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『中村元選集・11巻・インド思想の諸問題』の中に興味深い記述をみつけたので、その部分を引用してみようと思う。(以下引用)
『教団が発展して変容すると、仰がれる開祖のすがたも発展し変容する。釈尊ゴータマは、永遠の真理(dharma)をさとったが故に、覚者(Buddha)と呼ばれる。しからば、真理をさとった人はみな覚者であるといわなければならぬ。その人は何ら超自然的な存在でもなければ、神秘的な人物でもない。いわんや超越神のごとき存在でもないはずである。
原始仏教聖典を見ると、古い層と新しい層とでは、非常に思想の相違があるが、その古い層についてみると、仏教の開祖ゴータマはどこまでも単にすぐれた人間として考えられていた。 普通後代の仏教徒はゴータマのことを釈尊(釈迦牟尼 Sakyamuni)と呼ぶが、最初期の仏教においては仏弟子がゴータマに向かって「シャカよ」(Sakka)と呼びかけている。釈尊のことを敬称をつけないで「シャカよ」と呼びかけることは、詩のうちにのみ現われ、散文のうちには存在しないようである。故に最初期の仏教徒はゴータマをシャカ族の一人の人間とのみ見なしていたのである。』 P.487 『・・・最初期の仏教ではバラモン教の種々の呼称を用いていたが、また当時の非バラモン教的な諸宗教の種々なる呼称を付せられ、またそれを標榜していた。バラモン教以外の宗教家は道の人(samaṇa Skrit. śramaṇa 沙門)と呼ばれていたが、仏教もその立場をたもち、ゴータマを道の人と呼んでいる。仏教以外の人々はかれのことを「道の人ゴータマ」(samaṇo Gotamo)と呼んでいる。当時の宗教家がそのように呼ばれていたので、それに従ったままである。(ただしのちに釈尊の神格化が進むと、「道の人ゴータマ」という呼び名は、仏教以外の人々だけが用いるようになり、仏教内の人は「世尊」とか「仏」とかいう呼称を用いるようになった。原始仏教聖典の韻文の部分と散文の部分を比較すると、この変化が認められる。)
また当時のインド一般に、主として沙門の間で完全な智慧(kevala)を得た人のことを(kevalin)と呼んでいた。ジャイナ教でも修行を完成した人をやはりkevalinと呼び、この呼称はジャイナ教では後世に至るまで保されている。仏教も最初期にはブッダのことをkevalinと呼んでいたが、後代になると、仏教徒は他の宗教と共通なこの呼称を捨ててしまった。
若干の古い詩においては、ブッダのことを「弟子の群れを連れている人」(gaṇin)と呼んでいる。この呼称は、当時の一般のすぐれた哲学者(六師など)に適用されている。ここではゴータマが神格化されていない。社会的には他の哲学者と同じ資格のものと見なされている。かれは師(santthā)として尊敬されていた。かれは真理を見た人であるとともに「真理を語る人」(saccavādin)であるが、ジャイナ教の聖者も「真理を語る人」(saccavāi)として尊敬されている。
総じてかれは宗教家としての徳をそなえた人であった。かれは「貪欲をはなれた人」(vītarāga)であり、煩悩にうち克ち、魔軍を伏すのである。だから単に「勝者」(
jina)とか「戦いに勝てる人」(vijitasaṃgāma)という。かれに従っていた修行者たちでもやはり「勝者」と呼ばれることがあった。またそれと同じ意味でゴータマまたはブッダのことを「偉大なる英雄」(mahāvīra)と呼ぶ。これはブッダを特別視しているわけではなく、修行者、例えば大モッガッラーナも「偉大なる英雄」と呼ばれている。あるいは単に「英雄」(vīra)と呼ぶこともある。そうして修行を完成した人を「勝者」(ジナ)とか「偉大な英雄」(マハーヴィーラ)とか呼ぶのは、ジャイナ教と共通である。
釈尊は迷いの生存にうち克って「生存の彼岸に到達した人」(bhavassa pāragū)である。しかし「彼岸に到達した」ということは釈尊のみならず目的を達したすべての修行者について言いうることにほかならない。ところでジャイナ教でも修行者は「彼岸に赴く者(pāragāmin)とされているので、この点でも仏教はジャイナ教などからこの名称をとり入れたのである。
また釈尊は「眼ある人」(cakkhumat)、「あまねき眼ある人」(samantacakkhu)「世間の眼」と呼ばれているが、それは単に洞察力のある人というだけにすぎない。普通の修行者でもやはり「眼ある人」と呼ばれているし、このような「眼」は一般的にも授けされるものだと考えられていた。
ともかくブッダはどこまでも人間であったから、かれは『人間のうちでの最上の人』あるいは『一切の生きもののうちで最上の者』と呼ばれる。ときには『神々と人間のうちで最上者』ともいわれている。人間のうちの王(janinda)にほかならぬ。かれは偉人であると考えられていた。しかし偉人ではあるがまた身に近く親しい者として仰がれ、「わが父」「わが祖父」と呼ばれている。かれは人々に対する「善い友人」にすぎなかったのである。いまの世に暮らすわれわれがお互いに助け合う善い友人であるように。
少なくとも以上に列挙した称号に関する限り、それらはゴータマにも一般修行者にも、ともに適用されうるのであり、両者間に本質的な区別は存在しない。両者はともに人間なのである。このようなブッダ観はアショーカ王時代の仏崇拝の情趣とは大分様子を異にするから、以上の諸々の呼び名の現われている詩句がつくられたのは、どうしてもマウリヤ王朝以前、アショーカ王以前であろう。』 P.492〜494
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