失われた仏教最古の叡智

歴史の中に埋没し、忘れ去られてしまった仏教の最初期の時代に説かれていた「ブッダの究極の理法」の根幹について、その真相を語る。

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 人は、往々にして、「自分はなぜ生まれてきたのか?」などとか、「生まれてきた来た理由」、つまり、「自らの存在の理由や意味」を問うものであるが、しかしながら、私は、そういった、「生まれた理由」を永延に問い続けることは、意味のあることであるないとは思わない。

 
それはなぜかと言えば、そういった類の問いは、人が、一生かけて問うたとしても、容易には、解答が出るものではないと考えるからである。

 
私は、十代の頃から哲学をやってきた(今は、仏教をやっている)が、そもそも、世の中には、「問うて、答えが出る問い」と、「問うて、答えが出ない問い」とがあり、実際には、「問うて、答えが出る問い」よりも「問うて、答えが出ない問い」の方が、はるかに多いのではないのかと感じているのだ。

 
ところで、現役の精神科医である香山リカ氏の『しがみつかない生き方』(幻冬舎新書)という本の中にも、このことが述べられているが、私が、最近、読んだものの中で、日本テーラワーダ仏教のスマナサーラ氏も、これとほとんど同様のことを言っている。

 
 
 言うなれば、「生まれた理由は問わない」ということは、最初期の釈迦仏教の根本姿勢であると、私は思っている。

 
 繰り返して言えば、人間には、世の中には、「問うて、答えが出る問い」と、「問うて、答えが出ない問い」とがある、ということであり、史実としての釈迦は、そういった類の形而上学的な問いは、問わない、関わらない、関知しない、すなわち、捨て置く姿勢を貫いた、ということだと思うのである。

 
 もちろん、ここでは、たとえば、キリスト教などの、何らかの強い信仰を持っている人にとっては、人間の存在理由や意味は、神や、それ以外の何らかの超越者によって保障されているのであるから、そういったことを信じる人にとっては、それらのことは、すでに解決済みであると思うが、今、私が、論じている内容は、そうではない人に限定した話を言っている、ということである。

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理屈云々ではなく、布施の金額に対する程度の問題を言っているのです。

ちなみに、タイに在住する知り合いや、あと、スリランカ人の親友の話によれば、テーラワーダ仏教では布施として現金を貰うことはあり得ない、と言っていましたが、実際のところはどうなのでしょうね?

そもそも、初期の仏教教団において、釈迦死後100年の頃、それまで1つであった集団が、大衆部と上座部の2つの教団に分裂したという、すなわち、根本分裂の原因は、「布施による金銭の授受の賛否」にあったと言われているようですが、私のスリランカ人の友人の話によれば、スリランカの多くの仏教は、表面上は、金銭を授受しないということになっているけれども、その裏では、莫大なカネが動いている、と言っていました。

2010/12/3(金) 午前 8:53 [ dyh ]

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才木さん、我々は、「理」を重んじます。スマナサーラ長老も、仏教は理性の教えである、理屈が崩れていたらそれは真理ではない、と言っています。

そんな我々に、才木さんも理を使っていますよね。

そして、才木さんには、我々を納得させられるだけの理が用意できない、ということです。

ただ、それだけのことです。

2010/12/3(金) 午前 9:18 [ mag**iok ]

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「お誘いありがとう。でも今は断ります。
でいいんですが、なんにたいしても理屈をつけないといけないのですね」

才木さんは、我々に、誘ってもらった御礼を言ってもらいたかったのでしょうか。それが慈しみでしょうか。

それから、「でも、今は断ります。」とだけ我々が答えたら、どうしてですか、とその理由を才木さんは聞いてくると思います。才木さんは、そういう人だと私は思っています。

だから、私は、その理由を、「理」で説明してきたつもりです。

2010/12/3(金) 午前 9:20 [ mag**iok ]

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何もしていないのに、お金をくれたら、それは謝礼だとは思いませんよ。それは、寄付だと思います。

それから、長老は、謝礼をもらいたくて説法しているのではない、というのは、私もそう思っています。それは、問題にしていません。

そして、謝礼をもらうつもりで説法しているわけではないのに、説法が終わったあとで、これを今回の経費の足しにしてくださいとか、今後の活動に役立ててください、と言われて金銭を渡されたら、それは、謝礼の意味も込められていると思います。

それから、我々は、在家から謝礼の意味を込めた金銭が布施されても、何も問題ないと思っています。それ自体は問題にしていないのです。我々が問題にしているのは、その金額です。その金額は、必要最低限であるべきであり、僧侶にとって必要最低限とは、どういうものか、ということです。

その「理」が、ここでのテーマが才木さんには理解できない。それが才木さんの問題点だと思っています。

2010/12/3(金) 午前 9:25 [ mag**iok ]

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僧侶は、説法の報酬として、布施を受けてはならない、というのが経典にあることは、私も知っています。

