<?xml version="1.0" encoding="UTF-8" ?>
	<rss version = "2.0"  xmlns:blogChannel="http://backend.userland.com/blogChannelModule">
		<channel>
			<title>年を重ねて、生きる喜びの増すを知る</title>
			<description>米軍上陸直前に私達が『硫黄島』へ行った最後の《船》です。
20年2月12日着～13日発・奇蹟的と言われた硫黄島への「食糧」輸送戦記です。

その他マーチングの事・幽霊？の話、旅行の話等々色々書きたいと思います。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/e882428</link>
			<language>ja</language>
			<copyright>Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.</copyright>
		<image>
			<title>年を重ねて、生きる喜びの増すを知る</title>
			<url>https://s.yimg.jp/i/jp/blog/iym_img.gif</url>
			<description>米軍上陸直前に私達が『硫黄島』へ行った最後の《船》です。
20年2月12日着～13日発・奇蹟的と言われた硫黄島への「食糧」輸送戦記です。

その他マーチングの事・幽霊？の話、旅行の話等々色々書きたいと思います。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/e882428</link>
		</image>
		<item>
			<title>幽霊？ 霊？ の話《信じる信じないはあなた次第》 第二話</title>
			<description>ベットの周りで３人の足音が・・&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もう３０年数年位前になるか ？夏のある夜徳島県某町での仕事を終えて、翌日の現場である今治市へ行くのに途中１泊すべく宿を探した所、やっと3件目で泊めて頂く事が出来たが、その時のフロントとの電話での会話から少し変な感じがしたが疲れていたので、深く詮索せずひたすら夜道を走りました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 そして、ホテルで私のベットの周りを歩き回る足音と気配を・・・&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 先ずフロントとの変な通話からお話しします。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 「1人ですが今晩 お願い出来ませんか ？」フロント「満室ですが3人用でも良いか ？よければ」←→「料金は ？」←→「1人分でよい」→「是非お願いします」←→「門限は12時です大丈夫ですか ？」←→「ハイ、必ず行きますので・・」←→『ホントに3人用でも良いのですネ』と念を押されて・・なんでーと思い乍ら再度「はい」返事。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 11時半頃ホテルに到着、フロントが『ホントにあの部屋でいいか ？』エッ変な雰囲気だ　ナァーとは思ったが、疲れていたので「いいよ」と答えてキーを受け取り501号室へ・&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ドアを開けると広いスペースにベットが三つ。荷物を置き一階の自販機でビールを購入。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もう３０年数年位前になるか ？夏のある夜徳島県某町での仕事を終えて、翌日の現場である今治市へ行くのに途中１泊すべく宿を探した所、やっと3件目で泊めて頂く事が出来たが、その時のフロントとの電話での会話から少し変な感じがしたが疲れていたので、深く詮索せずひたすら夜道を走りました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 そして、ホテルで私のベットの周りを歩き回る足音と気配を・・・&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 先ずフロントとの変な通話からお話しします。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 「1人ですが今晩 お願い出来ませんか ？」フロント「満室ですが3人用でも良いか ？よければ」←→「料金は ？」←→「1人分でよい」→「是非お願いします」←→「門限は12時です大丈夫ですか ？」←→「ハイ、必ず行きますので・・」←→『ホントに3人用でも良いのですネ』と念を押されて・・なんでーと思い乍ら再度「はい」返事。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 11時半頃ホテルに到着、フロントが『ホントにあの部屋でいいか ？』エッ変な雰囲気だ　ナァーとは思ったが、疲れていたので「いいよ」と答えてキーを受け取り501号室へ・&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ドアを開けると広いスペースにベットが三つ。荷物を置き一階の自販機でビールを購入。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
部屋に戻ると鍵を掛けた筈のドアーが開いている。変だナァー ？　　泥棒 ？と見渡したが異常なし、バスタブに「湯」を入れながらビールを一口・汗と埃を流すべく急ぎ入浴。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
残りのビールを飲んでベットに・・スタンドの電気を消して暫くすると、複数のスリッパでベットの周りを歩き回る気配が・・　泥棒か ？そーっと枕元の灰皿を持ち電気をつけた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
音が・気配が消えた。起き上がり ベットの周り、風呂場・トイレ等を調べたが異常なし。再びベットに入り電気を消し数分すると又スリッパで走る音が・・・電気を付けると静かになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2度程付けたり、消したり。少し気味が悪くなり電気を付けた儘にして気配を探っていたが、連日の激務と前日の徹夜のせいか ？そのまま　寝入ってしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
