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古代インドにおいては、ごく一部の思想家を除いて、霊魂不滅説と輪廻転生説とが説かれ、それが信じられていたと思う。
原始仏教経典が書かれた時代に、多くの仏教徒たちは、人が死んだ後の生まれ変わりをどのように考えていたのだろうか? これに関して、パーリ語のサンユッタ・ニカーヤ(相応部経典)の中に、興味深い記述がある。 サンユッタ・ニカーヤによれば、人間が死んだ後にまた人間に生まれてくる可能性は極めて低いのだという。 ところで最近、スマナサーラ長老の著作を読んでいたら、長老の次のような解説を見つけた。かなり明確に書かれているので、その箇所を引用してみようと思う。(以下 「ブッダの智慧で答えます 生き方編」A・スマナサーラ 創元社 より引用) 「たとえばグラスいっぱいの水を窓の外へ捨てたとします。その水が蒸発して、川に行ったり海に行ったりする。まったく同じ水を再び自分が手に入れることは、ほとんど不可能です。同じようにいったん人間に生まれてまた輪廻に入ってしまうと、再び人間に戻るのはそれほど難しい、稀有なことだと言われているのです。ゆえに、この人生は、いかなる場合でも、一秒でも無駄にしてはいけないというのが仏教の立場なのです。」 P.80〜81 これは、おそらくは、スマ長老がサンユッタ・ニカーヤの記述を踏襲しているものだと考えられる。 そして、スマ長老は、次のようにも言っていた。 「解脱は死んで得るものではない」と。(同 P.37 参照) これは最初期の仏教の基本的な捉え方である。 正直に言って、スマナサーラ氏は、原始仏教の根本を理解している人だと思う。 長老は他の著作のいたるところで「仏教はそもそも信仰(信というもの)を説くものではない」と語っている。 さらに、長老は、同著作の中で、「はじめから、仏教は少数派の教えなのです。」と言っていた。 P.223 全く同感である。 |

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