失われた仏教最古の叡智

歴史の中に埋没し、忘れ去られてしまった仏教の最初期の時代に説かれていた「ブッダの究極の理法」の根幹について、その真相を語る。

釈迦の言う「不死」について

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 初期仏教が捉える、人間においての数多くの苦しみの中で最大の苦しみとは、その人自らの「死」であると思う。
 
 
 そして、初期経典に語られている「不死」とは、人間それ自体が死なない、つまり、文字どおりの意味として「死なない」ということではなく、想いから離れた、つまり、「想いからの解脱において解脱」した、その境地の体現によって、そこには「死」という「想い」そのものがない、ということである、すなわち、経典では、それを「不死」である、と言い表している、ということだと私は思っている。
 
 
 そもそも、人間は、生後、様々な先入観を他者から刷り込まれていくものである。
 
 
その刷り込まれた先入観によって、まさに、人は苦しみ、その苦しみの原因を取り除いた境地を、敢えて言葉で言い現わしたものが、まさに、最古層の経典に登場する釈迦が語っている「想いからの解脱において解脱する」、という言葉であるのだと思う。

 
 なお、これを、さらに押し進めて言えば、何らかの見解に依拠している状態においては、「想いからの解脱において解脱」した境地の体現、つまり、経典で語られているところの「輪廻からの解脱」(=苦の終滅)の体現ではないのだろう。
 
 
 それがなぜかと言えば、何らかの見解に依拠している状態においては、未だに「想い」を有している状態であるからである。(さらには、ここで言う「見解」とは「想い」の究極であると考えられる。)
 
 
 もちろん、私が、この記事を書き表したその時点において、それは見解となり、さらには、その境地を言葉で言い表そうとすることなどあり得ない、ということになるのだろう。
 
 
ところで、古代インドにおいて、最も恐れられていたいたことは、人が死んだあとに二度、あるいは三度、四度・・・・・・と繰り返して死ぬことであると言われている。
 
 
詰まるところ、人が解脱しない限りは、永遠の苦と死とを繰り返すという輪廻から、言い換えれば、永遠に苦からの脱却を為し得ない、ということになるのだと思う。
 
 
 最古の経典スッタニパータに登場する釈迦は、次のように言っている。

 
Sn.1082  師(ブッダ)は答えた、
「ナンダよ。わたしは『すべての道の人・バラモンたちが生と老衰とに覆われている』と説くのではない。この世において見解や伝承の学問や戒律や誓いをすっかり捨て、また種々のしかたをもすっかり捨てて、妄執をよく究め明かして、心に汚れのない人々──かれらは実に『煩悩の激流を乗り越えた人々である』と、わたしは説くのである。」
 
 
Sn.1078 (ブッダが答えた)、
「ナンダよ。世のなかで、真理に達した人たちは、(哲学的)見解によっても、伝承の学問によっても、知識によっても聖者とは言わない。(煩悩の魔)軍を撃破して、苦悩なく、望むことなく行う人々、──かれらこそ聖者である、とわたしは言う。」
 
 
Sn.1072 師は答えた、「ウバシーヴァよ。あらゆる欲望に対する貪りを離れ、無所有にもとづいて、その他のものを捨て、最上の<想いからの解脱>において解脱した人、──かれは退きあともどりすることなく、そこに安住するであろう。」
 
 
Sn.1073 「あまねく見る方よ。もしもかれがそこから退きあともどりしないで多年そこにとどまるならば、かれはそこで解脱して、清涼となるのでしょうか? またそのような人の識別作用(あとまで)存在するのでしょうか?」
 
 
Sn.1074 師が答えた、「ウバシーヴァよ。たとえば強風に吹き飛ばされた火炎は滅びてしまって(火としては)数えられないように、そのように聖者は名称と身体から解脱して滅びてしまって、(生存するものとしては)数えられないのである。」
 
 
 
Sn.1066 師は言われた、
「ドータカよ。伝承によるのではない、まのあたり体得されるこの安らぎを、そなたに説き明かすであろう。それを知ってよく気をつけて行い、世の中の執著を乗り越えよ。」
 
 
 
Sn.1075 「滅びてしまったその人は存在しないのでしょうか? 或いはまた常住であって、そこなわれないのでしょうか? 聖者さま。どうかそれをわたくしに説明してください。あなたはこの理法をあるがままに知っておられるからです。」
 
Sn.1076 師は答えた、
「ウバシーヴァよ。滅びてしまった者には、それを測る基準が存在しない。かれを、ああだ、こうだと論ずるよすがが、かれには存在しない。あらゆることがらがすっかり絶やされたとき、あらゆる論議の道はすっかり絶えてしまったのである。」
 
 
 
Sn.1119 (ブッダが答えた)、
「つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界が空なりと観ぜよ。そうすれば死を乗り越えることができるであろう。このように世界を観ずる人を、<死の王>は、見ることがない。」
 
 
 
もちろん、釈迦の境地を「苦の終滅」であると見るのか、「苦の軽減」であると捉えるかの違いによって、異なった解釈が生まれてくることになるのだろうと、私は思っている。
 
もちろん、私の捉え方は、前者である。

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