2020年までに温室効果ガスの排出量を1990年比25%削減を世界的な公約とした鳩山内閣にとっても、国家としての取り組みを示すチャンスでもあった。
だからこそ、サウジアラビア国王に見合った政府特使の派遣が重要だったのである。
結果から言えば、政府特使として国際的には全く無名の岩國がやってくることを知り、サウジアラビア側は国王の出席を見合わせてしまった。そして、石油鉱物資源相、ヌアイミの出席にとどめてしまったのである。
■ 当初、経産省が推したのは元首相の福田康夫だった
当初、経済産業省が官邸に推したのは元首相、福田康夫。
「自民党の”戦犯”の1人とはいえ、中東へのパイプは太い。現地でも名前を知られた数少ない政治家であり、やはり首相経験者という肩書きは重い」(経済産業省幹部)
けれども、首相の鳩山由紀夫が選んだのは岩國だった。なぜ岩國だったのだろうか? 首相周辺から聞こえて来たのはこんなものだった。
「鳩山さんとは古い付き合いで...。それに岩國さんから『海外を相手にしたコンサルタントの仕事をしたいからよろしく』と言われていたから、鳩山さんはその辺を考慮したらしい」
とても国策などとは呼べるようなものではなく、ただ単に鳩山の友人だからというのが、その理由のようだ。これぞ ”友愛”ということなのか?
普天間基地移設問題で米国の信頼を決定的に失っている鳩山内閣は中東でも個人的な理由だけで信頼を損なってしまった。
■ 機内で3時間待たされた揚げ句.....
失政と呼んでよい「岩國政府特使」問題の総仕上げに登場するのが、鳩山内閣のドタバタ劇を象徴する日本航空機である。
完工式出席者は、住友化学が用意した全日本空輸、日航それぞれのチャーター機で帰国の途に就く。現地時間午後9時、全日空機が飛び立ち、その15分後に日航機が日本に向けて飛び立つ予定となっていた。"なっていた"のである。
全日空機が飛び立ってからおよそ30分後、整備に時間がかかっている旨のアナウンスが機内に流れる。
それから待たされること約3時間。時計の針は深夜0時を回り、日付が変わってしまった。機内で待つ福田らからは、いつまでも待たせる日航側の対応に苛立ち、怒りの声が出始める。
とその時、機内に流れたアナウンスによって日航機がその日、飛び立てないことを福田らは知らされる。理由は修理に必要な機材が現地で調達できないからというものだった。
■ 飛ばない、いや、"飛べないJAL"
福田らは再び入国検察を受け、ホテルに引き返さねばならなかった。しかし、ここでも問題が発生する。
既に入国検査などを行うサウジアラビア税関の係官たちが帰宅した後だったのである。彼らが職場に戻ってくるまでは、ホテルにさえ向かえない。福田らの一行は再び空港ロビーで待ちぼうけを食う羽目に。
怒りを通り越し、ぐったりとなった福田がホテルに着いたのは午前3時を回った頃。ほかの財界人らはさらに遅れること2時間。彼らがホテルのベッドに入ったのは、早暁の5時過ぎだった。
飛ばない、いや、”飛べないJAL”。日航救済問題で公的資金の投入やむなしを民主党が言い始めるや福田は、サウジアラビアの夜を引き合いに出しては、
「あのね、JALは公的資金なんかじゃダメですよ。徹底的にやらないと。そのためには法的整理ですよ。それじゃないと分からないんだよ、あの会社は」
と、いつになくその口調は厳しかったという。
与党民主党の当事者意識のなさ。野党自民党の反省のなさ。
「民主党の外交センスの欠如」「自民党の戦犯」「相変わらずの日航」――。何やら3大話のようだが、日本の政治状況がこのサウジアラビア訪問に凝縮されていた。(敬称略)
著者プロフィール
児玉 博(こだま・ひろし)
ノンフィクションライター。1959年生まれ。主な著書に『降臨―楽天・三木谷浩史の真実』『幻想曲 孫正義とソフトバンクの過去・今・未来』(共に日経BP社刊)などがある。
2009年11月30日(月)
NIKKEI BP Online
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