失われた仏教最古の叡智

歴史の中に埋没し、忘れ去られてしまった仏教の最初期の時代に説かれていた「ブッダの究極の理法」の根幹について、その真相を語る。

無我説と輪廻説との矛盾について

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  最近、タイのブッダダーサという比丘について知った。
 
 このブッダダーサという比丘は、「釈迦は、輪廻転生説は説かなかった」と主張しているという。
 
 それ以外にも、伝統的なタイの僧侶であるプラ・ティップパリンヤーによれば、ブッダダーサ比丘は、三宝(仏・法・僧)は涅槃への到達を妨げるヒマラヤのようなものであるとし、また、経典にある「一切智」の意味を「ブッダがすべてを知っていること」ではないと唱えているそうである。
 
 彼はサンガの大長老会議に、ブッダダーサを審議すべきであるという提案も行ったそうであるが、会議メンバーでは法話の内容に理解を示し、それ以上問題になることはなかったようだ。
 
 これは、このブログで、以前にも紹介したことでもあるが、私のスリランカ人の友人の話によれば、かつて、スリランカに、このブッダダーサ比丘と同じように、「釈迦は輪廻転生は、元々、説いていない」と主張する比丘がいたらしく、その比丘は、ラジオ番組にまで出演して、それ以外のところでも、そのことを何度も説いたところ、マーハー・サンガというところから、ついには波紋されてしまったそうである。
 
 ここで、ブッダダーサ比丘の注目すべき言葉を、いくつか抜粋してみることにする。
 
 『いかなる宗教の経典も後世の付加を必ず含んでおり、我々の三蔵も例外ではない。』
 
 『釈尊が亡くなられた日から(仏教の中に)腫瘍は休みなく広がりつづけ、今日に至るまであらゆる方向に拡大しており、今や非常に大きなものになっている。』
 
 『再生は行為(業)をするたびに起こり、その再生は、行為(業)の瞬間に自動的に起こる。世間で一般に考えられているように死後にやってくる再生(生まれ変わり)を待つ必要はない。人が考え行動する時、心は、欲望と執着の力によって自動的に変化し、縁起の法則に従ってすぐさま生まれることになる。再生するために肉体の死を待つ必要はない。この真理は、仏教の真の教えとして、(すなわち)生まれ変わるべき我(attA:サンスクリットのAtmanにあたるパーリ語)は無いと説く本来の初期仏教の核心の原理として、認識されねばならない。死後の再生という考えがどのようにして仏教に忍び込んだのか、説明することはむずかしいし、我々はそんなことに拘らう必要はない。』
 
 釈迦が、アートマン(霊魂)の不滅説を説かなかったことは、仏教を知っている者なら、誰もが知っているだろう。
 
 しかし、釈迦以降の仏教の多くは、ときを経るごとに、教団が組織化し、多くの在家信者を取り込んでいったことにより、必然的に、輪廻転生説を説かなければならなかったために、アートマン(霊魂)ではない、アートマンとは別の、何らかの輪廻の主体を想定しなければならなかったのだと思うのである。
 
 そして、そこで、考案されたのが、まさに、「業」(カルマ)を主体とする輪廻転生説であったと思うのだ。
 
 とは言っても、無我説輪廻説とは、明らかに矛盾する。
 
 そもそも、古代インドの業思想とは、アートマンに付随して起こるものであり、アートマンなしに、業が、業のみで単独に輪廻するのであれば、(仮に、それが、可能であったとしても)、それは誰のものだか分からない業(カルマ)となるのではないのか?
 
 話は戻るが、東南アジア一帯に広まる上座部仏教は、元々は、(上座仏教が、セイロン島に伝わる以前に、ビルマに伝わっていたという説もあるそうだが)インドから伝わった、スリランカの上座部大寺派を起源とするものである。(事実、現存するパーリ三蔵は、スリランカの上座部大寺派が伝持するものである。)
 
 そして、現存する上座部仏教が、釈迦は、輪廻転生の主体たるアートマンを斥けているにも拘わらず、アートマンとは別の、輪廻の主体を想定することは、私の推測では、他でもない、パーリ三蔵の中に存在する、成仏伝承の「三種の名知」の中の第一の名知である「過去の生涯を想起する知」というものに、起源を有しているものであるのではないのかと思っている。
 
 そして、成仏伝承の「三種の名知」の中の第一の名知である「過去の生涯を想起する知」というものは、スリランカにおいて、ブッダゴーサ以前に、増広されたものではないということは明白であるから、その起源は、インド本土に遡らなければならないのだと、私は思っている。(『上座部仏教の思想形成』馬場紀寿著・春秋社 参照)
 
 ちなみに、説一切有部などが、おびただしい経典の改ざんや増広をおこなっていたことは、知られていることである。
 
 それ以前に、「ブッダの言葉」の曲解や加増は、もしかしたら、第一結集以降に、教団が拡大するにしたがって、顕著になっていった可能性も否定できないだろう。
 
 そもそも、釈迦は、初心者にでもわかるような、自己矛盾をおこすような、軟弱なる地盤の上に立った人であったのだろうか?
 
 私は、全く、そうであるとは思わない。
 
 というよりは、仏教最古層の経典(「アッタカバッガ」と「パーラーヤナヴァッガ」)をはじめとする五ニカーヤなどに登場する釈迦像から言って、そんなことは、到底、あり得ない話だと、私は思っている。

 そもそも少しでも哲学的素養がある人がパーリ・ニカーヤを全体として眺めるとすれば、そこには対機説法としては説明不可能な全く異なった複数の教えが説かれていることがよく分かると思う。

 パーリ・ニカーヤに登場するブッダは、すべてが同じブッダなのか?

 それらは複数の別のブッダが別々の教えを説いているのか?

 つまり前者と後者とでは、おそらくは「ブッダの理法の核となる部分」が180°変わってくるだろうと思う。(『ブッダたちの仏教』並川孝儀  ちくま書店  参照)




 
 
 
 
 
 
 
 

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