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初期経典の「韻文」と「散文」について、中村元氏は『中村元選集13・原始仏教の思想上・原始仏教』の中で次のように言っている。(以下 引用)
「原始仏教聖典の原型となるものとしては、まず詩句(韻文)が製作されて、それが幾世代にわたって伝承せられ、それにもとづいて後世に散文の部分が製作されたということは、すでにオットー・ブランケその他の諸学者が力説し、先年宇井博士もこのような線に沿って研究を進められ、その後の原始仏教研究はいよいよ皆この結論を確かめている。
ニカーヤの中のガーターがすべて古いものだとはいえないが、少なくともその中のあるものは非常に古いことは疑えない。
またガーターのみならず、散文に書きかえられてしまったガーターの文句も同様に古いものである。
また散文のものでも経典自身の中に、ヴダーナとして引用されているものは、一般の散文の部分よりも古く成立したと見なすべきであろう。
ガーターの部分とその他の資料についての原典批判は、他日別の機会に詳説することにするが、今ここで古いカーターと見なすものは、四ニカーヤ(長・中・相応・増支)および律蔵、ならびに『スッタニパータ』、『イティヴッタカ』、『ヴダーナ』の中に現われるガーター、『ダンマパダ』(『法句経』)、『テーラ・ガータ』『テーリー・ガーター』である。しかしこれらの中にもさらに新古の別があり、『スッタニパータ』の韻文のうちでもアッタカ篇とパーラーヤナ篇、『相応部』のうちのSagatha-vaggaの韻文の部分は特に最古層を示すと考えられる。
現在パーリ語で書き記されて伝えられているいわゆる原始仏教聖典は、その構成が一様ではないけれども、大体において韻文の部分と散文の部分とが組み合わされて構成されている。
そのうちで大体としては、韻文(ガーター)の部分が先につくられて、散文の部分は後になっておくれて付加されたものであるということが、今日一般に仏教学者によって認められている。
韻文の部分が人々を感動させる名句を含んでいるのに、散文の部分はくどくどして繰返しが多く、生気なく、いかにも教学者の作といったような印象を与える。
ところで、韻文の部分が古く成立したと断定する理由としては、学者によって次の諸事実が挙げられている。
一、まず言語の方面についていえば、ガーターの言語は散文の部分のそれに比して古形を保っている。ガーターの内には、『リグ・ヴェーダ』の語法がマガダ語化されたかたちにおいて現われている。そこには、ブラフマーナやウパニシャッドにおいてすでに消失しているような古い形が保存されている。これはアショーカ王詔勅の言語に比して、はるかに古形を示している。また現在のパーリ語聖典よりも以前には、マガダ語に近い言語で聖典が一度編纂されたことがある、という事実をシルヴァン・レヴィが指摘して以来、学者の間では一般に承認されている。それがのちにパーリ語に書きかえられたために、散文の部分においては、マガダ語形が特殊な語の用法に残っているだけであるが、韻文の部分においては、割合に忠実に保存されている。
二、韻文の部分に説かれている思想内容、あるいは教団の生活は極めて原始的である。教理もまだ複雑なものとなっていない。
三、一連のガーターの前には、誰が何処でいかなる機会にそのガーターを詠じたかという序の文があり、また一連のガーターのあとには、それに対して誰がどういう答えをしたとか、あるいはどういう行いをしたとか、ということが記されている。ところで、その一連のガーターの前後に付せられている散文の因縁譚は、聖典のそれぞれの箇所によって異なっているし、またパーリ文と漢文とでは非常に異なっていることがある。しかるにそのガーターの一連だけは変わらない。つまりversionが異なるごとに因縁譚は異なるが、ガーターそのものは異ならない。故にガーターが古くから伝わっていて、前後の因縁譚は後世になってから付加されたものであることがわかる。
