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大乗仏教の根本思想の一つに、無自性(nihsvabhava)というものが説かれている。
以下 参照その中でも、 中観派仏教を代表するナーガールジュナ(龍樹)の『中論』には、無自性の思想が散見されるのであるが、この無自性というものは一体、何なのか? まず最初に、無自性とは何か、ということを問うまえに、自性とは何か、ということをはっきりさせておかなければならないと思う。 「自性の有」を主張するウパニシャッド思想や説一切有部などの見解によれば、もの(質料、現象)の本体(形相、実体、本質)には永久不滅なる実体が内在し、さらに、その実体とは、ほかの何ものにも依らずに、それ自身によって存在する、というのである。 つまり、それは、西洋の思想で言うところの「実体」という言葉と同義語であると思われる。 これに対して、自性の対立概念、つまり、自性の否定が無自性である、ということになる。 そもそも、仏教による無自性の見解の主張は、『中論』が最初に言い始めたのではなく、元をたどれば、初期の大乗経典である『金剛般若経』や『八千頌般若経』に遡(さかのぼ)ることになる。 般若経典の中でも、空の思想が要約されているという『般若心経』には、「物質的諸現象には実体がない」という言葉が断定的に明言されている。 有と無とから解き放たれる、ということを標榜する仏教が、「自性の無」(無自性)という見解を打ち立てて、それを主張する、ということは一体どういうことなのか? 自性の無の主張は、一方においては、「永久不滅なるアートマンの存在の否定」に直結する可能性を有するものであり、実際に、仏教は時代の経過とともに「アートマンは存在しない」と主張する人たちが現れていったのである。 ところが、ゴータマ・ブッタは、アートマンの存在を否定していたのだろうか? 周知のとおりであるが、「中部経典63」に登場するブッタは、アートマンの存在の有無に関する弟子の問いに対して、有とも無とも答えない、無記の解答を表明している。 「中部経典22」にも、仏教ではアートマンの存在を立て(想定し)ないけれども、その存在を否定するものではない、ということが絶妙な言葉で語られている。 では、一体何ゆえに、ゴータマ・ブッタは、アートマンの存在を否定も肯定もしないのだろうか? これに対する解答は、二つあると思う。 一つは、アートマンの有の見解者(主張者)はアートマンの無の見解者(主張者)と争いや確執をもたらす可能性を有することになり、さらには、アートマンの無の見解者(主張者)はアートマンの有の見解者(主張者)と争いや確執をもたらす可能性を有することになるからである。(そういった状態では、全く苦の入り込む隙間のない安らぎの境地を体現することは不可能だと思う。) そして、もう一つは、人間の認識能力を超え出るものに関しては相手にしない、というのが釈迦の基本的な姿勢であるからだと思う。 ただ、それ(経験の領域を超え出るもの、ア・プリオリ)を相手にしないからといって、それ(それらの存在)を否定もしていない、という点が最も重要な点であると思う。 なぜなら、ブッタは、アートマンを見つけることができなかっただけで、アートマンが存在しないことを知ったわけではないと思われるからだ。(「中部経典22」参照) ここが、初期仏教を理解する重要な鍵であると思う。 さて、こういったことを踏まえながらも、その一方において、般若経典やナーガールジュナの『中論』などで主張される無自性とは、「有と無とから離れる」捉え方であるとする解釈者が存在する。 おそらくは、中村元氏も、その中の一人であろう。(詳しくは分からないが。) もし、そうであるとするなら、般若経典やナーガールジュナの『中論』などは、最初期の仏教の基本的な捉え方を踏襲するものであると思う。 しかし、私は、「物質的諸現象には実体がない」という見解は、その核心が、「有と無」とから離れる、という捉え方、あるいは、「自性の有」と「自性の無」とから離れる、という捉え方であったとしても、その言い回し(表現)は誤解を招く可能性を大いに含むものであるといった印象を持っている。 その理由の一つとして、実際に、中観派仏教は、他宗派と他宗教との間に、争いや論争が絶えなかったという記録が数多く残されているという。 そもそも、「物質的諸現象には実体がない」という見解の核心が、「有と無とから離れる」という捉え方であるとすれば、「物質的諸現象には実体がない」という表現を用いるのではなく、もう少し違った示し方がなかったのだろうか。 もし、初めて「物質的諸現象には実体がない」という言葉を聞いた人がいるなら、次のような疑問を抱く人が必ずいるに違いない。 「物質的諸現象には実体がない」という見解は、「アートマンの存在の有無」や「神の存在の有無」などと同様に形而上学的見解(ア・プリオリ)ではないのか、と。 そして、「物質的諸現象には実体がない」ということは、誰が、どのようにして知ることができたのか、と。 その疑問者の一人は、私自身でもある。 結局のところは、後代の仏教が、アートマンを否定するようになった原因は、初期経典の曲解から生じた可能性も否定できないと私は感じている。 さらには、原初の釈迦の仏教に戻るとするなら、次のように言わなければならないと思う。 「自性の有」の見解と「自性の無」の見解を含めたすべての見解を捨て去れ、と。 最古の経典であるアッタカ篇では、戒律によっても、伝承の学問によっても導かれない、と語られている。 それは、多くの人によって考えられている仏教像とは、かなり異なっているだろう。 「想いからの解脱において解脱する」ということは、捨て去られるべき見解には例外はないのである。(最終的には、自分の見解さえも捨て去った境地が、ブッタの境地なのだろ。) そして、そこ(捨て去られるべき見解)に、数多くの例外を作り出していったのが、まさに、仏教の歴史であり、その微妙な相違によって、いくつもの宗派に分かれていったのだと私は感じている。 https://blogs.yahoo.co.jp/dyhkr486/70410274.html |

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