失われた仏教最古の叡智

歴史の中に埋没し、忘れ去られてしまった仏教の最初期の時代に説かれていた「ブッダの究極の理法」の根幹について、その真相を語る。

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一部常住論について

 
  熱狂的な輪廻肯定仏教論者であるK氏によれば、『梵網経』の「一部常住論」の中の四つの主張の中の第一の主張(その見解の要旨)とは、『梵天は常住であるが、私たちはこの梵天によって化作されたものであり、無常である。』ということであり、それと同時に列挙されている一部分は、肯定すべき釈迦の諸説であり、つまり、『梵天も、私たちも、光音天で死去し、ブラフマ神殿に生まれ変わった存在である』と語られている見解は、一部常住一部無常論ではなく、62見に含まれない、と主張している。
 
 
一体、『梵網経』の作者の意図することろの真相とは、K氏の解釈と同じなのか、あるいは、そうではなく、それらの主張は、一部常住論や一部無常論の中に含まれるのか、それとも、『梵網経』の作者は、これを、様々なレベルの人が見て、そのレベルの人が、その人なりに、正しく理解できるように、意図的に、どちらにでも捉えられるような書き方をしたのか、そして、それ以外に『梵網経』の作者は、低能な人であったか、または、経典が写経される場合に、一部分を削除したのか、それとも、経典は、一部改竄されたのか、あるいは、実際に、無執着の境地を体現した釈迦が、すなわち、「想いからの解脱において解脱した」境地を体現した釈迦が、バラモン教的な世界観を持っていたのか、それらは、いずれにしても不明である。現実問題としては、二千五百年前に生きた、苦の終滅を宣言した一人の男の内面を知る方法には、初期経典に書かれているブッダの言葉に頼るしかないのだが、それにしても、初期経典という経典それ自体が、素人にでも分かるような多くの矛盾を含み、経典によって、あるいは、同じ経典の中においてでも、中には、その前後で、全く異なった説かれ方がされている経典も存在するのも事実であると思う。
 
 
ところで、前置きは、それくらいにして、早速、今、問題となっている、その部分を、下に引用してみようと思う。
 
 
その前に、私の感想は、梵天やブラフマン神に関して、それ自体は、常住論や一部常住一部無常論の中に含まれている、といった印象を持っている。(以下、引用)
 
 
 
〔一部常住論〕
 
 
一、「比丘たちよ、沙門・婆羅門たちのなかには、一部常住一部無常論をもち、四つの根拠により、我と世界とは一部は常住であり一部は無常であると主張する人たちがいる。ではかれら尊敬すべき沙門・婆羅門たちはなにに由来して、なにに依拠して、一部常住一部無常論をもち、四つの根拠により、我と世界とは一部は常住であり一部は無常であると主張するのか。
 
 
二、比丘たちよ、長大な時間が過ぎたのち、いつかあるとき、この世界は消滅する。世界が消滅するとき、生ける者たちは、多くは、光音天に生まれる。かれらはそこに意によって生じたものであり、善悦を食べ物とし、みずから輝き、空中を飛行し、美しく飾って住み、長大な時間にとどまっている。
 
三、比丘たちよ、長大な時間が過ぎたのち、いつかあるとき、この世界は生成する。世界が生成するとき、生ける者の住んでいない梵天の宮殿が出現する。さて、ある生ける者が、寿命が尽きたために、あるいは福が尽きたために、光音天から死没し、生ける者の住んでいない梵天の宮殿に再生する。かれはそこに意によって生じたものであり、善悦を食べ物とし、みずから輝き、空中を飛行し、美しく飾って住み、長大な時間にとどまっている。
 
四、かれはそこでただ一人で長いあいだ住んでいたので、楽しみがなく、『ああ、本当に、誰かがここにやってくればよいのに』という期待をもつ。他の生ける者たちも、寿命が尽きたために、あるいは福が尽きたために、光音天から死没し、生ける者の住んでいない梵天の宮殿に再生し、その生ける者と一緒に住む。かれらもまたそこに意によって生じたものであり、善悦を食べ物とし、みずから輝き、空中を飛行し、美しく飾って住み、長大な時間にとどまっている。
 
