失われた仏教最古の叡智

歴史の中に埋没し、忘れ去られてしまった仏教の最初期の時代に説かれていた「ブッダの究極の理法」の根幹について、その真相を語る。

初期経典の制作時期について

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 初期経典の制作時期について、中村氏は、『古代インド史』の中で、次のように言っている。興味深い言及があったので、断片的ではあるが、少しばかり引用してみようと思う。(以下、引用)
 
 
 『チベットの伝説によると、カニシカ王の治世に仏教聖典の第三結集が行われたという。かれはカシュミールのクンダラヴァナ寺院にすべての修行僧を集めたという。また他の伝説によると、かれはジャーランダラにあるKuvana寺院において第三結集を行った。チベット人の間の伝説によると500人の阿羅漢と500人の菩薩と500人のふつうの学者が集まったというが、実際にはヴァスミトラと400人の大徳が集まったのであろう、とターラナータは伝えている。ともかくある種の聖典編纂が行われたことは事実であろう。そうしてそれは国家権力の保護のもとにおいて可能なのであった。
 
   註釈・・・・カニシカ王⇒2世紀半ば。カニシカ王の在位年代紀元150年前後。
 
 ところでその聖典用語はサンスクリットであったらしい。西北インドの教団用語は、それ以前にはカローシュティー文字の『ダンマパダ』やカローシュティー碑文が示すように、古プラークリットであった。カシニカ王時代にもなお実際にはプラークリットが聖典用語であった。したがってもし教団がサンスクリットを使用したならば、アシヴァゴーシャなどによる他地方の教学の影響ではなかろうかと考えられる。そうしてそれを機縁として、サンスクリットが広がるとともに、それにつれてブラーフミー文字がカローシュティー文字に代わるに至った。』P.189〜190
 
     
 
  『ともかく仏教はおそらくクシャーナ王朝のカニシカ王以降に急速にアジアの諸国にひろがるに至った。仏教は最初のうちはおそらくガンダーラを経由してシナに入って行った。』P.191
 
 
 また、中村氏は、次のようにも言っている。
 
 
  『世の多くのインド学者は、パーリ語の原始仏教聖典を当時の文献と見なしているが、近時の研究によると、パーリ語の聖典ははるか後世になってから、むしろマウリヤ王朝時代よりもはるか後になってから現形のようにまとめられたことが明らかになった。原始ジャイナ教聖典についても、ほぼ同様にいうことができる。このような事情を考えると、インドのやや確実な歴史が知られるのは、マウリヤ王朝時代からであろう。この時代のものとしては考古学的遺品も多いし、また外国方面の資料も伝えられている。けだしインド全体が一つの国家的統一を形成したのは、マウリヤ王朝時代においてであり、またそれだからこそ、考古学的な遺品や外国の文献における記載も多く残されているのである。この時代にインド全体が一つの国家に統一されたこいうことと、確実な資料が多数残存しているということとは、決して単なる偶然的な併行現象ではない。その根底には十分な理由があるのである。マウリヤ王朝時代の社会および文化の実態を明らかにするならば、それによってヴェーダ聖典、原始仏教聖典、ジャイナ聖典、叙事詩などの厖大な文献に対する原典批判的研究のための手がかりが確立することになる。これらの聖典に対する原典批判的研究は、究極においてはマウリヤ王朝時代との関連を考慮せねばばらなくなるのである。すなわちこれらの典籍の各部分とマウリヤ王朝時代との年代的前後関係を明らかにしなければ、われわれはこれらの典籍を歴史的研究のための資料として安心して用いることができない。マウリヤ王朝時代は古代インド研究のための基準となるものである。故にマウリヤ王朝時代のインドの実情をまず明らかにして、それを手がかりにして年代的に前に遡り、あるいは後に降りることとして研究を進めるということは、一つの重要な手つづきであろう。』P.333〜334

 
 『また原始仏教聖典、殊に『雑阿含経』のうちには仏教の古い教説が含まれている、と一般に認められているが、そのうちにはアショーカ王ならびにそれ以降の諸王に関する記述があるから、漢訳『雑阿含経』、少なくともアショーカ王伝説の部分の原本が編纂されたのは、マウリヤ王朝よりもはるか後世で西紀150年以降であると考えなければならない。』P.403
 
 
 (註)・・・・・中村氏によれば、古代インド人は、 500という数字をよく使用するけれども、それは、実際には500という厳密な数字ではなく、誇張された数字である、というようなことを言っている。(dyh)
 
 
 <年代論的結論>
 
 
紀元前 463 ゴータマ・ブッダ誕生
     444 マハーヴィーラ誕生
     428 ゴータマ・ブッダ成道
     390 アジャータシャトル王即位
     388 ゴーサラ没す
     383 ゴータマ・ブッダ没す(80歳)
     372 マハーヴィーラ没す(72歳)
     327 アレクサンドロス、インドに侵入す
     323 アレクサンドロス没す
     317 エウダモスがインドから退く
         チャンドラグプタ挙兵、即位
     313 チャンドラグプタがアヴァンティを支配す
     305 セレウコス・ニーカトールがインドに侵入す
     304頃 セレウコスとチャンドラグプタ和解す
     293 チャンドラグプタの治世終わる
     268 ビンドゥサーラ王の治世終わる
         アショーカ王即位
     261 アショーカ王、仏教に帰依し、信徒となる
     259 カリンガ国を征伐す
     257 教法の巡行始まる
    約261〜255 ギリシャ人の五人の王のもとに使節を派遣す
     255 教法大官の制度を設ける
     251〜250 石柱詔勅を刻す
     242 多数のストゥーパを建造す
     180 マウリヤ王朝崩壊す シュンガ王朝始まる 
 
  引用文献・・・・『中村元選集・第6巻・古代インド史(下)』(秋春者)

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