僧侶は、まさにそうであるべきだと思っています。そして、スマナサーラ長老も、まさに、謝礼をもらうつもりはないのであろうと私も思っています。

ただ、現代の、この貨幣社会において、在家が、謝礼の意味を込めて金銭を布施することは、当然に認められてしかるべきであると思っているのです。

そして、その場合、その金額がいかにあるべきか、ということを問題にしているのです。

2010/12/3(金) 午前 9:34 [ mag**iok ]

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お金と権力とは、やはり、人間の「欲」の代名詞とも言うべきものであると思います。

そうであるからこそ、そういったものの金額がいかにあるべきか、ということを問題にしなければならない、ということだと思っています。

2010/12/3(金) 午前 11:40 [ dyh ]

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そして、表向きには、いいことを言っておきながら、裏では、お金と権力に毒されて、錬金術的な集金システム(日本の仏教で言えば、高額な金額を請求する戒名料)を構築していったのが、まさに、世の中にある、多くの宗教であるのだと思っています。

宗教は、大きくなればなるほど、そういった「欲」に依拠していく傾向が強く(全ての宗教がそうであると言っているのではない)そういったものが、まさに、宗教の歴史である、と思っています。

ただ、長老に関しては、そういった種類の宗教者たちとは、かなり縁遠い人であるといった印象を、私は持っています。

2010/12/3(金) 午前 11:59 [ dyh ]

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それと、ぶくぶく太っている僧侶(修行者)は、夜に、美味しいものなどを食べているはずであり(実際には、そういった可能性が高いのでしょう)、仏教で言う阿羅漢とは、程遠いものであると思っています。

ちなみに、スマナサーラ長老は、ほっそりされていますよね。

2010/12/3(金) 午後 0:05 [ dyh ]

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話は換わりますが、以前、私がテレビや写真で見たヒンドゥーの修行者の多くの人たちは、かなりのぽっちゃり体系(というか、太っていた)であり、そのほとんどが、おなかがポッコリ出ていましたが、インドのリシケシュなどで修業しているヒンドゥーのリシ達は、何やら美味しいものを食べているのだろうか、と想像したりもしました。余計なお世話的な話ではありますが.....

2010/12/3(金) 午後 0:15 [ dyh ]

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私の伝えたいことは、相手のことを思ってお金を渡すのではなく

自分自身が、好意と思って、相手のお方にしたことを

認めてほしい、といったことです

私には、あなたを害する気持ちはありませんよ、それどころか協力したいのですよ。(という気持ちを)伝えたいということです

言葉でそのように伝えてもいいのですが

自分で働き、自分で精を出した、その対価がお金です

そのお金を渡すということは、その方にたいして、精を出したといった具合です

ご両人様、お付き合いありがとうございます

一度や二度の会話で伝わるはずないですね

いろいろとあって、例え喧嘩もあったりしても

それだけの価値のある、御二方だと思っています。

こうした、やり取りは決して、無駄な時間ではないです

それは、向き合ってお話をさせていただいてるからにほかなりません


生きとし生けるものは、幸せでありますように

2010/12/3(金) 午後 0:43 [ 才木広之 ]

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「私の伝えたいことは、相手のことを思ってお金を渡すのではなく
自分自身が、好意と思って、相手のお方にしたことを認めてほしい、といったことです。」

相手のことを思ってお金を渡す、ということと、自分自身が好意と思って相手にお金を渡す、ということが、違うことである、というのが、才木さんの「理」なのですね。

でも、「好意」ということは、辞書に次のように書かれています。

「1 その人にいだく親しみや好ましく思う気持ち。愛情の婉曲的な表現としても用いられる。

2 その人のためになりたいと思う気持ち。親切な気持ち。」

つまり、相手ことを思っている、ということですよね。だから、相手のことを思ってお金を渡す、ということと、自分自身が好意と思って相手にお金を渡す、ということは、同じ意味ということになります。それが私の「理」です。一般的にもそういう意味だと思いますよ。

どうでしょうか。才木さんは、「理」をうまく使いこなせていない、ということだと思います。

2010/12/3(金) 午後 1:11 [ mag**iok ]

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自分の思いを、ちゃんと相手に伝わる言葉にする、ということも、自分の思いに気づく、ということであり、それも、ヴィパッサナー瞑想に役立つと思います。

2010/12/3(金) 午後 1:17 [ mag**iok ]

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相手に説法の謝礼する必要があると考えたから、相手にお金を渡すのではなく、説法への謝礼という具体的な目的ではなく、その僧侶の活動全体を支援したいと、自分がそうしたいと思ったから、そうするのである、ということを言いたいのかな、と思いますが、その「自分がそうしたい」ということは、どういうことか、それは、どんな気持ちか、ということを、よくよく考えれば分かると思います。