五、比丘たちよ、かれらのなかで、そこに再生した生ける者は次のように思う。『わたしは梵天であり、大梵天であり、勝利者であり、打ち負かされることがなく、すべてのものを見通し、支配し、自在者であり、創造主であり、化作主であり、最上の能生者であり、すでに生じたものとこれから生じるものとにとって自在な力をもつ父である。これらの生ける者たちはわたしによって化作された。それはなぜか。わたしが先に<ああ、本当に、誰かがここにやってくれればよいのに>と思ったからである。このようにわたしが心のなかで願ったから、これら生ける者がこのようにやってきたのだ』と。後から再生した生ける者たちも、『この貴き人は梵天であり、大梵天であり、勝利者であり、打ち負かされることがなく、すべてのものを見通し、支配し、自在者であり、創造主であり、化作主であり、最上の能生者であり、すでに生じたものとこれから生じるものとにとって自在な力をもつ父である。わたしたちは梵天であるこのあなたに化作された。それはなぜか。なぜなら、わたしたちはここに最初に生まれたあなたを見て、その後でわたしたちは生まれたからです』と考える。
 
六、比丘たちよ、かれらの内で、最初に生まれた生ける者は、寿命も一層長く、容色も一層美しく、力も一層強い。後から生まれた生ける者たちは、寿命も短く、容色も劣っており、力も劣っている。比丘たちよ、生ける者の誰かが、そ〔の天として〕の身体より死没して、ここへ生まれてくることは、道理のあることである。ここへやってきて、沙門となり、家を離れ、家なき者として出家する。家を離れ、家なき者として出家した沙門は、苦行により、精勤により、繰り返しの実習により、不放逸により、正しく心を〔対象に〕向けることにより、心が集中したとき、その過去の生存を想起し、それ以上〔の過去の生存〕を〕追想しないところの心の統一を体得する。かれは次のようにいう。『この貴き人は梵天であり、大梵天であり、勝利者であり、打ち負かされることがなく、すべてのものを見通し、支配し、自在者であり、創造主であり、化作主であり最上の能生者であり、すでに生じたものとこれから生じるものとにとって自在な力をもつ父であり、この貴い梵天によってわたしたちは化作された。かれは常であり、頑固であり。常住であり、変易しないものであり、つねに変わることなく存続する。しかしわたしたちはこの梵天によって化作されたものであるから、わたしたちは無常であり、非堅固であり、寿命が少なく死すべき者であり、このような者としてやってきた者である』と。
 
比丘たちよ、これが、それより由来し、一部の沙門、婆羅門たちが一部常住論一部無常論をもち、我と世界とは一部は常住であり、一部は無常であると主張するところの、第一の根拠である。
 
 
 
 

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その結果として、
たとえば、

盲人が、象の胴体に触れ、
「象は、壁のようだった」
と言ったとしても、それは、見解ではない。
「したがって、象は、壁のようなものである。」
と述べれば見解になるのではないか
と考えました。

経験した事実を述べるだけであれば、見解ではないが、
(経験的事実に基き)何かを断定的に述べれば
それは見解になるのだろうと思います。

2011/10/9(日) 午後 1:20 無宗だ

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ブッダは、一部常住論者の見解を知り、
またそれより勝れたものとして
『二、比丘たちよ、長大な時間が過ぎたのち、いつかあるとき、この世界は消滅する。世界が消滅するとき、生ける者たちは、多くは、光音天に生まれる。かれらはそこに意によって生じたものであり、善悦を食べ物とし、みずから輝き、空中を飛行し、美しく飾って住み、長大な時間にとどまっている。』
こういったことを知っているが、
『その知ることに執着しません。執着しないから、ただひとり自ら、そこに寂滅が見られます。』
ということになるのだと理解しました。

2011/10/9(日) 午後 1:20 無宗だ

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「経験した事実を述べるだけであれば、見解ではないが、
(経験的事実に基き)何かを断定的に述べれば
それは見解になるのだろうと思います。」

それが断定的であってもなくても、言葉で語られたものは、見解となり、それは勝義諦(真理諦)ではなく、世俗諦となる。そして、初期経典に書かれている言葉も世俗諦である。

私が、以前から言っているのは、そのことです。

2011/10/9(日) 午後 3:55 [ dyh ]

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「もしも、これが見解だとすれば、ブッダは見解を述べたことになり、他の経典とも矛盾することになります。
ブッダは見解を持たないのですから。」

無宗ださん、それが見解ではなかったら、それは一体、何なのですか?