翌朝身支度をしてフロントへ・・昨夜と違う人がキーを受け取りながらも、料金のお釣りを出しながらも、変な感じで私を見るので「何か ？」と聞くと「いいえ何も」と言う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
感じの悪いホテルだナァーと思い乍らフロント横の喫茶室へ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 喫茶室に入ると先客が一斉に私を凝視。バーテンも同じく。何だ此の店は】と早々にオサラバして目的地へ・予定より少し早く着いたので、市役所の喫茶店で一服。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 新聞を開き何気なく地方版を見ると【見出しに・自殺した母子の身元判明】とあり、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
内容は［○○ホテルの五階から飛び降り自殺したのは云々］と有る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ナヌー・昨夜のホテルではないか。私が泊まる前日・同じ部屋。驚いてしばし呆然・すべて納得したが後味の悪い一夜だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
あのスリッパは二人の子供達が遊んでいたのか ？と思うと、やるせなくて・・悲しく切なくて・・・&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 その後も数回あのホテルの前を通るが、その都度「気の毒な母子」を思い片手拝みをしながら冥福を祈った思い出が有ります。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/e882428/5098529.html</link>
			<pubDate>Sun, 13 Dec 2009 18:58:51 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>今日はマーチングバンドの全国大会</title>
			<description>１２月１２日早朝・妻と次女が伊丹空港→羽田空港経由で埼玉スーパーアリーナへ向かいました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 １２月１２日・埼玉スーパーアリーナで、マーチングバンドコンテスト第３７回全国大会が開催されました。　　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
高等学校の部では各支部代表の３６校が日頃の練習の成果を披露なされました。&lt;br /&gt;
                                                                       マーチングに魅せられ８年間通い詰めた私としては、今回も是非行きたくて八方 手を回しましたが、「チケット」が２枚しか入手出来ず、むなしく留守番。            &lt;br /&gt;
                                                                &lt;br /&gt;
食欲も無く一日中落ち着かず、今日のお天気同様「曇り時々小雨」の心境で、出場校の順番と出場時刻表を見ながら、○○校は今回のテーマ曲は ？などと大会の雰囲気を思いかべながらの、長い長い一日でした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
                               &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
夜10時妻より電話にて感動したと報告有り、結果妻達は明日も一日　マーチングバンド一般の部を鑑賞して14日に帰ります。　だって･･･(^^)　トホホー&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
マーチング に対する私の思い込みは又後日【素敵な マーチング 】の項で詳細にお話しします。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 マーチング に対する私の思い込みは又後日【素敵な マーチング 】の項で詳細にお話しします。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/e882428/5049236.html</link>
			<pubDate>Sat, 12 Dec 2009 23:39:29 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>幽霊？ 霊？ の話《信じる信じないはあなた次第》　前　説</title>
			<description>　　　　　　　　　先日来霊感 ？に付いて思い悩んでおります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私は幼少の頃より何か判らぬ異質な感じを経験する事が時々有りましたが、私自身が変だナァーと　　「自覚」する樣になったのは、最後の硫黄島から命からがら帰国した頃からでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちなみに、私は霊感 ？らしきモノを感じる時は、必ず「右耳の後ろ」に強い痛みを感じ、決まって不可解な事に遭遇する事がが多々有ったので、痛みを感じたら用心しました。  &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 しかし65歳頃から以後は何も感ずる事も無くすっかり忘れておりました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
去る１１月２１・２２日何故か ？ 二晩続けて亡き母の夢を見たので、気になって墓参したが、二日後又夢に母が出ました。この時は父も一緒でしたので、いよいよ私のお迎えかと【いささか滅入りました】。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
数日前の夜半、勤め先から帰宅した娘が、自分の部屋から突然真っ青な顔で、「私の部屋に誰か？いる」と駆け込んで来た。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私「そんなバカなー」娘「だってスグ側に誰か居る気配がする」と・ガタガタ 結局次女と一緒に就寝。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