四、韻文の詩は原始経典の散文の部分において註解され、ときにはいろいろ異なった解釈がいくつも挙げられている。故に原始仏教聖典の散文の部分がつくられるときには、韻文の詩はすでに聖典としての権威をもっていたことがわかる。また『スッタニパータ』や『ダンマパダ』のような韻文からなる聖典のうちの一つの章(Vagga 品)がそれぞれの名のもとに、原始仏教聖典の散文の部分に言及されている。故に原始仏教聖典が現形のようにまとめられるよりもはるか以前に、韻文聖典が少なくとも一章ずつはまとめられていたにちがいない。
五、散文の部分には、以前のガーターにもとづいて、それを書きかえた痕跡を残しているものがある。
以上がいままで諸学者の指摘している理由であるが、わたくしはさらに、韻文の部分が古いと考えられる理由として、次のことがらをも挙げることができる。
一、韻文の詩句の文句には、ときにウパニシャッドの文句、あるいは思想を思わせるものが少なくない。或る場合には初期古ウパニシャッド直接に接続するのではないか、と考えられることもある。ところが散文の部分はウパニシャッドの文句あるいは思想から非常に隔っている。
二、韻文の詩句のうちにはジャイナ教聖典の韻文の詩句とまったく同一のものが少なくない。すなわち『スッタニパータ』や『ダンマパダ』などとジャイナ教の『アーヤーランガ』『スーヤガダンガ』『ウッタラッジヤナ』『イシバーシヤーイム』などとでは共通な詩句が存在する。また原始仏教聖典の韻文の部分の思想や表現法がジャイナ教あるいはアージーヴィカ教のそれと一致しているものが少なくない。殊に韻文の部分に出て来る述語のうちには後世の仏教では用いないようなジャイナ教的な表現がある。また煩悩の数えかたにしてもアビダルマのそれとは異なって、ジャイナ教の数えかたと一致することがある。
三、韻文の部分のうちには仏教特有の述語は殆ど現われない。そこに用いられる述語は、バラモン教聖典やジャイナ教聖典のうちに現われるものばかりであると言ってよい。これに反して経典の散文の部分においては、仏教特有の述語が非常に多くなっている。
このような理由によって韻文の部分は古いといえるけれども、しかしすべての韻文の詩句が古いということはできない。
明らかに後に付加されたものがある。(例えば、SN.vol.Ⅰ,p.34に出ているmacchariはのガーターは後のこのである。漢訳を欠き、他方三宝に言及し、Yamalokaが地獄と称されている。
律蔵マハーヴァッガの終わりの七首の詩句は後代の付加であろう。DN.vol.Ⅲ,p.272に出て来るガーターは明らかに後世の物である。)そこで両者を見分けねばならぬのである。
さて以上の理由によって、とにかく一般的には散文の部分よりも韻文のほうが古いことが明らかである。
しかしその韻文の部分といえども、或る時期に釈尊の教えを詩のかたちにまとめたものにちがいない。
すなわち最初はゴータマ・ブッダの教えは口語の散文で説かれたのであろうが、それが幾百回と繰り返して伝えられるうちに、その主な内容を詩のかたちでまとめるようになったのであると考えられる。
だから現存原始仏教聖典は非常に長い発展の歴史をもっているのである。』P.270〜274
さらに、中村氏は、初期経典の韻文の部分を後世の人が改竄することが難しいことを、次のように説明している。
『詩句はすべて何らかの韻律に従ってつくられているので、後世の人がそれに手を加えることができにくい。
また散文の部分には、後世の人の加えた註解がいつのまにか本文にまぎれ込んでしまうことがよくおこるが、韻文の場合には、韻律を乱すことになるから不可能である。
故に一つの詩句を、最小限度の一つの単位と見なしてよい。
そうしてそれが一つの単位となって、或る場合には一連のものとして、聖典が逐次編纂されるたびに、あらたに動かされ、こちらに動かされして、現在残っているような多様な聖典を残しているのである。
故に一つの詩句が一つの「可動単位」である。』 P.276
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