失われた仏教最古の叡智

歴史の中に埋没し、忘れ去られてしまった仏教の最初期の時代に説かれていた「ブッダの究極の理法」の根幹について、その真相を語る。

人生に意味はあるのか?対話編1

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 ある晴れた日に、街の広場には、人だかりができていた。青年ヒポパネトスは、誰かと話をしてる、みすぼらしい老人の姿を見つけた。次の瞬間、その人はかつての師ソクラテスであることが、すぐにわかった。ヒポパネトスは、背後から、そっと老人に声をかけた。

 
 ヒポパネトス「そこにいるのは、ソクラテスではありませんか?ここで一体、何を話しておられるのですか?」
 
 
 ソクラテス「ああ、我が愛するヒポパネトスよ、このアテナイの広場に、サルトルという哲学者が来るという噂で、朝からずっと、ここで待っているのだ。」

 
 ヒポパネトス「あの、『存在には目的がない』というようなことを説く、有名なサルトルがこの街に来るのですね。『存在には意味がある』と言われる我がソクラテスが、どのように反論されるか、私は楽しみにしているのです。」

 
 ソクラテス「そのサルトルという男は、巷では『存在それ自体には意味がない』と言っておるらしい。一体、それをどんな意味で言っておるのか、私は聞いてみようと思うのだ。」


 そうこうしているうちに、向こうから、眼鏡をかけタバコを吸う一人の男が歩いてきた。その男が、サルトルであることは、誰もが一目で分かった。


ソクラテス「あなたは、あの有名なサルトルなのですか?」

 
 サルトル「そうです。このアテナイの街にソクラテスに会うために、パリからやって来ました。もしや、あなたはソクラテスですか?」

 
 ソクラテス「ふうむ。これは、ちょうどよかった。私はそのソクラテスだ。ところで、あなたは『人生は意味がない』と説かれるお聞きしたが、そのことは本当なのですか?一体、その言葉の裏には、何か他の意味があるのか、私にはそこが知りたいのです。ちなみに、私はすべての存在には意味があり目的があると考えているのです。」

 
 サルトル「早速きましたね、ソクラテス。すべてのものには意味があり目的があるというソクラテスの説は、そもそも何の根拠があって、成り立っているのですか?」

 
 ソクラテス「おお、ゼウスに誓って言うが、現実世界の背後に『実相』があり、人は本来その『実相』を目指しているのじゃ。」


 サルトル「その『実相』とは、あなたの弟子プラトンが言われる『善のイデア』のことなのではないのですか?」


 ソクラテス「言い方はどうでもいいのだが、すべてのものはその『実相』の影であり、人間とは本来あるべき、そこへ向かうものなのだ。」


 サルトル「わかりました。しかし、実はその『実相』というものは本当にあるのでしょうか?私は懐疑的な見方をする典型的な人間なのですが、その『実相』というものは、どこかに実在するのですか?」


 ソクラテス「もしや、サルトルさん、あなたは神を信じていないのですか?」


 サルトル「私は神を信じませんね。そもそも一体、神はどこにいるのですか?いるのなら、ここに出して見せてください!」


 ソクラテス「ああ、何ていうことを!私には時折、自らの内に、ダイモーンなる神が降りてきて、指令を下すのですよ。」


 サルトル「そのダイモニオンとか何かという神というのは、本当は、あなたの『良心』なのではないのですか?それが神だという根拠(証拠)はどこのあるのですか?」


 ソクラテス「それを言われると、何とも答えようがありませんね。しかし、あなたが言う『神が存在しない』というのは何か確証があるのですか?」


 サルトル「私は、『神が存在しない』と言っているのではなく、『神を信じない』と言っているのです。」


 ソクラテス「ほお、あなたが言う『神が存在しない』ということと『神を信じない』ということは、結局「神が存在しない」という根底があるからこそ、実は『神を信じない』と言っているのではないのですか?」