というよりは、無宗ださんは、経典に語られているすべての言葉が同一のレベルの人に語られていると思っているのでしょうか?違うですよね?

2011/10/9(日) 午後 4:26 [ dyh ]

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あと、具体的に言えば、―

『二、比丘たちよ、長大な時間が過ぎたのち、いつかあるとき、この世界は消滅する。世界が消滅するとき、生ける者たちは、多くは、光音天に生まれる。かれらはそこに意によって生じたものであり、善悦を食べ物とし、みずから輝き、空中を飛行し、美しく飾って住み、長大な時間にとどまっている。』

が見解でなかったのなら、キリスト教もイスラム教もターレスもヘラクレイトスもアナクサゴラスもアナクシマンドロスもアナクシメネスもプラトンもアリストテレスもスピノザもデカルトもライプニッツもヘーゲルもカントもショペンハウアーもフッサールもハイデガーもサルトルも・・・・・それらの思想は見解とはならないと思います。

けど、実際には、それらは見解なのでしょう。

そして、付け加えて言えば、それらの哲学者の見解(思想)の多くは、内容的に言って、梵網経の六十二の見解の中には含まれていないと思います。

2011/10/10(月) 午前 7:54 [ dyh ]

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ところで、経験した事実を述べる見解と(経験的事実に基き)何かを断定的に述べることの違いは何なのでしょうか?

2011/10/10(月) 午前 7:55 [ dyh ]

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それと、無宗ださん、初期仏教の経典には、当時の誤った世界観、人生観には、六十二種あったとされ、仏教と同じころに起こったジャイナ教によれば、三百六十二種の異説があったと唱えられているようですが、実際には、世の中には、厳密に言えば、人の数だけ見解があるのではないのでしょうか?

六十二見というのは、とりあえず、身の回りでの見解を探してみたところ、六十二あった、つまり、とりあえずは、それが、当時の見解のすべてである、といことだと思います。

ここで、無宗ださんにズバリ問います。梵網経に網羅されている六十二の見解以外だったら、どんな見解を保持したままで悟れるのでしょうか?これは究極の問いです。

2011/10/10(月) 午前 7:56 [ dyh ]

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なお、「見解」とは、究極に言えば「言葉」であり、「言葉」とは、究極に言えば「想い」である、ということになると思います。

そして、私がこう言っていること、それ自体も、当然のこととして、「見解」であり、「言葉」であり、「想い」ということになりますよね。

「想いからの解脱において解脱する」というこは、つまり、「想いから解脱する、という想いからも解脱している」、ということであり、もっと詳しく言えば、「想いから解脱する、という想いからも解脱している」、という想いからも解脱している・・・・・ということだと思っています。

2011/10/10(月) 午前 7:57 [ dyh ]

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要するに、それを、敢えて言葉にするのなら、発言者自身(この場合、釈迦)が、発言している対象(内容)に、発言者自ら(釈迦)が含まれているのか、含まれていないのか、あるいは、言い方を換えれば、発言者は、発言者自身(自ら)を棚上げにして、そう言っているのか否か、ということだと思っています。

不思議なことに、それと同じことを、石飛氏も『構築された仏教思想〜龍樹』の中でも言っていますよね。

2011/10/10(月) 午前 8:23 [ dyh ]

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そして、石飛氏は、その著作の中で(おそらく、それは、スッタニパータのアッタカヴァッガとパーラーヤナヴァッガのことを言っているのだと思います)、釈迦は、自らを棚上げにして発言しているのではない、ということを、示唆していたと思います。

私は、個人的に、石飛氏のその解説に同感です。

2011/10/10(月) 午前 8:35 [ dyh ]

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あと、誤解がないように、梵網経の「あの世の解説」、つまり―

『二、比丘たちよ、長大な時間が過ぎたのち、いつかあるとき、この世界は消滅する。世界が消滅するとき、生ける者たちは、多くは、光音天に生まれる。かれらはそこに意によって生じたものであり、善悦を食べ物とし、みずから輝き、空中を飛行し、美しく飾って住み、長大な時間にとどまっている。』

―を、私は否定しているのではありません。

その解説は、「苦の軽減」には有効であるけれども、それによっては「苦の終滅」には直結しないと、私は思っています。

2011/10/10(月) 午前 8:45 [ dyh ]

