失われた仏教最古の叡智

歴史の中に埋没し、忘れ去られてしまった仏教の最初期の時代に説かれていた「ブッダの究極の理法」の根幹について、その真相を語る。

サンユッタ・ニカーヤ全巻を読んで

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 少し前に春秋社から出版されている中村元監修の『サンユッタ・ニカーヤ』(相応部経典)を全巻(全6巻)読んだ。

実際にこれらの経典を読んだ感想を述べてみようと思う。

私が本経典を読んでいちばん強く感じたことは、経典の最初から最後まで一貫して「現世のこの生において完全な安らぎの境地に至っている」という言葉が繰り返し繰り返し説かれている、ということである。

正直に言って、そのことは、私にとってとても意外に感じられた。

その言葉は、サンユッタ・ニカーヤの別の箇所では「現世において涅槃に達した者」とも呼ばれている。

繰り返して具体的に言えば、サンユッタ・ニカーヤには、現法涅槃が最初から最後まで一貫して説かれているのである。

現法涅槃とは、パーラーヤナ・ヴァッガやサガータ・ヴァッガなどの古い経典に説かれている、ニルヴァーナは今ここに目の当たりに体現できる、という基本的な捉え方である。

現法涅槃の具体的な表明とは、裏を返せば、経典は、人が今ここによりよく生きるための方法を説き明かしているものである、ということだと思う。

そして、やはり、初期仏教の真の目的とは、そこにあるのだと思えてならない。


  おそらくは、(ブッダの時代においてもそうであったのだろうが)初期経典が書かれ時代に最も力点が置かれていたものとは、人は如何にしてよりよく生きることができるのか、人は如何にしてより生きやすくすることができるようになるのか、ということであり、これが初期経典の真の目的だと私は思った。

  ところで話は換わる。
 
 私は、サンユッタ・ニカーヤ(相応部経典)全体が、四ニカーヤ(経蔵)の中で最も古いものであると思っていたが、今回サンユッタ・ニカーヤ全体を読んで、実際はそうではないことが分かった。

  その理由として、サンユッタ・ニカーヤには、スッタ・ニパータの最古層の箇所からの(教典名を挙げての)引用の他に、他のニカーヤからの(教典名を挙げての)引用があったからだ。

  それと、サンユッタ・ニカーヤは、最初の部分と比較して後半部にさしかかってくると、無味乾燥のものとなり、形而上学的色彩が濃くなっているような気がした。

  おそらくは、サンユッタ・ニカーヤは、最初に第一篇(サガータ・ヴァッガ)があって、長い年月をかけて、スッタ・ニパータやダンマパダ、あるいは他のニカーヤを元にして複数の人の手によって制作されたものである可能性が高いと思った。

  とは言いながらも、サンユッタ・ニカーヤを読むことによって、初期経典に対する理解はより深まる、ということは間違いないだろうと思う。
 

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