失われた仏教最古の叡智

歴史の中に埋没し、忘れ去られてしまった仏教の最初期の時代に説かれていた「ブッダの究極の理法」の根幹について、その真相を語る。

自我の安定化について

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  人間は、生まれながらにして、自我の安定化を欲する。なぜなら、人間の自我は本来的に不安定なものであり、それ自体の不安定さゆえに、人間は、さまざまな行為を行い、そのことによって、自我を安定化させようと求めるからである。(ここで言う自我とは心のことであり、便宜上そのような言い方をしているだけであって、何ら自我やアートマンの存在を想定しているわけでもない。)

まず最初に、人間にとって、自我を安定化させるために、容易に実現させやすいことがらは、対他的なる他者の視線を介して行われる自己の「承認欲求」である。より具体的に言えば、それは他者から、どのように見られているか、あるいは、どのように評価されているか、ということに対する意識、すなわち、それらを承認されることへの欲求、ということである。

これらの「承認欲求」というものは、さらに詳しく分析すると、他者の存在、言い換えれば、他者の「視線」や「まなざし」によって媒介され、それは、無意識のうちに、何らかの行為をもって、自らの存在を確認させ、自我を安定化させようとする試みである、と言うことができるのである。

ところが、これらの「承認欲求」をもった自我の安定化というものは、究極的に言えば、何らかの行為を断続的に行い続けていかない限り、安定性それ自体を存続させることは不可能であり、一度、その行為を断ち切ってしまうと、それらの安定性はたちまち崩壊してしまうことになる。

言い換えれば、人間は、何らかの行為を行い、それによって、自己の「承認欲求」を無意識のうちに欲することにより、自我の安定化を固持しようとするが、人間の本性的な自我の安定化は、何らかの行為を断続的に行う本能的な諸現象によっては、その確固たる安定化の実現は極めて困難である、ということである。

それがなぜかと言うと、自我の安定化を阻害する、他者からの批判、あるいは攻撃を受けたときに、それを阻止、または固持するために、人間は断固とした「抵抗」を行う。その「抵抗」が自我の安定化をさらに不安定にさせるということ、この断続的な行為は、限りなく繰り返されなければならないからである。

そうであるとすれば、人間は、如何にして、どのような方法をもって、心の平安を得ることが出来るのか?
 
  人間の自己意識なる自我の安定性は、その本能に基づいて、何らかの行為を与え続けても、問題は解決しないということであり、その解決の糸口を見つけ出そうとするのが、本稿の目的なのである。

われわれは、本論に入るまえに、仏教で言うところのアートマン、すなわち、人間の「自己」についての論考を行うことにする。
 
 
  「2.自己とは何か?」 に続く.....↓

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