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子供のころ、いろんなことを考えた。人間が死んだあとの死後の世界はあるのだろうか?神様って本当にいるのだろうか?私にとって、これらのことは、世の中において、他の何よりも最大の疑問であり、私はこれらの難問を絶対に解き明かそうと思って、いろんな人に聞いてみることにした。
ある教会の偉い人に、このことを尋ねてみた。人間は死んだあと、神の教えに従った者だけ天国というところに行き、最後の日に復活するのだと説明された。神の教えに従わない人は天国には行かないのだろうか?あるほかの宗教の人に聞いたら、人間は神に選ばれた人のみ、神の国に入ることができるのだ、と言った。結局、答えは同じ。 私は真剣に考えた。人間は死んだら本当に天国に行くのだろうか?それとも、地獄に落ちるのだろうか?どうして、選ばれた人のみが天国に行って、そうではない人は地獄に落ちるのか?神様は平等を説くはずなのに、人を選んだりするのだろうか?そして、天国というところは一体、どこにあるのだろうか? そのことを、もう一度、尋ねてみたら、聖書に書いてあると言われた。聖書に書いてあることは、本当にすべてが真実なのだろうか?それが真実であると一体、誰が言ったのか?そして、聖書って神様が書いたのだろうか?いや、神様が書いているはずはない。やっぱり、人間が書いたのだろうか?人間が書いたのだったら、間違いもあるのではないのか? あるとき、親類の法事で、浄土真宗のお坊さんに似たような質問をした。極楽浄土って、本当にあるのですか?極楽浄土が本当にあるとしたら、どこにあるのですか?それは、地球の外ですか?宇宙の外ですか?それとも、人間の心の中にあるのですか?そして、人間には霊魂があると思いますか?私のいろいろな質問に対して、お坊さんは答えられた。霊魂についてはわからんね。お釈迦様は弟子から霊魂があるのかないのか問われたとき、何も答えなかった。それを、仏教では「無記」と言うんだよ、と。そのとき、私は思った。お釈迦様が霊魂のことを何も言っていないのに、仏教の葬式というものは一体、何の意味があるのだろうか? 私はそのあと、天国や極楽浄土のことをいろいろ考えてみたが、どうしても納得できる解答が出てこなかった。霊魂についても、全く同じで、そんな馬鹿な話をどうしても、受け入れることはできなかった。 そもそも宗教の布教者の中で、天国や極楽浄土を見た人がいるのだろうか?
霊魂の話、神様の話。これらの話は、元をたどれば、誰かが言っただけのことではないか?あるいは、何かの本や聖典に書いてあるというだけで、何の確証もないのではないか?どうして、人はそんな馬鹿げたことを容易に信じることができるのだろうか?私はそのあとも、いろいろと考えをめぐらしていった。
人間は本当に、どこから来て、どこに行くのか?それとも、どこからも来なくて、どこへも行かないのか?あるいは、それらを知ることは、そもそも人間の認識能力を超え出ているのか? このような問いを真剣に持つものは、私以外にもたくさんいると思う。そのことを「宗教」に尋ねても、全く同じような答えしか返って来ない。神様と天国、そして死後の輪廻の話。すべてはそこから始まり、そこに帰結する。なぜ、そのこと自体を、一度でもいいから疑ったりしないのか?
私はいろんなことを疑ってみた。私は、その後、哲学と宗教一般、そして、フロイトの心理学の世界へとのめり込んでいった。しかし、そこに、それらの解決法も解答も、何も見い出すことはできなかった。そういったことの中で、私は、自然の流れから、仏教の門を叩いた。それから、どれくらいの時間が過ぎ去っていっただろうか。私は、仏教の中でも、特に、初期経典に重点を絞り、自らの実践と、そして、自らの問題と交えながら、さらに、その根本的な部分を探っていった。そして、あるときに、『スッタ・ニパータ』という経典の第4章と第5章の中に存在する、釈迦仏教の根幹に触れる部分に関して、少しずつではあるけれども、分かり始めてきた。(後で分かったのであるが、その二つの経は、仏典のなかでも最古のものであった。)
それ以外にも、私は、大人になって、少しずつ分かり始めてきことがある。そのことを少しばかり書いてみようと思う。
「1.自我の安定化について」 に続く..... ↓
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