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先日、仏教学者である佐々木閑博士の『インド仏教変移論』という本を読んだ。
(以下、本書の要約という意味で、私の主観をできるだけ排除するために、本文から、そのまま重要であると思われる部分を引用した。ただ本書には、部派仏教や大衆部が著わした経典からの数多くの直接の引用が参照されており、これらに関して興味がある方は、是非、本書を直接読まれることをお薦めする。)
≪初期阿含仏教から後期密教まで、仏教はなぜこれほどまでに多様化したのか?全く異なる教えを説く教団が、お互いを仏教徒であると認め合えるのはなぜなのか?謎を解くカギは、アショーカ王の時代に起こったひとつの事件にある。この事件は、大乗仏教の発生という巨大な現象を生みだし、仏教を根幹から変えてしまった。本書の目的は、この事件の実態を追求し、仏教変容の根本原因を解明することにある。≫
『いかなる宗教でも、それが教団を形成して集団宗教として継続的に活動するなら必ず内部分裂が起こる。多数の人間がしかも何世代にわたって単一の教義を重水に保持していくことなど不可能だからである。その結果、同一の宗教内部にも種々異なる教義が並行するようになり、ついにはそれらが独立して別派を形成するに至る。これはどの宗教にも見られるきわめて普通の現象であり、それが仏教にも起こったということは何ら不思議なことではない。
しかし仏教の場合、それは並の分裂ではない。本来の阿含仏教から見れば極端に性格の異なる教義が、次から次と現れ、ついには思想、宗教の一大集積場の観を呈するに至る。それは単一の宗教が時と共に少しずつ変容し、亜種を生み、多様化していくといった穏和な状況とはほど遠い、一種の内部爆発とも呼ぶべき現象である。初期阿含仏教と後期密教を比較するなら、仏教と銘打った一つの宗教が長旅の果て、最後にどれほどかなたの地に至って臨終を迎えたか実感として理解できよう。』P14
『破僧とは仏教僧団を分裂させることであり、仏教世界における最悪の罪の一つとされている。その定義すなわち「僧団を分裂させるとはどういうことかという規定」が、ある時期、何らかの理由によって変更されたという事実が、文献の比較研究によって明確に浮かび上がってきたのである。』P21
『新しい破僧定義を受け入れるために、いくつかの律文献は大きく書き換えられており、その書き換え部分を拾い上げることで、変化の方向性を決定することができたのである。さらに驚いたことに、この説を正しく裏付ける情動が有部のアビダルマ文献の中に見いだされた。律とアビダルマという異なる領域の資料が、同一の現象を指し示しているのである。しかもその破僧定義の変化は、単に述語解釈のレベルにとどまるものではなく、僧団運営の方針が根本的に変わったということを示している。また、それはひとつの部派の内部における局所的な動きではなく、多くの部派にまたがる仏教界全域の変化であることも判明した。詳しくはこの後の本論で述べるが、ともかく、破僧定義の変更によって「異なる意見を持つ者であっても、集団行事を一緒に行う限り、全員を仏教出家者として認定する」という新たな見解が生まれたことが判明したのである。これはあすなわち、仏教の多様化を仏教自らが許容するようになったということを意味する。仏教が多様化して様々な教義を一挙に生みだしていく、その原点ともなる新たな形態である。』P26
『仮説全体の妥当性はともかくとして、少なくとも破僧定義の変更によって仏教僧団の在り方が根本的に変化したという事実は間違いない。主張する教義に食い違いがあっても、僧団行事を共同で行いさえすれば、その僧団は和合している、という新たな共通認識が生まれたのである。それはすなわち、仏教自身が多様な教義の併存を承認したということである。それは当然、そ後の仏教の多様化に拍車をかけたに違いない。詳細は不明ながらも、アショーカ以降の仏教は急速に多様化し、結果として大乗という新しい流れを形成していった。』P32
『律文献によれば、仏教の修行者たちが集団で生活する場合、各自が勝手気儘に行動することは許されず、必ず律の規定に従った共同生活を送らねばならない。僧団構成員全員が出席する、そういう状況を僧団の和合(samghasamagra)という。そしてこの和合状態を破壊し、僧団を分裂させることを破僧(samghabheda)というのである。破僧は非常な重罪であり、父母殺し等と並んで五逆罪の一つに挙げられる。仏教史上もっとも有名な破僧はデーヴァダッタとその仲間によって引き起こされたもので、その時の状況は律蔵の「僧残法」および「破僧事」で詳しく語られている。それによればデーヴァダッタはシャカムニと異なる教説を提唱し、多くの比丘達たちを味方に引き入れて独自の僧団をつくったとされている。したがって、破僧というのは正当な仏説に背く教説を唱えることによって僧団を分裂させることだと考えられてきた。この定義にしたがえば、部派分裂は破僧ということになる。何らかの原因によって出家者が二手に分かれ、互いの正当性を主張して譲らないことで異なる二つの集団へと分離することが部派分裂だからである。』P42〜43
