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書庫クラクフ&その周辺

「シンドラーのリスト」で知られるオスカー・シンドラーと同じ時代を、同じクラクフで生き、ただ良心に従いユダヤ系住民の救済に力を尽くしたポーランド人薬剤師タデウシュ・パンキェヴィチ。
舞台となったクラクフ・ポドグージェ地区の歴史の街角をご紹介します。
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                          写真:クラクフ歴史博物館

現在、クラクフ歴史博物館分館となっている旧イーグル薬局Apteka Pod Orłem
1909年にユゼフ・パンキェヴィチがクラクフのポドグージェ地区で開業した薬局で薬剤師であった息子タデウシュが後を継ぎました。

1941年3月、ドイツ軍はポドグージェ地区に新たにゲットーを築くことを決定。その時、パンキェヴィチはゲットーに残る最後の薬局として営業を続けることを決めました。仕事で域内に24時間いつでも出入りできる許可書が必要であり、当時は非ユダヤ人がそのような許可を受けるのは大変困難だったといわれます。

戦前は6千人そこそこの住民が住んでいたポドグージェ地区に強制移住させられたユダヤ人は約1万7千人。320棟の建物にその全員が収容され、一人当たりの居住面積は2㎡という状況でした。そのようななかで食料の欠乏や衛生状態の悪化、病院や薬局の不足により伝染病が蔓延することを恐れたドイツ当局はパンキェヴィチに条件付きでゲットーへの営業と立ち入りを許可しました。
条件を満たすために彼は自分が非ユダヤ人である証明をし、従業員も非ユダヤ人を雇い、客(ユダヤ人)とは仕事上の会話以外は一切しないこと、許可は期限付きで更新が必要などという要求を承諾しなければなりませんでした。
ゲットーの最後の薬局として毎夜当直薬局になったイーグル薬局ではパンキェヴィチが当直を担当し、それによってゲットー居住の非ユダヤ人という経験をしました。

命の危険にさらされながらも逮捕や移送を恐れる住民を当直時に薬局に匿い、強制収容所に移送される人々には医薬品を無料で配るなどしての隣人への援助を惜しまなかった勇気ある行動に対して、戦後、イスラエル政府からヤド・ヴァシェム賞が贈られました。

ミュージアムではかつての薬局の室内を見学でき、両大戦間期から戦時中のユダヤ系住民の生活をマルチメディアを活用した展示や映画(「クラクフのユダヤ人の生活」とナチスが制作した「クラクフゲットーへの移住」)で学ぶことができます。
 
[名称] クラクフ歴史博物館分館 Apteka Pod Orlem (旧イーグル薬局)
[住所] Pl. Bohaterów Getta 18, 30-547 Kraków
[開館時間]月10:00 - 14:00 / 火〜日 9:00 - 17:00 (月曜日は入館無料、毎月第2木曜日は休館)



Tadeusz Pankiewicz


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