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それと、「苦の軽減」から「苦の終滅」に至るまでには、いくつかの
段階があると思っています。(もちろん、そこに、一気に到達する人もいると思います。)

それは、以前、ここのブログにおいて論点にもなっていた「消去法」だと思っています。

つまり、人間における執着を、一つ一つ、捨て去っていけば、「苦の軽減」から「苦の終滅」へと、限りなく近づいていくのだと思っています。

2011/10/10(月) 午前 9:53 [ dyh ]

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<−−
それが断定的であってもなくても、言葉で語られたものは、見解となり、それは勝義諦(真理諦)ではなく、世俗諦となる。そして、初期経典に書かれている言葉も世俗諦である。

私が、以前から言っているのは、そのことです。
2011/10/9(日) 午後 3:55[ dyh*r48* ]
−−>

なぜ、ここで、「勝義諦(真理諦)」、「世俗諦」が出てくるのかわかりません。
あなたの定義によれば、

<−−
それだから、マールンクヤプッタよ、ここで、わたしによって語られなかったことは、語られなかったことと憶持しなさい。わたしによって語られたことは語られたことと憶持しなさい。
−−>

における
「わたしによって語られなかったこと」(十ないし十四無記)も
「わたしによって語られたことは語られたこと」(四諦)も
両方とも、
「世俗諦」であり、
「見解」である
ということになりませんか?

2011/10/11(火) 午後 0:11 無宗だ

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<−−
というよりは、無宗ださんは、経典に語られているすべての言葉が同一のレベルの人に語られていると思っているのでしょうか?違うですよね?
−−>

それに関しては、あなたが
「経典は矛盾だらけだ」というたびに、
「それはあなたが、経典のTPOを把握していないからだ」
という私的をさせて頂いております。


同様に
<−−
けど、実際には、それらは見解なのでしょう。
−−>
に、ブッダの解説を含めるのは
「それはあなたが、経典のTPOを把握していないからだ」
と考えます。

2011/10/11(火) 午後 0:12 無宗だ

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無宗ださん、「四諦」に関しては、釈迦は、―

『しからば、私は何を断定して説いたのであるのか。「これは苦しみである」「これは苦しみの起こる原因である」「これは苦しみの消滅である」「これは苦しみの消滅に導く道である」ということを私は断定して説いたのである。何ゆえに私はこのことを断定して説いたのであるか。これは目的にかない、清らかな修行の基礎となり、世俗的なものを厭い離れること、欲情から離れること、煩悩を制し滅すこと、心の平安、優れた英知、正しい覚り、安らぎのためになるものである。それゆえに私はこれを断定して説いたのである。』

―というように、念を押して、断定するのである、と言っていますよね。

2011/10/11(火) 午後 0:20 [ dyh ]

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ところで、無宗ださんと、話をしているうちに、徐々に分かってきたことなのですが、無宗ださんは、そもそも、仏教を「見解」であると思っているのでしょうか?

2011/10/11(火) 午後 0:21 [ dyh ]

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『<−−
それだから、マールンクヤプッタよ、ここで、わたしによって語られなかったことは、語られなかったことと憶持しなさい。わたしによって語られたことは語られたことと憶持しなさい。
−−>

における
「わたしによって語られなかったこと」(十ないし十四無記)も
「わたしによって語られたことは語られたこと」(四諦)も
両方とも、
「世俗諦」であり、・・・』

だから、経典に書かれている言葉は、涅槃そのものではなく、世俗諦と言っているではありませんか?

2011/10/11(火) 午後 0:24 [ dyh ]

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ただ、勝義諦(真理諦)そのものを語る説くには、世俗諦である言葉を、つまり、言語領域のものを用いる外はない、ということなのでしょう。

2011/10/11(火) 午後 0:26 [ dyh ]

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『なぜ、ここで、「勝義諦(真理諦)」、「世俗諦」が出てくるのかわかりません。』

それは、「二諦」の話と「涅槃と見解について」とが繋がっていると思うからです。

2011/10/11(火) 午後 0:38 [ dyh ]

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ところで、無宗ださんのコメントを意識して、「涅槃と見解について」という新しい記事を書きました。

http://blogs.yahoo.co.jp/dyhkr486/65458467.html

これ以降のコメントは、そちらの方に、お願いします。

2011/10/11(火) 午後 0:42 [ dyh ]

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