翌日も同じ・ 仕方なく私が娘の部屋にて寝るが異常なし。一週間後　やっと元通り娘は自分の部屋へ・・娘の錯覚か ？ 霊感が有るのか ？ 【私の「血」を受け継いだのか ？心配】&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 そこで次回は「 マーチング 」の続きを書く予定でしたが変更して、私の体験した霊感らしき事をお話する事としました。　　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし幽霊 ？とか霊 ？に付いて「文字」にすると味が・実感が伝わらないと思います。&lt;br /&gt;
やはり幽霊話は手振り身振りを入れて表現してこそ、雰囲気が出ると思いますが、あえて今回は記事で　表現する事としました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 しかし、その場合本題に入る前に関連する事項の「前説が必要も」とご理解の上お読み頂ければと念願 致します。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　　　　幽霊？ 霊？ の話《信じる信じないはあなた次第》 前説　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
皆さん「霊が見える・幽霊を見た」話をテレビゃその他で見聞なされた事お有りでしょう。だけど半信半疑 ？。実像も証拠も無いから当然です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
経験した者にしか判らないし、実際に体験した私も「アレは何だったのか？」と考え込む時も有ります。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
だけど体験した事は本当なんです。なぜなら２０~７０年を経た今も此の部分だけは鮮明に鮮明に覚えているのだから・・・・  思い出すと決まって右耳の後ろが痛くなります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今まで娘達以外に話をしていません。恐らく信じて頂けないと思うから。なのに何故お話する気になったか ？判りません。 　　 【最近よく夢を見るからか ？お迎えが近いのか ？】ナンテ・・&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さて、お話するに当たり思案投げ首。要点だけ書いてもヘェーで終わるし、詳しく表現すればダラダラと長くなるしと、・・結果ケースバイケースでお話する事にしました。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
思春期～青年期の頃歩くのが好きだった。２０才頃迄船乗りとして「水」の上ばかりで生活していたからか？&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
戦地から帰って来て見た、山野の「暖かみ？ 」が身に染みついたのか？ 陸に上がると無性に歩き廻りました。 キット我が足の裏が土に恋をしたのかなぁー&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
その頃何故か主として、，謀賈銘亙次に九州地方を旅をしました。 鈍行・ボンネットバス・歩きで、泊まりは主に農家・お寺・野宿ですが、時々は小さな宿にも・・・&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 当時（昭和２５～28年頃）は、交通も不便･情報の伝達はラジオと新聞のみなので、田舎では都会から来た人間を歓迎して都会の様子を聴くのを楽しむ風潮が有り、一見でも喜んで泊めてくださった。&lt;br /&gt;
　　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　　 幽霊？ 霊？ の話《信じる信じないはあなた次第》 第一話&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　　　　　　女性と？ 野天風呂で楽しい数十分 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
此の話は東北を旅しいていて山の温泉宿に 泊まった時の話です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 バスを降りて緩やかな昇りの細い道を歩く事しばし・初秋の日没間近やっと○百年の歴史が有ると伝えられる木造の旅館に着きました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
早速長い階段を降りて樹木と岩に囲まれた、野趣豊かな野天風呂に入り、暮れゆく空を眺めホッと一息。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ふと気が付くと大きな岩の陰に誰かが居る気配がする。先客かと思い、「今晩は」と声を掛けたが返事は無く、すでにうす暗く、ランプの明かりに上半身がボンヤリ浮んで見えた。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
無意識に２～３歩近づいた時いきなり「どちらから？ 」と女性の声。思わず「大阪から」と返事。　　薄暗いランプの灯りに目も慣れ、驚いた。その人・ゆかた姿で下半身湯の中。【当時は混浴が普通】&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
スグ（女性の入浴衣かと思った）  聞けば、お身体が弱く病身で、たびたび此処へ湯治に来られるとか、東京からとか、ご主人の事や、都会は息苦しいとか、  此の風呂に入って居ると、とても落ち着いて　　幸せを感じるとか。 対話の中で色々と・・・ &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 そして私に対し「これからどちらへ？」「 いえ決めてません。」&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