 サルトル「そんなことは、どうでもいいことですよ。」


 ソクラテス「「話をはぐらかさないでください、サルトルさん。」


 ヒポパネトス「もう少し検証が必要ですね。私はサルトルさんのすべての本を読んだのですが、あなたは『存在には意味がない』、と強調しておりながら、実は最終的には『人間の存在の意味』を最初のそれ以上に強く打ち出しているのではないのでしょうか?」


 ちょうどそのとき、フッサールとカントがやって来た。最初に、声をかけたのは、カントだった。カントとフッサールは、わざわざドイツとオーストリアからやって来たのだ。


 カント「二人の話に水を差すようですが、人間には感性的直感を超越して先験的な認識に到達することなどできないのです。」

 
 ソクラテス「その『感性的直感』というのは一体、何のことなのですか?難しくてわかりませんね。」


 フッサール「わかりやすく言えば、人間には知りうる限界というものがあって、神や霊魂の存在、または意思の自由と決定論などというものは、人間の認識の領域を超えていて、結局、分からないということなのです。」


 カント「そのとおりです。本来、神というものは『信仰』によって可能であり、それを信じることこそが『信仰』なのですよ。」


 サルトル「それでは、『信仰』がなかったら『神は存在しない』ということになるのですか?」


 フッサール「サルトル君、ちょっと黙っておれ!私は人間には本来、先験的な認識は不可能であると言ったではないか。」


 そのとき、突然、釈迦が現れて言った。釈迦は別名、仏陀と言われ、それは『目覚めた人』という意味である。


 釈迦「人間にはフッサールさんやカントさんが言われるように、そのようなことなど、分からないのです。人間には到底分からないこの形而上学的難問を議論すると、争いになる。真の道なる人は、決してそこには近ずかない。無駄な議論などせずに、自らの修行に励むがよい。」


 そう言われると、釈迦はすぐに去って行かれた。


 フッサール「ああ、全くお釈迦様の言われるとおりではないか。人間にはそのようなことなど、本当は分からないのだ。あるとも言えないし、ないとも言えない。要は、それを断定しないということ、それを捨て去ること、これであるのだろう。」

 
  「すべての存在は偶然か必然か?対話編(2)」に続く....
 
 
 《過去の記事から引用》

 
 ある晴れた日に、街の広場には、人だかりができていた。青年ピポパネトスは、誰かと話をしてる、みすぼらしい老人の姿を見つけた。次の瞬間、その人はかつての師ソクラテスであることが、すぐにわかった。ヒポパネトスは、背後から、そっと老人に声をかけた。

 ヒポパネトス「そこにいるのは、ソクラテスではありませんか?ここで一体、何を話しておられるのですか?」
 
 ソクラテス「ああ、我が愛するヒポパネトスよ、このアテナイの広場に、サルトルという哲学者が来るという噂で、朝からずっと、ここで待っているのだ。」

 ヒポパネトス「あの、『人生には意味がない』というようなことを説く、有名なサルトルがこの街に来るのですね。『存在には意味がある』と言われる我がソクラテスが、どのように反論されるか、私は楽しみにしているのです。」

 ソクラテス「そのサルトルという男は、巷では『存在それ自体には意味がない』と言っておるらしい。一体、それをどんな意味でいっておるのか、私は聞いてみようと思うのだ。」


 そうこうしているうちに、向こうから、眼鏡をかけタバコを吸う一人の男が歩いてきた。その男が、サルトルであることは、誰もが一目で分かった。


ソクラテス「あなたは、あの有名なサルトルなのですか?」

 
 サルトル「そうです。このアテナイの街にソクラテスに会うために、フランスからやって来ました。もしや、あなたはソクラテスですか?」

 
 ソクラテス「ふうむ。これは、ちょうどよかった。私はそのソクラテスだ。前置きはいいとして、あなたは『人生は意味がない』と説かれるお聞きしたが、そのことは本当なのですか?一体、その言葉の裏には、何か他の意味があるのか、私にはそこが知りたいのです。ちなみに、私はすべての存在には目的があると考えているのです。」

