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『スッタニパータ』の中でも、最古層に属するアッタカ編(第4章)とパーラーヤナ編(第5章)との間の禅定の内容の相違に関して、中村氏は、次のような興味深い記述を行っている。(中村氏はアッタカ編よりパーラーヤナ編の方が、より古いと見ているようである。)
【ゴータマ・ブッダが右の二人の仙人を訪ねて教えを乞うたことは恐らく事実であったにちがいないと思われる。インドでは古来ヨーガ・禅定の修行は個人について体得されるべきであるとされているからである。しかし指導を受けた内容については、検討すべき問題が残されている。
アーラーラ・カーラーマが目指した境地は<無所有処>であるとされている。これは玄奘などの訳語である。漢訳『中阿含経』の相当文では釈尊は『遠離空安靖処に独り住して』いたが、アーラーラ・カーラーマによると、さらに『無量識処を渡って無所有処を得る』のであり、さらにウッダカ・ラーマプッタは、彼の父ラーマが『一切無所有処を渡って非有想非無想処を得る』ことを教えていたという。故に漢訳『中阿含経』の原典では、無色界(物質のない世界)の四つの領域である空無辺処、識無辺処、無所有処、非想非非想処の定型がすでに成立していてー(まだ無色界という観念は成立していなかったけれども)―それをどこにあてはめたものであることが分かる。
さて<無所有>ということは最初期の仏教の時代には、仏教外の一般修行者のめざしていた境地であった。例えば、『明呪(ヴェーダ)に通じた一バラモンは、無所有の境地を得ようと願って、コーサラ族の美しい都(=サーヴァッティー)から、南国へやってきた。』
故に当時のバラモンもその例外ではなかったのである。無所有ということはジャイナ教徒も、しばしば理想としてめざしていた。無所有というのは、所有品も道具ももたないことであるというが、すでに古ウパニシャッドにおいて、アートマンを悟った真のバラモンは、子孫・財宝・世間に対する欲求をすてて行乞するものと定められている。
そうしてそれは最古の仏典である『スッタニパータ』の最古の部分であるパーラーヤナ編の説くところである。ウパシーヴァというバラモン学生に対して次のように教えている。
ウパシーヴァ尊者がたずねた、
「シャカよ。わたしは、独りで他のものにたよることなくして大きな煩悩の流れをわたることはできません。わたくしがそれによってこの流れを渡り得るよりどころをお説きください。あまねく見る人よ。」
尊師は答えた、
「ウパシーヴァよ。よく気をつけて、無所有を期待しつつ《そこには何も存在しない》と思うことに依って、煩悩の流れをわたれ。諸々の欲望をすてて、諸々の疑惑を離れ、妄想の消滅を昼よるに観ぜよ。」
ウパシーヴァ尊者がいった、
「一切の欲求に対する貪りを離れ、無所有にもとづいて、他のものをすて、最上の<想いからの解脱>において解脱した人、―かれは退き堕することなく、そこに安住するでありましょうか?」
尊師は答えた、
「ウパシーヴァよ。一切の欲求に対する貪りを離れ、無所有にもとづいて、他のものをすて、最上の<想いからの解脱>において解脱した人、―かれは退き堕することなく、そこに安住するであろう。」と。
註釈によってみても、ここでは<無所有処定>を意味している。ただし註釈が書かれたときにはすでに四無色定の観念が成立していたから、世尊は無所有処定からさらに非想非非想定に入り、さらにそれを出て、より高い境地に入ったと説明している。しかしこれは明らかに原文からそれた説明である。
また同じ趣旨のことが古い経典の他の詩句においても教えられている。 『かれは世間において所有がない。また無所有を憂えることもない。かれは諸々の事物に赴くこともない。かれは<平安なる者>と呼ばれる。(Sn.861)』
ここで<所有がない>というのは、自分に属するものがないという意味である。
そこで言い得ることは、最初期の原始仏教では、恐らく仏教以前からあった仏教外の思想を受けて<無所有>という境地をめざし、その境地を実現するために禅定を修していたのに、のちのパーリ文『中部』経典の原型がつくられた頃には、その表現がすてられて、それが仏教外の修行者(外道)であるアーラーラ・カーラーマに帰せられるに至ったのである。ところで、ラーマの子・ウッダカが説いたとされる<非想非非想>ということもまた、最初期の原始仏教において説いたことであった。われわれはこれが同じく最古の経典のひとつである『スッタニパータ』のアッタカ編のうち、釈尊の教えとして説かれているのを見出し得る。
『どのように行じた者にとって、形態が消滅するのですか?楽と苦とはいかにして消滅するのですか?消滅するありさまを、わたくしに語ってください。わたくしはそれを知りたいものです。―わたくしはこのように考えました。』
この質問に対して、釈尊は次のように答えたということになっている。
『ありのままに想う者でもなく、誤って想うものでもなく、想い無き者でもなく、想いを消滅した者でもない。―このように行じた者の形態は消滅する。けだし世界のひろがりの意識は想いを縁として起こるからである。』
右の原文には<非想非非想>ということがはっきりと示されている。ウッダカは禅定によって、<非想非非想処>という特殊な境地に入ることをめざしていたのであるが、右のアッタカ編においても禅定によって<想い>をなくすることによって、<世界の広がりの意識>をなくした境地に入ることをめざしているのである。だから最初期の仏教(アッタカ・ヴァッガ)で主張された説が、『中部』経典ではウッダカに帰せられているわけである。