一番の目的は土地に伝わる民話や、伝説が聞けたら嬉しいので。農家やお寺によく泊めて頂くとか、時には野宿も・・・ と 　　フフッと笑われた感じ？ &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一般の旅行者同士が交わすありふれた会話だが、何故か和やかな気持ちで時の経つのも忘れました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ぬる湯だが少しのぼせ加減・夕食も気になって「では、お大事に」とお別れして部屋へ戻ると、夕食が並び、宿の方が「ごゆっくりでしたネ」と・・&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「つい話し込んじゃって」と言ったら宿の方怪訝なお顔で「どなたと ？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「ここへ湯治に来てはる３０位の女性と」すると&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「アラッ今日はお客さん一人で、ほかにはお泊まりは有りません」&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
「でも東京から湯治に来ていると・・・今迄ご一緒でしたよ」 宿の方絶句・突然固い表情で「お料理が冷えましたよ、召し上がれ」と言って出て行かれた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
寝床に横になって、宿の方ヘンだなァ・・・いゃ待てよ、あの女性長時間動かなかったナァー・声も小さかったし、会話中ランプの光が遠いのに、全体像はほぼ見えたのにお顔は？ 覚えていない&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
でも食べ物の事とか、週に一回ご主人が来られるとか、一人が好きだとか・雨は嫌いとか・           &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
考えれば少し「変かなぁー」？ マァーいいや、で、寝てしまった&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
翌朝食事の時宿の方、曰く、昨夜お風呂で有った事を他の所で話さないでほしい、との事。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「ハイ言わないと約束します。でもお心当たりが有るなら、少しだけでも話して欲しい。」と何度も説明を求めた所、渋々、最近他に同じ様な事が２度有ったとか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その方は東京の奥様で、2年程以前から度々来られ一回当たり７～１０日程、保養の為滞在され、【家族同様でしたが、一月半位前に東京で亡くなられました】と 。　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　昨夜は私の話を聞いて宿の方、皆さん泣いたそうです。&lt;br /&gt;
《よほど此処がお好きだったんでしょうか？ 》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　私も何故だか？ 少し悲しかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 帰途・ イヤ、待てよ。すると昨夕野天風呂で私は幽霊と会話したのか？  でも楽しかったがナァ・・  &lt;br /&gt;
 万一幽霊だとしても、もう一度会いたい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 他言しない事勿論約束を守ってます。誰にも話してません？？ ィャ 後年家族と２・３人には話しました。ご免。    もう時効　ご容赦&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
此の記事を書いていて又無性に行きたくなりました。野趣豊かなアノ野天ふろに～～    そしてもう一度会えたらいいなぁー&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
  この様な出来事が幽霊を見た事になるのかなぁー ？ &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
   &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　　　　</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/e882428/4363667.html</link>
			<pubDate>Tue, 01 Dec 2009 19:04:45 +0900</pubDate>
			<category>読書</category>
		</item>
		<item>
			<title>雑談　【閑話】</title>
			<description>　　　　　　　　　 関西にもいよいよ冬到来&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ご無沙汰しましたが故障中のＰCが久し振りに戻って来ましたので、　又お話の仲間に参加させて頂きたく存じます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
目下関西では、六甲山の山陰で（冬の神）さんが出番を待ち兼ねて、　チョロチョロ顔を出すのを見た（秋の神さん）が、木々の葉っぱを赤く染めたり、落としたりと忙しく飛び回り乍らも、冬の神さんに対し、　「シーッシー」あんたの出番は未だだヨと牽制シキリ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
だのに（冬の神さん）遂に上半身を表し、口を尖らせて「プー」と大きく一吹き。　　関西の山野は１辺に冬到来、冷気に包まれた人間達は、襟を立てて足早に往来する風景が見られる季節となりました。  　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　今年も月日が駆け足で過ぎ去り、早くも今日から師走です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今年はブログを始めたお陰で　ｉｐｐｅ様    ホリーおばさん始め、　沢山の方々とお知り合いになれた事、とても幸せに感じております。　老いの身にも楽しく生きる元気を賜り感謝・感謝の年となりました。皆様有難うございます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
  よたよたの文章ですが、今後とも宜しく お願い 申し上げます 。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/e882428/4359773.html</link>
			<pubDate>Tue, 01 Dec 2009 18:19:37 +0900</pubDate>
			<category>読書</category>