それから、相手の活動全体を支援したい、その寄付としてである、ということなら、それももちろん、いいと思います。

だから、もし、才木さんが、高額なお金を渡したい、と思ったら、その意思を僧侶に対して表明することもいいと思います。

私が問題にしているのは、それを、当たり前のことのように受け取る僧侶のことです。

執着を捨てるという仏教の僧侶は、たとえ相手からの申し出があったとしても、余分なお金を受け取るべきではない、必要最低限に止めるべきである、そして、その必要最低限とは、どういうことか、ということを問題にしているのです。

2010/12/3(金) 午後 1:31 [ mag**iok ]

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やはり、必要最低限とは、人が生活する上での必要最低限の額であり、布施の額が、数百万円、数千万円、あるいは、億単位の金額だとするのなら、それは、仏教者として、いかがなものであるのか、と感じています。

あと、人は、往々にして、それが僧侶であったとしても、大金を手にしたなら、よからぬ方向へ走る可能性があるのではないのかと思っています。

以前にも言ったと思いますが、例の○○真理教の教祖は、あるときから、布施による大金が転がり込み、そういったものへの執着が、歯止めが利かなくなってしまい、自分でも、わけが分からなくなってしまったのではないのかと、私は分析しています。

2010/12/3(金) 午後 6:10 [ dyh ]

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作り話ですが

私は、子供のころおもちゃをもらうと、とてもうれしい気分になりました

自分にいつもいろいろと、注意してくれたり、教えてくれたりする人に、自分も何かしてあげたい気持ちを持っていました

いつも受ける側ばかりで、つらいような気持と、何か自分もしなければと思う気持ちがいつもありました

僕は自分がおもちゃをもらったときにとってもうれしかったので

そのお方に、おもちゃをあげようと考えました

お小遣いをいつもいつもためて、ようやく一年たって、おもちゃを買えるお金がたまり、その大金を持っておもちゃを買いに行きました

買ってきて、その方に、あげました

その方はとっても喜んで受け取ってくれました

その方にとっては、一千倍のお金をもらうことよりも、大きな財産となりました

お金を、お金と思った時点で、僧侶失敗ですね

2010/12/3(金) 午後 7:44 [ 才木広之 ]

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何かをして、もらった数字がお金ですね

十という数字をもらう人もあれば、一という数字をもらう人もあるんだけど。価値は同じなんだよね

ただ何をして、その数字を得たかということが大切なだけです

お金として、使い道として、見てしまったら、もう僧侶失敗でしょう

百億円で、おもちゃいっこ、買えるるぐらいの感覚でないと、もう僧侶失格ですね

その百億円の儲けた手段は、おもちゃ一個分の価値しかない、から、百億円で、おもちゃ一個ください、と言えるなら僧侶です

また、一万円ででで家一個くださいと言えるなら、僧侶です

その一万円は、子供が、死ぬほど苦労して、頑張って、辛抱してためたお金だからです

そういう感覚があるのなら、僧侶です

使い道を考えて、お金として、使うようなら、僧侶ではありません

2010/12/3(金) 午後 7:45 [ 才木広之 ]

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私も、得た収入は、使い分けています

御礼で貰ったものと、月々の自分の働きと、給料の割合

いただいた施主様によっても、使い道を変えています

ある方のお宅を仕事させて頂いた時の給料は、お布施箱に捨てて

ある方のお宅を仕事させて頂いた時の給料は、スマナサーラ長老の本を買わせていただいたり

そのいただいた方の、心持によって、その月の給料を使い分けています

単純に言えば、払いたくないのに、仕方ないから、お金を払うといったというかんじのお客様のお金は、完全に捨てます。お布施箱に

頑張って仕事をしてくださいね、といった感じのお客様のお金は、大いに仕事道具や、仕事に役立とためや、大きく見れば、心成長させるもののほうに、使わせて手いただいてます。

ですからお布施箱に、二十五万ぐらいの給料で十万円入れても、その金は捨ててるんです。大金でも何でもなく、もちたくないようなお金の時もあるんです。

2010/12/3(金) 午後 7:59 [ 才木広之 ]

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もらった方の執着が、べったり付いた、お金は捨てましょう

なーんチャってね

ってまたオチャラケて、ひんしゅくを買いそうな雰囲気の、才木広之なのであった

僕業とその場の空気に合わせないようにしてたりして。

バカバカ、それをばらしちゃいかんだろう

その場の雰囲気に合わせようと思うんだけど、合わせれないふりをしてないといかんだろ。

あまのじゃくな才木広之でした。

お叱りのご返事よろしく

2010/12/3(金) 午後 8:09 [ 才木広之 ]

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才木さんの、寂しい心情は、よく分かりますよ。私もそうです。

2010/12/4(土) 午前 1:56 [ mag**iok ]

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基本的に、八正道だけでも、毎日、心磨いてゆけば、心が輝いてゆくし、そのうえで、無、空という境地になってもいいとおもう。布施の心は基本で、人生で、何が、与ええたかということは原点である。

2017/1/11(水) 午前 0:30 [ 伸一郎 ]

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