 
 サルトル「早速きましたね、ソクラテス。すべてのものには目的があると言うソクラテスの説は、そもそも何の根拠があって、成り立っているのですか?」

 
 ソクラテス「おお、ゼウスに誓って言うが、現実世界の背後に『実相』があり、人は本来その『実相』を目指していると、私は説く。」


 サルトル「その『実相』とは、あなたの弟子プラトンが言われる『善のイデア』のことなのではないのですか?」


 ソクラテス「言い方はどうでもいいのだが、すべてのものはその『実相』の影であり、人間とは本来あるべき、そこへ向かうものなのだ。」


 サルトル「わかりました。しかし、実はその『実相』というものは本当にあるのでしょうか?私は懐疑的な見方をする典型的な人間なのですが、その『実相』というものは、どこかに実在するのですか?」


 ソクラテス「もしや、サルトルさん、あなたは神を信じていないのですか?」


 サルトル「私は神を信じませんね。そもそも一体、神はどこにいるのですか?いるのなら、ここに出して見せてください!」


 ソクラテス「ああ、何ていうことを!私には時折、自らの内に、ダイモーンという神が降りてきて、指令を下すのですよ。」


 サルトル「そのダイモニオンとか何かという神というのは、本当は、あなたの『良心』なのではないのですか?それが神だという根拠はどこのあるのですか?」


 ソクラテス「それを言われると、何とも答えようがありませんね。しかし、あなたが言う『神が存在しない』というのは何か確証があるのですか?」


 サルトル「私は、『神が存在しない』と言っているのではなく、『神を信じない』と言っているのです。」


 ソクラテス「ほお、あなたが言う『神が存在しない』ということと『神を信じない』ということは、結局「神が存在しない」という根底があるからこそ、実は『神を信じない』と言っているのではないのですか?」


 サルトル「そんなことは、どうでもいいことですよ。」


 ソクラテス「「話をはぐらかさないでください、サルトルさん。」


 ヒポパネトス「もう少し検証が必要です。私はサルトルさんのすべての本を読んだのですが、あなたは『存在には意味がない』、と強調しておりながら、実は最終的には『人間の存在の意味』を最初のそれ以上に強く打ち出しているのではないのでしょうか?」


 ちょうどそのとき、フッサールとカントがやって来た。最初に、声をかけたのは、やはりカントだった。カントとフッサールは、わざわざドイツからやって来たのだ。


 カント「二人の話に水を差すようですが、人間には感性的直感を超越して先験的な認識に到達することなどできないのです。」

 
 ソクラテス「その『感性的直感』というのは一体、何のことなのですか?難しくてわかりませんね。」


 フッサール「わかりやすく言えば、人間には知りうる限界というものがあって、神や霊魂の存在、または意思の自由と決定論などというものは、人間の認識の領域を超えていて、結局、分からないということなのです。」


 カント「そのとおりです。本来、神というものは『信仰』によって可能であり、それを信じることこそが『信仰』なのですよ。」


 サルトル「それでは、『信仰』がなかったら『神は存在しない』ということになるのですか?」


 フッサール「サルトル君、ちょっと黙っておれ!私は人間には本来、先験的な認識は不可能であると言ったではないか。」


 そのとき、突然、釈迦が現れて言った。釈迦は別名、仏陀と言われ、それは『目覚めた人』という意味である。


 釈迦「人間にはフッサールさんやカントさんが言われるように、そのようなことなど、分からないのです。人間には到底分からないこの形而上学的難問を議論すると、争いになる。真の道なる人は、決してそこには近ずかない。無駄な議論などせずに、自らの修行に励むがよい。」


 そう言われると、世尊(釈迦)はすぐに去って行かれた。


 フッサール「ああ、全く釈迦の言われるとおりではないか。人間にはそのようなことなど、本当は分からないのだ。あるとも言えるし、ないとも言える。要は、それを断定しないということ、それを捨て去ること、これであるのだろう。」

 
  続く....
 

 



 

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