もちろん反対の想定としては、アーラーラ・カーラーマやラーマの子・ウッダカが右のような思想をいだいていて、それが原始仏教によって採用され、『スッタニパータ』(特にアッタカ編とパーラーヤナ編)の中に反映していると考えることも可能であるが、しかし斥けられたはずの右の二人の行者の思想が、そのまま成道後の釈尊の教えとして説かれることは有り得ない。『スッタニパータ』のほうが、どうしても古い経典であるから、われわれは次のような結論を得る。 原始仏教最初期A(―それは最古の典籍、パーラーヤナ編によって代表されるー)においては、我執を離れることを説いた教えの必然的帰結として<無所有>の境地をめざし、そのために禅定を修した。<無所有>ということはジャイナ教徒もまた理想の境地としてめざしていたことである。その境地は<想いからの解脱>と呼ばれている。
ところが仏教がさらに進展して原始仏教最初期B(―それはアッタカ編によって代表されるー)の時期になると、さらに一歩を進めて、究極の境地は『想いが有るのでもなく、無いのでもない』と説くようになった。恐らく最初期Aのように『想いが有るのではない』『何ものも存在しない』と説いただけでは虚無論と誤解されることもあったので、それを避けたのであろう。 そうして仏教がさらに飛翔した時代(―アショーカ王以降、或いは早くてもナンダ王朝以降ー)になると、右の最初期A・Bのような思想では、時代の人心の要求に適合しないことになり、新たな飛翔的な思想が必要となった。そこで<無所有>の思想をアーラーラ・カーラーマにかこつけ、<非想非非想>の思想をラーマの子・ウッダカにかこつけるようになり、仏教は新たな思想を展開していったのである。その事情は後代において、小乗仏教に対して大乗仏教が起こった事情に似ている。 そして『中部』経典においてひとたび右のように認められると、<無所有>の説と<非想非非想>の説は、実際にはもと仏教の説であったにもかかわらず、仏教外の説として、やがて、四無色定の型式の中にはめこまれ、それぞれの無色界の第三天、第四天に配されるに至った。 それでは次に無色界のうちの第二処とされている<識無辺処>はどうかというと、これも原始仏教聖典の最古層の中にその萠芽と見られるような思想が説かれている。すなわち、特に<何も存在しない>と観ずることは、「すべて識のありさま」を観ずることであると考えられた。 ポーサーラが問うて言った、 「物質的なかたちの想いを離れ、身体をすべて捨て去り、内にも外にも<何ものも存在しない>と観ずる人の智を、わたくしはお尋ねするのです。釈迦よ。そのような人はさらにどのように導かねばなりませんか? 尊師は答えた、
「ポーサーラよ、すべての識別作用の住するありさまを知りつくした全き人(如来)は、かれの存在するありさまを知っている。すなわち、かれは解脱していて、そこをよりどころとしていると知る。 無所有の成立する所以、すなわち<歓喜は束縛である>と知って、それをこのとおりであると知って、それからそれについてしずかに観ずる。安定したそのバラモンには、この如実なる智が存する。」と。
右の文から見ると、「識別作用の住するありさま」は、ほぼ「無所有の成立所以」に相当するようである。だから識のありさまを観ずるのは、無所有の前の段階と考えられるのは当然である。このような考えが発展して、識無辺処の観念がのちに成立するに至ったのであろう。そうして後世に三界説が成立するとともに、それと結びついて、<識のありさま>は七識住として説かれるようになった。心識が無辺であると観ずる精神統一(観無処定)ということばは、原始仏教の詩句には説かれていない。しかし、究極の解脱とは識のはたらきの無くなることであるという説明は、処々になされている。
「よくきをつけて行っている人の識別作用は、どのように止滅するのですか?それを先生におたずねするためにわたくしはやってきたのです。あなたのそのお言葉を、わたくしはお聞きしたいのです。」
「内面的にも、外面的にも、感覚的感受を喜ばない人、このように気をつけて行っている人、の識別作用は死滅するのである。」
どんな苦しみが生ずるのであろうとも、すべて識別作用によって起こるのである。識別作用が止滅されるならば、苦しみが生ずるということは有り得ない。<苦しみは識別作用に縁って起こるのである>と、この患いを知って、識別作用を静かならしめた修行者は、快をむさぼることなく、やすらぎに帰しているのである。
次に無色界の第一処である空無辺処についてみるに、無辺なる虚空を思い浮かべて念ずる精神統一(空無辺処定)という語は、原始仏教聖典の詩句の中には現われていない。しかしそういう思想は説かれている。
つねによく気をつけ、自己に固執する見解をうち破って、世界を空なりと観ぜよ。そうすれば死をわたることができるであろう。このように世界を観ずる人を、死王は見ることがない。
ありとあらゆるものを空であると観ずるためには、それらは譬えば虚空のごとくであると観ずべきである、ということを大乗仏教においては繰り返し教えている。〔ここで「虚空」とは空間とエーテルと両意義を有するような自然界の原理である。〕それと同じことで、ここでも世界を空であると観ずることは、世界は虚空のごとくであると観ずるのとほぼ同じことになる。
だから四無色定といわれる一つ一つの禅定の説明、およびそれを貶しおとしめる説明を並べてみると、われわれはそこに、最初期の仏教における思想的発達を見出すことができる。そうしてその或る部分は外道の仙人の口にかこつけて説かれているのである。〔欲界および色界の諸天の体系化は仏教の内部で、ゴータマ・ブッダの時代よりもかなり後世になって行われたものである。〕
アーラーラ・カーラーマの口をかりて異端思想を述べるということは、後世になっても行われている。『仏所行讃』においては、アーラーラの口をかりてサーンキャ哲学的な思想を述べている。これが明瞭に後世の作為になるものである以上、パーリ語聖典の散文のうちに、それと同じことが行われたとしても、何の不思議があろう。】 P.107〜115
『中村元選集・11巻』(春秋社)
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