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釈迦の滅後、小規模であった仏教教団は、次第に拡大を続けていったが、マウリヤ王朝のアショーカ王(マウリヤ王朝の創設者であるチャンドラグプタ王の孫であり、ビンドゥサーラ王の子であるアショーカ王)の仏教への帰依によって、仏教教団はその規模を急速に拡大していった。すなわち、仏教が世界宗教の一つへと、その規模を拡大していった源泉とは、アショーカ王の仏教に対する庇護を抜きにしては語れないのである。
さらに、伝承によれば、アショーカ王(紀元前268年頃〜紀元前232年頃)は、自らの弟(あるいは息子)であるマヒンダを、仏教僧侶と共に、セイロン島(現スリランカ)に派遣して布教させたと言われている。(以下、中村元著・『中村元選集・第5巻・インド古代史上』より引用)
【伝説によると、アショーカ王は何もかも教団に寄付してしまったので、もはや手元には何も残らなくなった。珍宝をことごとく寺院に送り、金の器を、次に銀の器を、さらに銅の器をも送り、最後には掌中にマンゴーの果実の半分を残すのみとなった。かれは『いまやわが大きな倉を除いて、海に至るまでのこの大地を世尊のお弟子がたの教団に寄進しましょうという念願を起こしたが、かれはそのとおりに実行して死んだという。この伝説は、アショーカ王が仏教の寺塔建立に力をすすぎ、荘園を多く寄進したために、王室の経済の傾いたことを示すものである。アショーカ王は仏教の高僧ウパグプタ(Upagupta)に帰依して、マトゥーラー市のナタバティーカ寺に荘園を寄進した。『一国を封じてこの寺に供給したり。』という。そうしてこれが『寺封の因縁』のはじまりであると仏典には伝えている。寺院に所属する大規模な荘園がアショーカ王の時代から急激に増大したことが、この点からも知られる。
ところでアショーカ王の死没とともに、大臣たちはもはや王朝の支配すべき土地が残っていない事実に驚いて、何故土地を全部教団へ寄進してしまったのか、その理由を検討する、大臣ラーダグプッタの報告によると、かつてアショーカ王は10億金を教団に寄進しようと誓願を立てたのに、九億六千万金まで寄進したが、最期の四千万金だけは希望を達することができなかった。そこで、その代償として大地全体を教団に与えてしまったのだということであった。そこで大臣たちは残りの四千万金を教団に寄進して大地全体を買い戻してサンパディを王位に即けたという。 この伝説がどこまで真実を伝えているか不明であるが、おそらくアショーカ王没後に、教団の土地の強制買上の行われていることを意味しているのであろう(中世には仏教教団の土地の没収が行われたが、ここではまだそこまで進んでいない)。ところでこれは土地の売買が行われていて、土地が貨幣によって評価されていることを示す。それはマウリヤ帝国内部において初期の土地国有の原則が崩れて部分的には資本主義的な交換経済の萠芽の現われ始めていたことを示すものであろう。 アショーカ王は戦争の悲惨なことを痛感し、人民の福祉をひとえに心がけ、永遠の平和を約束した。かれはその目的を特に仏教教団への寄進というかたちを通じて実現しようとした。しかしそれは直接に人民の福祉と完全に結びつくことができなかったのではないのか、という疑いがある。生産を遊離した多くの仏教僧を養うこと、経営面における統一国家建設とは確かに矛盾する面がある。この矛盾をかれは解決しえず、ついにかれの帝国はつぶれてしまったのである。】P.510〜511 参考文献 『中村元選集・第5巻・インド古代史(上)』(春秋社)
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