		</item>
		<item>
			<title>素敵なマーチングのお話  　　　①</title>
			<description>　　　　　 マーチングバンドの写真掲載に付いてお詫び&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 多数の素晴らしい場面の写真を掲載したいのですが、全大会共撮影禁止です&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
又、入手したビデオもＤＶＤも転写禁止。雑誌等に掲載された写真も使用禁止等々著作権の問題等でマーチングの素晴らしさをご覧頂けません。　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
お許し下さい。   掲載可能の写真を見つけるべく整理中です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　　　　　　マーチングに魅せられて&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
マーチングバンドとは、皆様は充分ご存じの事とは思いますが、実は私９年前迄マーチングを知りませんでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
マーチングバンドとは単に音楽を奏でながら歩く程度の知識しか無く、全くの無知で関心も有りませんでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
先年、マーチング連盟主催の全国大会《高等学校の部》をＮＨＫがテレビ放映なされ、マーチングとは？ 華やかなフロアショーで、演奏と演技の二つを持った「ミュージカルスポーツ」だとご説明されました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
又、昨年６月と本年２月の２回に亘り、讀賣テレビ放送 ニューススクランブルで放映なされた西宮市武庫川女子大学付属中・高マーチングバンド部&lt;br /&gt;
《マーチング日本一を目指す女子高生》では、「歩きながら奏でる・奏でながら演じる、エンターテーメント」とのご紹介でした。　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
実は、２００２年　長女が高校に入学直後マーチングバンド部に入部し、初めて県大会に出場する事になったので、一応親として応援に行くベー・・・と、&lt;br /&gt;
軽い気持ちで会場へ行きました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして会場で見たマーチングバンドは・・・あまりにも多彩なので先づビックリ。&lt;br /&gt;
 娘達の出番が来て演奏・演技が始まると途中から何故だか？ 胸がつまり、目頭が熱くなり、此の時から私はマーチングの虜になりました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 以来、 吹奏楽連盟主催のマーチングフェスティバル県大会・関西大会・全国大会及び、 マーチング連盟主催のマーチングバンド・コンテスト県大会・関西大会・全国大会始め関西アマチュアトップコンサート《宝塚大劇場》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
３０００人の吹奏楽と今日迄８年間欠かさず通い続け、今年迄都合が付く限り各地（出雲・高知・徳島等々）のマーチング大会が催される会場へも足を運び、楽しませて頂いております。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
マーチングに魅せられて以来、長女・次女と2人共マーチングバンド部を卒部した現在も、老骨《現８１才》は精神的に若返り、お陰様で日々の人生を楽しく生きております。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
マーチングバンドに参加し、厳しい練習と努力を積み重ね、結果、華麗な素晴らしい演技・演奏をなさっておられる全国の学生の皆様に心から敬意を表し、感謝を申上げます。  有り難う御座いまます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
マーチングは生で見るに限ります。痺れますョ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　 此の項　　おわり　　◆仝綟法</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/e882428/1311578.html</link>
			<pubDate>Mon, 28 Sep 2009 18:33:59 +0900</pubDate>
			<category>その他趣味</category>
		</item>
		<item>
			<title>「日本の戦歴・硫黄島の決戦」の著者・森山康平氏に感謝</title>
			<description>　　　『硫黄島へ最後の物資輸送行』関連　　追伸  《Ｂ》 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
◎　　「日本の戦歴・硫黄島の決戦」の著者森山康平様に感謝する理由と　　　　　　戦争体験記を書くに至った経緯に付いて&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
予てから私は、あの忌まわしい戦争での沢山の犠牲者のお陰で、今の日本が有り、今の私達が有る事を感謝し、祖国日本を大切にしなければと・・・ &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
戦争の記憶を風化させない為に、戦争体験者は体験した事を次世代に伝えなければと痛感していたが、・・・・   &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし私は、思い出すと切なく辛いので、何となく話す事を避けて来ました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 最近、Yahoo!のブログで拝読した 題名・『祖父の硫黄島戦闘体験記』や、　テレビで放映された「硫黄島戦場の郵便配達」で、兵隊さん個人・個人のご様子を見て やはり私も体験した事について、書かなければと・・・ &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そこで私も硫黄島での兵隊さんとの束の間の対話ゃ、これに関連する出来事等、あれこれをYahoo!のブログに投稿する事と致しました。硫黄島の一粒の砂の如き個人の小さな一コマを書き残しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
