ここから本文です

書庫グダンスク・トルンと近郊

記事検索
検索

全8ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8]

[ 次のページ ]

グダンスクは、ヴィスワ川がバルト海にそそぐ河口のデルタ地帯に発達したグダンスク湾を望む都市です。13〜14世紀には、バルト海沿岸地域の貿易を牛耳ってヨーロッパ北部経済圏を支配したハンザ同盟の一員として繁栄を誇り、現在もポーランド北部の顔といえる歴史・文化・観光の拠点都市です。
このグダンスクとリゾート地のソポト、そしてポーランド最大の港湾都市グディニアはまるで三つ子のように仲良く寄り添い、三都市で1つの港町文化をかたちづくっています。
イメージ 1
         中世の港町を彷彿させるモトワヴァ運河

グダンスクの歴史はその地理的要衝、経済的繁栄ゆえに政治的な争乱にいやおうなく巻き込まれた側面を持ち、その名もドイツ語化されて「ダンツィヒ」と呼ばれていたことがあります。
1939年9月1日、グダンスク港にある岬のヴェステルプラッテにナチス・ドイツが進行し、第二次世界大戦が勃発したことはとても有名です。毒素の激戦地となったグダンスクの歴史地区は80%が破壊されましたが、戦後になり「もう一度美しさを誇ったグダンスクの町を我々の手で」という市民の強い意志と努力によって、ハンザ都市グダンスクはがれきの山から美麗な中世の姿と誇りを取り戻したのです。
イメージ 2
           ドゥーガ通りのネプチューン像

運命に翻弄されながら、グダンスクの人々にはそれに屈せず、自由を求めて闘ってきた伝統があります。社会主義体制を終結させたポーランドン民主化運動の中心であった自主管理労働組合「連帯」がこの町で生まれたのは決して偶然ではなかったのです。
イメージ 3
ヴェステルプラッテの記念碑

「王の道としても知られているドゥーガ通りは長さ約500メートル、ポーランドでは珍しい街路型の広場。ここが旧市街地区のメインストリートで、かつての貴族たちの館や貴重な建造物が連なっています。国王のための外線パレード、犯罪者の刑罰執行、また市民の集会やデモなど多くの歴史的な出来事の舞台となった場所です。現在は名産の琥珀を売る露店やカフェ、レストラン、土産物店などでにぎわい、あっと驚くストリートパフォーマンスも楽しめます。

ワルシャワからは快適な特急列車で2時間半ほどでアクセスできる北の都。今年は758年目になる聖ドミニコ市(Jarmark Dominikanski)は7月28日から8月19日まで開催されます。

イメージ 1
1825年8月、ショパンは友人宅のあったシャファルニア滞在中に当時「外国」だったトルンにも足をのばしています。
ポーランドの生んだ大天文学者ニコラウス・コペルニクス(1473−1543)の生家もドイツ人が住んでいるということを知り、国を愛する血気さかんな少年は複雑な気持ちを味わったのでした。トルンの歴史は1233年までさかのぼり、ポーランド国内でもとびきり美しい街並みと建築を誇り、現在では中世都市トルンとして世界遺産に登録されています。
 町を歩くと、レンガの赤色がひと際目立つチュートン騎士団の城址がみえてきます。かつてこのドイツの騎士団はポーランドの北部を制覇した一大勢力として、この地域の利権を握っていました。しかし、1454年それに不満をつのらせたトルン市民は蜂起し、騎士団の城を破壊したのです。そうやって騎士団は敗退を続け、ポーランド王国へ帰属したトルンは、その後いっそう繁栄したのでした。黄金時代に建てられた建造物は現在もよい状態で保存されていて、世界のゴシック建築指折りの傑作に数えられています。
 フェンゲル宮殿に滞在してフレデリックが歩いてまわったトルンの光景も、今とほぼ変わらなかったことでしょう。けれど、トルンでフレデリックが一番惹かれたのは、トルン銘菓ピェルニクだったようです。ピェルニクは頑固に中世の伝統的な製法で作られるナツメグやシナモンなどが織り込まれたハチミツ入りの焼き菓子です。
当局には現在ヴロツワフとポズナンの日本語観光マップがあります。毎年1都市分ずつ作っているのですが、2年前にはじめてヴロツワフのマップ作ってから、去年はポズナン、そして今年はいよいよ世界遺産の中世都市トルンが登場です。
写真のような感じで、市内の20数か所の見どころを日本語で解説したA4サイズ1面刷りで、用紙もペンや鉛筆でメモを書きやすいものを選んで裏はあえて白紙にしてあります。ご希望の方は資料請求の際に「トルンマップ希望」って一言書き添えてくださいね。3月から配布開始です。
イメージ 1




イメージ 1

世界遺産中世都市トルンの街角にこんな建物があります。
通路になっていますが、これは実は後から作ったものなのです。真ん中の白い建物はツェザールのアーチとよばれ写真は西側のファサードです。

以前は普通の建物だったのをいつ、だれが、どうしてこんな風に改築したのでしょうか?

答えは、交通の便をよくするためで、1911年にドイツ人建築士カール・ツェザールが建物の1階を改築してこうなったのです。それ以来、その建築士の名から「ツェザールのアーチ」Łuk Cezaraと呼ばれ、親しまれています。

その後、1936年にはここを路面電車が走ることになり、歩行者と車両のために左右の建物の1階にも通路を作ったので今のような形になりました。地震がないからこそこういう形の設計が可能だったのかなと通路を歩くとしみじみ思います。ところが、路面電車の振動によって実際には旧市街の市庁舎の壁にひびが入るなどの損害が出ていました。そのために1971年に旧市街と新市街の周囲に新路線ができたのを機にこの路線は廃止され、今では通路の地面に路面電車の線路の一部と記念のプレートが残っています。

また反対側から見ると真ん中の建物はファサードの装飾が非常に繊細なバロック様式になっているのがわかりますよ。あいにく写真が撮れませんでしたが、グーグルマップでご覧いただけます。

コチラ→https://goo.gl/tZ7X7J



1260年から続く「聖ドミニコ市」はグダンスクの夏の風物詩。
今年も今日から始まりましたヨ。8月20日までなので、ポーランドに行く予定の皆さん、ぜひ足をのばしてみてくださいね。
聖ドミニコ市には毎年1000近い露店が並びます。それからガラクタからアンティークまで、とにかくいろんなものが並ぶ蚤の市も。

 

全8ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8]

[ 次のページ ]

1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
ポーランド政府観光局
ポーランド政府観光局
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
検索 検索

よしもとブログランキング

もっと見る
本文はここまでですこのページの先頭へ

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!

その他のキャンペーン

みんなの更新記事