『各地には特定の界を持つ現実の個別僧団(現前サンガ)が存在していたはずだが、和合が行われる前は、単一僧団の中に意見の異なる者が共住することはなかった。つまり一つの僧団には必ず部派に属していたのである。そしてある僧団にいた比丘が、別の部派に属する別の僧団へ行って生活することはできなかった。もちろん事は人間活動のレベルであるから、そこにはある程度の融通性もあったであろう。だが少なくとも、ある部派の中へ、別の部派の比丘は入った場合、かれは正当なる仏教比丘として同等に扱われることはなかったはずである。
しかし和合が成立して破僧定義が変更された結果、異部派間での比丘の交流は自由となった。布薩等の集団行事にさえ出席すれば、どの僧団でも生活することが可能になったのである。もちろん、これによって僧団がすべて均質化したとは考えらえない。もともとわごうの目的は仏教界の均質化ではなく、複数の部派が併存する状況を変えることなく、それらすべてを仏教の名のもとにほうかつすることであったのだから、和合の後も僧団の実情はさほど変化しなかったであろう。それまで法蔵部の比丘たちが運営していた僧団は、和合の後も法蔵部の僧団であり続けたいはずである。ただ、その僧団の比丘が別の地方の化地部の僧団へ行った場合でも、そこで行われる集団行事に参加しさえすれば、同じ仏教比丘として生活することが保障されるのである。このように、それら多種多様な僧団は、布薩儀式という資格証明を持つことによって、すべて正式の仏教僧団として認定されることになったのである。これがアショーカ時代に達成されたと思われる和合の実状である。そしてこの事件の当然の結果として、それまでは仏教の教義として主張することなどできなかった新奇な意見を唱える者が多数現れることになったであろう。その者が正当な仏教比丘であるかどうかの判断基準は、唱える教義の内容ではなく、その者が正しく僧団行事に参加しているかどうかにあるからである。』p199〜200
『「何らかの事件が起こり、大衆部はアショーカの支援を受けて正当なる仏教の立場を守った。この時、南方分別説部など多くの上座部も大衆部側につき、その結果仏教は一つの宗教世界としいて統一された。この動きに反対した一部の者(有部)は仏教世界から排除された」。これが大衆部の立場から見たアショーカ時代の仏教世界の動きである。もちろん「何らかの事件」というものは大衆部の人間によって恣意的に創作されるものであるから、それがどのような事件として描かれるか、ここで推測することは不可能である。大衆部に都合のよい何らかの事件が創作されるであろう。それはたとえば『阿毘達磨大毘婆沙論』に現れる大天の五事のようなものである。』P263
『わたしはこの本の中でいくつかあたらなアイデアをだしたが、中でも最も重要と考えているのは仏教の多様化の理由である。本来単一の思想を骨格として発生したはずの仏教が突然多様化していくのは奇妙な現象である、それはいわゆる大乗仏教という名で一括される多彩な宗教運動を引き起こし、インド周辺に伝播した後も各地域独自の新思想を絶え間なく生み出し続けていく。どのような思想でも仏教として呑み込んでいく特性が、仏教を世界宗教にした一つの要因とも考えられる。このような多様性は時として仏教が本来持つ寛容性に基づく現象であると説明されるのであるが、そのような極めて特殊な寛容性の正体については不明なままであった。「仏教の中に様々な思想が併存しているから、その中に様々な思想が併存し得るのだ」という命題が互いのしぽを食い合っている状態であった。しかし本書において私は、ある程度歴史的事件が仏教多様化の引き金になったと確信するに至った。それは仏教の思想とは直接関係のない、僧団運営に関わる現実的な対応の結果生じたものである。そしてこれがきっかけとなって仏教世界は多彩な思想を次々に生み出していくことになった。仏教内部で醸成されたであろう。それらが複雑に絡み合い、融合しながら全体として新たな奔流を形成していったものと思われる。一旦、異なる体系を持つ複数の思想が仏教の名のものとに並行すれば、もはやその中のどれかひとつを正統として選別することは不可能となる。「仏教は異なる教義の併存を承認する」という認識が生じた段階で、事態は不可逆的に多様化せざるを得ないのである。』P275〜276
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