此の折、拝読した「日本の戦歴・硫黄島の決戦」の内容の一部《２行です》が私に戦争体験を書き残す最後の決心させて下さいました。&lt;br /&gt;
  厚く御礼申上げます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私が感謝する主な内容は、硫黄島守備隊の食糧が乏しい《貯蔵量１．５ヶ月》の所、20年2月1５日迄に日本本土からの必死の物資輸送か行われ《貯蔵６ヶ月分》となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　当時の輸送状況から言えば奇蹟的であると、初めて裏方の必死の働きの一部に付いての記述を発見。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　「日本の戦歴・硫黄島の決戦」《第一章・５２頁参照》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『認めて下さるお方もいらっしゃった』と、感激で胸が熱く成りました。　 此の文章で体験談を書く決心を致しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
※ちなみに、私達が「食糧」をお届けしたのは、米軍上陸直前の（2/16艦砲・2/19米軍上陸）の20年2月12日硫黄島着。～翌13日迄・硫黄島に碇泊。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　思えば私達が『硫黄島』へ行った最後？ の《船》だったと思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
他の本では、１７才の硫黄島・ああ硫黄島・IWO JIMA 等々、多数の著書が有り、 映画では「硫黄島の砂」等も有るが、殆どが実戦記録など戦う場面が多く、兵隊さん個人の苦労や心境・望郷の様子等が殆ど表現なされていないのが残念で仕方がなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以上が森山康平様に感謝する理由と・戦争体験記を書くに至った経緯です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
追伸&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 余談ですが、実は１０年前長女が中学生の時、その中学校の先生から、生徒の為に戦争体験を文章にして提出してほしいとの　ご要望が有り、硫黄島へ最後の物資輸送行の 一部分を書きました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
が、その夜から目前で亡くなられた船友の顔・負傷した戦友を背負って船室に運ぶ時背中に感じた体温・父島の浜辺で爆撃に遭った時、陸軍の壕を爆弾が直撃、私達の目前で・・バラバラになって・・・もうー思い出すのはイヤだー・・・・&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
此の様な情景が走馬燈の様に、頭の中を駆け巡り続けて、食欲不振･睡眠不足が続きました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
数日後、中学生の保護者の方々から、沢山のご感想文を頂戴しました。　　　その中に１０通程慰めのお便りを頂き、ホッとした事を思い出しております。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 これで別項ein88・マージィーのブログ『奇蹟・硫黄島へ最後の物資輸送行』等全七編の『記事』を書くに至った経緯・心境の詳細を終わります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
又、此の記事を書くキッカケとなった、題名・『祖父の硫黄島戦闘体験記』・　「硫黄島戦場の郵便配達」の内容も良かった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今回体験記を書く決心が出来たのは「日本の戦歴・硫黄島の決戦」の著者・　森山康平氏のお陰です。心から厚く御礼申上げます。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
     お陰様を持ちましてこれで戦後６４年間の胸のシコリが消えました。　　感謝･感謝&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 最後に、長文で堅苦しい１７才の戦争体験記をお読み賜りました皆様、　　有り難う御座いました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 ippei様･ ポリーおばさん・トム親父様。慰めのお言葉有り難う御座いました。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/e882428/799258.html</link>
			<pubDate>Sat, 12 Sep 2009 22:12:36 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>『奇蹟・硫黄島へ最後の物資輸送行』関連　追伸 A</title>
			<description>題名・『祖父の硫黄島戦闘体験記』を投稿なされた&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
   　　 yahooブログ人　　高橋利春様のお孫様へ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
前略・先日ご掲載なされた、題名・『祖父の硫黄島戦闘体験記』を拝読致しまし、不思議なご縁を感じましたので《高橋利春様》のお孫様に申上げます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
不思議なご縁とは？ &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 　　＼承椶らのご出征とか？   私も西宮で此の記事を拝読。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
     小笠原諸島父島では、扇浦にご駐屯なされたとか？ &lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
同時期頃、私達は父島二見港大村桟橋で荷をおろした後は、小さい船なのでいつも境浦か扇浦海岸で碇泊しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その折り１～２度小舟で扇浦～大村間を往来する陸軍の兵隊さんを見かけました。  &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 又境浦海岸に有る陸軍の壕（洞窟）付近で兵隊さんと数回話をしたり、少し坂を上った道路にあるトンネルに空襲等で避難して、兵隊さんと同じ時間を過ごした事も有りました。（工兵隊か？ 判りません）&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
    記事の中で、6月３０日父島発→硫黄島への文章が有りました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当時私が乗っていた貨物船九州丸が父島二見港で工兵隊の兵隊さんと、若干のセメント･機材等の物資を乗せて硫黄島へお送り致しした記憶が有ります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ひょっとしたら、・・ご貴殿のおじい様『高来氏利春様』もその時ご一諸かもと、ご縁を感じましたので一言ご報告と投稿しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちなみに我が九州丸の行程は、６月３０日父島発→７月１日硫黄島着。７月２日父島二見港に帰港・・・&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
７月４日父島にて艦載機の空襲を受け、肝を冷やしたのでハッキリ記憶しております。不思議なご縁ですネ。この文章・高橋様がお読み下さればと願いつつ失礼致します。　　　　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
記憶を掘り起こしての記録なので、正確度では少々難点があるかもしれませんが、ご賢察下さい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　高橋利春様のご冥福をお祈り申上げます。　　《黙祷》　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　敬　白　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
別伸&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 米軍上陸直前（２／１６艦砲・２／１９米軍上陸）に私達が『硫黄島』へ行った最後の《船》です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
20年2月12日硫黄島着～翌13日発・奇蹟的と言われた硫黄島への「食糧」輸送しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 此の時の状況（出来事等）は別項ein88・マージィーのブログ『奇蹟・硫黄島へ最後の物資輸送行』及び『奇蹟・硫黄島へ最後の物資輸送行』関連あれこれ全七編を『記事』に投稿しておりますので、是非ご覧頂きたくお願い申上げます。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/e882428/673141.html</link>
			<pubDate>Mon, 07 Sep 2009 22:11:11 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>硫黄島へ最後の物資輸送行・あれこれ　③</title>
			<description>　　　　　　　　　　我が九州丸のその後&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 昭和２０年２月７日内地出航～ 昭和２０年２月１２・１３日硫黄島～ 昭和２０年２月１６日死傷者多数の満身創痍で『奇蹟・硫黄島へ最後の物資輸送行』の任務を完了して内地に帰港した我が九州丸は・・・・&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
後日修理の為に入ったドックの人々から聞きましたが、九州丸が船体に受けた&lt;br /&gt;
機銃掃射の弾痕は一千数百カ所有ったそうです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　私達と共に弾丸の下を潜って釆た我が九州丸も、「昭和20年6月27日」昼過ぎ、宮城県金華山南東の太平洋上で【B24？】の爆撃を受け、霧と小雨の中、船尾から縦に沈没しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私も頭と足に負傷、冷たい水の中で漂流・手足の感覚も無く、こちらを見ながらスグ側を流れて行く兵隊さんに、手を差し延べる事も出来ず、只茫然と見送った辛さを、時々やる瀬なく思い出します。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私は寒くて、眠くて眠くて、「もう一度家に帰りたい」と只ひたすら願いながら、船友と３人で励まし合いながら、７時間程漂って漁船に救助して頂き、　船上で頂いた「味噌をまぶした握り飯の美味しかった事、忘れられません。　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
漁船の皆様は『命の恩人』です。有り難う御座いました。&lt;br /&gt;
《どの港に所属する船か？ 判らず、御礼を申上げられずスミマセン。》　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『遅まき乍ら本文にて改めてお詫びと、心から厚く御礼を申上げます。　&lt;br /&gt;
　有り難う御座いました。』&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こうして１５才から１７才迄、一緒に働いた九州丸ともお別れしました。&lt;br /&gt;
又共に戦い語りあった同乗の兵隊さん・船友の皆様を懐かしむと同時に&lt;br /&gt;
同じ船に乗り合わせ戦死なされた皆様の、ご冥福を祈りながら&lt;br /&gt;
『奇蹟・硫黄島へ最後の物資輸送行』及び関連記事あれこれを終わります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
此の記事の終了で、戦後６４年間の胸のつかえが、少しは小さくなった様な&lt;br /&gt;
感じで「ホッ」としております。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最後に『奇蹟・硫黄島へ最後の物資輸送行』及び関連あれこれを、長文で固い内容の此の記事なのに、お読み頂いた皆様には心から御礼申上げます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/e882428/309499.html</link>
			<pubDate>Sat, 22 Aug 2009 15:44:16 +0900</pubDate>
			<category>ブログバトン</category>
		</item>
		<item>
			<title>硫黄島へ最後の物資輸送行・あれこれ数話  ②</title>
			<description>◆　‐笠原諸島父島二見港にて&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
色々の体験をしました。特に 昭和１９年9月1日前後？父島に停泊中、湾口に見えた米巡洋艦・駆逐艦の艦砲射撃は恐ろしかった。　砲弾と同時に飛んで来るロケット弾発射の状況が肉眼で見えた時は、凄まじさに肝が冷えました。　　　　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
  ちなみに、高々度からの爆弾（至近弾）は、ザザー・砲弾はヒュルン、ヒュルン・艦載機の機銃弾は船体の鉄板に当たると、パラパラー？ パチパチ？ と 肝が縮む『音』と記憶しております。   《あの音はもうイヤー》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
又、 父島に停泊中の我が九州丸の隣に停泊していた小さな貨物船に、急降下してきたグラマンが投下した空中魚雷が命中・《轟沈》　甲板に居た若い人が空中に７～８m飛ばされて、海中に落下、数メートルの海底に・・  　　　　　《海底までよく見えた》&lt;br /&gt;
急ぎ引き上げ人工呼吸の結果蘇生。奇蹟的に無傷。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
  『誰かに、未だ来るのは早い、帰れ』と言われたそうです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その他に、硫黄島海岸で、爆弾の落ちて来る音を聞きながら必死に砂浜を走ったが、至近弾の爆風で伏せた体の上に、熱い砂がドサッー・・腹の中が空っぽ《完全に力が抜ける》になって暫く動けなかった事。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
硫黄島に住んでおられた人々を，父島から内地（横浜）へお送りした事&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
船団を組んで航行中、隣の僚船が突然潜水艦の攻撃を受け水柱と共に&lt;br /&gt;
目前で消え去った時の驚きと、悔しさ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 硫黄島である兵隊さんとの束の間の対話ゃ出来事の一コマ。輸送船等、裏方の事について、硫黄島の一粒の砂の如き小さな数コマを書きました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
他にも沢山・たくさん、有りますが切りが無いので書くのを止めます。　　　６４年後の今も唯、悲しさ・悔しさが込み上げて来て切なくなるばかりです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
残念な事に私は、自宅を空襲で焼かれ、乗っていた船は空爆で沈没したので、メモ等記録したモノ一切を喪失したので、過去の記憶のみで書いたから日時等に多少のズレが有るかも？　お許し下さい。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/e882428/298220.html</link>
			<pubDate>Fri, 21 Aug 2009 22:07:05 +0900</pubDate>
			<category>ブログバトン</category>
		</item>
		<item>
			<title>硫黄島へ最後の物資輸送行関連・あれこれ数話   ①</title>
			<description>　　　堝眞呂凌紊澄爾函⊂┐瓩覆ら泣いた兵隊さん達の涙》&lt;br /&gt;
  『 昭和２０年２月１２日・硫黄島で荷下ろし中の輸送船、船上にて』&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
米軍上陸直前の硫黄島海岸で、内地から米機・潜水艦の攻撃を躱し、必死で守備隊の必需物資を届けた九州丸船上にて、空襲の合間懸命の荷降ろし作業中・若干時間の隙間が出来た時、数人の兵隊さんが突然船内の食堂に来られ、　　「水を飲ませて下さい」と言われたので、食器に入れて差し出したら皆さん一様に口に含み、「内地の水だァー・内地の水だァー」と言われて、ポロポロと涙を涜しておられた事を、今でも時々思い出して切なくなります。&lt;br /&gt;
そして差上げた水を全部飲まずに水筒に入れ、宝物の様に少しづっ嘗めて作業に戻られる後ろ姿・・・&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そこで手空きの船員一同で、急ぎ作業中の兵隊さんに「内地の水」を差し入れすると同時に、船内のあらゆる容器《瓶・空缶・鍋・やかん等》を掻き集め水を満たして、陸地《物資集積場》へ向かう兵隊さんに渡すと、泣きながら何度もお辞儀をし、何時までも手を振っておられたお姿が６４年を経た今も瞼に焼き付いて消えません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
後日知りましたが、『奇蹟・硫黄島へ最後の物資輸送行』よりの帰途、伊豆大島東方海上にて、私達が米艦載機の機銃掃射を受けていた　〔2月16日〕は　硫黄島でも猛烈な艦砲射撃を受け始め、2月19日には上陸戦が始まり、戦史に残る程の戦闘だったそうです。私達が必死で届けた物資が少しはお役に立ったのではと自分を慰めています。　　　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　　硫黄島の兵隊さんに《黙祷》</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/e882428/294787.html</link>
			<pubDate>Fri, 21 Aug 2009 19:31:37 +0900</pubDate>
			<category>ブログバトン</category>
		</item>
		</channel>
	</rss>